34「天気雨」

「黒幕は連中を従えるにあたって、おそらく『報酬』にあたるものは絶対に用意しとったはず」

「ええ、オレたち六人を殺せば、この世界で安全に暮らす約束がされていたようです。反面、あの人には一切手を出すなとも。......黒幕は二人いて、一人はここのどこかにいるらしいです。ねえ、オレの予想が間違ってないのなら、オレたちは一度そいつに会っていますね?」

「ああ、そこでそいつの『力』が『怜に一切手を出すな』っちゅールールの罰に運用できる。......バグ霊を従える力を前にすれば、逆らおうとは思わへんやろな」


 廊下を疾走しながら答え合わせをする恒輔と林太郎。先頭を空と桜子が務め、後ろに梓とニャー太を抱いた陽介がついている。

 恒輔の確信に満ちたその言葉に、「てことは!?」と梓が声を上げる。


「黒幕の正体はあの家で会った金髪!?」

「そうか、ここに欠片が隠されているから、俺たちが来ることを見込んで......目的は、俺たちへの報復? でもだったら、どうして雨宮さんだけ......」

「わからん。それにはもう一人の黒幕が関係してくるかもしれん。そっちはわからんが......とにかくこれが、今回ここで起きたことの全貌になる」


 予想外の背景に一同は何も言えず動揺するばかりだった。そこへ桜子が震えた声で最悪の可能性を語る。


「なら......雨宮さん、は、私たちを、守る、ために、バグ霊と、戦おうと、している、ということ? 欠片も、なしに? それって、相討ち、覚悟で、雨宮、さんは......」

「怜はきっとそのつもりやろな。......けど」


 「させへん」と、恒輔は固い決意を表す声で言いきった。


「そんなエンディング、オレが絶対に許さんよ」

「俺たちが、だろ」


 空が前を向いたまま間髪入れずに挟む。それに一瞬目を丸くするが、ややあって笑い返し、「そうでしたわ」ととぼけてみせる。ふっと笑った空は、すぐに真剣な表情に戻した。


「で? 本当に目的地は合ってんのか?」

「あの低偏差値連中に自分の居場所なんて教えたら、うっかりオレたちにこぼしかねない。かといって校舎内に隠れていたら中を歩き回っているオレたちや連中に出くわしてしまう。そうなると黒幕が隠れる場所は限られてきます」

「オレらが逃げてこない場所はどこや? 上や。上へいけば追い詰められてまうからな。そして追いかける連中もそっちへ向かわんくなる。究極、最も人がいひん可能性の高い場所は一つ」

「「屋上や(だ)」」


 解答を聞いた空と桜子は頷き合い、階段を駆け上がる。本当かどうか疑うまでもない。信頼できる仲間の答えだから、信じるのみ。

 四階へ続く階段を走り、一気に屋上まで到達してしまおうとしたときだった。すぐ真上から耳が潰れかけるほどの破壊音が響いた。その音は激しい揺れも伴い、恒輔たちは咄嗟に頭を抱えて身を屈める。パラパラと小さな瓦礫が頭上に降ってくるのを感じた。


「ちょっ、なになになに!? 地震!? このタイミングで!?」

「ンなわけないでしょう!! これは――」


 林太郎が何か言いかけたタイミングで、ダンッダンッと力強い着地の足音がすぐ頭上で聞こえた。顔を上げた彼らは音の正体とばっちり目が合った。


 目を見開いた怜の顔が、手の届く距離にあった。





「......」

「......」

「......」

「......あのですね」

「何?」

「あんたはハシビロコウか何かですか。目線ぐらい動かしてくださいよ」


 「ババがどれかわかんないじゃないですか」と思いっきり不満げに愚痴垂れる林太郎。入った家で見つけたウノを梓の完敗にて終えた後、その彼の提案でもともと拠点にあったトランプでババ抜きを行っていた。


「いけー、怜さん! そいつをぎゃふんと言わせちゃってください!」

「り、林......頑張って......! 負けない、で......!」

「そうだそうだ、おまえがババを引くかどうかで俺の勝敗が決まるんだぞ」

「おーおー、熾烈を極める戦いやな。オレらは抜けた側やから、高見の見物やなー」

「は、はあ......」

「外野黙っててくれませんかね? 陽介と桜以外」


 「てかほんと、ババどれですか。せめて目を動かしてくださいよ」と舌打ちしてくるが、そう言われてもこれはババを持ったままだと負けるゲームだ。教えてしまえば意味がない。彼が言っているのは大分横暴なことである。

