3-3 エルフの森の魔術師

 ガライの街からエルフの森へは、徒歩でたっぷり三日はかかるそうだ。シエを一行に加えた僕らは、マーサから与えられた旅道具を背負って街を出発した。今日はちょうどその三日目だ。


 ただ、僕らが歩いているのは切り立った崖にある細い道だった。森は一切見えない。人が並んで歩けるほど広くないので、レンを先頭に僕とシエが続いて一列で進む。旅の荷物は僕とシエであらかた背負ってしまっていたので、レンは小さなサイドバッグ以外手ぶらで身軽そうにスキップしていた。


「……馬を断って正解でしたね」

 レンが谷底を覗き込んで言う。

「あぁ。間違いなく制御を誤って真っ逆さまだ」


 実はマーサが馬……と言っても足が六本ある「馬風味」の生物なのだが……も用意してくれていたのだが、乗馬の心得のない僕とレンは断っていた。馬がいた方が楽なのはわかりきっていたが、慣れないものを使ってトラブルを起こすよりはいいと思ったのだ。ゴブリンへ追われて飛び下りた崖の三倍は深い谷底を見ると、全く正しい判断だったといえる。


 底の見えない暗闇へダイブする趣味はない。不死チートがあってもだ。


「馬車も断ってよかったな。こんな細い道、立ち往生するのが関の山だ」

 谷へ吹きつける風に負けないように、シエが声を張った。彼女は乗馬の経験があり、馬車を操ったこともあるそうなのだが、片腕では操りにくいと言って辞していた。


 僕は歩いてきた道を振り返った。ぐねぐねと曲がる峠の道だが、『イニシャルD』をやれるほど広くない。馬車なら間違いなく車輪が脱落するだろう。


「しかし、こんな切り立った谷に森なんかあるのか? 森って普通、山か平地にあるものじゃないか?」


 一応社会を塾で教えていた身なので、地理の知識もあった。僕らが立っているこの谷は、見かけの上では中国の絶景スポット一歩手前みたいな山道に似ていて、植物は崖へへばりつくように生える細い木の数本くらいのものだった。エルフが住みそうな森林がありそうな感じはしない。


「私もこの辺は初めてだからな……だが、竜のせいでこの国の地形はかなり複雑だ。セージの国の常識とかけ離れてるかもしれん」


 シエが僕の疑問へ答えた。僕が彼女へ応じようと口を開く前に、先頭を歩いていたレンが声をあげる。


「あれっ! 見てください!」

 レンが指さす方向を僕とシエは見つめた。曲がりくねって視界を遮っていた崖の間から、深い緑が覗く。


 レンが走り出した。道の端がぱらぱらと崩れ、僕とシエが同時に「危ないぞ!」と言った。レンはお構いなしに突き進んで「早く来てくださいよ!」と僕らを呼んだ。


 レンを追いかけて道を行くと、唐突に崖の道が終わり平地に出た。谷が突然途切れて平地になっているのだ。本当に複雑で理解しがたい地形だ。平地には草が生い茂っていて、足を動かすたびに膝を擽る。


「……私たちが歩いて来た谷はおそらく、植物をあまり産み落とさない竜のテリトリーだったんだな」


 僕の様子を見ていたシエが説明を入れてくれる。レンは草地へしゃがみ込んで、小さなピンクの花をつけた植物をじっと眺めていた。


「ともあれ、目の前の森がエルフの住処で間違いないだろう」

「あぁ。……勝手に入っていいのかな?」

「フホーシンニューとかになりませんか?」

「あぁー、別にいいんじゃないかな。見張りとかもいないし」


 シエが頭を掻いて適当なことを言う。まぁ、ここでまごついていても仕方がないのは事実だ。


 エルフの森は、草原の中央に突如として樹木が出現したように、またも唐突に存在していた。少しずつ緑が深くなって森林に……とかではなく、下手な子供の書いた空想の地図のようにえいやといきなり鬱蒼と生い茂る樹海が目の前にあるのだ。これも竜の影響なのだろうか。


 僕らはいかにもおあつらえ向きな獣道から森へ踏み入った。地面は腐葉土のようにふかふかとして足が沈み込み、太い根が張っているせいで大きくうねって歩きにくかった。相変わらずレンが先頭で、僕とシエが荷物に枝をひっかけながら続く。


「こういうのって、少し歩いたところで弓矢を放たれてエルフに警告されるのがベタだよな。立ち去れ人間よ……みたいな」

「なんのベタなんだ? それは」

「そんなこと言ってると本当に矢を放たれますよ」


 僕の独り言にシエとレンが応じた。

 その瞬間、空気を飲み込むような轟音が響いて僕へ迫った。シエが何も言わず僕へタックルを決める。焼けつくような熱波が顔のすぐそばを通り過ぎ、大木のひとつへぶつかって爆発した。


