1-2 この度は妹がとんだことを……
「……え?」
少女は柔らかく膝を折り、平たく床に伏していた。真っ白な床に金髪が散らばる。背筋はぴんと。歪んだところはどこにもない。あまりにも綺麗な土下座だった。
明らかに外国人然とした、年端もいかない外見の少女が二言目に土下座をしているという光景に、僕の思考回路が止まる。
なんだこれは。夢だったとしても突拍子もない。
「この度は本当に……本当に、妹がとんだことをしでかしまして。なんとお詫びしていいかさっぱり。その、本当に申し訳ないと思っておりまして……」
「あの、ちょっと、ちょっと待って?」
僕は少女に近寄って、まず頭を上げさせようと肩を掴んだ。目の前の人がずっと土下座状態というのは居心地が悪い。だが少女が細い体のどこにそんな力があるのかというほどの怪力で土下座を維持し続けた。
「本当に! 本当に申し訳ございません! この責任は! 命を賭してでも必ず取りますのでどうか!」
「待って? 怖い、怖いから。土下座が強力すぎて新種の妖怪みたいになってるから、一回頭上げてくれる?」
「うぅ……うぅぅぅ……」
ついには啜り泣きが始まり、いよいよ妖怪らしくなってきた。だが幸いにも、少女が泣き始めたことで体にこもっていた力が緩み、顔を上げさせることができた。
持ち上げられた少女の顔は、涙と鼻水でぐずぐずに汚れてしまっていた。少女は服の袖で顔を拭って体裁を整える。
「だ、大丈夫?」
「すみばぜん……落ち着きまず……」
「深呼吸して。すーはー、すーはー……」
一緒になって息を吸う。何度か深く呼吸をすると、彼女は落ち着いたようだった。涙も止まっていて、しっかり者らしい筋の通った表情に戻っていく。
彼女は床にぺたんと座った。僕も彼女の正面に座る。
「あの、えっと」
「まずは最初から説明してもらおうか。君の名前は?」
「レン……レンといいます」
レンと名乗った少女は、俯きがちに続けた。
「私は、あなたに謝らなくてはいけません。これからあなたは、私の妹の招いた問題のせいで大変なことになります」
「それは、どういう?」
「口でご説明するよりも、見ていただいた方が早いと思います」
少女は向って左を指さした。何もない空間へぽっかりと穴が開いていく。真っ暗なそれを覗くと、突然明かりが灯った。
穴の先に、別の世界があった。映像を見せられているようだったけど、なんとなく、穴を通じて向こうを直接見ている気がした。画面越しという印象はしない。広々とした草原。そよ風に草木が揺れている。
草原の中心に立つ男の姿があった。小太りな体に革でできた鎧を身に着けているようだ。ファンタジーの登場人物みたいに。
男は画面に背を向けていた。顔はわからない。だがその立ち姿に既視感を覚えた。随分と見慣れた存在であるかのように感じてしまう。鎧を身に着けた人物に心当たりなどないはずなのに。
映像がゆっくりと、男の前へと回っていく。男の全身を正面から映し出したとき、僕は雷に打たれたような思いがした。
見覚えがあるはずだ。
「……兄貴?」
「はい。あなたのお兄さんである、リョーイチローさんです」
画面に映し出された兄は、丸い顔にいつもの黒縁眼鏡をかけて、脂っぽい髪は風に吹かれるままになっていた。いつもの冴えない兄貴の姿だ。そんな彼が、ファンタジー小説の登場人物みたいな鎧を身に着けて、腰に剣を携えている。
滑稽だ。出来の悪いコスプレのようだった。いい笑いものである。
だが、レンの言葉は至極まじめで深刻だった。そのギャップに薄気味悪いものすら感じる。
「落ち着いて聞いてほしいのですが」
レンが口を開く。重々しい。
「この方、リョーイチローさんは、あなたの世界の言葉で言えば、いわゆる『異世界転生』を果たしました」
「……うん?」
「えっと、簡単に言えば、あなたが暮らす世界とは別の世界に、こう、生まれ変わったと言いましょうか、ワープしたと言いましょうか……」
「いや、そこはわかるけど……」
齢三十四とはいえ塾講師である。子供たちの間で最近流行っているものくらい大雑把だが把握している。
