2-7 大地の躍動

 砂埃の中から出てきたのはゴブリンの大群だった。二十はくだらないだろう。さっきシエが皆殺しにしたゴブリンよりも図体が大きく、肌の色は赤い。明らかに獰猛そうで、棍棒や斧を手に鋭い眼光をこちらへ向けてくる。


「ゴ、ゴブリン! なんでっ!」

「レッドゴブリンか! なんてことだ……」

「どういうことだよ、シエさん! まだ生き残りがいたのか!?」


 僕はアメリーを背負いなおしながら言った。アメリーは体格にしては軽く、骨が体にぶつかる痛みがあった。どこかを怪我してしまっているのか、手に血がぬらつく感触もあった。彼女は僕の首へ腕を回して、離すまいとがっちり掴んだ。


「生き残りじゃない。別種のゴブリンだからな……きっとこの巣の隣に別の巣があったんだ」

「隣の巣のゴブリンが、なんでいまここにいるんですか!?」

「ゴブリンは互いに殺しあって巣を乗っ取る! こいつらは穴を掘ってこの巣を襲撃に来たんだろう! 間の悪いことにな!」


 シエが突然腕を振るった。金属同士がぶつかる音がして、空中を鉄片が舞った。シエが自分のナイフで投げつけられたそれを打ち落としたのだろう。


「全員倒せるか?」

「無理だ!」

 シエが僕の質問にすっぱり答える。


「こいつらはさっきのゴブリンより強い。しかもここは集団を相手取るには狭すぎる! 私一人なら何とかなるがお前たちを守れない!」

「じゃあどうすれば……」


 レンが広間を見渡す。僕らが来た道はゴブリンたちに塞がれてしまっている。いや、仮にそうなっていなくても、アメリーを背負いながらあの狭い道を走って逃げるなんてとても無理だ。


 シエが叫ぶ。

「奥の道へ行け! そこへ賭けるしかない! 私が時間を稼いでる間にできるだけ先へ進むんだ!」

「でも!」

「早く!」


 すでに戦端は開かれていた。シエがゴブリンたちへ突撃し、ナイフを振って牽制する。

「急げ! そう長くはもたないぞ!」

「あぁ……行くぞレンさん!」


 僕はレンを押して急かした。彼女は躊躇っていたが、ゴブリンの咆哮に急き立てられるように奥の道へと入っていった。僕も彼女に続いて駆け出す。

 幸い、道は天井が低いものの横幅は広かった。だからアメリーを背負いながらでもなんとか急いで進むことができた。


 背後から追いかけるように、ゴブリンとシエの声が聞こえてくる。僕は焦りを押し殺しながら、背中のアメリーが岩にぶつかって傷つかないように這った。


 奥へ進むにつれて、洞窟が明るくなっていく。松明が増えたわけではない。むしろ松明は減っていた。これは自然の光だ。道の先から太陽の光が入り込んできていた。風もはっきりと感じ取れるようになってくる。


 もう少しで逃れられる。


「そ、そんな……」

 だが、一歩先に外へ出たレンの声には絶望が籠っていた。

 僕も外へ飛び出す。そして彼女の言葉の意味をすぐに理解した。


 目の前が切り立った高い崖になっていたのだ。いや、目の前だけではなく四方八方全て崖に囲まれていた。深くくぼんだ地面に草花が咲き誇る様は、こんな状況でなければ秘密の中庭とでも表現したかったが、いまの僕らには逃げ場のない監獄にしか見えなかった。


「ど、どうしましょう……」

「これじゃあ、逃げられないぞ……」


 レンが苦し紛れに、崖へ手をかけ登ろうと試みる。だが、崖は長年雨で削られたせいか出っ張りが少なく、手足を乗せられそうな場所がない。シエならあるいは、片腕でも登れるかもしれないが、僕らには到底無理だ。


「くそ……せめてこのことをシエさんに知らせないと……」

 僕は屈んで、さっき出てきた洞窟を覗く。だが奥を見るよりも先に、中からシエが這い出てきた。額から血を流している。


「シエさん! そんなっ!」

「大丈夫だ! それよりも引っ張れ!」

 一喝されて、レンが慌ててシエの腕を掴んだ。僕も手を貸して彼女を外へ引きずり出す。地面に擦れた足も出血してしまっている。


「シエさんどうする? この断崖絶壁じゃあ」

「ここも逃げ場なしか……ゴブリンは五人くらいしか倒せなかった。残りはここで迎え撃つしかない……」


 シエがレン背中で庇うように立つ。僕も彼女の隣へ並んで、アメリーと一緒にレンを覆い隠した。

 ゴブリンが洞窟から出てくる。最初の奴らより動きが機敏で、力強く見えた。


 レッドゴブリンは知性も増しているのか、洞窟から出てきて順繰りに攻めてくることをしなかった。中から仲間があらかた出てくるのを守りながら待つように睨みをきかせている。膠着状態だが、徐々にこちらが不利になっていた。


「……すまん」

 シエがぽつりと言う。顔が苦々しげに歪んでいた。

「油断していた。もっと周囲を確かめていればこんなことには……」


「シエさんのせいじゃない。こっちこそ、自分たちの問題に巻き込んでしまった……」

「それは私が決めたことだ。セージのせいじゃない」

「だけど……」


 突然、シエが腕を伸ばした。彼女の手がゴブリンに放たれた矢を握りしめていた。

「……この話は死んでからでもよさそうだな」

「……そうだな」


 シエが背負っていた棍棒を引き抜く。僕はアメリーを降ろして、そこでようやく自分が武器らしい武器を持っていないことに気づいた。


「……さっき入口に落ちてた杖を拾っておくべきだったっ」

 僕の言葉に、目の前のゴブリンたちが一斉にずっこけた。

 ……うん?


