1-7 青い炎が街を焼いた
「お二人はリョーイチローのご家族の方でしたか」
「はぁ……」
僕とレンは、マーサの案内で彼女の屋敷へと連れてこられた。
屋敷とはいっても、もはや瓦礫の山でしかない。余った資材でなんとかテントのようなものが作られているが、華やかな邸宅の名残はもはやない。大火で燃えてしまった庭園の木々がむなしく風に揺れている。
僕らはテントの中でも特に立派なひとつの中に案内された。地面に絨毯をひき、燃える前に持ち出された生地で屋根を張ったテントだ。ここはマーサが使用しているらしい。彼女は布を寄せ集めて作られた簡易のベッドの上へどっかりと腰を下ろした。
テントの中では、使用人らしい男女がせかせかと荷物を運んでいた。彼らはところどころ焦げてしまった使用人用の、黒くかっちりした洋服を着ていて、見た目はおおむね火事にあったお手伝いさんというところだ。
ただひとつだけ、太い革の首輪がはめられているのが異様だった。
「珍しいですか? 奴隷が」
「まぁ……僕の世界にはいなかった……いえ、きっといたんでしょうけど、少なくとも僕の暮らしているところでは見なかったので」
僕の答えに、マーサが薄く笑う。
「リョーイチローも似たようなことを言っていましたよ。奴隷がいないなんて、不思議な世界もあるものですね」
こんな絵にかいたような奴隷がいるほうがよほど不思議だと思ったが、僕は黙っておいた。代わりにレンが口を挟む。
「さきほど、奴隷商人の街とおっしゃっていましたが……マーサさんは奴隷の売買で生計を立ててらっしゃるんですか?」
「正確には夫ですが」
マーサがベッドの脇に置かれていたパイプを手に取る。即座に奴隷の一人がやってきて、パイプへ火をつけた。彼女は煙を深く吸いこむ。
「この街の半分は夫が作ったようなものです。元々は辺鄙な農村だった……ここで生まれた私たちは街を通過する奴隷商たちを相手に宿を貸すようになり、最後には自分たちで奴隷の取次ぎをするようになったんです」
もう燃えてしまったけどね、とマーサが漏らす。パイプを持った手をだらりと降ろした。狐のような顔に疲労が現れている。
「私たちを軽蔑しますか? リョーイチローのように」
「それは……」
レンと僕は顔を見合わせた。レンは困ったように顔をしかめている。きっと、道中であった奴隷商を思い出しているのだろう。
「肯定はしませんが」
「こちらへ来る途中、奴隷と思しき人たちへ鞭を振るいながら歩く一団を見ました」
レンが一歩前へ出て言う。
「マーサさんがあのようなことをしているのなら……」
「それなら安心してください。私たちは高級な奴隷しか扱わないので、商品を傷つけるようなこともしません」
レンは納得のいかなそうな顔を僕へ向けた。そうじゃないと言いたいのだろう。だけど、違う常識で暮らす相手にどこまで踏み込んでいいのか迷っている。
代わりに、僕が口を開いた。
「兄は……リョーイチローはここで何をしたんですか? 火を放ったと言っていましたが」
「その通りのことを、です。彼らは突然街に姿を見せました。夫も娘も珍しいものが好きでしたし、腕が立つらしいという話だったから利用できないかと思って屋敷に呼び寄せました。それでしばらく面倒を見ていたんですが、あるとき急に、奴隷を使うなんて酷いとかなんとか、意味の分からないことをわめき始めてまして」
奴隷を使うのが酷いという感覚はわかる。どうやらこの世界の人はそう思っていないようだが、現代人からすれば当然の感想だろう。だがそこから、急に放火へ走るのは飛躍が過ぎるように思えた。
兄貴は何を考えていた?