 目線を動かせって言われてもと、少し首を傾げて試しにあるカードに目を向ける。それが決め手となったのか、林太郎が自分が目を向けたのとは別のカードをスッと抜いた。


「そうそう、そんな感じです。不気味な顔で相手を待たず、最初から素直にカードの場所を教えてくださいね」


 にっこり笑われてそう言われるがよかったのだろうか。林太郎が今引いたカードが、ババだったのだが。

 その後結局怜は抜けて、あとはそれ以外の戦いとなった。楽しそうにカードを選び、ときに難しい表情を見せ、ときに悲鳴を上げて、悔しがって、怒って、笑って。


「怜」


 振り向けば、恒輔が優しく微笑んでいた。


「今、楽しいか?」


 そのときはまだ感情に興味を抱いたぐらいで、このときの自分が楽しいと感じていたのかどうかはわからなかったから答えられなかった。けれどきっと、手放しがたいものだと感じていた。こうして覚えているくらいには、それが自分の心に根を生やすくらいには。

 この空間せかいが続くのなら、ここを守り続けようと思った。





 そんな刹那の走馬灯が見えた気がした。意識も身体も浮遊していた怜は、スローモーションに似た一種の非現実的な状態で状況を把握した。

 どうやら自分は瞬時の判断で手すりを乗り越えることで爪をかわし、そのまま向こう側へ飛び込んだようだ。恵まれた反射神経がなければ今頃ヘドロになっていたかもしれない。だがこれは、あくまで一度生き延びたに過ぎなかった。

 スローモーションから解放された怜は一度階段上に着地するとすぐに跳び上がり、下へ続く階段の手すりへ力強く乗り上がった。そのまま下へ向かい、外へ向かう算段だった。


「――ッ」


 だが怜はそこで思わず固まった。下へ続く階段、広がる視界。もう二度と会うことがないと思っていた六つの顔があった。想定外の光景に目を見開く怜。彼らもまたこちらを見上げ、突如現れた怜に驚愕していた。

 六人、一緒にいる。仲直りしてくれたのかどうかはわからない。けれど、それでいい。一緒にいる選択をしてくれるだけでもよかった。それだけで、自分がこうして体を張る意味がある。


「おいどこだ、どこに消えたッ!! というかあの距離で避けるか普通!?」


 だから、そのまま俺のことは忘れて生きて。

 頭上から聞こえる大聖の声に反応し、怜はすぐに方向転換した。手すりから離れて廊下側へ足を着けると、わざと足音を立てて一直線に走った。視界の端に見えた、こちらに手を伸ばす恒輔の姿は見えなかったフリをして。

 「そっちか!!」という声とともに風圧が迫ってくるのを感じた。チラリと背後を見れば、大聖を背に乗せた犬型が牙を剥いて追いかけてきているところだった。階段の陰にいた六人は気づかれずに済んだようだ。大聖に向かって声を張り上げる。


「ねえ、よかったの? 俺に手を出すなって指示、君も受けていたんじゃないの?」

「あいにく、俺は傷つけることは許されているんでな。いざというときは無力化しろとのお達しだ。――そういうわけで、そろそろこの無益な鬼ごっこは終わりにしようか」


 渡り廊下に続く角に差しかかったときだった。ヒュッと風を切って飛んできた何かが曲がり角の壁にぶつかる。それが何かを認識するより先に、今まさに角を曲がろうとした怜の目の前で、キャランッと甲高い音を立てて弾け――視界のあちこちに割れたガラスが散らばった。

 思わぬ不意打ちだったが、咄嗟に腕を犠牲にすることで顔を守ることはできた。鋭いものに引っ掻かれる感覚が腕に走るが大したものではない。

 相手の目的が攻撃ではないと気づいたのは、その一瞬後のことだった。


「反射神経の良いやつにその程度、こけおどしにしかならないのはわかっている。だが、足が止まったその一瞬で十分だ」


 振り返る間もなかった。

 トラックに突っ込まれたと錯覚するほどの衝撃が怜の身体を吹き飛ばす。半身がひしゃげたような感覚を味わいながら宙を舞い、受け身も取れないまま一度床に叩きつけられる。そのままバウンドした身体がゴロゴロ転がり、うつ伏せになったところで止まった。


 ――......あれ、俺、今どうなった? なんだろ、身体の半分が、何か変だ。感覚が、俺のものじゃないみたい......。


 どうにか立ち上がろうと手のひらを地面に押しつけ......だが左手が言うことをきかず、崩れ落ちた。無理に身体を動かしたせいか口の中が鉄錆味の液体で満たされ、勢いよくそれが吐き出される。べちゃべちゃっと黒く混じった赤色が目の前で池となった。喉も鼻もツンとした臭いで満たされて煩わしい。やけに量が多いと思えば、どうやら頭からも垂れていたらしい。左半分の景色は真っ赤で、そのくせ感覚が麻痺してしまったのか何も感じない。


「......化物の一撃を食らってまだ動けることに驚きだが、これで一応の溜飲は下がったな」


 犬型の背から降り、忌々しげに顔を歪める大聖の背後から、バタバタバタッと慌ただしい足音がなだれ込んできた。


「怜ッ!!」


 呼ばれ慣れた名前が叫ばれる。ああ、来ちゃったんだ。そのまま逃げてほしかったのに。

 どうにか首だけ気怠そうに右へ動かす。犬型のせいで廊下の空間をほとんど塞がれてしまっていたが、それでも怜はたしかに見た。その背後で細い目を限界まで見開き、怜を凝視する恒輔の姿を。


「怜ッッ!!!」

「雨宮さんッッ!!!」


 駆け寄ろうとする彼らを大聖と犬型が阻む。


「......おいどけよ、ビビり。そんな化物に頼らねえと足腰立たねえくせに」

「その化物に手も足も出ないのはどこのどいつだったかな? まあ案ずるな。俺はもうあいつには手を出さない。これ以上やれば死んでしまうからな」


 「それよりも」と、大聖は歪ながらも優越感に浸った嗤いを見せた。その表情に嫌でも大聖の考えていることを理解した恒輔たちは身構えた。


「わざわざこちらから出向いてくれて助かったよ。おかげで探す手間が省けた。......逃げていればむざむざ殺されることもなかったものを。ほんと、馬鹿は救われないな」

「何とでも言えよ。オレたちを繋ぎ止めてくれた存在を見捨てるぐらいなら、オレたちはバカのままでいたい」


 常にポジティヴで明るい梓がその容姿に見合わない低い声できっぱりと言い切り、爛々とした鋭い目つきで大聖を睨みつける。それに続いて一人、二人と鋭く睨んできたため、気圧された大聖がぶわっと鳥肌を立たせて短く悲鳴を上げ、犬型の足にそそくさと隠れた。

 怜は、六人の周囲に赤い色がまとわりつきながら浮かんでいるのが見えた。赤く、赤く、燃え上がるそれは......けれど不思議と不穏なものには思えなかった。

 あれは怒りの赤だ。彼らは怒っている。大聖に対して、激しい怒りを抱えている。


 ――他ならぬ、大事な存在を傷つけられたから。


「......なんで」


 身体を支える右腕が震えているせいか、声も震えていた。

 見捨てたってよかったのに。俺は死ぬつもりでいて、みんなが逃げて居場所を見つけられるのならそれでよくて......だって、俺、まだ何も返せていない。人間になれていない。居場所にもなれていない。みんなのこと何もわかってなくて、俺の存在そのものがみんなを傷つけていたのかもしれないのに。




 それでもみんなは、俺を仲間だと思ってくれているの?

 傷つけられたら怒るほどに、俺を大切に想ってくれているの?




 目の奥が急激に熱を上げる。炎の赤は怜にとっては陽光だった。眺め続けているうちにじわりと温かく目が溶けていく。その目が空を映すのなら、流れ落ちようとしているものは天気雨と呼ぶのだろう。降らしてしまおうと思った。きっとこの雨が、自分の変化の証になるものだから――



「感動のクライマックスに水を差してすいませーん。あ、ちょっと痛いけど平気だよなー?」



 ――右足が、異物に貫かれる感触を味わった。体中から熱が引いて冷えていく――その熱が、右足に全集中した。


「ッ......!!」

「おーおー、すげえなアンタ。驚きはしても痛いよーって泣かねえんだな。見えるか? 今アンタの右足、ずっぷりと刺されてるんだぜ」


 頭を掴まれそうになり、それを振り払って顔を上げた。ツンツン尖った茶髪に大量のピアスをつけた男がおぞましい笑みでこちらを見下ろしていた。見覚えがある。最初に襲ってきたときに先頭にいた、リーダー格の男だった。


「おまえら、なんでここに、ヒィッ!?」

「おうボス、じゃなくて坊ちゃん、これの切れ味を知らないままでいたいなら、そこの化物を無力化してくれや」

「オラテメェらも動くな動くなーッ!!」


 曲がり角の陰から、階段上から、いろんな場所から連中がぞろぞろと現れだした。大聖はナイフで脅されて犬型を元のポメラニアンに戻している。恒輔たちの背後から現れた連中が凶器を突きつけて恒輔たちの身動きを封じている。

 何が起こっているのか、血を流しまくった頭では理解できなかった。恒輔たちを助けようともがくが、足に食い込んでいるナイフを別の男が強く押し込んでいるために動けない。ズブブと沈んでいくナイフが傷口を広げ、マグマと氷を混ぜ合わせたような気持ち悪さが身体中に伝播する。怜は初めて痛みというものを感じた。


「うあッ......がッ......」

「おいおい、そんな小指をタンスにぶつけたような顔じゃあ緊迫感が出ねえだろ」

「仕方ねえよ。こいつだって化物みたいなモンなんだからよ。さて、じゃあ――」


 リーダーは大股で歩き、ナイフで脅されて両手を上げて「?」マークを飛ばしている大聖にグイッと顔を近づけた。


「謀反といかせてもらおうじゃねえか、ボス」



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