1-5 大火事と奴隷
門をくぐった僕とレンは、森の中に立っていた。冷たかった空気は突如として温くなり、青々とした木々をそよ風が揺らしていた。
真冬からやってきた僕は、厚手のコートにセーターという格好だった。おそらく、この世界の季節は春か初夏くらいだろうけど、厚着には灼熱に感じられた。
「……ドラゴランドの季節を確かめておくべきだった」
ぼやいてコートを脱ぐ。まだ暑いが、だいぶましになった。まだ気候が掴めていないので、セーターを脱ぐのはやめておいた。急に寒くなっても困る。
レンは地球にいたときもいまも相変わらず、初めて会ったときと同じ白いワンピース姿だった。ワンピースは薄手で、僕とは逆に肌寒そうだった。風には多少冷たさがある。
「レンさんは寒くない?」
「えっと、少しだけ」
「じゃあこれ、羽織ったら? そんな薄着じゃあ」
レンは僕が手渡したコートを素直に羽織った。丈の長いグレーのコートは彼女の金髪を明るく引き立てていてよく似合う。ぶかぶかで裾を引きずりそうになってしまってはいるが、動くのに支障はなさそうだ。
レンはどうしてだか、嬉しそうに笑った。くるりとその場で一回転してみる。
「ありがとうございます。それじゃあ、行きましょうか」
「あぁ。まずはどこか街に行かないと……」
僕たちは周りを見渡す。僕らが突っ立っていたのは森を貫く街道の真ん中らしい。周囲は大きな木々が生い茂っているが、足元はしっかりと踏み固められていた。道にはわだちと蹄鉄の跡があり、主な移動手段として馬車が使われていることが窺えた。
おそらく、この道を辿れば街にはたどり着けるはずだ。問題は、どちらへ行けばいいのかということ。いずれは街に着くとしても、それが三日後ですとかではお話にならない。グラントが「できるだけ何も持ち込まないように」と言ったせいで、僕らは手ぶらだった。
日が落ちる前に、落ち着けるところを見つけないと。
「あのっ」
レンが言った。口調が緊迫している。
「誰か近づいてきます」
耳を澄ませる。東のほうから大勢の人が歩いてくるようなざわめきが迫ってきていた。がちゃがちゃと鉄のぶつかり合う音も聞こえてくる。どうやら大所帯の一団だ。
これは都合がいい。街の場所を聞けるかもしれない。ただ問題があった。
「……隠れましょう。なんか、いやな感じがします」
「あぁ。賛成だ」
近づいてくる雑踏は明らかに、がらが悪いような印象があった。男たちの野太く下品な笑い声がそう思わせるのだろうか。なんとなくだが、親切な一行という感じはしない。まずは隠れて様子見をしたほうがいいだろう。
レンが僕の手を引いて、道のわきにある茂みへとしゃがみ込んで身を隠す。茂みは深く、単純だが注意してみていなければ人が隠れているとはわからなさそうだった。僕らは身を寄せ合い、息を潜めて相手の到着を待つ。
「おらっ、もたつくんじゃねぇ! 歩け!」
鎖を揺らす音に合わせて怒号が飛んだ。レンがびくりと震える。僕は彼女を抱き寄せて、木々の隙間から目を凝らした。
目の前を馬車が通過する。茶色の大きな馬は鎧をつけていた。四頭か六頭立ての大きな馬車なようだ。木製の車輪が回転し、道へ跡をつけていく。
だが一団は、馬車の後にも続いていた。足元だけが見える。何人もの裸足が、ムカデのように連なって通り過ぎた。その足はみんな、すすに汚れていて怪我をしているらしいものもあった。やけどを負い、不格好に飛び上がりながらなんとかついていくものもある。
革鞭が空気を切り、肌を打つ音がした。僕はとっさにレンの耳を塞いでいた。誰かが叩かれたのだろう。だがその割には、悲鳴や呻き声は聞こえない。歩いている人たちはみな押し黙ってついていく。
まるで奴隷である。歴史の資料でナチへ連れていかれるユダヤ人の映像を見たことがあるが、彼らのまとっている空気はそれとよく似ていた。地獄へ近づいていることがわかっているのに、抵抗できない絶望感にこちらまで押しつぶされそうになる。
ムカデの中に、別の足が現れた。こちらは太い男の足で、きちんとブーツのようなものを履いていた。腰に剣をさしていて、岩のような手に鞭を握っているのが見える。
その男が声を張り上げた。
「ぼさっとしないで歩けよ! せっかく火事から助けてやったんだ! その分金になってもらわねぇと困る! ほらまだ半日も歩いてねぇだろが!」
物騒な一団はそうして去っていった。僕らは彼らの音が聞こえなくなるまでたっぷり待ってから、ようやく道へと這い出した。レンは怯えた顔で、地面に四つん這いになったまま動かない。
