第4章 尻拭いの結末
4-1 勇者とただの人
「リョーイチロー……あれが?」
シエが目を見開いて、目の前の兄貴を凝視した。この中で彼女だけは、兄の顔を知らなかった。
エンリが一歩前へ出ようとする。僕はそれを制して、兄貴に言葉をかけた。
「……久しぶりだな」
「誠二郎? なんでこんなところに……」
剣を鞘へ納め、カッコつけてポーズを決めていた兄貴がにわかに慌てた。僕の服装がすっかりドラゴランドに馴染んでしまっていたから、いまのいままで気づかなかったらしい。彼は僕を認めると、後ずさりする。
隣に少女が降り立つ。ねじに似た曲線を描く角を考えなければ、背丈は兄貴よりも頭ひとつ以上は小さく、細い手足がガラス細工のような印象を抱かせる少女だ。だが、背中から突き出た羽は分厚い鱗に覆われており、ちょっとやそっとではびくともしなさそうだった。確かに、あの羽なら兄貴一人を抱えて飛ぶのは造作もないだろう。
少女は髪も肌も真っ白で、唯一瞳が赤い。人間の白目にあたる部分が真っ赤で、黒目は大きく縦に走った亀裂に近い。
アメリーを救出したときに目撃した、竜の瞳を思い出した。
「兄貴、隣の子は……」
「こいつか? フィアだよ。俺が奴隷商から助け出したんだ」
兄貴は「俺が」に力を込めていった。フィアは虚ろな視線で僕と兄を交互に見る。困っているような仕草にも見えた。
「助け出した? 攫ったの間違いではないのか? 俺の妹のようにな!」
「リョーイチローさんっ! 私とエンリさんの妹はどこにいるんですか?」
エンリが激高し、レンが乞うように言った。兄貴は彼らの言葉を真剣に受け取らず、ぼんやりと空を見上げる。
「カナタは先に行かせたよ。さっき合流した仲間と一緒にな。スイは……」
「リョーイチローさんっ」
一瞬、隣にいるレンの声かと思った。しかし声は、もっと遠くから響いてきていた。
全員の視線が森の正反対を向いた。レクシスの街へ向かう街道を金髪の少女が走ってやってくる。
レンと瓜二つだ。服装は僕がレンと初めて会ったときと同じような白いワンピースにサンダル履きだったが。
エルフたちは逃げるように道を開けて少女を通した。少女は迷わず兄貴へ駆け寄って抱き着く。
「どうして、スイ……」
「お姉ちゃん?」
スイもようやく、姉の存在に気付いたようだ。彼女の顔はレンとほとんど見分けがつかないほど似ていたが、姉よりも丸く無邪気さが見て取れた。
スイは兄貴から離れ、姉へ向かって仁王立ちになる。
「グラントから言われてきたのね……連れ戻せって。でも私は戻らない!」
「スイ……」
「あんな仕事はもうたくさん! 私はこの世界で自由に生きるから!」
スイの言葉は固く、全てを拒絶するような響きがあった。レンが唇を噛む。
僕は振り絞るように言った。
「兄貴……ガライの街に火をつけたのはお前か?」
「あ? あぁ……火ね。これか?」
兄貴が空の右手を振る。青い火の粉が舞って、火の玉が形作られる。エンリの魔術に似ているが、火球ができるまでの時間がずっと短い。
「いいだろこれ? 俺のレベルは九十九だからな。魔術適正もEX。誰にも使えない禁断の魔術だって使いたい放題だ」
「レベル九十九? 適正? 何の話だ」
苛立ったシエの言葉に僕は首を振った。意味は分かるが、説明しているときではない。
兄貴は得意げに続ける。
「ガライの街を焼くのはいいアイデアだっただろう? 奴隷を全員一気に救出できる。完璧だ」
「ふざけるな! 関係ない街の人間を焼き殺しておいて! お前のせいで年端もいかない子供がゴブリンに捕まって酷い目にあったんだぞ!」
シエが耐え兼ねて大声を張り上げた。だが兄貴は蛙の面に水といった調子で意に介さない。これが現実世界だったらビビッてすぐに逃げているはずだ。チート能力を得たせいで増長しているのだろう。
「街の人間は奴隷商で潤ってたんだ。燃えても自己責任だよ。子供は……しらん! とにかく俺のおかげで奴隷は助かった!」
「では我々の部族も自己責任か! この似非勇者風情が!」
今度はエンリが吠えた。兄貴は流石に少し怯えたようで、彼から距離を取ろうと下がる。
「お前が竜を殺したせいで我々は故郷を失った。ここまで脱出するために何人も死んだ! お前が殺したも同然だ! リョーイチロー!」