異世界に転生して無双する。そういう話には聞き覚えがあった。いくらか読んだことだってある。
そういえば兄貴も、その手の話が好きだったような気が。
「まさか、兄貴がチート能力を手にしてこの異世界で大暴れ! とか言い出すんじゃ」
「そのまさかです」
レンが断言する。
「私たちは元々、世界間の魂のバランスが崩れないように調整する仕事をしていました。地球に魂が多くなれば別の世界へ、別の世界の魂が多くなれば地球へ、という風に。通常、魂を別の世界に移動させるときは初期化をして、変な記憶を引き継いだりしないようにするんです」
レンがちらりと、画面を見る。
「ところが私の妹で、同じ仕事をしていたスイがやらかしました」
「やらかした?」
「はい。妹は管理者権限を悪用し、地球で死んだリョーイチローさんの魂を別の世界……ドラゴランドに移しました。その際、記憶をそのままにしただけでなく、余計な能力を追加して」
「あぁ、それがチート能力?」
「はい……変な能力を追加した魂はその分大きく、重くなります。パソコンのデータと同じようなものだと思ってください。世界の容量には限界があるので、下手に大きな魂をやり取りするとそれだけで不具合が生じます。しかも、別の世界の記憶を引き継いだ人間がその世界に本来ない知識や秩序を持ち込めば……」
「ドラゴランドは滅茶苦茶に、ってことか?」
レンは弱々しく頷いた。髪が顔にかかるが、彼女はそのままにした。
「妹が起こした問題って、そういうことなのか」
「はい。本当に申し訳ございません。なんとお詫びしていいか……」
「ま、待って待って……」
また頭を下げようとしたレンを、僕は慌てて止めた。
「それはレンさんがやったことじゃないんだろう? だったら謝る必要なんて……それに、僕は別にそのことで困ったりしてないし。まぁ、変な力を得た兄貴に好き勝手されるドラゴランドには同情するけど」
「セージローさん……」
「それに、考え方を変えれば悪いことばかりじゃないよ。兄貴はあれでどうしようもない奴だけど、地球では人生うまくいかないまま若くして死んだから。どうせ別の世界じゃ楽しくやってるんだろ? 二束三文のラノベみたいにさ。ならこっちも安心だ。あれに第二の人生を与えてくれて、感謝したいくらいだよ」
「そう言っていただけると、ずいぶん……」
「気が楽になっただろう?」
レンがくしゃっとした笑顔を見せてくれた。強張っていた彼女の肩が緩く降りる。
「はい。少し……」
「あまり気負いしちゃだめだよ、レンさん。自分のしたことじゃないんだから……僕も少しは気持ちがわかる」
「本当ですか?」
「あぁ。兄貴はほら、あんなだろ? 弟も大差なくてね。三人兄弟でまともに働いてるのは僕だけだ。僕はいつも、尻拭い役」
「お互い、苦労しますね……」
「そうだな……」
そう言って僕とレンは笑った。僕も、胸の中に溜まっていたもやのようなものが晴れていく気分だった。
僕は立ち上がって伸びをする。レンも倣って立った。もうそろそろお暇してもいいだろう。
「……じゃあ、そろそろ帰るよ。兄貴の近況が知れてよかった」
「はい。私も、話せて楽になりました。それでは、お元気で」
「って、待てぇい!!」
僕らの爽やかな別れは、大声で遮られた。二人して声のした方向を振り返ると、そこには別の女性が仁王立ちしていた。
服装はレンと同じ白のワンピース。金髪碧眼。ただし年齢はレンよりもずっと上で、背も高い。まるで目の前の彼女を体格的にも時間的にも拡大したような女性だった。
「雰囲気に流されて大事なことを忘れるでない! レン! そんなことだから妹の暴走を止められんのだ!」
女性の太い怒鳴り声に、レンが目を閉じて縮こまる。
「だ、大事なこと……?」
「そうだ!」
女性は大股で歩み寄って、僕をズバッと指さした。
「お前には異世界に転生して、兄貴を殺してもらう!」
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