第2章 厄介な家族

2-1 ゴブリンの足跡

「ありましたっ! やっぱりゴブリンの足跡です!」

 レンがぬかるんだ山道をずんずんと進んでいく。五十年近くインドア生活だった割にはめげずに険しい坂道を歩いていた。


 一方、ちょっとめげかけていた僕は彼女の数歩後を追いかけるように歩いた。ぬかるみにできた足跡のそばへしゃがんで検分するレンのそばに近づく。彼女は真剣なまなざしで足跡を睨みつけていた。


「見てください。足の指が三本です。大きさは人の足の半分ほど。爪の部分が深く掘られています。武具屋の女将さんがくれた旅の心得に書いてある特徴の通りです」

「そんなのもらってたのか……」


 傷薬といい旅の心得といい、僕は特におまけされていない。大人が少女に甘いのは異世界でも共通らしい。


 ゴブリンの足跡は道を外れ、獣道のようなやぶへ続いていた。背の低い草が踏み倒されて暗闇へ続いている。背後ではごうごうと大きな川が流れる音が響く。近くに滝があるのかもしれない。


「ここを道なりに進むと地図に書いてあった奴隷商の避難小屋だ。きっとアメリーさんはそこへ向かう途中でゴブリンに遭遇して、連れ去られたんだろう」

 レンがあたりをきょろきょろと見渡す。


「近くに血痕のようなものはないですね。荷物が散乱しているということもありません。そこまで乱暴はされなかったみたいです」

「よし、幸先がいいぞ……生きて助けられるかもしれない」


 僕らは頷きあって、獣道へ入っていった。下の土に草木の根っこが深く通っているせいか、本来の道よりも硬くて歩きやすかった。ずいぶん使われているようで、草がしっかり踏みつぶされているから足がとられることもない。


 ただ、僕の頭の高さには蜘蛛の巣が張っていて、手でかき分けないと進みにくかった。これもきっと、背の低いゴブリンが道を使っている証だろう。


「でも、この先にゴブリンの巣があって、そこにアメリーさんが囚われているとして、どうやって助けましょうか? 私たちでは多勢に無勢です」

「あぁ。とはいえ、怪我人だらけの街の人たちに助けを乞うのも難しいしな……」


 僕とレンは歩きながら言い合った。残念ながら、僕らにあるチート能力は不死オンリー。相手を全員倒すまで死ななければ勝てると言えればいいのだが。


「私たちも捕らえられて、ずっと酷い目にあわされるけど一向に死なないとか嫌ですよね……」

「ギリシャ神話にそういう話があったような……」


 あと兄貴の部屋にあるラノベにも似たような話があった気がする。ゴブリンに捕まって一生死なないおもちゃとかぞっとしない。


「ゴブリンくらいだったら何とかならないかな。そんなに強い種族じゃないんだろ?」

「えぇ……子供程度の知能と腕力しかないと書いてありました。でも、普通は数十匹単位で営巣するので、巣には絶対近づくなとも」


 迫りくる大勢のゴブリンをちぎっては投げ、ちぎっては投げ……いや、無理だろう。一匹ずつならまだしも、巣にいるゴブリン全てを同時に相手できるとは考えないほうがよさそうだ。子供だってそこそこ筋力はある。大勢で襲われればひとたまりもないだろう。


「知能も子供並みってところに付け込めないかな。子供の相手は慣れてるし」

「頭はよくないみたいですからね。こう、煙とかで燻し出せませんか?」

「蜂の駆除みたいだな……巣の中にアメリーさんがいたら窒息するだろうから、その手段はとれないけど」


 そうこうしているうちに、視界が開けてきた。森が途切れて断崖絶壁の崖のような場所に出る。右は切り立った壁になっていて、左はぽっかりと地面が途切れている。下では大河が轟音を立てている。

 万が一のときにはここへダイブして逃げればいいか……。できれば御免こうむりたいけど。


「セージローさんっ、あそこ」

 レンが小さく鋭い声で僕に呼びかける。右の崖に洞穴が広がっていて、その周りを小さな人影が三人うろついている。


「あれがゴブリンか……」

 ゴブリンは小学校低学年くらいの子供と同じ背丈しかなかった。手足は棒切れのように細く干からびている。顔には皴が寄り、表情は険しく見える。彼らはみな裸に動物の革でできた鎧のようなものを身に纏っている。手には太い枝を彫り出した棍棒が握られている。棍棒はイボがいくつも出っ張っていてお世辞にも安全そうには見えなかった。


