3-6 追う影が二つ
「森から、逃げる? 悪魔?」
「竜が死んだことによって、竜が押さえつけていた邪悪な生物が活発になっている」
僕の疑問を、エンリが引き取って答える。
「森が徐々に死につつあり、生活を成り立たせることもできない。元来我々は、森の恵みを受け、森に邪悪な生物から守ってもらって暮らしていた。それができなくなった以上、ここにいても死を待つだけだ」
竜というひとつの種族がぽっかりといなくなってしまったことで生態系が崩れ、竜を天敵とする獰猛な生物が幅を利かせている……ということだろう。悪魔が何を指しているかわからないが、人を襲う生物であることは間違いなさそうだ。
「逃げる場所は決まっているのか?」
「あぁ。森を北に抜けてレクシスの港町へ向かう。皮肉にも、リョーイチローを追う格好になるな。だが、北は悪魔の巣が点在している。通れば間違いなく襲われるだろう」
「あの、逃げる場所はレクシスでなければいけないのでしょうか?」
レンが控えめに声をあげた。
「南へ向かって、ガライの街へ向かえばいいのでは。私たちはそこから来ましたけど、道中何かに襲われることもありませんでしたし、森でも特に襲われませんでした」
「人の話を聞かないエルフ以外にはな」
「いや、ガライの街はだめだ」
エンリがシエの皮肉を無視して断言した。
「お前たちはこの国の出身じゃないのだろう? だったらわからないだろうな……エルフが奴隷商の街へ出入りするのは自殺行為だ。まして、集団で逃げ込むのは」
「それは、どういう?」
「この国の法律では、人間以外の種族、例えばエルフを奴隷にしても咎められない。ガライの街へ駆け込むのは、自らを売り渡すのと同じだ」
「そんな……」
レンが胸元で、シャボン液の入った小瓶をぎゅっと握りしめた。さっき空中へ放たれたシャボン玉の最後のひとつが爆ぜる。
「ともかく」
レンを慮ったのか、エンリが切り替えるようにはっきりと声を出す。
「俺たちはリスクを承知で森の北を駆け抜ける必要がある。だがここにいる三十八人のうち、戦えるのは十二人だけだ。それ以外はすでに悪魔との戦いで命を落とした」
「それで、私たちに手を貸してほしいってわけか」
シエが左腕を大きく振り回す。
「いいぜ。どうせ私たちも早くレクシスへ行かないといけないんだ。手を借りたいのはこっちも同じ」
「そうだな……でも、合計四十一人もどうやって?」
「走る」
エンリが短く答えた。
「走るぅ?」
シエが裏返った声で応じた?
「本気で言ってんのか?」
「あぁ。森は足元が悪く馬車は使えない。馬も悪魔に襲われて三頭しか残っていない。この三頭には子供を乗せて、走れるものはそれに並走する。これ以外の方法はないだろう」
「だけど、それだと遅れる人が出るんじゃ……」
「だろうな。だがむしろそれこそが作戦の肝だ。逃げ遅れた者を悪魔が襲っている間に、他のものが先へ逃げる。そうやって生存者を増やすしか手はない」
「そんな……」
「文句があるならほかの手を考えろよ?」
レンに向かってクワイが言った。その彼をエンリとシエが同時に睨みつける。
「残酷なことを言っているのは承知している。だがやむを得ない。これ以外に手は無く、いま出発しなければ悪魔はより活発になって生き残る確率は下がる一方だ。こうして話している間にもな」
「森から出るのに、どれくらい走ればいい?」
シエが尋ねた。
「この中で一番足の遅いものに合わせれば、一時間ほどだろう。実際には速足で進み、悪魔が出たら走って逃げることになる」
シエが舌打ちしてため息をつく。無謀だと彼女の経験が言っているのだろう。だが、彼女の悔しそうな顔はそれ以外の策がないことも意味していた。
どうにかして、せめて生存者を増やすことはできないか……。
俺にも兄貴みたいな、竜を一刀のもとに切り伏せるようなチート能力があったらな……。
いや、待てよ。俺にも一応、そういう能力はあるのか。かなり痛そうな案になってしまうが。
