2-4 アルフォタ村の外れで

 シエの家は、アルフォタ村というところの外れにあった。正確には外れというか、村からかなり離れたところにあって、一応ギリギリ村の範疇に入っているという扱いのようだった。


 彼女が住む小屋は失礼ながら、バラックだとか掘っ立て小屋と表現にするのが相応しい不安定なつくりをしていた。屋根は傾いているし、壁は地面と垂直になっていない。だから扉の立て付けも悪く、木戸の端が地面に擦れて削れていた。嵐でも来たら一発で倒壊するだろう。


 ガライの街の文化レベルが中世ヨーロッパであるならば、ここは飛鳥時代の農村くらいのレベルでしかない。地方と都市には差があるだろうとはいえ、あまりにもその差が大きすぎるように感じられた。


 シエがレンの濡れた服を着替えさせるというので、僕は外で待つことになった。小屋の傍に打ち捨てられていた丸太に腰かけて体を休める。小屋へ向かう途中から徐々に体の痛みは和らいでいて、いまは精々酷い筋肉痛くらいのものになっていた。


 僕はシエに渡された服へ着替えるために、ローブを体から引っぺがす。ところどころ破れ、血液のせいで肌へ張り付いてしまっていたが、血が出ていたと思われる傷口はすでに塞がっていた。砂まみれの傷口がそのまま塞がったせいで、肌に砂利が埋まったまま……などという冷や汗ものの現象も起こらず、まるで最先端の技術で手当てしたかのように綺麗に治癒しつつあった。


 この分であれば、レンの怪我も大したことないだろう。恐るべき不死チートだ。戦闘に役立つほど瞬時に回復するわけではないが、病欠でゆっくり休むほどのんびり回復するわけでもないらしい。嫌がらせのようなバランス設定だった。


 シエから渡された服は、ざらざらした生地でできたシャツとズボンだった。サイズはちょうどいい。部屋をちらりと見た印象では一人暮らしのようだが、なぜかこの服は男物のようだった。


 着替え終わったタイミングで、小屋の扉ががたがたと音を立てる。わずかに開いて、シエが顔を出した。

「もういいぞ、セーシオー。彼女が起きた」

「誠二郎だよ……わかった、いま行く」


 僕が小屋に入ると、レンがベッドに腰かけていた。バスローブのような服を羽織っていて、枝のように細い足が裾から突き出している。髪はまだ濡れたままで、表情は弱々しかった。彼女が僕を見つけると、表情が少しだけ明るくなる。


「セージローさん、ご無事でしたか」

「あぁ。このシエさんのおかげで。でなければ今頃二人揃ってワニの餌だ」

「聞きました。……シエさん。改めてお礼を。ありがとうございました」


 レンがぺこりと頭を下げる。シエは左手を振って「気にするな」と言った。


「ところで、お前たちは一体どうしてあんなところにいたんだ。新手の水浴びか?」

「そこまで牧歌的な話じゃない……ゴブリンから逃げてきたんだ。どうしようもなくなって、苦し紛れに川へ飛び込んであのざまというわけで」


「なんだ、ゴブリンくらい蹴散らせただろう」

「数が尋常じゃなかったんだよ。二十人くらいいたな」

「私は一晩で五十匹倒したことがある」


 シエは小屋の壁を指さした。そこには分厚いククリナイフが掛けられている。丁寧に手入れされているのか、埃っぽい小屋の中でそれだけが曇りひとつなく輝いていた。

 シエは少しの間、誇らしそうにそのナイフを見つめていたが、やがてため息をついた。


「いや、そんなことを言っても仕方ないな。すまん、変な癖になってるんだ。自分で自分を庇うのが」

「あのナイフで倒したんですか?」


 レンの言葉に、シエが首を振る。

「いや、あれはゴブリンの巣を潰した勲章代わりに村長がくれた。武器にしたのは畑で使ってたクワだったよ。野良仕事をしているときに襲われて、迫ってくるゴブリンを必死になって倒してたら巣を全滅させていた」


「強いんだな……リザードマンにも勝ってたし」

「ゴブリンの一件以来、アルフォタ村でガードの仕事をしてたんだ。村には時々、凶暴な獣が下りてくるから、それを倒してた。リザードマンくらいだったら慣れたもんだ」


 シエはおどけたように、胸を張るポーズをする。だけどそこには、不思議と虚しさのようなものが漂っていた。レンもそれを感じたのか、彼女を黙ってみている。沈黙が小屋を占めた。