「な、なんだったんですか、いまのは……」
「雰囲気から察するに、奴隷と、それを売ろうとする商人か……? 危なかったな。隠れて大正解だ」
「奴隷商……そんなものが」
僕はレンに手を貸して立ち上がらせた。彼女の細い脚は震えてしまっていた。無理もない。無理もない。あの白い空間から出て初めて遭遇したものが残酷な奴隷商人の一団では。
正直、僕も肝が冷えた。もし呑気に正面から出くわしていれば、あの奴隷たちの仲間入りを果たしていただろう。
「……あの人たち、怪我してました。火事があったと」
「どういう事情か分からないけど……酷いことには間違いないな」
「助け……られないですよね。私たち、戦えないですから」
レンは俯いて、沈んだ声を出した。自分の無力さに打ちひしがれているようだった。
自分の身も危険だったという状況で、彼女は奴隷にされた人たちのことを気にかけている。僕は励ますように肩を叩いた。
「しょうがないさ。僕らはできることをしよう。……あいつらは半日も歩いてないって言ってた。もしかしたら、火事があった街から来たのかもしれない。馬車が来たほうを遡ってみよう」
予想通り、歩いて半日どころか二時間もしないうちに森が開け、街が見えた。ただ、遠くからでもはっきりわかる黒煙が上がっている。遠目でも街のあちこちが焼けこげ、建物が崩壊しているのが見て取れる。
奇妙なのは、建物がみな石造りであるにもかかわらず、酷く燃え落ちてしまっているように見えたことだ。江戸時代の日本のように木造家屋ばかりなら街全体に火の手が広がるのもわかるが、中世の西欧のような建物がひしめく街でそんなことが起こるだろうか。
まぁ、ここは地球ではない。もしかすると、目に見えている家も未知の材質でできているのかもしれないし、炎の性質も異なるのかもしれない。森を歩いた限りでは、極端に地球と違うということはなさそうだったけど……。
街に近づくと、火事の被害が一層よく分かった。路上では火傷を負った住民たちが呆然と、燃えてしまった我が家を眺めているようだった。
レンが当惑したように、街の入り口に立ち尽くす。足元には露天商が売っていたらしい野菜が散乱していた。炭になっているものもあった。
「酷いですね……いったいどうして?」
「あぁ、ただの火事にしては燃えすぎだ。戦争があったみたいになってるな」
僕は歴史の授業で使った写真を思い出していた。第二次世界大戦時、ドイツのミサイルによって破壊されたイギリスの街並み。流石にあれほどではないが、街の壊れ方は似ているように感じられた。
目の前を、包帯まみれの男がよたよたと歩いていた。彼は適当な廃材を杖代わりにしていたが、バランスを崩して倒れてしまう。
レンがはっと息をのみ、慌てて男へ駆け寄った。僕も彼女に続く。
「だ、大丈夫ですか?」
レンは服が汚れるのも厭わないで地面に膝をつき、男を抱え上げた。僕が右から支えて、建物の壁へもたれさせる。
「み、みず……」
「ごめんなさい、水は手元になくて……」
レンは男の体をさすりながら言った。包帯の下から酷い火傷が見える。全身がこれでは、おそらく助からないだろう。僕はレンが気付かないように包帯をずらしてそれを隠した。
男は虚ろな目でレンを凝視する。見えていないようだ。熱に晒されたせいか、眼球が白く濁っている。
「どうしよう、セージローさん」
「どうするって言っても……」
僕らはこの街に来たばかりだ。どこに何があって誰がいるのかもわからない。第一、この大火事で医者が生き残っているかどうかも……。
「おい! お前ら何してる!」
僕らがおたおたしていると、声をかけてくる人がいた。大柄の男性で、比較的軽傷のようだ。木綿でできた服はところどころ焦げている。こちらへずかずかと歩いてくるが、僕と目が合った途端に動きが止まった。
「あぁ、助けてください! この人、水が欲しいって……」
レンが立ち上がって言った。だが男は、彼女の姿を見ると怯えたように後ずさりしてしまう。
様子が明らかにおかしいが、レンはそれに気づかず必死になって訴えた。
「誰かお医者さんは? せめてこの人を寝かせられる場所を……私たちが運びますから!」
「おぉ、まさか……」
男性がくるりとこちらへ背を向けて駆け出した。逃げるように。
彼が街へ向かって叫ぶ。
「奴らが帰ってきた! 放火魔のリョーイチロー一党が帰ってきたぞ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます