3-8 チートの勇者、ここに

 両断されたシルバーデビルの亡骸が、ゆっくりと地面へ倒れ伏す。あたりは静寂に包まれた。


「……勝った?」

「……油断するな。まだ終わりじゃないぞ!」


 エンリが大声で言う。こちらの戦いの喧騒が静まったことで、後ろから迫る悲鳴がはっきりと聞こえるようになっていた。


「シエ、しんがりに加わるぞ。一人でも多く森から脱出させる」

「あぁ。セージは?」

 シエが僕に尋ねる。僕が口を開く前に、「セージローさん!」と叫ぶ声があった。


「……レンさん」

「セージローさん! ご無事ですか!」

 レンはエルフの若者が操る馬の後ろに乗っていた。馬が僕のそばへ止まり、レンが滑るようにして降りる。


「よかった……セージローさん」

「あぁ、無事だよ。生きてる……」


 僕はレンの手を借りて立ち上がる。レンは僕に肩を貸しつつ、泣きそうな顔で僕へ縋りついてきた。これではどっちが怪我人なんだかわからない。


「セージローさん。あとちょっとで出口です。馬に乗ってください」

「いや、僕はいい。もう走れる……それよりも、レンさんが先に行ってくれ」

 レンは馬へ促す僕の手を拒んで、ふるふると首を横へ振る。


「だめですそんな……だったら、カロンさん」

 レンが馬上のエルフへ話しかける。

「カロンさんは後ろへ。みんなをお願いします。私たちは自分の足で行きますので」


 カロンは小さく頷くと、馬を走らせて飛び出した。すでに先頭集団は僕らを追い抜かしつつある。僕はレンを肩を組むようにして、小走りに森の出口へ向かう。


 不死チートのおかげで回復が早いとはいえ、まだ全快ではない。体に衝撃が走るたびに痛みが胸を貫いた。僕は歯を食いしばって痛みを堪える。

 大丈夫だ。川へ飛び込んだときよりだいぶまし……。


「っ……」

「大丈夫ですか、セージローさん」

「あぁ……少しの辛抱だ。頑張れる……」


 幸い、前からシルバーデビルが襲ってくることはなかった。後ろから追いかけてくる集団の数は二十前後と多く、全てを倒せはしないだろうが、攻撃が一方向からしか来ない安心感はあった。


「セージローさん、シエさんとエンリさん以外の方は……」

「……死んだよ。みんな」

「あぁっ……」

 レンが力なく俯く。目から涙が零れ落ちた。


「後続でも襲われて……六人が……女性の方と、それを守ろうとした方が。妹のせいで、こんな……」

「レンさん。いまは考えちゃだめだ」

 僕はレンを強く抱きよせて言う。


「そんなことを考える余裕があるなら、足を動かすんだ。僕らが遅れたら被害が広がる」

「……そうですね。すいません」


 レンはコートの袖で涙を拭った。歯を食いしばって、きっと前を向く。僕も彼女に遅れないように足を必死に動かした。


 少し走っていると、前方で森が途切れているのが目に入った。木々の奥に見えるのが森の暗闇ではなく、明るい草原になる。もう少しだ!


 ふと安心した瞬間、右から唸り声が響いた。僕は咄嗟にレンを抱えたまま前へ飛び倒れる。頭上を銀色にきらめくものが素早く横切った。


「出たぞ! 悪魔だ!」

 集団の誰かが叫んだ。恐怖が一気に広がっていく。みんなの足が止まりかける。

 だが、馬に乗ったエルフが飛び込んできて、シルバーデビルへ剣の一撃を喰らわせた。


「足を止めるな! 逃げろ! 森から出れば生き残れる!」

「カロンさん! 上!」

 レンが叫んだ。カロンが上を見るが、遅かった。木の上から飛び出したシルバーデビルの爪に両方の眼球を串刺しにされ、カロンは呻きながら地面へ落ちる。


「あぁっ、そんなっ……」

「走るんだ! 今のうちに!」

 僕は声を張って呼び掛ける。シルバーデビルの注意はカロンの死体へ向いている。その間に距離を取らないといけなかった。


 レンの腕を引っ張って走る。森の出口までもう五十メートルもない。あと十秒ほどで逃れられる。


 最後はもう、前へ走ることしか考えてなかった。周りは全く見えない。飛び込むように草原へ突っ込んだ。すでに倒れこんでいる人の上へ、お構いなしにダイブした。


 体を太陽の熱が直に焼いた。森から出た証拠だった。


「はぁっ……逃げれた……」

 僕はくらつく頭で立ち上がって、森を振り返った。次々に逃げてくる。しんがりを務めていたエンリとシエが、最後とばかりにシルバーデビルへ一撃をお見舞いして沈黙させ、森から出た。


