3-2 全てと繋がるもの
「私がご説明しましょう……あれを」
マーサが奴隷へ指図する。指示を受けた女性の奴隷は、テントの隅から一冊の本を取り出してきた。平たく大きなもので、赤を基調とした色鮮やかな版画の絵本だった。
異界の言葉で書かれた題名が読める。『すべてにつながる竜のお話』と。
「あぁ、懐かしいですお母さま。燃えていなかったんですね」
「えぇ。運よく残ったのよ。……アメリーが小さいときによく読んであげたんです。この国の子供はみな、このお話を聞いて大きくなるものですから」
「私もいろいろ聞かされたな。そんな上等な絵本はなかったが」
シエも感慨深そうに言った。マーサが本のページをめくると、見開きに目一杯描かれた竜の絵が現れる。ざらついた茶色の紙を背景に、白い竜が飛んでいた。
「かいつまんでお話しますね……この世界は、『根源の竜』と呼ばれる一匹の竜から作られたと言われています」
「竜から? 竜が作ったのではなく」
ついつい、細かいところに口を挟んでしまう。マーサは頷いてページをめくった。次のページには、卵から様々なものが生まれていく様子が描かれている。
レンが顔を絵本へ近づけて、卵の中身を凝視する。
「この青く丸いものは……水ですか? 赤いのは火で、ではこの緑のものは植物でしょうか」
「えぇ、そうですね。この世にあるものすべては『根源の竜』が産み落とした卵から現れました」
なるほど。「竜から」というのはそういう意味か。聖書に語られる天地創造のように、竜が神のように能動的に世界を形作ったというよりは、産み落としたものが世界の一部だったという……。古事記にある国生みに似ているかもしれない。
マーサはさらにページを繰る。そうしてたどり着いたのは、多くの竜と人が対峙する、不穏な絵のページだった。竜と向き合う人の集団は鎧をつけ、槍を構えている。
「このように、『根源の竜』は世界を産み落としました。人も含めて、多くのものを生みました。同時に、自分の子供となる竜も。だけど、増えた竜と人は衝突するようになり、ついに戦いが始まります」
「戦いが……人間は勝てたんですか?」
「竜は強力だが、人間のほうは数が多かったからな……村のじいさん連中がよく言う言葉、なんだっけ?」
「五十の槍は竜を落とす、ですか?」
「そうそれ!」
「こっちの世界のことわざか? 三本の矢とか、三人寄れば文殊の知恵みたいな」
「モンシュ?」
マーサの咳払いが響いた。それぞれの世界のことわざ事情で盛り上がっていた僕らの注意が絵本へ戻る。
「それで、人間は竜を多く殺しました。人間も大勢死にました。竜を殺すと不思議なことに、木々が枯れ、大地が乾き、水が濁り始めたのです……これが、竜を殺してはいけない理由」
「……竜は自分が産み落としたものと繋がり続けるんです。そして竜が死ぬと、自分が産んだものも全て死んでしまうと言われています」
「全て? じゃあ、例えば森に生えている木を生んだ竜を殺したら……」
「森ははげ山になるな。だから殺せない」
シエが左手で顎を撫でる。声は低く唸るようだった。
「だが、竜が何に繋がっているかはわからない。一応、その土地に近いものに繋がっているだろうと言われているが、どこまで本当か」
「仮にそれが正しくても、それだけじゃないって可能性もありますよね……マーサさん、竜は人も生んだんですよね? ……もし、もし殺した竜が誰かに繋がっていたら」
「そう、それが問題なの。竜を殺せば、隣の人が死んでしまうかもしれない。あるいは遠くにいる大切な人が……」
「そんな……」
レンがマーサの言葉に身震いした。竜から生まれていない、だからその残酷なロシアンルーレットに関係ない僕らでもすくんでしまうような事実だった。
「……でも、それはただの神話では」
「そうだな。だが確かめた人間はいない。誰もそんなことしたがらない」
恐る恐る言ってみるが、シエにばっさりと切られた。
重たい沈黙が流れる。
「『根源の竜』はこの世界の始まりです。全てと繋がっています。もしこのお話が神話ではなく事実であれば、『根源の竜』の死は世界の死です」
「セージの兄は、そんなことをしようとしてるのか。なんでだ?」
「ユウシャになる、ため?」
シエがため息をつき、レンが首をかしげる。『根源の竜』を殺して勇者になるという理路が、みんなさっぱりわからないのだろう。
だが、残念なことに、僕にはうっすらと理解できてしまう。異世界転生のお約束に少しでもなじみがあるせいで。
「マーサさん……この世界にいる竜は、人間にとって必ずしも都合のいいものではないですよね? 僕らが出会ったあの巨大な竜だって、動き方がもう少し大きければ土砂崩れがこのガライまで迫っていたかもしれない」
「そうですね。海に暮らしていた竜が暴れたために津波が起こり、港の町がいくつか消え去ったということもあったはずです。私がアメリーよりも小さな頃ですが」
「おそらくですが、兄は『根源の竜』を魔王の類だと思っています」
「魔王? ですか?」
アメリーが聞き返した。彼女ははっと気づいたように目を見開く。
「そういえばリョーイチローも、同じことを言っていたような……」
