第3章 竜とともにある世界
3-1 始まりの竜
僕たちが打ち上げられた大樹からやっとのこさ降り、ガライの街へ帰りついたのは日没直前だった。住民に僕らの帰還を知らされたマーサは息を切らせて駆けてきて、アメリーを抱きしめた。
そこから記憶がない。多分、体力と気力が尽きて失神してしまったのだろう。
次に目を覚ましたときには、僕はどきつい朱色のテントの中央に寝かされていた。レンが僕の顔を覗き込んでいる。
「……うん? ここは」
「おはようございます、セージローさん! マーサさんのお屋敷です」
「マーサさんの?」
僕は体を起こして、周りを見る。テントはところどころ焦げたビロードを繋ぎ合わせて作られたものだった。マーサの屋敷の跡地に設営されたもののひとつだろう。
僕は布を重ねたベッドから立ち上がる。不死チートがやはり効いているのか、痛みやふらつきは一切なかった。一夜明けて相当回復したのだろう。
断崖絶壁へのダイブすら一晩で全快したのだ。過労ぐらい屁でもないか。
「体は大丈夫ですか?」
「あぁ。そうだ、アメリーさんは?」
「マーサさんのテントで寝ています。ずいぶん疲れているようですが、大きなケガはないとお医者さんが」
「そうか、よかった……」
僕とレンはテントから出た。重たい曇り空で時間が分かりにくいが、敷地の外をのんびりと歩く人たちの様子から朝早いのではないかと思われた。
テントの入り口にシエが立っている。治療の跡なのか、額に何か緑色のシートがべったりとくっついている。しかし足取りもしっかりとしていて全体的に健康そうに見えた。
一番動いて、不死チートもないのに、とんでもないな。
「起きたか。セージ」
「まぁ。シエさんは大丈夫か?」
「大きなケガはない。これ以外はな」
シエがしかめっ面になって、シートを剥がそうとする。
「あぁだめですよシエさん。お医者さんがまだ剥がすなって」
「いいよ別に。なんかむずむずして痒いし」
シエはレンの制止を聞かずに、べりべりとシートを剥がしてしまう。シートはすり潰した薬草を布に塗り付けたようなもので、シエの額に緑のペーストが残ってしまっていた。
「あぁもう。薬草が残ってますよ。あっ、服で拭くと服が緑になっちゃいますって」
「なんだよレン。いいよ服は、どうせぼろぼろだし」
シエが困ったようにぼやく。そんな様子を微笑ましく眺めていると、彼女の視線がこちらへ流れた。シエは「なんだよ」と僕にもぼやく。
「別に、なんでも」
「そうかい……そうだ、マーサだっけ? 助けた子の母親がセージと話したいって言ってたぞ。テントにいるはずだ」
僕たち三人は、荒れ果てた屋敷の跡地を歩いてマーサたちのいるテントへ向かった。跡地はまだ整理が行き届いておらず、ときどき燃えカスになった低木や瓦礫を跨がなければいけなかった。
マーサは、先日顔を合わせたときと同じテントにいた。奥のベッドにはアメリーが寝ている。彼女は体を起こし、お椀からスープを飲んでいた。
マーサは僕らがテントに入ってくると、アメリーのそばから立ち上がって迎えてくれた。速足で駆け寄ってきて僕の手を握る。
「セーシオーさん」
「誠二郎です。あるいはセージと」
「すいません……発音が。セージさん。改めてお礼申し上げますわ。娘を助けてくださって……」
「いえ、お役に立てて光栄です……」
力強く手を握りしめられて、僕はあたふたしながら応じた。マーサはぐいぐいと僕を引っ張って、アメリーのそばへ腰かけさせる。レンとシエもそれに続いた。
アメリーは手にしていたお椀を奴隷へ手渡して口を開く。
「セージさん、本当にありがとうございます。ゴブリンに捕まって、一時はどうなることかと……」
「いや、無事ならいいんだ……兄のしたことで苦しむ人が一人でも減ってくれてよかった」
「お兄さん、ですか?」
不思議そうな顔をするアメリーへ、マーサが囁く。
「アメリー、この人はリョーイチローの弟さんなのよ。ほら、火事の前に屋敷に来た」
「あぁ、そう言われれば面影がありますわ。リョーイチローさんはもっとぼんやりとした方でしたし、体型も全然違うので気が付きませんでした」
どうやら、兄の外見に対する評価は異世界でもこんなもんらしい。現実世界と代わり映えしない言葉。かつて塾の生徒に見せてもらった異世界転生ものだと若返ったりイケメンになったりしてたと思うんだけどな……ままならないものだ。
