3-4 森の悲鳴

「あぁっ」

「嘘だろっ……」


 大木はもうすぐそこまで倒れ掛かっていた。逃げるのは間に合わない。僕はレンを押し倒し、自分の下へ潜り込ませる。彼女の頭へ覆いかぶさって、来る衝撃を覚悟して身を固めた。


 だが、いつまで経っても僕は樹に潰されなかった。下にいたレンが僕の肩を叩く。恐る恐る目を開いて見上げると、空中で樹が静止していた。


「おい……早くそこからどけ……」

「そう長くはもたないぞ……」


 後ろから苦しそうな声が聞こえた。シエとさっきの男だ。きっと倒れてきた大木を支えているのだろう。僕はその姿を確認する前に、レンを抱きかかえて転がるように樹の下から飛び出した。


 上にあった圧迫感が無くなるのと同時に、地面が大きく揺れた。横倒しになった丸太のそばでシエと男が座り込んでいる。僕とレンは立ち上がって、よたよたと彼らに歩み寄った。


「大丈夫か? レン、セージ」

「はい、危ういところでしたが……ありがとうございます」


 レンが怯えた表情で大木を眺める。下敷きになっていたら、きっと不死チートで死ねないままずっと苦しみ続けることになっていただろう。不穏な想像をしてしまって体が震える。


 シエは大きくため息をついて立ち上がった。そばに座り込んでいた男を一瞥して言う。

「それで、どうしてお前は、さっきまで殺そうとしてた奴を助けたんだ?」

 男はシエを睨み返す。


「勘違いするな。俺はリョーイチローを殺したかっただけで、そこの少女まで巻き込むつもりはなかった。さっきのもリョーイチローを助けるつもりじゃなかった」


「だから僕はリョーイチローじゃないって……」

「そうだな。お前はリョーイチローじゃない」


 男はあっさりと誤解を解いた。立ち上がってフードを脱ぐ。白い縁取り化粧に彩られた、険しい表情の顔が露わになった。フードに押さえつけられていた尖った耳がひょっこり飛び出す。


「リョーイチローなら身を挺して他人を助けたりしないだろう。だからお前はリョーイチローじゃない……じゃあ何者だ?」


「おい、まずはお前から名乗れよ」

 シエが口を挟む。男は不服そうに彼女を見たが、僕へ向き直って言った。


「俺はエンリ。この森に住むエルフで、魔術師だ。お前は?」

「僕は誠二郎。諒一郎の弟だ。兄を追ってこの森に来た」

「そうか、道理で声が似ているわけだ」


「……そんなに似ているのか」

 あの兄に似ていると言われるたびに、地味にショックが大きい誠二郎である。全然違うと思うんだけどな。


「あぁ。だがよく聞くとリョーイチローよりもはっきりと話すな。声は似ているがしゃべり方は大違いだ。お前の喋り方は村の教え手に似ている」

「あっ、すごい。セージローさんが先生なのわかるんですね」


 レンの言葉に、エンリがこくりと頷く。むっつりとした顔のままにこりともしない。不機嫌なのではなく、元々こういう顔なのだろう。


「人違いで攻撃したことをまず謝罪しよう。しかし、こちらにも事情がある。リョーイチローはこの森で大変なことをしでかした」

「大変なこと?」


 聞き返すと、エンリは親指で倒れた大木を指さした。


「これと関係がある。この木が突然倒れてきたのもリョーイチローの行いが招いたことだ」

「お前が炎の玉なんてぶつけたからじゃねぇのか?」

「あの程度の炎に我が森の木が負けるはずがなかろう」


 シエとエンリが睨み合う。「ちょっと待ってください」と言って、レンが慌てて二人の間に割って入った。子供に割り込まれると、二人は素直に距離をとる。


「その、リョーイチローさんが招いたってどういうことですか?」

「……ついてこい。村へ案内しながら話そう」


 エンリが僕らに背を向けて歩き出した。彼の歩き出しは速足だったが、レンが小走りになっているのに気づいて歩くペースを落とす。


「セージオー」

「誠二郎だ。言いにくいならセージと」


「そうか。セージ、リョーイチローの弟だと言っていたが、この国の竜についてはどこまで知っている?」


 エンリは地面を這う木の根を軽やかに飛び越えながら話す。足元の悪い地面を歩いているのに頭の位置が変わらず、足音もしない変わった歩き方だった。


「『根源の竜』の話なら聞いた。竜がいろいろなものと繋がっていて、殺してしまうとまずいってことも」


「なら話は早い。竜はこの森の木々とも繋がっている。それが突然、何の前触れもなく力を失ったということが何を意味しているかもわかるな?」


「まさか……」

「あぁ、そのまさかだ」

 エンリが足を止め、正面を指さした。視線を前へ向けたレンとシエが思わず息をのむ。


 森が死んでいた。

 鬱蒼と生い茂る森林の真っただ中に、木々が茶色くなって枯れ朽ちている空間が現れた。まるで除草剤を混ぜた水をスプリンクラーでまいたかのように、円形に植物が萎れている。


 僕は森へ入る直前のことを思い出していた。険しい崖が急に途切れて草地になったかと思うと、少し行ったところでまた突然深い森が始まる奇妙な地形。植物の枯れ方はそれとよく似ていた。あるところを境に、死んだ木と生きた木が隣り合っている。上からのぞけば、枯れた茶色が綺麗な水玉模様に見えたことだろう。