「異世界に転生……じゃなくて、外の国へ出向いて魔王、つまり諸悪の根源を倒す。僕らの国では典型的なお話なんですよ。兄はそれをなぞろうとしているのではないかと思います」
「でも、『根源の竜』を殺したら世界が終わるんだぞ? 自分も死ぬだろう」
シエが呆れたように言った。僕は頷いて同意する。
「そこが、兄貴の浅はかなところなんだ。この街でもそうだっただろう? 奴隷を解放するとか言って屋敷に火を放って、逆に大勢を焼き殺してしまった。生き残った奴隷もほかの奴隷商に連れ去られた。……誰も思いつかないような妙案でこじれた問題を一挙解決、なんてことあるわけないのに。そのことに気づけないんだ、兄貴は」
そんなファンタジーは、ティーンエイジャーの終わりとともに卒業しなければならない。
現実はもっと面倒くさくてままならない。生徒に勉強しろと言ってもしないし、自分に運命づけられた天職なんてものも滅多に存在しない。
だけど生きていかなきゃいけないし、少しでもよりよい明日を目指さなければいけない。それが仕事だし、そうしなければどうしようもないから。
いったいいつから、兄貴はそんなこともわからなくなってしまったのだろうか。僕にはよくわからない。いつからか言葉を交わすこともなくなったから。
面倒な兄にかかわるのが、嫌だったのだ。
ある意味では、そのときのツケがこうしてまわってきたというわけなのかもしれない。
「セージローさん」
レンが重たい声をかけてきた。顔が深刻そうに歪んでいる。
「止めましょう。リョーイチローさんと、スイを。この世界が壊れる前に」
「当然だ。でも、どこへ行ったのかわからないと……」
「それなら、手掛かりがあります」
アメリーがベッドから身を乗り出した。
「『根源の竜』をどうするにせよ、詳しく知りたいならこの街の北東にあるエルフの森へ向かったはずです」
「え……」
「エルフ?」
僕とレンは顔を見合わせた。急に聞きなれた言葉が飛び出したことに戸惑ってしまう。
「あっ、エルフというのは森に住む人間に似た種族のことで……」
「いや、それは大体わかってる」
「……なぜ?」
不思議そうな顔をするアメリーへ、僕は「いいからいいから」と言って誤魔化した。「ファンタジーによく出てくるんですよ」と説明しても余計混乱するだけだろう。
「……で、なぜリョーイチローさんたちがエルフの森に行くと思うんですか?」
「エルフは古くから竜との距離が近く、盛んに儀式をしたり捧げものをしたりと交流があるという話を聞いたことがあります。竜についての伝承……この絵本の物語も元々はエルフに伝わるものだったとされています。もし『根源の竜』の所在を知っている人がいるとすれば、そこしかありえないでしょう」
「なるほど……」
問題は、あの兄貴がそこまで合理的な理由で動くだろうかということだが。しかしほかに手掛かりもなさそうである。少なくとも、『根源の竜』の居場所がまだはっきりしていないのはこちらにとってありがたい話だ。
「早速向かいましょう、セージローさん」
レンが立ち上がって言った。僕も腰を上げる。
「あぁ。……三人とも、ありがとうございました。兄たちは僕らの責任で必ず止めます」
「ちょっと待て」
歩き出そうとする僕の足を、シエの左手が掴んで止めた。ブーツのがっちりと足首を握りしめられていてピクリとも動かない。
「まるで私を置いていくみたいな言い方じゃないか」
「え?」
シエが立ち上がる。棍棒を拾い上げ、背中へ背負いなおして腕を振った。
「私も行こう。エルフの森へ」
「でも、いいのか? 村とか、借金とかは?」
「世界が滅ぼうとしてるときにそんなもんどうでもいいだろ」
シエはにやりと笑う。
「どうせお前らには私が必要だろ? また手強い敵が出てきたらどうするんだ? そのたびに川に飛び込むわけにもいかないだろう? それにだ」
彼女の手がレンへ伸びる。シエはレンの頭へ手を置いて、柔らかい髪をわしゃわしゃとかき回した。レンがきゃあきゃあ言ってされるがままになる。
「セージ、レン。お前ら私になんて言った? 兄の騙し取った金を私が返す必要なんてないって言っただろ? そのくせ自分たちは兄弟姉妹の尻拭いときた。矛盾もいいところだ」
「それは……」
「だから、私がついてってやるよ」
シエは握りこぶしを僕へ突き出した。どんっと軽く僕の胸を突く。
「お前たちが厄介な家族のことで潰れそうになったときは、きちんと活を入れてやる。そんなのお前らに関係ないってな。そうでもしないと危なっかしくて放っておけないからな。それと」
シエが僕の肩を掴んで自分の方へ寄せる。声を潜めて耳元で囁いた。
「私やセージはともかく、レンに背負わせるには重すぎるだろ。家族の失態なんて。私たちが少しでも肩代わりしてやらないと」
「……そうだな」
「どうかしました?」
「なんでもないよ」
僕とシエの声が揃った。笑い合う僕たちを、レンが怪訝そうな目で見つめる。
「とにかく、行こうぜ! エルフの森へ! 三人で」
「あぁっ」
「はい! やったぁっ!」
レンがシエへ飛びついて喜んだ。顔を綻ばせてじゃれ合う二人は、まるで母子のようだった。
いや、姉妹って言わないとシエに怒られるか。
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