2-6 ゴブリンの最後と竜の秘密
幸い、アルフォタ村とガライの街はさほど離れているわけではなく、歩いて半日ほどで辿り着くことができるらしい。僕らがゴブリンの巣を見つけた山は、アルフォタ村からガライの街へ行く道の途中にあたった。
そういうわけで、シエを一行に加えた僕たちは朝早くに彼女の小屋を発って、昼頃にはゴブリンの巣へ戻ってきた。ゴブリンたちは警備を強化しようと考えなかったようで、巣の前にはやはり三人が暇を持て余しているのみだった。そばに僕が使っていた樫の杖が転がっている。あのときのまま放置されたらしい。
シエは木陰から頭をにょっきりと出して巣の様子を伺う。
「あれがそうか」
「あぁ……僕たちが戦ったときには中から十七……いや、二十人くらい出てきたかな」
「なるほど。じゃあそれが全部だな」
シエがあっさりと断言した。レンが驚いて彼女を見上げる。
「もっといたりしないでしょうか?」
「いたとしても二三人だろう。ゴブリンは馬鹿だから、入り口で騒ぎを起こせばほとんど全員が我先にと出てくる。様子見って発想がないんだ」
シエの説明は僕が見た光景とも合致するように思えた。確かに、巣の前で騒いだときにわらわらと大勢出てきたが、そんな理由があったとは……。
「どうやって倒す?」
「簡単だ。まず私が行ってあの三匹を殺す。あとは出てくる奴を順に殺す」
「それ、作戦になってるのか?」
僕が尋ねると、シエが力強く頷いた。
「もちろん。ゴブリン狩りの鉄則はひとつだけだ。巣に入るな。あと即座に殺せ」
「二つありますけど」
「ハンタージョークだ。ゴブリンは数を数えられないから、それをおちょくってるんだよ」
「俺たちは何をすれば? ゴブリンを倒すのを手伝ったほうがいいか?」
シエが首を振る。
「いや、それには及ばない。セージとレンは声を出して数を数えてほしい。私が殺したゴブリンを一つ二つと数えるんだ」
「どういう意味があるんでしょう?」
「ペース配分だよ。全員殺す前に疲れたらまずいだろ。さすがに、やってる間に数える暇はなさそうだからな。あと、よそから声がすればゴブリンの注意がそっちに逸れる。その隙に頭をかち割れるから私が楽にもなるな」
シエの説明には迷いがなかった。役割分担もその理由づけも合理的で惚れ惚れするほどシステマティックだ。ゴブリン狩りにはすっかり慣れているのだろう。
本当に、彼女が味方になってくれてよかった。
シエは背中に背負っていた棍棒を引き抜く。リザードマンの革が木漏れ日を妖しく照り返す。
「じゃあ、行ってくる」
「お気をつけて」
レンの言葉を背に、シエが飛び出した。大股に地面を蹴って、瞬きをする間に巣へ迫る。ゴブリンの一人が彼女を指さし、仲間にその存在を知らせようとしたときには既に、棍棒がその頭を捉えていた。
かつんと乾いた音が響いた。僕は咄嗟にレンの目を手で覆った。その判断は正しかったようだ。地面へ落ちた柿のように頭の爆ぜたゴブリンが、きりもみ回転しながら宙を舞っている。
「ひ、一人!」
「セージローさん、見えないです!」
「見なくていい! 二人!」
一人目が地面へ落下するよりも先に、返す刀でシエの棍棒が二人目を吹き飛ばしていた。ゴブリンの体がくの字を通り越して一文字に折りたたまれる。
シエは棍棒を振りぬく勢いそのままに回し蹴りを放つ。太い脚が鞭のようにしなり、三人目のゴブリンを射抜いた。そのゴブリンは崖へ叩きつけられて沈黙した。
「三人!」
「出てきな土蛆ども!」
シエが叫ぶ。事態に気付いたらしいゴブリンが巣穴から顔を出した。その顔は振り下ろされた棍棒によってすぐに胴体と別れを告げる。
「よ、四人目!」
「セージローさん! 私も役に立ちたいです!」
「悪いけどいまは役立たずでいてくれ! きっと僕に感謝するから!」
頭の無くなったゴブリンを踏み越して、巣穴から別のゴブリンが殺到する。横薙ぎの一閃がまとめて命を刈り取った。
「五! 六! 七……八もか!?」
「そうだ!」
シエが横っ飛びに転がって巣穴の正面から退いた。入れ違いに、さっきまでシエが立っていたところを矢が勢いよく通り過ぎる。弓を構えた腕が巣穴から出たと同時に、棍棒によって粉々に砕かれる。
「九!」
ゴブリンがついに巣穴から完全に姿を現した。だが太陽を拝めたのは一瞬で、すぐにシエの棍棒で叩かれ巣穴へ戻される。
「十人!」
シエが後ろに下がった。少ししかめっ面になっている。片腕で重たい棍棒を振っているのだから当然だろう。
巣穴からゴブリンが雪崩をうって飛び出した。シエが棍棒を投げつける。
「十一! 十二!」
次の波。シエは腰からナイフを抜いた。顔面へ飛びかかってきたゴブリンへ腕を振るうと、胴体から真っ二つになった。そのままの勢いでもう一人へ振り下ろし頭を叩き割る。モグラ叩きの要領で次々に片づけた。
「十三、十四……あぁ間に合わん! 十八まで行ったぞ!」
「何が起こってるんですか? すごい、変な臭いしますけど?」
「その感覚は正しいよ。あまり嗅ぐな絶対に体に悪い!」
ゴブリンの黒い血で、大地がびしょ濡れになっていた。シエの服も黒く染まっている。血液と臓物が鉄と生ごみが混ざったような臭いを発し、それがこちらにも流れてきていた。鼻がつんと染みて涙が溢れてくる。だがゴブリンは数えなければならない。僕はローブの袖で目を拭ってシエの戦いを凝視する。