「……疲れてるだろ。獲ったリザードマンで精のつく料理を作ってやる。待ってろ」

 シエはそれだけ言うと、小屋を足早に出た。僕はレンに手招きされて、彼女の隣へ腰かける。


「リザードマンって?」

「あぁ。レンは気絶してたから見てなかったな。俺たちの倍はある二足歩行のワニに危うく食われそうになったんだよ。それをシエが倒してくれた。一瞬だった」

「強いんですね、あのシエさんは」


 レンが小屋の扉を見た。外からは薪を割るような小気味いい音が聞こえてくる。


「……でも、少し様子が変でした。何か……心配事があるような?」

「含みがあるって感じだったな……」


 僕とレンは一緒になって首を傾げる。シエの心の中にあるわだかまりのようなものが一体何なのか、想像もつかない。いや、単に彼女が口下手で、そういう風に見えてしまうだけかもしれないが。


 僕は塾で仕事をしていたときのことを思い出す。どんな集団でも、たいてい一人くらいは口数が少なく、反応が薄くて何を考えているかわかりにくい子供はいるものだ。だけどシエのそれは、内気で反応に乏しいというのとも違う気がする。


 ゴブリン退治の話をする彼女の態度を見るに、むしろ元々はさっぱりした質で、人並みには手柄を自慢したいタイプの人間なのだろうと思われた。そんな彼女の口が重たくなる事情があるのだろうか。


「あの、セージローさん」

 レンが思いついたように口を開いた。


「シエさんにゴブリン退治を手伝ってもらえないでしょうか。シエさんは強いですし、五十人のゴブリンに勝てるならきっと……」

「……そうだな。本人に話してみるか」




 しばらくして、シエが小屋に戻ってきた。外で火を起こして焼いたらしい、串に刺さった肉を大皿に盛っている。本当にただ焼いただけのようだったが、香ばしい匂いに胃袋が刺激される。


 小屋にはテーブルがあったが、椅子はひとつしかなかった。なのでテーブルをベッドに寄せて、僕とレンがそのままベッドへ座って食事することになった。対面にシエが腰かける。


 テーブルの上には串焼き肉のほかに、パンとスープが並んだ。長方形の硬そうなパンはまな板のようなトレーに載せられていて、のこぎり状のナイフでスライスされた。スープはお椀ではなくカップへ注がれる。シエは誰かに言われる前に「皿がないんだよ」と釈明した。


「じゃあ、いただきます」

「なんだそれは?」

 両手を合わせる僕に、シエとレンが怪訝な視線を向ける。


「僕のいた土地の習慣だよ。食べる前にこういう挨拶をする」

「へぇ、話には聞いたことありましたが」

 レンがそう言ってスープを啜る。


「あ、おいしいです」

「どうも。ところで二人は、同郷じゃないのか? レンはその挨拶をしなくても?」

 シエが首を傾げた。肉を噛みちぎって、不思議そうな顔をする。


「あー、ええと、話すととても長くて、信じられないような事情がありまして」

「いや、言いたくないなら聞かないけど」


「そういうわけじゃないんだよ。ただ込み入ってるだけで……僕らは遠くにある別々の場所からこの土地に来たんだ。ある仕事のために。だから実は、会ったのも今日が初めてで……硬いなこのパン」


「スープでふやかさないと食べられないぞ」

 そう言いながらも、シエはそのままパンをばりばりと噛み砕いていた。言われた通りにスープへ入れると、表面が柔らかくなって食べられるようになる。味は乾パンに似ていた。実際同じようなものなのだろう。


「じゃあ二人は、会ったその日に川流れか。大変だったな」

「えぇ本当に、長い一日でした……」


 鉄っぽい味のするスープを飲みながらしみじみと考える。グラントにこの世界へ転生させられたのが今日の夜明け頃で、いまようやくその一日が暮れようとしている。本当に長い一日だ。この世界の装束を着て、ゴブリンと戦って、リザードマンに食われそうになった。


 チート能力があればもうちょっと楽だったのかもしれないな。


 レンは小さな口を目一杯広げて肉の塊へ食らいついていた。年上を気取っていても、口元に肉汁をつけて頬張るその姿はまだ子供だ。そんな姿が微笑ましい。シエも同じことを考えているのか、口元を緩めて彼女を眺めていた。僕らの視線に気づいて、レンが「なんですか?」と尋ねる。


