25「傷つけ合い」

「......よし、点呼をとるぞ。梓」

「はいっ」

「恒輔」

「おりますよ」

「林太郎」

「何でこんなガキ臭いこと......」

「陽介」

「はい」

「桜子」

「は、はい......」

「......全員、いるな?」


 再度確認し、空が薄暗い空間の中で各々の顔を見渡した。倉庫中、詰め込まれた物を倒さないよう、彼らは息を潜めて隠れていた。


「陽介は大丈夫か? あいつら、容赦なく石を投げてきやがって……」

「掠ったぐらいなので大丈夫です。それに、どうせ明日になれば治るので」


 気遣う空に微笑む陽介だが、その頬からは血が今も流れている。紫のカーディガンの袖は、何度も血を拭ったために赤く染まっていた。梓が視界に入れないよう必死に逆方向へ意識を向けていた。


「これ、完全にオレたちを殺すつもりで投げてきてましたよね? 頭の方に飛んできましたもん。誰も死ななくて良かったですよ、ほんと」

「向こうも追いかけながらだったから、コントロールが悪かったのかもな。しかし、また振り出しに戻っちまったな」

「こうなると怜も美術室から離れてしまっとるかもしれません。しらみつぶしか、けど下手したらすれ違いも……」


 言葉を途切れさせ、扉の方を見やる。結局こうして逃げている途中にも、怜と再会することはなかった。恒輔の中に嫌な予感が芽生える。


 ――まさか、やられてしまったんやないやろな、怜。


 その考えを頭を振って打ち消した。怜があんな雑魚に負けるわけがない。彼のことだ、きっとどこか寄り道しているのだろう。

 そう自身に言い聞かせていると、近くから梓と陽介の会話が聞こえた。


「陽介、ごめんな。オレが庇えば、おまえが怪我することなかったのに」

「何言ってるんですか! それだと工藤さんが怪我することになります。変わらないじゃないですか」


 驚き、頬の傷を手で隠しつつ咄嗟にそう返す陽介。だが梓の気はそれだけでは済まないようで、できる限り陽介の血を見ないようにしながら話した。


「それはそうなんだけど、でも、それでも誰かが傷つけられるのは嫌なんだよ。......ごめん、ただの自己満足だってのはわかってる。だけど、オレが代わりになればって思わずにいられないんだよ」

「ハッ、自分が怪我したら発狂するくせに、よくもまあそんな聖人じみたことが言えますね」 


 嘲る声に、梓がバッとそちらを見る。倉庫隅の重ねられたマットに腰かけていた林太郎は、呆れと軽蔑の入り混じった瞳で梓を射抜いていた。


「自分が代わりになれば? 美しい自己犠牲ってやつですか。陽介みたいな善人には効果的ですが、世の中そんな人ばかりじゃないですからねえ。何でもかんでもそれで付け入ろうとするの、おすすめしませんよ」

「違う! オレは......」

「林太郎ッ!」


 梓が反論する前に、陽介が鋭く怒声を飛ばす。怒った陽介を初めて見た面々は目を丸くして彼を見た。

 陽介が林太郎の前に回る。


「俺が宇佐美さんたちを信用しだしたのが気に入らないのはわかる。最近までおまえと同じ姿勢を貫いていたのに、都合がいいとか思うだろうな。だけどそれを工藤さんに向けるのは間違っているだろう!」

「半分勘違いしている。おまえが気に入らないのは確かだが、さっきの工藤さんの発言が気に食わなかったのも本当のことだぞ」


 林太郎は立ち上がると、陽介の顔を見上げて睨んだ。


「忘れたのかよ? 自分は味方だから、守るからと口にしたやつは、もれなく全員敵だっただろ。ああ、違うか。おまえだけはいつもオレと桜を守ってくれた。......目を覚ませよ。おまえが信じるようになったのは、雨宮さん一人だけのはずだ。他のやつらまで信じる必要ないだろ」

