18「傷痕」
「人質って......何のつもりだ、おまえら」
空が冷静に、それでもたしかな怒りを滲ませた声で二人に問うた。怜は警戒心を解かず、いつでも動けるよう体勢を整える。
空の問いに郷と呼ばれた青年が「あー?」と面倒臭そうに返す。
「人質は人質だよ、事をスムーズに進めるためのな。てか俺たちはアンタには用はねェンだよ。――おら、テメェだよ用があるのは」
郷が鉄パイプの先で示した相手は――怜自身だった。
「......俺?」
いつもの癖でつい首を傾げてしまう。郷が眉根を寄せた。
「おっと、とぼけるときたか。こいつはますます腹立たしいなァ」
「怜さんはポーカーフェイスだからね。夏鈴と顔を合わせたときも何の反応もしてなかったよ。昨日の今日で忘れるわけないのに」
「......昨日の、今日?」
「ちょっ、待ちぃや!」
事態の急転に呆気に取られていた恒輔がそこで声を上げた。
「その口ぶりやと自分らは怜と会ったことあるみたいやけど、それが昨日? アホ言いなや、怜は昨日四六時中オレらと一緒におった。自分らと会ったことあるわけないやろ!」
「仲間を庇ってるつもり? ふーん、怜さんって庇われるぐらいには慕われているんだ」
慕われている......そうなのだろうか。こんな怪物のような俺でも、みんな慕ってくれているのだろうか。
けれど二人が何の話をしているのかわからない。自分が、昨日二人と出会った?
「悪いけど、俺は昨日君たちと会っていない。恒輔くんも言ったとおり、俺は昨日ずっと彼らとともに探索していた」
淡々と返す怜に、郷が眉間のしわを深めた。
「いつまで下手な芝居を見せるつもりだよ。なんでそこまで頑なに認めねェンだ。......それとも、マジで俺たちの人違いか?」
「ちょっと、しっかりしてよ! たしかに夜中だったし相手はフードを被ってたけど、あれは絶対に怜さんだったもん!」
「ハッ、雨宮さんがとうとう分身の術まで身につけたのかと思えば、ただの妄言に付き合わされているわけか。地盤の緩い根拠にもほどがあるだろ」
そう鼻で笑って言い放ったのは林太郎だった。空が止めるにも関わらず彼の背後から前に出て皮肉げに笑う。
「あんたらの話しぶりからして、昨日の夜に雨宮さんらしき人に何かされたらしいのはわかったよ。けどあんたらが語っているのはそれだけだ。頑なに雨宮さんとそいつを同一人物と決めつけ、何かと言い訳して他の意見を受け入れようとしない。そのくせ実際何があったのかは語る様子を見せない。おまけにわざわざ人質まで取って自分たちの話を認めさせようとしている。無茶苦茶だな、まさしくガキとガキのお遊戯。そっちこそ下手な芝居を見せて気が済んだか?」
「待っ、て......林、煽り、すぎ......!」
「事実だろ。ああそうか! ガキは言い過ぎだったかな! 持ち上げすぎちゃいましたよ、
「なん、で、もっと、煽って、いる、の......!!」
「――言いたいことは言えたかよ」
低く唸り、郷は手慣らしのつもりか片手で器用に鉄パイプを回転させてみせた。その顔は獰猛な笑みを浮かべており、額の皮膚が青筋で膨れ上がっていた。対する夏鈴は無表情のまま目だけかっぴらき、無言で梓の首に当てたナイフに力を込めた。「ひッ」と梓が真っ青な顔で小さく悲鳴を上げるが、首を傷つけられることを恐れて震えることすらできない様子だ。フーッと毛を逆立てたニャー太が全員の緊張感を代弁する。
「度胸はあるみてェだな、クソガキ。俺を
怜たちは警戒心を解かないまま、ようやく話す気になってくれた郷に耳を傾ける。
「まあそうは言っても話すことはそう多くはねえ。昨日の夜に夏鈴と出歩いていたらそいつが急に襲ってきた、それだけだ。――だがそいつが何を使って襲ってきたかって、あの黒い化物をけしかけてきてんだよ。さすがに驚いたよ、あいつらって人の言うこと聞くんだな。いや、従えさせているそいつ自身が人間じゃなかったのかもな」
それを聞いた怜は、いやおそらく全員がある人物を思い浮かべていた。それこそ昨日の今日で忘れるはずがない、バグ霊を操って襲ってきた人物。
「あの金髪の仲間か! ......名前は正直覚えてねえけど」
「それはオレも覚えてないんですけど、まさかあいつ以外にもバグ霊を操れるやつがおるっちゅーことか......!?」
「そこはどうでもいいんだよ。そいつは感情という感情がないような喋り方をしていて、冷酷無慈悲。何より......自分で言っていたんだぜ?」
自分の名は「雨宮怜」だってな。
流石の怜も眉をしかめた。誰かが自分に濡れ衣を着せようとしていることにではない。相手が自分の存在を知っているらしいことにだった。
なぜ、自分のことを知っている? いつ、どこで知った? 決まっている。
――ここに来る前の......記憶を失う前の俺を、知っている?