「いや。私も妹が欲しかったなと思って」

「ご兄弟はいなかったんですか?」

「兄はいたよ。でも二人兄妹だったから」

「へぇ、お兄さんが。シエさんのお兄さんなら、すごく強かったんじゃないですか?」


 シエは首を振った。やはり、そこにはどこから虚ろな空気が漂っている。

「兄は軟弱だったよ。私よりチビだったし……その代わり口は達者だったな」

「そうか……僕にも兄がいるけど、頼りにならなかったな。というか、その兄のせいでいま大変なんだよ」

「そうでしたね……」


 レンと僕は力なく笑った。シエがその様子を見て、複雑そうな笑みを浮かべる。

 僕はレンのアイデアを切り出すべきだろうか迷った。だけどすぐに、言わなければ前進もないだろうと思いなおした。


「そうだ、シエさん。僕らの仕事のことで、シエさんにお願いが……」

 しかし僕の言葉は、ドアを乱暴に叩く音に遮られた。シエの顔が急に険しくなる


「……ここで待ってろ。いいな」

「あ、あぁ……」

 シエの声が鋭い。彼女は素早く扉へ近づくと、力を込めて開く。


 扉の先には男が三人立っていた。暗くなった外の道を、松明を掲げてやってきたようだ。男たちはみな険しい表情でシエと相対している。

 シエは外に出た。男たちと言い争っているようで、声が小屋の中にまで聞こえてくる。


「金ならないと昨日も言っただろう! ……今日リザードマンを仕留めたから、革を売って金にするよ」

「本当か? 兄貴みたいに嘘つくんじゃないだろうな」

「そんなことは……」


 僕の腕をレンが小突いた。彼女はおどおどとした顔で扉のほうを窺っている。

「どう……したんでしょう」

「穏やかじゃないな……」


 僕はベッドから降りて扉へ近づいた。扉は半開きのままになっている。その隙間から外を覗き見た。暗闇に立つ男たちがシエを取り囲んでいる。さっき遠くからちらりと見ただけじゃわからなかったけど、彼らはみな腰に短刀のようなものをぶら下げていた。


 この世界で、武器の携帯がどのような意味を持つのかはわからない。だが武器を持った複数人にシエが一人で対応しているというのは、とても安全とは思えなかった。僕はわざと大きな音を立てながら扉を開いて、男たちに自分の存在を知らせた。