次のゴブリンが来る。そいつは手に石でできたナイフのようなものを持っていた。尖ったそれをシエへ振り下ろす。だが彼女はナイフを蹴り上げ、逆にゴブリンの頭へ突き刺した。ゴブリンがもがく。
「十九人!」
巣から二匹が飛び出す。今度は手製の槍を持っていた。リーチは向こうのほうが長い。
飛び上がったゴブリンの槍が突き出される。シエは勢いよく仰け反ってゴブリンの突進を潜り抜け、下から彼らの腹を掻っ捌いた。血の雨を降らせながら、ゴブリンが力なく飛んで行った。
「二十! 二十一!」
「……終わりだな」
地面へ転がっていたシエがのっそりと起き上がった。返り血まみれだが、見ていた限りではゴブリンの攻撃を受けたはいなかった。無傷だ。僕はレンを抱えていた手を離してシエへ歩み寄る。
「大丈夫か」
「あぁ。ちょっと疲れたが大丈夫だ。……鈍ったな、私も」
「うわっ!」
僕の背後で、惨状を目の当たりにしたレンが声を上げる。口元を押さえて、吐きそうな顔をしていた。元々白かった顔がさらに蒼白になってしまっている。
「……ありがとうございます。セージローさん……」
「どういたしまして。さて、あとは巣の中のアメリーさんを助け出すだけか」
「ちょっと待て」
棍棒を背負いなおしたシエが僕を制した。彼女は屈んで巣穴を覗き込む。
「まだ一匹か二匹残ってるかもしれん。ビビった奴がな。普通なら一旦負けそうなふりをしてそういうビビりまで全部誘い出すんだが、今日は私一人しか戦えなかったからそこまでやってる余裕がなかった」
「じゃあえっと……どうしましょう?」
「私が先に入る。レンがそのあと、最後がセージだ。セージは後ろから物音がしたらすぐに教えろよ」
「あぁ、わかった……」
ゴブリンの巣穴は、シエが腰を折って屈まないと入っていけない低さだった。レンはなんとか屈まずに入れたが、僕もしゃがまなければいけなかった。
天井は低いとはいえ、巣穴の中は存外広かった。自然にできたと思しき横穴を広げ、松明をひっかけられるように改装を施している。ところどころに動物の骨だとか、食べかけの臓物が転がっているのはできるだけ見ないようにして僕はレンの後を追った。
一本道の洞窟が続く。薄暗い中を、炭鉱で強制労働させられている少年の気分になりながら進んでいく。途中、Y字に枝分かれした道に差し掛かった。シエは迷わずに右へ進路を取り進んでいく。そちらのほうがわずかに広い。おそらく、狭い左の道は後からゴブリンたちが掘り広げたのだろう。
「待てっ」
シエが突然、短く叫んだ。彼女は身を躍らせるように飛び出す。一瞬間があって、洞窟に低い断末魔が響いた。
「なっ、なんですかっ?」
「……ゴブリンが隠れていた。もう殺したから大丈夫だ」
シエが再び歩を進める。彼女が歩き去ったところには胸をざっくりと切り開かれ血まみれになったゴブリンの死体が転がっていた。ほかの個体よりも一回り小さい。子供かもしれなかった。
あまりにも暗いところを進み続けていたせいで、目がしばしばとしてきた。ところどころにある松明の炎が揺らめくたびに足元がぐらつくような感覚を覚える。半端に体を曲げた状態で気を張り続けているせいで節々に痛みが走り出していた。
道をさらに進んだところで、不意にシエが立ち上がった。彼女がまっすぐ立ち上がれるほど広い空間に僕らは這い出していた。元々の洞窟を丸く削って作ったらしい広間で、松明の数も道中よりずっと多く明るい。床にはゴブリンたちが使っていたらしい棍棒のような道具類や藁でできた寝床が散乱していた。
広間は僕らがやってきた道のほかに、さらに奥へ続く道と繋がっていた。そこからささやかな風が吹き込んでくる。もしかすると、巣への入り口がひとつしかないという予想に反して、絶壁の反対側へ繋がっているのかもしれない。
「……おい、あれ!」
シエが駆け出す。広間の中央に転がされている人影があった。土まみれになった白いネグリジェを纏った栗毛の少女だ。彼女はシエの声を聴くと弱々しく顔を上げる。
間違いない。肖像画で見た顔。アメリーだ。
「大丈夫ですか?」
レンもシエに続いてアメリーへ駆け寄る。僕は前後の道の動向へ注意を払いながら近づいて行った。シエはもうアメリーを抱き起して、彼女を縛っているツタを切る。
「あなたたちは……」
アメリーは相当衰弱しているようで、声が掠れてうまく聞き取れなかった。僕は膝をついて彼女へ語りかける。
「僕らはアメリーさんのお母さんに頼まれて、君を助けに来たんだよ。もう大丈夫だからね」
「おかあ……さんが……」
「よく頑張ったな。さぁ、帰ろう」
ぐったりともたれかかるアメリーをシエが背負おう持ち上げる。だがその瞬間、広間の壁が音を立てて崩れ始めた。あたり一面が砂埃にまみれ、視界が遮られてしまう。
「なんですか!? 土砂崩れ!?」
「いや、ゴブリンの巣が簡単に崩れるはずがっ……セージ!」
「あぁ!」
シエが慌ててアメリーを投げ出す。僕が彼女を背負い、身軽になったシエはナイフに手をかけて砂埃のなか身構えた。
砂埃が収まっていく。その先にいたのは、ゴブリンの大群だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます