33「孤独の消滅」

 瞬時に立ち上がった恒輔は扉に飛びつき、引っ張る。しかし外から鍵がかけられているのか、ガタガタと鳴るだけで開かない。ならばと廊下側のカーテンを開いて窓を確認すれば、そちらは中から鍵を動かせられるタイプとなっていた。この中途半端な閉じ込め方が、ますます恒輔の考えている可能性を確信に近づけた。


「怜を......止めへんと......!!」


 ロックを解除しようとするが、「おい待てよ!」と背後から声がかかる。空の声だ。


「おまえ一人で勝手に進めるな! おまえ、怜から何か聞かされたのか!? 何か知ってるのか!? なあ怜は何を考えてるんだよッ!!」

「そんなのッ!! 自分らにはッ――」


 関係ない。怜を否定したくせに、怜を傷つけたくせに。本当は怜のことがどうだっていいのなら、今さら仲間面するな。

 カッとなり、声を荒げかけた恒輔は。

 その寸前で、わななかせながら口を閉ざした。

 自分に、彼らをなじる資格などなかった。だって、怪物から人間に変わろうとした怜を否定し、怜に悲壮な決意をさせてしまったのは自分も同じなのだから。自分の言葉が、怜にトドメを刺したのだから!!

 一度深呼吸した恒輔は振り返らないまま、背後の彼らに「伝言」を伝えた。


「最後にみんなを守るから、みんなはどこかで居場所を見つけて幸せになって。怜はこれを自分らに伝えろって言ってきよった。別れの言葉やって言っとった」


 誰かの、息の呑む声が聞こえた。恒輔は続ける。


「多分、怜はあの襲ってきた連中の背景に黒幕がいることに気づいたんや。せやからきっと、その黒幕に決着をつけに行ったんやろ。その間オレらが襲われへんよう、少しでも連中の目を引くためにオレが眠っとる間に服を交換した。そんで願わくば、黒幕を相手している隙にオレたちにどうにか逃げてほしい。そういう魂胆やろ」

「......黒幕がいることはオレも気づいていました。というか確定です。オレたちが気絶させられる前、あの人直接連中に尋問していましたからね。黒幕の正体にも目星がついていたみたいですよ」


 林太郎が静かに話す。そのことは初耳だったが、怜らしいやり方だと内心苦笑する。


「自分は、ここで起きたことの背景に気づいとるんやな」

「まだ確定してない部分もありますけど、大方当たってるんじゃないですか」

「そうか。けど答え合わせはあとや。......オレが怜を連れ戻してくる。自分らはここで待っといてくれ」

「ちょっと待ってくださいよ!! オレ、バカだから何が何やらって状態ですけど、怜さんがオレたちを守るために危ないことをしようとしてるのはわかります。それで恒輔さんもそんな危ないところへ向かおうとしてるんですよね!? だったらオレも一緒に行きます!! 何で恒輔さん一人だけで行こうとしてるんですか!!」


 窓を開いて乗り越えようとした恒輔に梓が抗議の声を上げる。動きを止めた恒輔はゆっくりと彼らの方を振り向くと、申し訳なさそうに微笑んだ。


「怜は、こんな傷まみれのオレの心に寄り添おうとしてくれた。仲間を繋ぎ止めて全員で脱出することを望んどった。それやのにオレは、最初から怜を利用しようとして、伸ばしてきた手を振り払って、怜を否定した」


 伸ばされた手を取らなかった。怜の変化を受け入れることができなかった。初めて傷ついた表情を見せた怜の、あの顔が忘れられないのだ。


「せやから怜はこんな決断をしてもうた。全部オレが悪いんや。オレが怜を――」

「そんなの、宇佐美さんだけのせいじゃないでしょうッ!!!」


 言い聞かせるような恒輔の台詞を、大声が爆発して遮った。肩を激しく上下させた陽介が、悲痛な表情ながらも恒輔をまっすぐ見据える。


「......陽介、くん?」

「雨宮さんは俺にも手を伸ばしてくれました!! 俺たちがひどいことを言ったのに気にしてないって、それでも俺たちと一緒にいたいって言ってくれました!! そもそも雨宮さんは、初めて、俺たちのこと、理解、してくれてッ......なのに、俺はッ......二回も、雨宮さんを拒絶してしまったッ......!!」


 「本当はあんな風に何度も手を伸ばされたのなんて初めてで、嬉しかったのに」と語る陽介の目に今にも溢れ返りそうな水膜が張られる。

 思わぬ告白にポカンと口を開ける恒輔に追撃とばかりに、「私は......」と桜子が呟いた。


「私は、雨宮さんに、こんな、人間のこと、忘れて。そう、言った。なのに、あの人は、私たちを、繋ぎ止める、ことを、諦め、ないで、ずっと、私たちの、こと、考えて、くれてッ......」