思考の海に陥りそうになるが、どうにか堪えて現実に意識を戻す。
恒輔たちはずっと一緒にいたためか、誰かが怜の名を名乗ったことに戸惑いはしていても怜を疑う素振りはない。そのことに苛ついたらしい郷が声を荒げる。
「とにかく! 俺たちの目的はそいつをぶっ飛ばすことだ! 昨日急に襲ってきたってのも腹立たしいが、それ以上に許せねェのはそいつは俺のことをはっきり『弱い』と言いきりやがった。それだけは......それだけは何が何でも許せねェンだよッ!!」
「煽り耐性ひっく。......弱いだなんて聞き飽きるような台詞だろ」
「林太郎はちょお黙っとれ! 夏鈴ちゃんと郷、言うたか? 自分らが昨日大変な目に
「だからそいつは違うしアンタらもクソ野郎の仲間じゃねェってか? じゃあなんで無関係のやつがそいつの名を名乗る必要があるんだよ」
「それは......」
「よくよく思い出せば声も似てるんだよなァ。仮にそいつが昨日のやつと違うにしても、仲間の名前を借りた可能性だってある。テメェら全員、昨日のやつの仲間なんじゃねェのか、あ?」
こちらを捉える郷の血走った瞳は危うげに揺れている。この目には覚えがある。ちょうど空と梓を襲っていた連中が軒並み同じ目をしていた。
このままだと平行線の深みにはまっていくことは怜にも理解できた。郷は自分が彼が出会った人物と同一かその仲間であることを信じて疑っておらず、加えて「弱い」と言われたことへの憎悪でやや思考能力に欠けている。
――戦うか、だけど下手に動けば梓くんが......。
そこまで考えて、ふとある疑問が湧いた。
「......君は、暫定『俺』に弱いと言われたことが今回の動機なんだよね」
「暫定ってテメッ......チッ! ああそうだよ! それが俺の一番我慢ならねェことだからな」
なるほどと怜は頷く。こっちはさっきから口にしてくれていたおかげでわかりやすい。――なら、
「君は何のために動いているの、夏鈴ちゃん?」
見据える。さっきから一言も話していない少女を、怜は逃がすつもりなかった。焦点を当てられた少女はわかりやすくビクッと身体を強張らせた。
「あ? そりゃこいつだって俺と同じ理由だろ。ここまで来たんだ、特別にネタバラシしてやるよ。テメェ以外の誰かを人質に取るって提案したのはこいつだぜ? もしもテメェが仲間ごと殺すようなやつだったらこいつもそれまで、そのときは俺は逃げろって。けど賭けに勝って結果、テメェの動きを封じることに成功してる」
すぐ隣で恒輔が思いっきり顔をしかめて郷を睨んだ。
「......ンな怖い顔するなよ。俺だって最初は止めた。けどこいつは死んでも構わないの一点張りだったし俺も腹が立って仕方なくってよォ......悪いが、乗せてもらった」
郷が語る間に夏鈴が表情を変えることはなかった。否、堪えているといったところだろうか。わずかにだがナイフを握る手が震えているように見えた。怜は相手の懐に忍び込むような感覚で夏鈴に語りかける。
「これは俺の勘だけど、君は怒りで動いているんじゃない。もっと別のことを理由に動いているんじゃないかな。......君がここまでして満たしたいものって、何?」
不安定な問いかけだった。その「別のこと」というのがここに来てからなのか元の世界でのことなのかはわからなかったが、それに起因して行動を起こしているのは直感で感じ取っていた。それに、嘘を吐いている間の夏鈴の目は不自然ではあったが、その裏側で純粋で綺麗なものを秘めていると感じたのだ。それこそ、シャボン玉のように。
「......ふふ、怜さんは怖いなあ。何でもお見通しなんだね」
華奢な肩が小刻みに揺れる。夏鈴はこちらに注目する面々を見渡し、またうっそりと微笑んだ。