「そのやり取りの翌日、火を放たれました。奴隷商だから恨まれることも少なくはありませんでしたが、まさかたった一晩で街ごと燃やされるとは……」
「なんで、リョーイチローさんは放火なんて手段に出たんでしょう?」
その疑問はレンも抱いたようだ。彼女は首をかしげる。
「奴隷を解放したかったにしても、やり方があまりにも大雑把というか」
「そんなのは私にも。本人はいい作戦のつもりだったんでしょう。……結局うまくはいかなかったようですが」
マーサはパイプから吸い込んだ煙を天井へ吐いた。布でできた屋根へ紫煙が吸い込まれていく。
「うちの屋敷で管理してた奴隷の大半は、火事の騒ぎで連れ去られてしまいました。街にいたほかの奴隷商に」
「あの一団は、そういう事情で……」
この世界へ飛んで最初に出会った馬車の一行。彼らの口にしていた話と辻褄が合う。兄貴が街へ火を放ち、どさくさに紛れて奴隷商が商品を強奪したか……。
「兄貴はそこまで考えてなかったんですね。逃げ出した奴隷がどうなるかまでは」
「そう。第一、売られた奴隷が故郷に帰れると思います? 自分を売り払った人間のもとで何事もなかったかのように暮らせるわけがないでしょう。帰ったって別の奴隷商に売られるのがせいぜい。それがわかってるから、火事で逃げたあと戻ってきた奴隷も大勢います」
マーサがちらりと、そばへ立つ奴隷の一人へ視線を送った。二十代くらいの若い女性の奴隷は、ぼんやりとした表情で棒立ちになって待機していた。右足には包帯が巻かれている。
「ほかの奴隷商に連れ去られた者と、自ら戻ってきた者、それ以外は焼け死にました。奴隷といっても従順なのばかりではありませんし、そういうのは鎖に繋いで出荷を待ってたから、逃げ遅れたんでしょう。倉庫からゴロゴロ死体が出てきました。夫の死体も。妙にきっかりした人だったから、商品が燃えたらまずいと思ったんだと思いますわ。自分が燃えたら意味ないのに」
マーサが目元を拭う。
「すいません。マーサさん。私たちの兄弟のせいで、こんなことに」
レンが小さく頭を下げた。マーサが首を振る。
「いいのよ。謝られても一ゴールドの足しにもなりません。それよりも……」
マーサが立ち上がる。テントの側面に空いた切れ目から外を眺める。
「あなたたちにも、リョーイチローのような妙な力があるのかしら? もしそうなら、頼みたいことがあります」
「頼みたいこと?」
「娘を、探してほしいのです」
マーサが手を振る。その合図で、そばに控えていた奴隷が一枚の肖像画を引っ張り出してくる。
そこに描かれていたのは三人の家族だった。一人はマーサだ。実際よりも若く描かれているのか、描かれたのが少し前なのかはわからない。もう一人は中年の太った男性で、これがおそらく彼女の夫だろう。中世の作曲家のようにカールした白髪が目に付く。
そして二人に挟まれるように、少女が描かれていた。年はレンと同じくらいだろうか。見た目は両親の特徴をちょうど半分ずつ受け継いでいるようだった。髪の毛は父親と同じように強くカールしていて、色は母親譲りの栗色だ。母から抜け目のなさそうな視線を、父から頑固そうな骨格を貰って、その表情は一筋縄ではいかない高慢さをたたえている。
「娘のアメリーとは、火事のとき一緒に屋敷を逃げ出しました。ですがそこではぐれてしまって」
「娘さんが逃げた先の当てはあるんですか?」
マーサが奴隷へ視線を送る。言外の命令を受けた彼女が僕へ紙を渡してきた。ごわついた紙片には地図が書かれている。
「街の西にある山に、万が一の隠れ家を用意しています。何かあったらそこへ逃げるように言い聞かせているのですが、人を向かわせて調べたら娘はそこにいなかった。ともかく、火事に巻き込まれて死んだわけではないと思うのですが、見つかりません」
マーサが手の中のパイプをせわしなく握りしめる。
「もしかしたら、娘はリョーイチローの一派に拉致されたのかも……」
「え?」
不意に飛び出した不穏な言葉に、僕は固まった。
「火事の前、娘は彼らと親しく話していたようで……彼らの目的を知っていたのかもしれません。それで邪魔になって……いや、これはさすがに悪い想像でしょうけど」
「リョーイチローさんの目的?」
「この世界で好き勝手する、ではなく?」
僕たちが尋ねると、マーサは軽く頭を振る。
「彼らは何か使命があると零していました。興味がなかったので、私は詳しく聞きませんでしたが……娘は関心を持っていたようなので、何か知っているかもしれません。火を放ったリョーイチローがどこへ行ったのかも」
兄貴がどこへ行ったのか。それはいま一番知りたい情報だった。ドラゴランドは広い。端緒を掴んだとはいえ、ここからノーヒントで彼らを探すのは至難の業だろう。
「捜索に必要なものはこちらで用意しましょう。娘を見つけてきたら相応のお礼もします。お願いできますか?」
「……娘さんを探したいのはその通りなんですが」
僕は返事をしかねた。ひとつだけ、疑念があった。
「僕らでいいんですか? 街を燃やした放火魔の弟に、大事な娘さんの捜索を任しても」
僕の言葉にマーサは力なく笑った。
「これでも奴隷商の妻です。……人を見る目はあると自負してますよ。今度こそは」
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