2-5 夜の涙

 結局、僕とレンの勧誘は物別れに終わった。


 その夜、シエは僕らを小屋に泊めてくれた。レンがベッドに寝て、僕は小屋の中央で床に寝そべった。シエはその隣、小屋の隅に転がる。


 木でできた床は固く、でこぼことしていて眠りにくい。全身に疲労がたまっていたが、僕は横になってしばらくしても眠れずにいた。外からカエルの鳴き声が低く響き、それが実家のある田舎にいたときのようだった。


 カエルの声に耳を澄ませていると、その鳴き声の中に別の声が混ざるのが聞こえてきた。ぐずぐすと、小さくしゃくり上げるような声だった。


 僕は体を起こした。音を立てないようにゆっくりとベッドへ近づく。レンが体を丸め、小さく震えている。声の出どころは彼女だった。彼女は縮こまったまま泣いていた。


「……レンさん。どうした?」

 シエを起こさないように、小声で話しかけた。レンが寝返りを打って僕のほうを向く。暗くて表情がわかりにくいが、目元が赤くなっているのがかすかに見えた。


「セージローさん、すいません……起こしちゃいましたか?」

「いや。まだ寝てなかった。……どこか痛むのか?」

「いえ、そうじゃないんです……すいません」

「謝らなくていいよ」


 レンが小さく頷いた。木綿のシーツに引っかかって金色の髪がばらばらと乱れる。


「私……怖くなってしまって」

「怖い?」

「はい。この先、どうしようって。本当に妹を探し出せるのかなって思うと……」


 レンが体を起こす。しょげ返った彼女はいつにもまして小さく感じられた。


「私のせいで、シエさんの説得にも失敗してしまいましたし」

「レンのせいじゃないよ。言葉を尽くしても人の気持ちを変えられないときはある。塾の先生をしてるとしょっちゅうだよ」


「そうですか?」

「あぁ。あいつら、勉強しろって言っても全然しないからな」

 僕の冗談に、レンが力なく笑った。


「ごめんなさい……本当はセージローさんのほうが不安ですよね。急にこんなところへ連れてこられて。私は遠くからこの世界を見てましたけど、セージローさんはそういうのもなしでいきなりですから」


「びっくりしたのはその通りだけど、別に不安ではないよ。レンさんがいればきっと成し遂げられる」

「……本当ですか?」

「あぁ」


 別に根拠があるわけではなかった。不安じゃないというのは嘘だ。だけど彼女の前で、それを言っても始まらない。せめて大人が、それらしくどっしりと構えていないことには。

 先が見えないならなおさらだ。


「すいません」

 レンが何度目になるかわからない言葉を漏らした。


「元々は私の妹のせいなのに……」

「仕方がないさ。グラントのくそ野郎が僕たちに後始末を押し付けたせいだ」

 背後で床板が軋んだ。シエがわずかに寝返りをうったのだろう。僕は声をさらに低くする。


「レンさんはよくやってるよ。おかげで少なくとも、兄貴たちのしっぽは掴めてる。なに、ゴブリン退治ならほかにも手伝ってくれる人が見つかるって。戦える人はシエさんだけじゃないんだから」


「そう、だといいんですが……」

「きっと大丈夫だ。ほら、もう休んで。明日はガライの街へ戻ろう。いや、アルフォタ村へ行くのもいいかもしれない。ガードって仕事をしてたのはシエさんだけじゃないだろうし、誰か手伝ってくれるよ」


 僕はレンの体を横たえさせた。乱れた髪を整えてやると弱々しく笑う。その拍子に瞳から涙の雫が零れ落ちた。


「セージローさん、なんだかお父さんみたいですね。……私に父はいないですけど」

「せめてお兄さんにしてくれよ。まだそんな年じゃない……おやすみ」

「はい、おやすみなさい」




 目が覚めたときには、もう夜が明けていた。カエルの鳴き声はすっかり息をひそめ、代わりに小鳥が囀っていた。

 体を起こして周りを見る。レンはまだベッドの上で眠っていた。シエの姿はない。


 小屋の扉が開いていた。外から何かを叩くような軽快な音が聞こえる。小屋から顔を出すと、シエが屈みこんで何かを弄っているのが目に入った。

 彼女は僕が声をかける前に、こちらへ気づいて振り返る。


「起きたか」

「……あぁ、おはよう」

「ちょうどよかった。ちょっと手伝え」


 シエが手にしていた木の棒を掲げる。今朝丸太からくり抜いたようで、周囲には木くずが山のように散らばっていた。バットくらいのそれには、中途半端に黒い革が巻き付いていた。


「それは?」

「棍棒だよ。リザードマンの革を巻いて強度を上げてるんだ。少し押さえてろ。片腕だとうまくいかん」


 シエに棍棒を渡されて、僕はそれを斜めに固定した。彼女がリザードマンの分厚い革を棍棒へ巻き付け、左手と口を使いながら銀色の糸で縛る。


「糸で大丈夫なのか? 切れたりしないか?」

「竜の髭だぞ。切れるわけないだろ」

 シエが糸を咥えたままもごもごと応じた。


「竜の髭なんてものがあるのか……」

「あぁ。何よりも頑丈な繊維だ。……こいつは売らないでおいてよかったな。よし、完成」


 棍棒が僕からシエの手へ渡る。彼女は何度か素振りして、鋭く空気を切ると満足げに笑った。


「売るんじゃなかったのか。その革は」

「気が変わった……手伝うよ。ゴブリン退治。金になるんだろ?」


 シエがおどけたように笑う。だがその笑みはすぐに引っ込んだ。気まずそうに顔をしかめる。


「昨晩の会話を聞くつもりはなかったんだが……」

「起こしちゃったか」

「あぁ。だがおかげで、思い直せた。子供が泣いてるのにほっとくなんて冷淡すぎるよな。それを抜きしても、ゴブリンの巣に攫われた少女を放置なんてありえない」


 シエが棍棒を担ぐ。彼女の腰には、例のククリナイフもあった。鞘からちらりと覗く刀身が朝日を浴びて輝いている。小屋にあったときよりもずっと強く、綺麗に。


「その代わり報酬は忘れるなよ?」

「もちろん。よろしく、シエさん」

「よろしくな。セーシオー」


「…………誠二郎って言いにくいかな」

「もしかしてちゃんと言えてないか、私?」

 気づいてなかったのか。まぁ、日本人だってLとRの発音の区別はつかないというし。


「セイならどうだ? もしくはセージ」

「セージだな。二文字の奴が三人もいたらややこしいから。じゃあよろしく、セージ」


 シエが棍棒を置いて、左手を差し出してくる。握り拳だ。たぶんこれが正解だろうと思って、僕も握り拳を突き出して彼女に合わせる。


「……変わった挨拶をするんだな。セージの国では」

「……違ったか?」

「まぁいいさ。文化はいろいろだ」

「いや正しいのを教えてくれよ」


「セージローさん?」

 小屋からレンが声をかけてきた。髪がぼさぼさになってしまっているが、顔色はいい。十分休めたようだ。


「どうしたんですか?」

「いや、レンのお父さんと話してただけ」

「そこまで聞いてたのかよ……」


 シエと僕が笑い、レンが小首を傾げた。

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