 これで全員だ。


「やった……生き残り、ました……」

 レンが乱れた呼吸で途切れ途切れに言う。一拍だけ沈黙があって、それはすぐにエルフたちの歓声に塗りつぶされていった。


「大丈夫か! レン! セージ!」

「シエさんこそ! よかった……」


 シエが僕らへ駆け込んでくる。シエも怪我こそしていないが疲労が深いのか、まっすぐ立つことできずにふらついていた。


「あぁよかった……うわっ!」

 シエを支えようとして近づく前に、僕の体が後ろから引っ張られた。引っ張ったのはエルフの女性だった。彼女は僕の体をがっちりと抱きしめたかと思うと、疲れでぼうっとした顔のレンにも抱き着く。


 見ると、感極まったエルフたちがあちこちで抱き合っていた。シエも屈強な男たちに引っ張っていかれ、なぜか胴上げされている。


 いや、あの巨大なシルバーデビルを倒したのは彼女だから、順当か。しかし、喜びの表し方ってエルフも地球人も大差ないんだな……。


「セージ」

 エンリが女性の抱擁を振りほどきながらやってきた。僕も抱き着こうとしている人をかわして彼へ歩み寄る。


「改めて礼を言う。セージの策がなければ全滅だった」

「いや……結果的にうまくいっただけだよ。死人は出てしまった」


「それはやむを得ない。俺は半分以上死ぬのを覚悟していたからな。悲しいが、数を考えれば幸いでもある」

「そうか……」


 突然、咆哮が空気を切り裂いた。祝福ムードを一気に吹き飛ばされる。叫び声は森から響き、再びあの振動が地面を揺らし始めた。

 人々が恐怖に固まる。


「落ち着け……」

 胴上げから降ろされたシエが言う。


「シルバーデビルは縄張り意識が強い。いくら怒っていても森からは出てこないはずだ。森から距離をとれば安全なはず……」


 地響きが徐々に大きくなる。森の出口に、銀色の影が姿を現す。誰かが悲鳴をあげた。

 姿を見せたシルバーデビルは、さっきの巨大な個体よりもさらに一回り大きかった。木の影からこちらをじっと睨みつけてくる。


「大丈夫だ、みんな。ゆっくり森から離れろ」

 エンリが呼び掛ける。みんなが後ずさりして森から離れた。

 だが、巨大なシルバーデビルは大股で一歩、森から足を出した。


「嘘だろ……」

 シエが漏らす。シルバーデビルは二歩、三歩と森から出てきて、ついに体の全てを外へ現した。後ろには通常サイズの個体も十数匹続く。


「縄張りはどうしたんだよ……」

「エンリっ。もう一回あれできるか」

「いや、もう魔力が……」


 混乱が広がる。一目散に逃げだしたかったが、みな全力を出した後で、少しずつ下がるのが限界だった。


「こんなことって……」

「くそっ……これも全て竜を殺したリョーイチローがっ……」


 エンリが歯ぎしりをする。シルバーデビルが距離を詰め、ついにあと一歩で腕が届くところまで来た。


「セージローさん……」

 レンが僕の腕を握りしめる。彼女は祈るように目を瞑った。

 シルバーデビルが吼える。だが、その咆哮をかき消すように大きな声が響いた。


「はっはっは! 俺の名前を呼んだか!」

 声は上から降ってきた。シルバーデビルを含め、全員の視線が空を向く。


 空には、翼を広げる何かが飛んでいた。

「竜……か?」

 エンリが呟く。だがそうでないことはすぐに分かった。


 空を舞うのは、翼のある人だった。少女だった。白い髪と角を持つ少女。彼女の腕にぶら下がって、小太りな男が飛んでくる。


「とう!」

 男は甲高い間抜けな掛け声をあげて飛び降りた。僕らとシルバーデビルの間へ着地する。膝をつて降り立った彼は、即座に剣を抜いてシルバーデビルへ振るった。


 彼は踏み込まない。その理由はすぐに明らかになる。剣が一瞬にして青白い光を帯び、刀身が何倍にも伸びた。瞬間的なエンチャント。横なぎの一撃は巨大なシルバーデビルはおろか、後ろにいたほかの個体も、そして背後の森の木々も諸共に切断した。


「これは、まさか……」

 ことは一撃で済んだ。シルバーデビルは一匹残らず死滅していた。ついでに森もごっそり削り取られていた。


「ちっ。まだまだ力の調整が難しいなっ!」

 男は相変わらず甲高い声で言って、振り返った。その顔には見覚えがある。


「兄貴……」

「なぜここにいる! リョーイチロー!」

 エンリの声が僕の言葉を塗りつぶした。

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