「な、なんですか?」

「セージがあほなこと言ってるからなんか飛んできただろ!」

「僕のせいじゃないだろ!」


 地面へ投げ出された僕はレンの手を借りて立ち上がった。シエはすでに、火球の飛んできた方向を睨みつけ、左手でナイフの柄を握りしめている。荷物は地面へ捨てていた。


 木々の合間の草が揺れる。誰かが大木の裏から体を半分だけ覗かせてこちらを見ていた。茶色の布でできたローブで全身を覆っていて姿がよく見えない。

 木の陰に隠れた誰かが口を開いた。低く威厳のある男の声だ。


「立ち去れ人間よ……ここは神聖な我々の森だ」

「本当に言った!」

 レンが思わず叫ぶ。僕は彼女の腕を引っ張って自分の後ろへ隠した。


「誰だ! 挨拶もなしに攻撃とはいい度胸だな!」

「シエさん、喧嘩腰になってどうすんだよ」


 僕はいまにもナイフを抜いて飛び掛かりそうなシエを制した。隠れる男はわずかに体を出して答える。


「俺はこの森に住むエルフの一人だ。お前らこそいったい何者だ? ここは人間が立ち入っていい場所ではない」


「僕はセージローだ、そこの誰か! 聞きたいことがあるだけなんだ。こっちには子供がいる。手荒な真似はやめてくれないか?」


 僕の声につられるように、男が顔を覗かせた。ローブからわずかに見える顔は浅黒く、化粧かタトゥーで描かれているらしい白いラインが頬に走っている。金色の瞳が暗い陰の中で油断なく光っている。


 男は目を細めて僕らを検分する。そして何かに気づいたように、突然飛び出してきた。

「その声は……隣にいるのは……まさかリョーイチロー! 戻ってきたか!」

「あっ、このパターンまずいぞ!」


 咄嗟に、僕はレンを抱きかかえてシエの後ろへ隠れた。男が腕を振ると火の粉が舞い、集まってひとつの大きな火球へと変わる。さっき僕へ投げつけられたものだ。ソフトボール大の火の玉が真っすぐこちらへ飛び出す。


 シエが動いた。背中から棍棒を引き抜き、火球を正面へ捉えて撃ち落とした。棍棒は火球の芯を捉えて木端微塵に消し飛ばす。


「くっ、女子供を盾にするとは……卑怯なり! リョーイチロー!」

「卑怯なり! じゃなくて話を聞いてくれ! 僕はリョーイチローじゃない!」

「問答無用!」


 男は五・一五事件みたいなことを叫んで腕を振るう。彼の右腕から炎で形作られた剣が伸びる。

 男は剣を振り上げてシエへ迫った。シエが棍棒で上からの斬撃を受け止める。


「シエさん!」

「大丈夫だレン! セージと下がってろ!」


 シエが怒鳴って男へ蹴りを入れる。腹を蹴られた男は呻いてシエから距離をとった。僕はレンと一緒に後ずさりして、彼女を後ろに鎮座する大木と挟むようにして守った。大木は僕の倍ほどの太さがある。万が一のときにはこの後ろへ隠れればいい。


「魔術師が……戦いなれてないのに前に出て大丈夫なのか?」

「心配ご無用だ。エルフはやわじゃない!」


 男が剣を振るう。剣から小さな火の粉が飛び出してシエを襲った。シエは棍棒をプロペラのように振り回し、火の粉の襲来を打ち消した。


「小技が効くな……」

「そっちこそな!」


 シエが足元を蹴る。足へ絡みついた落ち葉や土が飛び散って男の顔へかかった。男が腕で顔を覆う。その隙にシエが飛び出し、男へ迫る。


 棍棒の横薙ぎ。捉えたかと思われたが、男は後ろへバク宙して攻撃をかわした。そのまま二度三度と回って再び間合いを取る。


「くそっ、ちょこまかと……」

「片腕の割に力強いな。近づくのはやめておこう」

 シエと男が対峙する。二人とも武器を構えてじっと動かなくなってしまった。


「あの……もういいんじゃないですか、二人とも」

「そ、そうだぞ。いったん落ち着こう。な?」


 二人に僕らの声は届かない。ただ、二人の間に殺気が高まっているのははっきりと感じられた。切羽詰まった達人同士の緊張感。次の打ち合いで勝負は決まるだろう。そして負けた方はただでは済まなさそうだ。彼らには不死チートもない。


 だが、割って入るのも危険な選択だった。シエの気を散らして、一緒にやられてしまっては意味がない。それではかえってシエが危険だ。


 どうしたものか。僕が考えあぐねていると、突然男が緊張を解いた。彼の視線がシエから僕の頭上へと動く。


「おい! 後ろ!」

 男が叫んだ。同時に、ばきばきと乾いた音が森へ響く。後ろで木々が異様な騒めきを始める。


「……セージ!」

 こちらを振り向いたシエが叫ぶ。彼女の視線は男と同じように、僕の頭上を見ていた。

 僕とレンは視線を追って後ろを向く。

 背にしていた大木がこちらへ倒れ掛かってきていた。

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