16「公民館内探索」
「ええか。探索するときは隅々まで徹底的に探すのが基本やぞ。気になったところは全部探すんや。そうやないとトゥルーエンドには辿り着けへん」
「いやオレたちが目指すのはトゥルーエンドじゃなくて手がかり発見でしょ」
何とも締まらない始まりで三人は探索を始めた。
公民館探索、怜と梓と組んだ恒輔は一階の事務所から探索を始めていた。現実の探索なんてアイテムの居所を示してくれないタイプのホラゲー以上に厳しい。なので探索の流儀を教えようとしたら、返ってきたのは無関心な目とジト目であった。解せぬ。ちなみに恒輔たちが一階を調べる間、空たちが二階を調べるという運びだ。
棚の中のファイルを取り出して中身を確認しては戻すを繰り返し、引き出しの中を漁って目ぼしいものが見つからなければ閉めるを繰り返す。それは想像以上に骨の折れる作業だった。
――脱出のためとはいえ、主人公はよくもまあこんなことを休まず続けられたな。
その作業をさせているのはプレイヤー=自分であることは棚に上げ、恒輔はしみじみと思った。作業開始から実に十五分。事務所は結構広い。まだ探す余地はあるが何かが見つかる兆しはなかった。
棚の中を探す梓は口を尖らせて難しい顔をしている。ニャー太は完全に放置状態で床のゴミと戯れていた。その飼い主はというと......ある冊子を開いたままじっと眺めていた。
怪訝に思って近づき、背後から覗き込む。見えたのはエプロンに三角巾を被った大人や子供たちの集合写真。子供はどの顔も歯を見せて破顔している。ひまわりを思い出した。他にも何枚か写真があることから冊子の正体はアルバムだとわかった。怜は半ば食い入るように集合写真を見つめていた。
「そこまで興味を持つとは珍しいな」
何か気になることでもあったのか。
そんな含みも持たせて訊けば、彼は振り返らないまま声だけを返した。
「......この写真に写っている人たち、みんな笑っている。これが、笑う」
「よほど料理教室が楽しかったんやろな。初めて料理する子もおったやろうし」
それはいわゆる庶民による庶民のための料理を作る会合だったが、いろんな想いの込められた素人料理と義務だけで作られた三ツ星料理、果たしてどちらが美味いか。諦念に似た視線を送るその目端から、恒輔の気づかぬ間に羨望が流れていった。
「......楽しかったから笑っているの? やっぱり俺にはわからない」
今まで平らだった声に初めて沈みが見られた瞬間だった。そのわずかな機微を感じた恒輔が少し目を開いて怜を見れば、心なしか両目の鏡も少し曇っているようだった。
「怜......?」
「昨日、あのバグ霊と出会ったときから変な感情が絡みついて離れない。その感情を思い起こすたびに体が重くなっているような気がする。......あんなものに振り回されていたら、とてもじゃないけど動けない、みんなを守れなくなる」
黒髪が揺れ、怜がこちらに顔を向けた。深淵の双眸に己の姿が映し出される、暴かれていく、――そのうえで、問われる。
「ねえ、恒輔くんはどうして俺に感情を取り戻させようとしたの。人を弱くしてしまうものを、どうして」
責められている気分だった。だがいつも通りの口調に責める響きはない。わかっている。そう感じるのは己の罪悪感からだ。
何か言おうとしても声が出ない。誤魔化せないのなら本心を語ってしまえ。......言えない、言えるわけがない。
――本当は、あのときの契約が自分の私利私欲によるものだなんて。
息も言葉も詰まりかけたそのとき、キュッと靴を擦る音が部屋のすぐ外から聞こえた。二人が振り返るのとドアの近くにいた梓が「誰だ!」と勢いよく開けるのが図らずも重なった。
「きゃっ!」
聞こえた悲鳴は、存外に可憐で幼かった。「へ......?」と外に目を向けたままの梓の横顔がだんだん間抜けなものになっていく。恒輔は怜と顔を見合わせ、梓のもとへ駆け寄った。
「梓くん、どないし......え?」
「......」
梓を気遣いながらも廊下へ目を向ければ、こちらの口からも間抜けな声が漏れ出ていた。怜は特に驚くこともなく目の前の存在をじっと見つめている。
「え、えーと......バレちゃった」
そこには、可愛らしく自分の頭を小突いてみせる小学生くらいの少女がいた。
「これでよしっと」
「ありがとう、天野くん。保健室までついてきてくれたうえにわざわざ手当てまでしてくれて」
「いいんだって、俺が好きでやってることなんだから気にするなよ、花木」
そう言って少年は花木と呼んだ彼の肩を叩く。気弱そうな坊主頭の彼は「......うん」とはにかんだ。
「にしてもあいつら、本当に卑怯だな。先生の目につかないところで暴力を振るうとか、そんなに弱い者いじめが好きかよ」
「でも、今回は天野くんがすぐに来てくれたから突き飛ばされただけで済んだよ」
「馬鹿、それでも怪我を負わされたのに違いねえだろ。おかしな基準を持つな」
「......うん、ごめんね。ありがとう」
控えめに笑う彼を見て、天野少年は腹立たしさでどうにかなってしまいそうだった。
花木がいじめに遭っていることに気づいたのは三年に進学したとき、たまたまいじめの現場に遭遇したのがきっかけだった。聞くところによると、どうやら主犯たちは教師に見つからないよう巧妙にいじめを隠しているらしく、他の生徒も見て見ぬふりをしているらしい。
「一、二年のときに俺がおまえと同じクラスだったらなー。きっとすぐに気づけたのに」
「......天野くんはさ、どうして僕に構ってくれるの?」
そうぼやいていると、ふと花木が神妙な顔つきで訊いてきた。
「んあ? どうしたんだよ、急に」
「だって、天野くんは成績優秀でリーダーシップもあって、面倒見も良いし、いろんな人から褒められて頼りにもされていて。......そんなすごい人が、どうして僕なんかをと思ってしまって......」
「ンなの、決まってんじゃねーか」
少年はバッと立ち上がり、堂々と公言した。
「それが俺のアイデンティティーだからだよ。褒められること、頼りにされることが俺の昔からの生き甲斐だ。小学校でもそうしてきた。だから俺は善行を続ける。花木を助けるのも俺のために繋がるからだ」
少年はニッと歯を見せて笑った。
「だから花木、おまえももっと俺を利用してもいいんだぜ。俺だって自分のためにおまえを利用しているんだから」
その言葉にポカンとなっていた花木だが、やがて小さく「ふふ」とこぼした。
「ずるいなあ、天野くんは。本当はもっと別の言い方があったくせに」
立ち上がり、天野と目線を合わせてから花木もはっきりした声で伝えた。
「これからも『信じてるよ』、天野くん」
「......おう!」
お互いの笑い声が外へと響く。
少年が絶望を見る前の、とある夏の日のことだった。
昨日、なんで急に協力的になったんだ?