「……勝てそうですか?」

「どれくらい力があるかによるな……」


 僕らは木陰に隠れて話し合う。じっと観察していると、ゴブリンのうち一人が暇つぶしのためか、棍棒を壁にガンガンと打ち付け始めた。硬そうな石が細かく砕けていく。


「無理かもしれない」

「セージローさん……」

「ゴブリンは本当に子供並みの力なのか? この世界の子供はみんな吉田沙保里から生まれたのかよ」

「そのヨシダ・サオリさんが誰かはわかりませんが……おかしいですね」


 レンはサイドバックから冊子を取り出して検める。冊子の文字は見たこともないミミズがのたくったような形状をしていたが、なぜか脳内に直接、書いてある内容が響いてくるように理解できた。


「……なぜこの文字を読めるんだ、僕は」

「そういえば私も……転生に際して付随した能力でしょうか……」

「なんとご都合主義な」


 というかそもそも、この世界の人と何不自由なく会話できていることを疑問に思うべきだった。わけのわからん存在であるレンとこうして会話できることもかなり不自然だけど。

 いや、待てよ。


「ってことは、ゴブリンとも会話できるんじゃ。うまいこと口車に乗せられないかな」

「えっと、この本には簡単な言葉を理解するとあります」


「さっきの光景を見てその本の信頼性は大幅に下がってるけど、試す価値はありそうだな。あの巣の入り口はここにしかなさそうだし、どうせ不意をつけないならまず声をかけてみよう」


 僕はレンに合図して、木陰で待たせた。自分だけ姿を見せて、巣の入口へ近づいていく。

 僕の姿に気づいた彼らが、一斉に警戒態勢をとる。僕はそれを手で制して、口を開いた。


「やぁ皆さん、こんにちは。いい天気ですね」

「…………」

「…………」


 返事はない。やれやれ。これだから最近の若いゴブリンは、挨拶もできないのか。


「……天気ってなんだ?」

「そっからかー!」


 ようやく喋ったゴブリンの言葉に僕は頭を抱えた。塾で指導をしているとよくあることだけど、天気を知らないというレベルは初めてだ。世間話に苦労する概念理解の相手をどうやって騙せばいいんだ?


「あー……ちょっと皆さんに聞きたいんですがね。そう、ここにいる君と、君と君に」

 皆さんという言葉の理解も怪しそうなジェスチャーをし始めたので、僕は指をさしてゴブリンたちを名指しした。指をさされた彼らが首を傾げる。


「最近、女性を、人間の女を一人連れてこなかったかい? こう、髪が茶色……というか木の皮に似た色で、派手な……じゃなくて、きっと花の色のような服を着ていたんだと思うけど」


「あぁ、そんな女なら今朝連れてきたぞ!」

 ゴブリンのうち一人が甲高い声で叫んだ。ほかの二人も同調するように首を振る。


「いい女だった!」

「金いっぱい持ってた!」

「俺知ってるぞ! 奴隷商の娘だ! 街に盗みに行ったとき見た!」


 なるほど。ここに囚われているのはアメリーで間違いないようだ。とりあえず一歩前進。あとはどうやって彼女を引き渡すように説得するかだ。

 僕は頭の中で、まずは向こうの要求をそれとなく探ろうと決めて言葉を続ける。


「あー、ところでゴブリンというのは、なんで人を攫うんだろうな。人を攫って何に使うんだ?」

「決まってるだろ! 骨をぽきぽき折って遊ぶんだ!」

「違うだろ! 指の先から薄切りにして遊ぶんだよ!」

「お前もやるか!」

「遠慮する!」


 見知らぬ人間を誘ってくれるなんて、きっとゴブリン社会では気のいい奴なんだろうな、彼らは。

 人間からすればとんでもない奴らだけど。

 そして分かり合える気が全くしない!


 しかしだ。よく考えれば付け入る余地はありそうだぞと考え直す。

 ゴブリンが人間を攫う目的は、遊び道具を確保するためか……だったら、別の遊び道具を提供してやればあっさり人間を解放してくれるかもしれない。

 よし。では異世界転生ものっぽい作戦をとるとしよう。


 名付けて、日本の玩具はスゴイですよ作戦だ。

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