「ゴブリンにもずっこけるって文化があぁぁっ!」

 異世界の魔物も新喜劇チックな笑いを理解しているのかと思った矢先に、今度は自分がずっこける羽目になった。


 足元の地面が斜めに傾いたからだ。

 いや、傾くというよりは崩れ落ちている。僕らとゴブリンの間を引き裂くように地割れが起こり、地面が外側へ向かって折れ曲がった。真ん中から足場が崩れ落ち、奈落が顔をのぞかせる。


「なんだっ!」

「きゃぁぁっ!」


 レンが悲鳴をあげる。崩れ落ちる地面へ飲み込まれる前に、シエが彼女を引っ掴んで支えた。僕もアメリーを抱きかかえて壁へ張り付く。


 突然のことに対応できないのはゴブリンたちも同じだった。彼らは言葉にならない叫び声を放ちながら右往左往した。ある者は僕らと同じように壁へ張り付き、またある者は避難が間に合わず崩れ落ちた地面へ吸い込まれていく。


「地震か? 今度こそ!」

「いや揺れじゃないぞこれは!」


 僕らがさっきまで立っていた地面は、すでに九割がたが無くなっていた。だが大地の躍動は止まらない。今度は絶壁が左右へ割れ、僕らとゴブリンの距離が開いていく。


 それはそのまま、運命の分かれ道になった。ゴブリンたちの張り付く側の大地は、倒れるように外側へ飛び出していくと、谷底の川へ向けて崩れ落ちていった。僕とレンが昨日、逃げるために飛び降りた川へ、今度はゴブリンたちが投げ出されていく。


 ただ、彼らは自分たちの巣の残骸、大量の土砂と一緒だ。空中でミキサーにかけられたようにゴブリンと岩石が混ざり合い、ぶつかり合う。その過程でゴブリンの体はあらぬ方向に曲がり、砕け、ばらばらになっていった。彼らの断末魔は大地の震動にかき消されて聞こえない。


 一方、僕らがしがみついていた側の崖も倒れていった。ただし、こちらは壁が床になるように穏やかな倒壊で済んだ。僕らは地面へゆっくりと投げ出される。


「た、助かった……?」

「あぁ……なにがなんだか……」

「これはまさか……」


 呆然とする僕とレンに対して、シエは何かに気づいたような声色だった。彼女は慎重に立ち上がり、引けた腰でゆっくりと後ずさる。

 シエの顔は恐怖に引きつっていた。さっきの窮地ですら見せなかった顔だ。


「おい、二人とも……絶対に正面を見るな。私のほうを向いたまま、ゆっくり音を立てずにこっちへ来るんだ……」

「どうして……」


 残念ながら、人は危険が迫っている方向を反射的に向いてしまう性質がある。僕らも例外ではなく、シエの忠告を理解するよりも先に頭が正面へ向いてしまっていた。


 眼球だ。

 目の前に眼球があった。岩の中に埋もれるように、眼をこちらへぎろりと向けている。

 涙に潤んだ黄色で、瞳が縦へ切り裂かれたように細い。それはまるで、蛇のようだった。

 そして、巨大だった。僕を縦に三人並べてもまだ足りない。


「なっ……」

「えっ……」

「い……いやぁぁぁぁぁっ!」


 絶叫したのはアメリーだった。だがその叫びはかえって、硬直していた僕とレンを正気に戻した。僕は咄嗟にアメリーを掴み、眼球へ背を向けて走り出していた。

 シエの忠告を全部破ったことになるが、そんなことを気にしている場合ではなかった。


「馬鹿野郎! 刺激するっ……」

 シエの罵声は最後まで続かなかった。僕たちは気が付くと、地面ごと宙に放り投げられていた。このままではゴブリンの後追いだ。


 だが、高々と打ち上げられたのがかえって幸いした。僕らの体は川を超え、森の中へと落ちていく。背の高い針葉樹へそれぞれの体が引っ掛かり、墜落死を免れる。僕は太い枝へぶら下がり、ずり落ちそうになっていたアメリーを持ち上げる。


「うぅ……」

「だ、大丈夫か? レンさん、シエさん?」

「あっ、あれ!」


 隣の枝に絡んで引っ掛かるレンが空を指さした。青空に大きな影が出来ている。それは長い首をもたげ、翼を広げた、まるで……。

「……竜だ」


 シエが呟いた。

「この山は巨大な竜を土台にしていたのか……道理で、普通の山にしては地形が入り組みすぎていると思った」


 竜は文字通り、山ひとつ分の大きさがあった。表面の鱗を地層が多い、そこへ木々が根を張っている。


 竜の首が垂れ下がり、翼も地面へ沈み込んでいく。そうすると竜は完全に山へ溶け込み、その姿を不可視にしてしまう。


 ドラゴランド。竜とともにある世界。この異世界の名前の意味はこういうことだったのか。

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