「うるせえ! 妹を生贄にして生き延びようとして罰が当たったんだよ!」
「くそっ、話にならねえぞ、セージの兄貴は……見てるだけでムカついてくる。シメようか?」
背中の棍棒へ手を伸ばすシエを、僕は腕を伸ばして止めた。エンリとレンにも目配せして、任せておけと合図する。
「兄貴、もうこんなことはやめにしよう。お前のやったことでみんなが傷ついてる……だけどいまやめればこれ以上酷くならずに済む。現実に帰るぞ」
「また説教か! 誠二郎!」
草原に兄貴の声だけが響く。
「お前はそうやって何度も何度も……うるさいんだよ! 優等生ぶりやがって! お前に俺の何がわかる! 努力しないでもそこそこ成功できる奴に、俺のことはわからない!」
激高する兄貴から、フィアとスイが怯えたような顔で離れていく。
レンが不安そうな顔で僕を見上げた。僕は彼女の頭を撫でる。
「セージローさん」
「大丈夫だよ。レンさん」
僕らをよそに、兄貴の独白は続く。
「俺はこの世界で生き直すんだよ。自分の好きなようにな! それを邪魔しやがって! お前はいつも俺の邪魔をしなけりゃ気が済まないのか!」
「兄貴の言うことはいつも間違ってるな」
僕は声を張り上げて、彼の言葉を遮った。ゆっくりと歩みだして、兄貴へ近づいていく。
「まず、僕は優等生ぶってない。実際優等生だったんだよ。それに、努力はしたさ。そこそこ努力してそこそこ成功した。いま思えばもっとやればよかったかもしれないけど……まあいい。そして最後に」
兄貴との距離は五メートルといったところだ。数秒で近寄れる。彼が自身のチート能力に驕っているこのときしかチャンスはない。まともにやりやったら勝てない。
後ろをちらりと窺う。シエとエンリが左右へ分かれて展開しつつあった。会って数日と経ってないのに、視線を潜り抜けるだけでこうも分かり合えるようになれるのか。これだけは、異世界転生しないとわからないことだったな。
「最後に、なんだよ!」
兄貴が声を張る。僕は息を大きく吸った。
「ここからは説教じゃない! 実力行使だ!」
地面を強く蹴る。三歩で距離は詰まった。右の拳を真っすぐ前へ突き出して兄貴の脂肪がついた頬をぶん殴った。幸い、反射神経はチートをもらえなかったらしい。まともに食らった兄貴は吹っ飛んでいく。
左右からシエとエンリが迫っていた。シエと兄貴との間にはスイが、エンリとの間には竜人のフィアが立っている。少女たちは突然の出来事に硬直していた。二人は彼女たちへ全力で迫っていく。
「兄貴! 誰がいつお前と議論するって言った! さっきのは子供の手前穏当に事を済まそうとしただけだ! できなければぼこぼこにして連れ戻す!」
「やってみろクソやご!」
兄貴は最後まで言えなかった。倒れている彼の顔面へ僕が足を振り下ろしたからだ。素人の攻撃でも、体重を乗せたものをまともに食らえば痛いだろう。よくわかるよ、その痛み。
「セージローさん! 危ない!」
レンが叫ぶ。直後、熱波が真下から襲ってきた。兄貴が魔法で炎を出したらしい。今度は僕が吹っ飛ばされる番だった。草むらを転がってすぐに立ち上がる。
「リョーイチローさん!」
スイが叫んだ。シエが兄貴へ迫っていた。兄貴は手足をばたつかせて立ち上がり、手の平をシエへ向ける。それだけで、シエが見えない壁へ押し出されるように弾かれた。
「ぐっ」
「リョーイチローっ! 死ね!」
エンリが腕を振るった。小さな槍のような形へ変化した炎がいくつも飛び出す。だが兄貴が手を振ると何もないところから水が湧き出て、壁を作って炎を防いだ。
「兄貴! いい加減にしろ!」
僕はもう一度地面を蹴って兄貴へ飛んだ。だが飛び出した直後から、感覚がおかしかった。体が一向に前へ進まない。空中でスローモーションをかけられたかのように、ゆっくりとしか動いていかない。
誰かが叫ぶ声が聞こえた。ぼんやりと聞こえるだけで、それがレンの声なのかスイの声なのかわからなかった。
体が前へ倒れていく。視界がのんびりした動きで逆さまになっていく。それでようやく、僕は自分の体に起きていることに合点がいった。
胴体が腰のところで真っ二つに切断されていた。
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