「だけど、その雨宮さんは他の人たちを信頼している。その中には俺たちだって含まれている。信頼されているからには、それに歩み寄りを見せなきゃ何も変わらないだろ!」

「変わらなくたっていいんだよ! 変わった先に希望があるかなんてわからないだろ! このままで何とかなるなら、それが一番良いに決まってる!」

「このままで何とかなるなんて、そんなわけないだろ! 何とかならなかったから俺たちは――」


 そこまで言いかけて、陽介が口を噤んだ。林太郎を見つめる瞳には、哀れとももどかしいともとれる感情が宿っていた。


「林太郎......どうしてそこまで頑なになるんだ。このままだとやっていけないのは、おまえだってわかっているはずだろ......」


 陽介がそう呟いたきり、倉庫内は完全に静まり返った。もともと薄暗かった空間にさらに影が差したような気がした。


 ――いやいや、気持ちはわからんでもないけど、こんなときに仲間割れじみた状態になるんはマズイやろ。


 恒輔は一抹の不安を覚え、どうしたものかと思案する。今ここで下手に口を挟もうものなら、爆発までとはいかずとも火種になる可能性がある。このときばかりは思ったことを容赦なく口にする怜がいなくて良かった。恒輔は内心で息を吐く。だんまりもアレなので、今後について話し合おうと口を開きかける。


「梓は何も、付け入るつもりでそんなこと言ったんじゃねえと思うぞ」


 そう言ったのは、意外な人で。恒輔はわずかに瞠目してその人を見た。


「空さん......?」

「何ですか、説教のつもりですか?」


 誰に向かって言われた言葉なのかは明白で、うんざりとした様子で林太郎が振り向く。空は構うことなく、あくまで平坦に凪いだ声で紡ぐ。


「互いに出会ってからまだ数日しか経ってねえ。そんな短い期間で信用しろというのも無理な話だ。けど、それでも俺たちはほとんど四六時中一緒にいた。楽しいときも、危険なときも。それだけ一緒に過ごしたんだ。相手のことが何一つわからねえなんて言うほど、おまえも馬鹿じゃねえだろ」


 そこで空は梓の腕を掴むと、グイッと引っ張って彼を林太郎の前に押し出した。林太郎は急接近してきた梓に驚き、反射で後退していた。突然のことに目を白黒させる梓の頭に、空がポンと手を乗せる。


「こいつは、怜ががそう言うならと不法侵入してきたやつらを許し、あまつさえ仲間として受け入れてしまうようなお人好しだ。そしてそんなやつらを何かと気にかけ、自分が代わりになれたらと本気で考えているような馬鹿だ。その馬鹿さ加減を、おまえも身をもって感じたはずだ。......おまえ、本当はわかってんじゃねえのか?」

「そんなことよりもバカバカ言い過ぎですよ! オレ、そこまでバカじゃないですから!」


 喚く梓を無視し、「どうなんだ」と問う空。林太郎を捉える視線は逸らされない。

 林太郎は、言葉に詰まっているようだった。何か言おうと口を開いては閉じるを繰り返し、どこか呼吸を求めているように苦しそうだ。表情は苦悶に満ち溢れており、暗がりの中でもわかるほどに拳が強く握り締められている。

 揺れている、迷っている。そんな林太郎の内面に恒輔は気がついた。林太郎は、本当はわかっているのだ。自分たちを害する人がこの場にいないことを、この数日でわかっているのだ。ただ、何かしらの理由が――いっそ強迫観念に近い何かが、身を委ねることを拒んでいる。だから――


「......どいつもこいつも、何をわかった気になってるんでしょうねえ」


 伸ばされた手を、振り払うしかない。


「褒めて、助けて、受け入れて。そうすれば簡単に絆されると思いました? そう考えているのなら、期待に応えられなくてすみません。オレは陽介や桜ほど清く正しい心は持ってないんですよ」


 林太郎は礼儀正しくニコッと笑い、あっさりと言った。


「なので、オレはもう離脱しますね。今までありがとうございました。陽介と桜をよろしくお願いします」


 唖然とする一同をよそに、林太郎は扉の前まで歩み寄る。一番に我に返ったのは梓だった。


「って待て待て待て待て!! 本気で言ってんのかおまえ!?」


 取っ手に伸ばした林太郎の手を掴み、必死の形相で林太郎と扉の間に割り込む。だが林太郎は首を傾げるばかりだ。


「何をそんなに慌てているんですか。最初に言ったはずですよ、この三日間はお試しだって。まあ少々フライングしてしまっていますが、このままいてもオレの選ぶものは変わらないと思うんで」