「ほんとにな。あいつ、本当に突飛な行動しすぎだろ。何なんだよ。俺たち繋ぎ止めて守るために一人一人気絶させてここまで運ぶなんざ、どんだけ面倒臭いことしてんだよ。俺なら御免だわ。あんな何考えてるのかわからない顔して、どんだけオレたちのこと大事にしてたんだよ。だって、オレなんて......」


 そこで口をつぐんだ空は、不意に林太郎たちの方を振り返るとガバッと頭を下げた。三人は突然のことに思わず身を引いたが、出てきた空の言葉に目をみはった。


「悪かった。怒りに任せてかなりひどいこと言った。許さなくていい。ただ、俺が心底後悔していることはわかってほしい」

「そんなの! 私の、方こそ、叩いて、ごめんなさい......!」


 慌てて頭を下げ返す桜子を目を丸くして見つめる林太郎。そこへ「林太郎」と声をかけられ、顔を上げる。陽介が林太郎を見つめて寂しげに微笑んでいた。


「おまえを裏切るような形になってしまったけど、俺も桜子も、決して林太郎を捨てたつもりはない。ただやっぱり考えを変えるつもりはない。紆余曲折あったけど、俺はこの人たちを信じてもいいと思う。おまえは、それでもまだ怖いか?」


 そう問われた林太郎は小さく口を開いて閉じた。一度ギュッと口を引き締め、――力強く。


「正直、まだ少し怖い、けど......ここで素直にならないと後悔するって、知ったんだ、オレ」


 その瞳にだんだんと輝きが灯ってくる。諦めの消えた証だ。林太郎は一度キュッと口を引き締めると、「本当に悪かった!!」とはっきりした声で全員に頭を下げた。


「薄々あんたらのこと、信じてもいいかもと思っていたのに、裏切られるのが怖くて素直になれなかった! それどころかオレがこの関係をめちゃくちゃに掻き乱してこんなことになった! オレ、自分のことしか考えていなくてッ......傷つく、怖さを知っていた、のに、オレのッ、身勝手さであんたらをッ......」


 そこで鼻を鳴らすと「悪かった」ともう一度嗚咽交じりの声で謝る。そして林太郎は、「......でも、もしも叶うのなら」と顔を上げて一筋の涙を流し、――縋った。


「オレにもッ......あんたらを信頼することを、許してほしい」


 ハッと息を呑んだ梓が、林太郎に歩み寄った。その肩に手を置き、反対の手で林太郎のメガネを外して手の甲で涙を拭う。林太郎には梓の行動の意図が読めない。


「あの......」

「なあ、オレたち本当に怜さんに感謝しなきゃいけないよな。オレたち、あのまま離れ離れになっていたら心が死んで、もう二度と泣くこともできなかったかもしれないよな」


 メガネをかけなおされ、涙も拭われたことで視界も明瞭になる。林太郎の視界に――ぐしゃぐしゃの顔で笑う梓が映った。せっかくの美人が台無しになるくらい、梓は恥も醜聞もなく涙を垂れ流していた。


「く、工藤さん......」

「信頼することを許してって、なんだよ......」


 ガバリと梓は林太郎に抱きついた。


「バカッ、言ったじゃねえかぁッ......!! オレたち、互いの傷を理解できる仲間だってぇッ......!! う゛......う゛わ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん゛!! や゛っ゛ど信じでぐれ゛だァ゛!! や゛っ゛ど手を゛伸ばぜだァ゛ッ!!」


 年甲斐もなくわんわん泣く梓。ボロボロこぼれた透明が林太郎の肩口を温く濡らして、最早半分何言っているのかわからない状態で、


「............困るん、ですよ、そんなに泣かれても。どうしたらいいのか、わからないのに......だって、そんなッ......オレたちのためにここまで泣く馬鹿、いなかったッ......!!!」


 それでも、届いた。

 その胸にしがみついて嗚咽を上げた。それを見た陽介と桜子がつられて泣き笑いし、林太郎を抱きしめにいく。落ちていく四人分の雪解け水が地面で一つになった。

 このとき、たしかに人の心は変わった。傷が癒えたわけではないけれど、少なくともここにいる全員が仲間となり、「孤独」が消えた瞬間となった。――誰かを想った一人の行動が報われた瞬間でもあった。

 だが当人が報われたと知るには、誰かがそのことを教えなければならない。空の方を見ると、彼はこちらをしっかり見つめ、口元に笑みを浮かべた。


「伝えにいこうぜ、あいつに」


 恒輔は頷き、白のブレスレットを力強く握りしめると、「みんな」と真剣な表情で声をかけた。


「オレも本当は人の心に寄り添えへん人間やった。心に触れられるんが怖くて、ずっと独りやった。......けど、それももう終いにする。ここにいる全員、怜も含めて今かられっきとした仲間や。もう誰も、独りやない」


 「そういうわけで、勝手に突っ走っとる仲間を迎えに行こか」と笑顔で宣言すれば、全員から笑顔で頷きが返ってくる。――行動開始の合図だ。


「他人を大型アップデートしたお礼は、きっちり言わせてもらわな気が済まんよ、怜」





 炎天下の屋上にて、二人の人間が対峙していた。一人は毅然とした様子で相手を見据え、もう一人は背後のフェンスに背を張りつける形で相手から距離を取っている。力の差は明確だった。


