4-2 レクシスの街
意識を取り戻したとき、真っ先に感じたのは潮の匂いだった。山生まれだからはっきりとわかるわけではなかったが、潮風の匂いがすると感じられた。
次に頭へたどり着いたのは腹部の激痛だった。お腹から背中まで全てが痛い。痛みで思考が塗りつぶされ、さっきまで匂っていた潮風もどこかへ消えてしまった。
「……セージローさん?」
かすかに、レンの声が聞こえた。目を開くと、彼女が僕を覗き込んでいる。二日連続で彼女に覗き込まれている気がする。レンは憔悴していて、目元が真っ赤になっていた。
僕が寝かされていたのは、しっかりした建付けの一室だった。丁寧にかんなをかけられた木材で出来た天井が真上にある。ベッドも厚みがあって柔らかく、久々にきちんとした寝床に寝ている感覚が背中にあった。
「セージ! 起きたか!」
シエの声がどこからか聞こえてくる。どんどんと床が振動して、それに合わせて傷が響いた。しばらくして、彼女が顔をのぞかせる。
「まさか本当に生きてたとは……」
「あぁ……ここは……?」
「レクシスの街です。宿を借りて逗留しています」
僕の曖昧な質問にレンが応じてくれた。起き上がりたかったが、体が全くいうことを聞かなかった。脳から出ている指令が途中でぷつりと途切れたかのように、ピクリとも動かない。
「僕は、どうして……」
「お前、兄貴に体を両断されたんだぞ」
シエの言葉で、直前の記憶がゆっくりと蘇った。自分で自分の切断面を見るという悪夢のような経験は、悪夢ではなかったのか。
シエは僕の頭のそばに椅子を持ってきて、どっかりと腰を下ろした。レンはベッドへもたれかかるように床へしゃがみ、頭だけを突き出してこちらを見る。
「しかし……なぜ生きてる? レンが言う通り、体をくっつけたら再生し始めた。魔法的な防御があるといったが、これはそんな生易しいものじゃないことくらい、魔法に疎い私にでもわかるぞ」
「あぁ……」
「いままでは聞かなかったが、お前たち、私に言ってないことがあるだろ」
「それは……」
僕とレンは顔を見合わせた。話すべきか迷う。もはや隠す理由もないが、言ったところで信じてもらえるかどうか。
部屋の扉が軋みをあげて開いた。シエが顔をあげて「エンリか」と呟く。
「どうだった?」
「とりあえず、全員腰を落ち着けた。ひとまずは安心だろう。ここからまた、行き場を探さなければならないが……」
「すいません……」
レンが沈んだ声で言った。
「妹のせいで……」
「妹のせいではないだろう」
エンリがレンの言葉を遮る。
「彼女にも事情があるようだったしな。悪いのは全てリョーイチローだ。それで十分だろう」
エンリも椅子を持ってきて、僕の近くへ腰かけた。彼はレンの背後にも椅子を持ってきてくれたが、レンはそのまま床へ膝立ちのままだった。
「ところでセージ。お前はいったい何者だ? 兄のあの力といい、お前の不死といい、尋常なものではない」
「私もそのことを聞こうとしてたところだ」
「……何と言ったらいいのか……」
「私が、お話しします」
レンが消え入りそうな声で言った。
「セージローさんはまだお怪我が治っていないので。いいですよね」
「頼む……」
疲れ切っている彼女に入り組んだ説明を頼むのは心苦しかったが、僕も喋れるような状態じゃなかった。声を出そうと力を入れるたびに痛みで意識が遠のいてしまう。いかに不死チートとはいえ、真っ二つになった体を元に戻すのは時間がかかるようだ。
「シエさん。エンリさん……信じられないことだと思いますが、まずは私たちの話を最後まで聞いてください」
レンは顔を上げて言った。そして、兄貴が異世界転生を果たしてから、僕らが辿った道筋を順番に説明した。
シエは困惑した表情でそれを聞いていた。エンリは無表情で、何を考えているかわからない。
最後まで話し終えても、二人はしばらく言葉を発しなかった。
「……なるほど」
たっぷりと間が空いてから、エンリが口を開く。
「途方もない話だが、妙にしっくりくる」
「本当かよ」
シエの合いの手にエンリが頷く。
「俺たちの部族に伝わる伝承のひとつとも合致する」
「伝承、ですか?」
「あぁ。異界流離譚、とでも言うべきだろうか。別の世界からやってきた者が信じられない力を発揮するという物語だ。竜人と似たような伝説だが、竜人と違って実際に見た者はいない。伝承でも又聞きやほかの伝承からの引き写しという形でしか言及がないが、しかし……」
エンリは腕を組んで唸る。
「レンの言うことが本当ならば、理屈は通る。かつてもリョーイチローと同じように、ドラゴランドを訪れた異世界転生者がいたとしても不思議ではないからな」
「とはいえ、異世界かよ……死後の世界だって最近海向こうから来た変な黒服が唱えてるって程度のレベルなのによ。私たちの世界は……」
シエが頭を抱えた。髪をばさばさと掻きむしって苦悶する。
「シエさん……」
「無理もない。伝承というかたちでこことは別の世界に触れてきたエルフと違って、森の外の人間にはそもそもそういう概念がない。混乱は当然だ」
「あぁ、もういいや。考えるのはやめだ!」
シエが突如立ち上がった。レンが驚いて床へ転がってしまう。
「どうせレンが言ってるなら本当のことなんだろ。じゃあもう異世界はあるってことでいいだろ。それに、リョーイチローのバカを倒さなきゃいけないのは決まってるわけだしな」
「シエさん、信じてくれるんですか?」
「当然だろ?」
シエが左手を伸ばしてレンを抱き上げる。シエは椅子に戻って、彼女を自分の膝の上へ乗せた。
「レンが嘘なんかつくかよ」
「シエさん」
レンの瞳に涙が浮かぶ。彼女はシエの胸へうずくまってしゃくりあげた。シエはレンの頭を撫でて、赤子をあやすように小さく体を揺らす。
「エンリ……」
「どうした、セージ」
二人を見ていたエンリが視線をこちらに向けてくれる。
「兄貴は、あのあと、どうなった……」
「逃げたよ。竜人に捕まって飛んでな。いま部族のものに動向を探らせているが、焦る必要はないだろう。風で海が時化っているらしいからな。船を手に入れてもすぐには出られまい」
「そうか……なら、いいけど……」
急に、瞼が重くなった。体力がもう限界のようだ。エンリが布団を持ち上げてかけなおしてくれた。
「いまは休め。もう一晩寝れば治るのだろう?」
「だと、いいけどね……」
僕はもう一回、意識を手放した。
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