「だから一人で行くのかよ!? そんなの止めないわけないだろ!! 今外にはオレたちの命を狙っているやつらがいるんだぞ!!」

「この期に及んで心配してくれるんですか? お優しいことで。別に野垂れ死んでももう仲間じゃないんですから、気にしなくたっていいんですよ?」


 林太郎は皮肉気に笑うが、最後の一言が梓の感情を爆発させた。

 林太郎の胸倉を掴む。ほぼゼロ距離まで顔を近づけて力いっぱい叫んだ。


「仲間じゃない? ふざけんなよ、互いの傷を理解できるのはオレたちしかいないだろーがッ!!!」


 その咆哮、よりも言葉の意味に、何人かが目を伏せる。この場にいる全員が何かしらの傷を刻まれていることは、昨日の時点で判明していた。

 けれど林太郎は梓の腹を思いきり蹴り上げることで拒絶した。空が目を見開く。梓は腹を押さえてよろめき、ショックを受けた表情で林太郎を見た。そんな梓に向かって林太郎も声を荒げた。


「理解できるから、何? そうやって傷を舐め合って群れていこうってか? ンなの弱者がすることじゃねえかッ!! オレたちは弱者だから三人で群れていたわけじゃねえ、互いの強さを知っていたから背中を預けられたんだよッ!! あんたらと同じ弱者に成り下がるなんて耐えられるかよッ!! 無意味な・・・・馴れ合いはよそでやれッ!!」


 「ああ、そうかよ」とすかさず空が吐き捨てた。


「こうやって互いに協力してきたことを無意味だと思っていたなら、好きなところへ行けばいいじゃねえか。ま、三人固まっても傷まみれにされていたやつらが一人で行動し始めたところで、速攻でバグ霊に喰われて終いだろうがな」


 皮肉のたっぷり込められた声音は林太郎を諭そうとしたときとは真逆で、誰が見ても悪意が混じっているとしか思えない物言いだった。

 その言葉を聞いた林太郎が標的を空に変える。歯を剥き出しにして殴りかかるが、それより先に飛び込んできた桜子が悲痛と怒りの表情で空に平手をかました。破裂音が倉庫内に響く。


「たしかに、林太郎は、さすがに、言い過ぎた。でも、互いの、傷を、理解、できるのなら、それが、相手を、傷つける、言葉だって、わかってる、はず! あなたが、そんなことを、言う人だなんて、思わなかった!」

「ああそうかよ。俺も、おまえがそんな暴力を振るうようなやつだなんて思わなかったよ。......おまえらなんて、拾わない方がよかったかもな」


 鼻で笑うと同時に言い放たれた言葉に、桜子は目を吊り上げてわかりやすく激昂した。


「私たちは、拾われた、覚えなんて、ないッ!!」

「何でそんな言い方するんですか、空さん!! 拾うって、そんな物みたいに!!」

「ハッ! あんた、この期に及んで仲間でも何でもないやつのために怒るのかよ。偽善者もここまで来るといっそ感心できるレベルだな!」


 「林太郎!!」と声を荒げた陽介が彼に近づこうとする。それまで思考が追いついていなかった恒輔が、ここでようやく動くことができた。急いで陽介を全力で羽交い絞めする。


「離してくださいよ、宇佐美さん!」

「自分まで暴走してどないすんねん!! ってかみんないっぺん落ち着きや!! 林太郎はもう喋るな!! 空さんも、梓くんも、桜子ちゃんも!! みんないろいろ抉られて自分を見失っとるだけや!!」

「逆に宇佐美さんは、ここまであいつに好き勝手言われてどうして黙ってられるんですか!! あいつは、林太郎は火種を撒き過ぎた!! 自分が傷つけられたからって他人の心に爪を立てるような行為が許されるはずがない!!」