「……なぁ、エンリさん。提案なんだが」
「どうしたセージ」
「僕が囮になろう」
「何を言い出す?」
エンリが目を見開く。
「詳しい説明は省くけど、僕は他人より体が頑丈で、滅多なことでは死なないんだよ。魔法的な防御と思ってくれればいい。悪魔が活発になったといっても数は無限じゃないはずだ。僕が囮になってひきつけた悪魔をエンリさんやシエさんが倒してくれれば、後ろに続くみんなは比較的安全に進めるはず」
「だが、それだとセージが危険だろ」
シエが僕の肩を掴んだ。
「大丈夫だよ。少なくとも死にはしないから」
「セージローさんっ、それなら私も……」
「いや、レンさんはみんなと一緒にいて」
「でも……」
エンリが手を挙げて、レンを制した。
「わかった。その案でいこう」
「おいてめぇ!」
シエがつっかりそうになるのを僕が止める。
「もちろん、やるからには殺させない。クワイ、リシイ、ガモウ」
エンリが若いエルフたちに声をかける。
「お前たちも手伝え。あらかた倒せば安全というのはその通りかもしれん。どうせ死の行進をするのなら、我々が先へ行って障害を排除してしまえば状況はましになる。いままでの面子では不可能だったが、戦える者が一人増えた。囮役に専念できるものがいるなら成功するだろう」
「本気かエンリ!」
エンリはクワイの抗議を無視して、僕らへ背を向けて歩き出した。
「急ぐぞ。こうしている間にも悪魔が襲い掛かってくるかもしれん」
「あぁ……」
僕がエンリの後を追おうとすると、ローブの袖を引っ張られた。レンが袖をほんの少しだけ指で摘まんでいる。
彼女は怯えた表情を僕へ向けてくる。
「セージローさん、絶対に無理をしないでくださいね」
「大丈夫だよ。シエさんがいるし。レンさんこそ、みんなに遅れないようにね」
「……はい」
僕はエンリ、シエ、そしてほかに三人のエルフに囲まれて、小走りで森を進んだ。森が死につつあるというのは事実のようで、道中何度も道へ倒れこむ倒木に行きあった。そのたびに、後続のためにエンリが魔術で倒木を吹き飛ばす。
「エンリの魔力、弱ってるな」
僕の左隣を走る、ガモウと呼ばれていた大柄なエルフが言った。彼は自分の背丈ほどある大きな斧を担いで悠々と僕についてきている。
「弱ってる?」
「あぁ。いつものあいつなら一発で倒木くらいどかせたはずだ。何度も炎の球を打たなくてもいい」
確かに、エンリは小さな火球を何度も放って倒木を消していた。先頭を行く彼の息は少し荒く、疲れが見え始めている。
「どうしてだ?」
「エンリの一族の魔法は、森から魔力を得ていると聞いたぞ。森が死ねば魔力も尽きるんだろう」
右隣のエルフ、リシイが言った。彼は小柄で、弓を手に抜け目なく左右を監視している。
「じゃあ、エンリは本調子じゃないのか」
「そうだろうな。エンリの魔力が十全なら、もっと安全に逃げれたんだが」
「余計な口を利いてる余裕があるのか?」
前からエンリの厳しい言葉が飛んだ。リシイは悪戯っぽくウインクして黙る。
「おいエンリ!」
後ろからシエが声をあげた。
「お前らの言う悪魔ってのはどういう生物なんだ。それ次第では戦い方を考えられるかもしれん」
「俺たちが悪魔と呼んでいるのは、狡猾で獰猛な生物だ」
答えたのはエンリではなく、シエの隣を走るクワイだった。
「群れで動き、村へ夜襲をかけることもある」
「知性が高いのか。厄介だな」
「あぁ。道具は使わないが、素手で丸太を握りつぶせるだけの筋力を備えている。一筋縄ではいかない相手だ」
「そうか。図体は?」
「あれくらいだな」
目の前に、銀色の体毛の生物が四匹群がっていた。人の背丈ほどの大きさがある巨大な猿のように見える。
「あれは……シルバーデビルか!」
シエが叫んだ。
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