兄貴が表紙になったらきっと映えないに違いない。それは俺も同じだけど。
もしこの物語が書籍化するなら、表紙はレンに頼もう。
「そうだ、アメリーさん。お聞きしたいことがあるのですが……」
レンがずいっと身を乗り出して口を開いた。年の近いレンに対してだとある程度緊張が解けるのか、アメリーの表情が緩む。
「そのリョーイチローさんと……おそらく一緒にいた少女がどこへ行ったか、何のために動いているかとか、聞きませんでしたか?」
「さて……」
アメリーは顔をしかめた。何かを思い出すようにこめかみのところを細い人差し指で叩く。
「リョーイチローさんのお話はいまひとつ要領を得なかったので……こう、お話があっちへ行ったりこっちへ行ったりまして。聞きなれない言葉も多く、発音も不明瞭でして……あっ、ごめんなさい。セージさんのお兄さんを悪く言うつもりは」
「いや、いいんだ」
僕はそう言って頭を抱えた。兄貴のもらったチート能力の中にコミュ力は含まれなかったらしい。手から炎が出るとかよりよっぽど重要な力だと思うのだが。
アメリーは取り繕うように続けた。
「えっと、でも断片的に理解できたところもあります。確か……彼らはこの世界にいる『根源の竜』を倒して勇者になるとかなんとか……竜を倒すことと勇者になることに何の関連があるのかはさっぱりですが」
「『根源の竜』?」
「って、なんでしょうか? すごく強そうなネーミングですが」
「そうか。セージもレンもこの国の人間じゃないから知らないか」
ぼうっと胡坐をかいて僕らのやり取りを聞いていたシエが、にわかに姿勢を正して口を開いた。
「ゴブリンの巣から逃れるときに、巨大な竜と遭遇しただろう? 『根源の竜』というのは、ああいう竜たちの先祖のようなものだ」
「竜たち? ってことはあんなおっかないのがほかにもいるのか? たくさん?」
「あれほどのものはそう滅多にいないだろうが、複数いるというのはその通りだ」
シエが背中に腕を伸ばす。背負っていた棍棒を引き抜いて僕らの輪の中心に横たえた。彼女は指で、棍棒の真ん中あたりを指さした。そこには銀色の糸が結ばれている。棍棒へリザードマンの皮を巻き付けたときに使ったものだ。シエは「竜の髭」と呼んでいたな。
「この髭も、そうした竜の一匹から採取したものだ」
「ま、まさか、竜と戦ったんですか?」
アメリーが裏返りそうな声で叫ぶように言った。シエは首を横に振る。
「いや、本当に小さいやつが村に迷い込んだから追い立てて外へ出しただけだ。その騒動で抜け落ちて散らばっていた髭を集めて保管しておいたんだ。これはその一部」
「そうでしたか……そうですよね。竜と戦うなんて、そんなことあり得るわけが……」
「あの、竜と戦うと何かまずいことでも?」
レンが恐る恐る口を挟んだ。シエとアメリー、マーサがそれぞれぎょっとした顔で彼女を見る。
「そうか……そうですよね。竜のことを知らないならそのことも……」
「じゃあリョーイチローが次に狙うのは……もしかすると私たちが考えている以上に事態は悪いのかもしれませんわ……」
「『根源の竜』を殺すってのが大言壮語じゃないってことか? それは……」
「あの、どういうことなんだ?」
僕の言葉に、考え込むように俯いていたシエが顔を上げた。
「あぁすまん……えっとな、簡単に言うと、私たちの国では竜は殺してはいけないことになっている。絶対にだ」
「絶対に、ですか?」
「はい。仮に街を潰されても、親を食べられても竜を殺してはいけないと言われています」
「そんなに?」
「そうなの……だからシエさんは、村に出た小さな竜を殺さずに追い払ったんでしょう?」
マーサの問いにシエが小さく頷く
「村長が口を酸っぱくして言ってたな……実際には、竜を殺せるほどの力がある戦士はまずいないから問題になることもないんだが、私の村に現れたやつのように小さいのだと万が一があるからな」
「竜を殺してはいけないというルールには、謂れがあるのでしょうか?」
「あぁ」
シエがレンに向き直る。
「ざっくり言うと……竜を殺せば世界が終わる」
「本当にざっくりしてるな……」
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