「竜が死んだ……いや殺されたのか?」

 シエの言葉に、エンリが無言で頷く。


「この森と繋がっている竜がリョーイチローに殺された。いまはまだこの程度で済んでいるが、じきに森のすべてが死ぬだろう」


 エンリの声は濁ったものを吐き出すようだった。森はエルフたちの故郷だという話だった。それが丸々なくなってしまうことは、彼らの居場所がなくなることを意味する。


 エンリは死んだ森をまっすぐに歩き始めた。僕らもその後を追う。

「……エンリさん、リョーイチローさんはどうして竜を殺すことに?」

 レンの問いかけに、エンリが鼻を鳴らした。


「さて……ごちゃごちゃ言っていて要領を得なかったが、どうやら俺たちの行おうとしていた儀式が気に食わなかったらしいな」


「儀式?」

「あぁ。エルフに古来より伝わる儀式だ。あの祭壇で竜に生贄を捧げる」


 エンリが視線で指す方向に、木々の合間から石でできた舞台のようなものが見えた。台形の舞台の周囲にはうねうねとした曲線で飾り彫りをされた石柱が鎮座し、苔むしている。傍には儀式の用意なのか果物や獣の肉が備えられていた。


 ただ、供え物はひっくり返ったり散乱したりと酷いありさまだった。ついさっきまでここで大騒ぎがあったようだ。エンリは祭壇へ歩み寄り、横倒しになって中の液体をぶちまけていた甕を立て直す。


「ついさっきまで儀式を?」

「いや、昨日だ。リョーイチローは儀式の最中に乱入してきた。そのあとの混乱で片づけに手を割けなかったんだ。竜が死んだことで森に巣食う悪いものが暴れ始めている。大人の大半は女子供を守るのに忙しい」


「きゃぁぁ!」

 不意に、エンリの言葉を遮ってレンの悲鳴が轟いた。エンリとシエが彼女の声のした方へ体を向け駆け出す。彼女は祭壇のそばで尻餅をついてがくがくと震えていた。


「どうした、レン!」

「あっ、あれ……」

 シエの左手が棍棒へかかる。だが、その手はすぐに止まった。


「……大丈夫だ。あれはもう死んでる」

 僕も彼女たちへ駆け寄る。レンが凝視していたのは、銀色のごつごつした物体だった。岩かと思ったが、よく見ると真っ赤な液体が周囲に溜まり、鉄の臭いを放っていた。


 首と翼を切断された竜だ。翼は台風で引っぺがされた屋根のようになって胴体に覆いかぶさり、数歩離れたところに頭らしきものが転がっている。


 竜の死体は祭壇の倍ほどはあった。シエが倒したリザードマンを五体束ねてもまだ足りない。


「血液がもう固まってますね……」

「ふむ……」

 シエが恐る恐る近づき、棍棒で死体を突いた。固まった血液は棍棒に叩かれると金属のような軽快な音を立てる。


「切り口が綺麗だな……こんな鱗の厚い生物を一刀で?」

「あぁ。剣の振り方は素人同然だったが、奇妙な魔術でも使っているのかというくらいよく斬れた。お前の兄は強力な魔術師か何かなのか?」


 僕は首を横へ振った。ガライの街を焼き尽くした青い炎といい、この竜を切り殺した斬撃といい、兄貴は本当にチート能力とやらを得ているとしか思えない。

 本当にろくでもないことを……。


「しかし、余所の部族の儀式に勝手に首を突っ込むとは……兄がとんだことを……」

「でも、リョーイチローさんはどうしてそのようなことをしたんでしょうか……」

 レンが立ち上がって、躊躇いがちに口を開いた。


「ガライの街では奴隷を解放するという名目がありましたよね。結局はうまくいきませんでしたけど……だからきっと、ここでもなにかそういう思惑が……」


 レンはそこまで言ってから、エンリの険しい目線に気づいて怯えたように口を噤んだ。自分の故郷を破壊した者の事情を察するような言葉は、いまのエンリには受け入れがたいものがあるのだろう。


 だが、その目線を機敏に察したシエがまた突っかかろうとする気配を出していた。僕はそうなる前に彼らの間へ入る。


「エンリ、兄はこの子によく似た少女を連れてなかったか? 彼女……レンの妹なんだ。兄はともかく、彼女の妹が極悪非道なことにかかわっていると考えたくはない」

「そうか……まぁ、そうだろうな」


 エンリは不服のこもる声だったが、そう言って僕らに背を向けた。顔を両手でごしごしと擦り、無理やり考えを切り替えるように何度か大きく息を吐いた。


 エンリだって、レンに辛く当たるのは避けなければと思っているのだろう。謂れのない怒りを子供へぶつけたくはない。ただ、故郷の破壊者の一味を悪く言うなというのも彼にとって厳しい話なのは事実だ。


「エンリさん……」

 レンが小さな声で呟いた。声をかけたいが、どう言っていいかわからないという躊躇いの籠った声だった。


 エンリが無理に話題を変えるように、気の張った声をあげる。

「リョーイチローは、俺の妹が生贄になると勘違いしたらしい」

「……は?」

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