 シエと言い合っていた彼らは、扉が立てた音に気付くと小さく飛び上がって後ずさりをした。思わず短剣にも手が伸びる。


「セーシロー、待ってろって言っただろ」

「誠二郎だ、シエさん。何か問題が起こっているようだったから……お節介だった?」

「くそっ、男がいるのかよ!」


 僕らのやり取りを無視して、男の一人が吐き捨てるように言った。水を差されたせいか、彼らはぶつぶつ言いながら引き下がっていく。どうやら危機は脱したようだ。


「……いや、助かった。おかげで面倒が減った。ありがとう」

「どういたしまして。……なんだったんだ、あれは」

「……中で話そう。心配をかけたし、黙っているわけにもいかないだろう」


 シエはそう言って、小屋へ戻った。中ではレンがすっかり縮こまっていた。シエがそんなレンを見て、自己嫌悪のようなため息をつく。


「悪いな。怖がらせたみたいだ」

「大丈夫でしたか?」

「あぁ、問題ない」


 シエはぶっきらぼうに言って、椅子へどっかりと腰を下ろす。僕も元の位置へ戻って、スープへ口をつけた。スープは冷めつつあった。

 シエは串を手に取って肉を持ち上げたが、考え直したように皿へ戻す。


「……いまの奴らは、村の人間だ。借金を取りに来た」

「借金か?」

「あぁ。兄がいるという話をしただろう?」


 シエは思い出すように一瞬だけ、視線を動かして背後を見た。そちらの壁にはククリナイフが掛けられている。


「……兄が村の人間の金を騙し取ったんだ。どうやったのか、口車に乗せて山ほどな。それで逃げた」

「お兄さんが、そんな」


 レンが絶句した。彼女の目が僕とシエの間を繰り返し行き来する。頭の中で何を考えているかは、言わずともわかった。


「そのとき、私は兄と二人暮らしだった。両親は早々に死んでたから。私がいつものように山から帰ると、兄がいなかった。そして二度と帰ってこなかった。去年の話だ」

「その兄がどこにいるのかもわからないのか?」

 シエは黙って頷いた。


「兄に金を騙し取られた人は大勢いて、金を返せといって来たよ。まぁ当然だけどな。だから私は村の端に追いやられた。村八分って言葉はそっちの土地にあるのか?」

 僕は首を縦に、レンは横へ振った。


「それと、この腕もだ」

「腕も?」

 シエがぺちぺちと、短い右腕を叩いた。


「切られた。詐欺師の兄の代わりに」

「そんな……てっきり、モンスターと戦って失ったんだと」


 レンは胸のあたりで服をぎゅっと掴む。いまにも泣き出しそうな顔になっていた。シエが「すまん」と小声で漏らす。


「怖がらせたな。レンの国ではこういうことがなかっただろう」

「いや、シエさんのせいじゃないよ……でも、酷いな」

「仕方がないんだ」


 彼女の声には諦めが色濃く響いていた。切断された右腕を掴み、絞り出すように言う。

「兄の不始末は家族の誰かがとらなければいけない。兄の家族は私しかいないから、私がやるしかないんだ」


「そんなの、おかしいですよ……」

 レンが鼻を啜った。大きな瞳から透き通るような雫が落ちて膝を濡らす。


「シエさんは何も悪くないのに……私たちを助けてくれて、こんなに良くしてくれてるのに……」

「いや、私も悪かったんだよ。兄の悪事に気付いて止められなかった責任がある」

「シエさん……」

 僕は口を開いた。あの話をするならいまだと思った。


「僕らの仕事を手伝ってほしい」

「……仕事?」

 不意の提案に、シエの体が硬直した。怪訝な顔でこちらを見てくる。レンもこのタイミングで僕が切り出すとは思っていなかったようで、驚いた顔を上げた。


「僕らは事情があって、ゴブリンの巣に攫われた少女を助けないといけないんだ。攫われたのが昨日か一昨日くらいだろうから、救出は早ければ早いほどいい」

「それを、なんで私に。私は確かに、野蛮な生き物と戦うのに慣れてはいるが」


「ゴブリンの巣に少女が攫われた原因が、僕の兄にあるんだ」

 僕の言葉に、シエの眉がピクリと動いた。レンが「私の妹も関係してます」と鼻声で付け足す。


「ガライの街は知ってるか? あそこが火事になったという話はここに届いてるか?」

「聞いた……夜中、東の空が変な色に染まっていたのも見た。青色だったか……待て、じゃあその火事はまさか」

「あぁ。兄がやったらしい」


 今度はシエが絶句する番だった。口を開いたまま、彼女は固まってしまう。


「僕たちの仕事は、この世界で好き放題する自分たちの兄弟姉妹を止めることだ。そのためにも、彼らの居場所を知っているかもしれないその少女を助け出す必要があるんだ。彼女が死ぬ前に」


「お願いします、シエさん。非力な私たちだけではゴブリンの巣をどうにもできないんです。シエさんの力と経験が必要なんです」

「……いや、だめだ」


 シエは少しの間だけ悩むように目を泳がせたが、すぐに首を振った。


「言っただろう、私は詐欺師の妹だ。……信用できない」

「そんなの関係ないよ、シエさん。じゃあシエさんは僕たちが放火魔に見えるのか? 兄や妹がそうだったからって理由で?」

「いや、それは……」


 シエが答えに窮する。彼女は立ち上がって、僕らに背を向けた。

「だいたい、私が出かけたら借金はどうするんだ。踏み倒すのか?」

「シエさんが払う必要がありますか?」


 レンが即座に応じた。シエは後ろを向いたまま黙りこくる。

「お金を騙し取ったのはシエさんのお兄さんですよね? だったらそれはお兄さんが返すべきものですよ。シエさんが払う必要なんて」

「じゃあレンだって、妹と止める必要なんてないだろ?」


 さっきとは逆に、レンが答えに窮した。僕は慌てて二人の間に割って入り、「攫われた少女は商人の娘だ」と言った。


「助ければ相応のお礼をしてくれるはずだ。シエさんの借金の足しになる」

 しかしシエは、首を振った。黒髪がばらばらと揺れる。

 ナイフに反射した顔が、暗く床を見つめていた。

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