「夏鈴の満たしたいものはね、手に入れるのは簡単なの。簡単なはずなのに、手に入らないの。怜さん以外の人はわかるかな。生きていてこう考えたことない?」
スッと、夏鈴の顔から、目から、声から、温度が消えた。
「自分はどうして生まれてしまったのだろうって」
それは――疑問というよりも、後悔の声に近かった。
急な問いの意図が読めず、怜は目を細めた。そも、最初から怜は除外されている。恒輔たちならわかるのかと隣を振り向き――瞠目した。
細い目をこれでもかとかっぴらいていた。その呼吸は少し荒く、ポタポタと汗も流れ落ちている。異常事態だと感じた怜はどう対処すればいいのか空に訊こうと顔を上げ、焦点の定まらない瞳と目が合った。
常日頃余裕を保っている空の瞳は不安定にグラグラと揺れ、今にも外へ飛び出して落下してしまいそうだった。林太郎が歯を食いしばる苦しげな音が聞こえた。陽介の拳は強く握りしめられすぎて肌が白くなっている。桜子は完全に真下を向いていて、表情の一切が全く見えなかった。
彼らが何を感じているのかわからない。ただ今まで見たことのない彼らの表情に、得体の知れないものがゾワッと背筋を駆け抜けた。未知の感覚に無表情が強張る。
「恒輔く――」
「うんうん、やっぱりそう思ったことあるよね! 共感できる人が多いみたいでよかった!」
夏鈴は先ほどの寡黙ぶりから一転して場違いなほどに楽しんでいる声を上げた。目は、仲間がいて嬉しいのかキラキラと輝いて見えた。
「夏鈴はね、元の場所ではずっといらない子だったの! 生まれた頃から邪魔だったみたいで、だから結局捨てられちゃった! それで夏鈴は思ったの。『邪魔にならないように、捨てられないように、役に立てるようになろう』って」
夏鈴は郷にも同じ笑みを向ける。郷はというと、だんだん様子のおかしくなっていく夏鈴を困惑した面持ちで見つめていた。
「ねえ、郷。夏鈴は役に立った? ずっとあなたの足手まといになっていて八つ当たりばかりされていたけど、あなたが怜さんをぶっ飛ばしたいって言うから夏鈴は準備してあげたよ! 夏鈴はね、郷がうんとさえ言ってくれれば『存在する理由』が満たされるの!」
夏鈴はどこまでも純粋だった。ただひたすら己の満たしたいもので満たすために行動していた。道理で綺麗な目をしている。――汚いところでしか生きられない生物をことごとく殺していく、純度の高い水の綺麗さだ。
「ハッ、おまえも結構歪んでたんだな。あんないかにも無邪気なガキのフリしてよォ......。けどまあ、ここまでしてくれたことには感謝だな。なら、俺は俺でこの怒りをぶつけてやるよ」
郷はニヤリと極悪に笑うと、残りの階段を越えて怜の前に跳び降り立った。鉄パイプを構える郷に怜はとうとう構えをとった。
「オラ、立てよ。ぶっ飛ばすつもりで来たが一方的に蹂躙するつもりはねえし、ましてや殺すつもりもねェ。あくまで俺はテメェに俺の怒りをぶつけたうえで俺が強いことを証明しにきたんだよ。まあ半殺し以上にするつもりではあるけどなァ」
「君の言い分は理解できた。それでも俺はその人ではないと主張する。俺と君がやりあったって不毛な傷つけあいになるだけだ」
「それはなしだよ、怜さん。そのための人質だからね」
夏鈴は首から少しだけ離したナイフをひらひらと揺らして見せびらかすと、再び梓の首に当てた。
「子供だからって舐めないでね。怜さんがやらなかったら夏鈴は本気で梓さんの首を切る。......にしても、梓さんさっきからずっと静かだけど何考え、て......」
軽い気持ちで梓の顔を覗き込んだ夏鈴は、そこで言葉を途切れさせた。そこでようやく梓に意識を向けられるようになった怜も、梓の様子を見て目を見開いた。
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