「はんっ、脳筋にしては、頭が回るようじゃないか。雨宮怜、だったか? よく俺の存在とここにいることがわかったな」

「君の存在は君を慕っている彼らから聞いた。場所は勘だけど。俺も君のことは聞いているよ。阿賀野大聖くん、だっけ? 空さんたちがそう言っていたの、今思い出したよ。彼らはもう忘れていると思うけど」

「相変わらず失礼なやつらだなおい!」

「それよりも建設的な話をしよう。俺は君と話し合いをしに来たんだ」


 話し合いと聞き、大聖が怪訝な顔をする。


「何だ、訊きたいことがあるんじゃないのか? すぐに話し合いとは随分性急だな」

「さっきも言ったけど、今回の背景は大体聞いたから。それに、正直君たちの目的とかはどうだっていい。俺が君に求めるのは一つだけ」


 スッと目を細め、怜は告げた。


「どんな形であれ、二度とみんなに手出ししないで」

「断る。おまえ以外の六人を殺すことが俺の任務だからな」


 即答する大聖。この時点で、互いの取るべき手段は決まった。


 ――心を捨てよう。どんな方法を取ることになっても、結末だけは変えてはならない。


 低く腰を下ろし、四つん這いに近い体勢を取る怜。相手も自分が何を考えているのか理解したようだ。


「俺を負かして望みを誓わせるという魂胆か。策とも呼べないお粗末なものだが、まあわかりやすい話だ。さて、シナリオどおりにいけばいいがなァ?」


 挑発の言葉は意に介さず、怜は地面を蹴ると大聖に肉迫した。まずは怯ませるために一発、拳を握って振り下ろす。果たしてその動きが大聖に見えていたのか――彼はニヤリと笑うと声を張り上げた。


「出番だ、出てこい!!」


 刹那、頭上に飛び出した影が太陽を遮る。怜は本能に従って急ブレーキをかけると、そのまま半歩下がって降ってきた影を左へ蹴り飛ばした。だが、その蹴った物体の想像以上の軽さに目を丸くする。

 影は壁にぶつかると、ぺしょっと地面に落ちた。黒い毛玉のような物体はしばらくもそもそとうごめいていたかと思えば、急にくるっと起き上がり、短い四つ足でしゃんと立ってみせた。黒い身体に黄色い目。ここに来てから何度か見た姿。だが今回のそれは......どう見ても、小さなポメラニアンの形をしていた。

 尻尾と思われる短い部分をブンブン振ってこちらを見つめるバグ霊ポメラニアン。何とも言えない――強いて言うなら愛らしい――姿にしばし無言になってしまった両者だが、先に我に返った大聖が叫んだ。


「って馬鹿かーッッ!!! その姿のままだと簡単に倒されるに決まってるだろ!! ほら、さっさと変身して目の前のこいつを倒せ!! ただし殺すなよ!! おまえの真価、見せてやれ!!」


 何とも気の抜けた感じではあるが、それはたしかに「命令」だった。

 ポメラニアンの雰囲気が変わる。吹いた風とともに毛を逆立たせ、グググと歯茎が見えるほどに口を広げていく。その口が、音もなく吠えた。グンッッと急激に手足の長さが変化する。長く逞しい手足にいつのまにか太い爪が生え、身体の大きさも高さ三メートルほどにまで一瞬で膨れ上がった。ふわふわの毛は首回りにだけ残され、獰猛な牙が怜に向かって開く。変化したその姿は、まさに百獣の王。

 想像以上の変化にさすがの怜も呆然としてしまう。だがそれは今この場においては命取りだ。

 ダッと駆け出した犬型のバグ霊が手を振り上げ、怜を狙う。コンマ数秒の判断で前へ飛び出した怜の背後で、コンクリートの欠片が散り散りに弾け飛んだ。

 こんなの、まともに相手できない。そう考えた怜はそのまま走り抜け、入り口から校舎の中へ逃げた。あの大きさならこの中へ入ってこれないはずだ。籠城戦のような形になるが、そこで一度態勢をを整えて――


「残念だな、籠城戦はこいつには通用しない。まったく、こんな完璧な化物を見つけられてしまう俺の才能が恐ろしい」


 「そのままやつを追いかけろ」と大聖が命令すると、犬型は屋上の入口目がけて走り出す。その巨躯が邪魔して通り抜けられないかと思われた犬型は、しかし引っかかる直前、その身体が溶けた・・・。サラサラ流れて黒い砂となった頭部を先頭に順に身体が粒子となって分散し、狭い入口に流れ込んだ。

 振り返った怜は、その粒子が通り抜けた箇所から元の形に戻っていくのを見た。そして手が形成され、視界いっぱいに広がる、真っ黒な爪の――





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