「よくもまあかつての仲間をそこまで悪人に仕立て上げられるなあ!! たしかに最初に火種を撒いたのも爪を立てたのもオレだ。けど、その後に続くようにして同じことを繰り返したのは誰だと思ってんだ!!」

「林太郎!! ちょお黙れ!!」

「おいおい、意外だな? 何を言ってもやっても他人の心を響かせられねえやつの言葉におまえは傷ついたのか? 想像以上に繊細だ。壊されないよう誰かが守ってやらなきゃいけねえなぁ?」

「空さんわざとそういう言葉使ってるだろ!! あんた、自分の言葉一つでオレたちのこれまでを全部否定してることに気づいてねえのかよ!!」

「梓くん!!」

「ああ? もう一度言ってみろよ、梓」

「何度でも言ってやるよ!! 林太郎が今まで協力してきたことを無意味だと思っているとあんたは考えているようだけど!! 今ここで!! オレたちの積み上げてきた絆をめちゃくちゃにして、無意味なものにしようとしてるのはあんただよッ!!」

「ッ......てめえ、梓ァ!!」

「あかんって!! 空さん!! 梓くんッ!!」


 一度爆発すれば炎が広がるのは早い。最早広がった炎を鎮火させるのは不可能だった。

 思わず二人を止めようと陽介から離れて割り込む恒輔だが、空に振り払われて少し離れた場所に倒れこんでしまう。


「っつう......」


 何とか起き上がり、ふと横を見れば頭を抱えてうずくまっている桜子の姿があった。肩がときどき震えて痙攣していることから、泣いているようだ。そりゃそうだ、こんな恐ろしい光景を見せられたら、怒りよりも恐怖が勝るだろう。


「桜子ちゃん、大丈夫か――」

「も、もう、嫌ッ......!! どうして、こうなったの? 感情が、傷が、あるからッ......? 雨宮さんがッ、羨ましいよぉッ......!!」


 その一言に喧騒が止んだ。「え......?」と困惑した様子で呟く恒輔の傍で、「たしかに」と陽介が同意した。


「雨宮さんは、いいですよね。記憶も感情もないから、何にも苦しめられない」

「......陽介くん? 何、言ってるんや......?」


 そんなはずない。怜は少しずつ記憶と感情を取り戻し始めている。感情を取り戻すことに彼なりに悩んでいることも知っている。そのことを知らずとも、怜が何にも苦しんでいないなんて、そんなこと本気で――


「......あー、たしかに羨ましいよな。こんなこと考えるのは良くないんだろうけど、怜さんみたいになれたら、泣くのを堪えながら笑うなんて大変なこと、しなくて済むんだろうな」

「他人の傷を理解できないのは考えモンだけど、逆に言えばそれで自分まで感化されることがねえもんな」

「あ、梓、くん? 空さん? それ、本気で言っとるわけ、あらへんよな?」

「いや、本音だろ。あの人がオレたちの傷を理解できないのは本当なんだから」


 思考が、全部真っ白に焼き切れた。仲間の言葉に信じられない思いでいっぱいの恒輔に、林太郎の言葉が追い打ちをかけた。


「感情がないくせにオレたちの居場所になるなんて豪語して、けれど忌々しい記憶は残らず消え去っていて、悲しみや苦しみに掻き乱される心もない。互いの傷を理解できることが仲間の条件なら、あの人は最初から仲間じゃなかったってことだろ。......だって、何を言ったって、ただ一人苦しみから逃れたやつに理解できることなんて、何もねえんだから」


 気づけば、拳を林太郎に向かって振り下ろした。空気が震え、周りが目を剥いた。

 もう、どうなったっていい。全部めちゃくちゃにしてしまいたい。それで傷つけて傷つけられて、全て元に戻らなくなったとしても。

 だが振り下ろした拳は、別の手によってぱしっと力強く受け止められた。受け止めた相手を見て、恒輔は細い目を見開いた。


「こんなところで騒いでいたら、すぐに見つかって袋小路だよ。再会できてよかった......って、言える状況ではなさそうだね」






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