頭上から尋ねられ、林太郎は「はあ?」と不機嫌に返しながら隣の相手を見上げた。
「もっと言葉を足してくださいよ。説明能力ないんですか?」
「いやいや、頭の良いおまえだから少ない言葉で伝わるわけで? 言いたいことがわかるから不機嫌になったんだろ?」
図星だった。反論を試みるがやるだけ疲れるだけな気がして、開きかけた口を閉ざす。チラリと本棚の奥へ目を滑らせると、少し離れたところで陽介と桜子が本を一冊手に取って中身を確認しては戻すという作業を繰り返している。こちらの会話は聞こえていないようだ。
林太郎は小さく、それでいて重い溜息を吐いた。
「......あんたも案外嫌な人だったんですね」
「つまりは俺はあとのやつらに比べるとマシだと思ってくれていたわけだ。そりゃ光栄。で、結局昨日の――おまえなりにこの世界や欠片について考察してくれた理由は聞かせてくれるのか?」
「......」
ここまで来ても林太郎は話すことを渋った。大した理由があるわけではない。けれど自分たちにとっては......癪だけどそれなりに大きかったことで、だから信じられないやつに話して笑われるのが嫌で――
ぐるぐると迷っていると、プッと空が小さく噴いた。
「前から思っていたけど、おまえらってほんとわかりやすいよな。そこまで不信感をあらわにされたら、過去に何かありましたって自己申告しているようなモンだぞ。そんなに何があったのか聞いてほしいのか?」
「ッ......!!」
明確な理由もわからずカアッと頬に血が上るのを感じた。いつにも増して皮肉げに、凄惨に口元が吊り上がる。
「ハッ! ならあんたは上手に隠せているとでも言いたいんですか? ああそれともあんたにはそんなものなんて――」
「あるよ」
さっきまでとは色の違う平坦な声は、耳の中まではっきりと聞こえた。空の顔は、完全なる「無」の表情だった。
「程度の違いはあるかもしれんが......おまえらだけじゃない。俺にだって簡単には明かせないものがある。もっと言うならここだけの話、恒輔や梓にもあるだろうな。わかっちまうんだよ、そういうの。何となくだけど、あいつらも何か抱えてるんだよ」
ちょっとだけ空の表情が苦しそうに歪んだが、すぐに表情が戻る。
「唯一の例外は怜だな。あいつには隠すものがねえから何も感じ取れない。......ハハ、ダメだな。あいつだって望んで記憶を失ったわけじゃねえだろうに、少し羨ましく思える」
乾いた笑いをこぼす空。そんな彼を横目に、林太郎は襟足の長い髪を括り直し始めた。
『おまえ本当に頭が良いんだな!』
些細な記憶が蘇る。そう褒められたときのあの屈託のない笑顔。あの人は無駄に明るくて、何の苦しみも知らなさそうで。
見ていて腹立たしかった、自分たちの一番嫌いなタイプだった。......でも、ああして褒めてきたのも、笑いかけてきたのも、あの人が初めてだった。そして......心配してくれたのも。
「......心配してくれたからだよ」
キュッとゴムを締めて脈絡もなく話し始めた林太郎を、しかし空は遮らずに耳を傾けた。
「工藤さんはオレたちが一番嫌いなタイプの人間だ。オレたちはそういう人間にいい思い出がない。でも、あの人はオレの怪我を心配してくれた。......それぐらいでって思うだろ? だけどオレたちはそれすら与えられたことがないんだ」
仮初の優しさや慰めは散々与えられた。与えられたうえで――粉々になるくらい壊された。中身が空っぽだったから簡単に壊れたのだろう。信じたものが空っぽだったことを知ってしまった自分たちが以後誰も信じることはなかった。本物の情を与えられることもなかった。だから――
「信じちゃいないけど、返せるのなら少しくらい返してやろうと思った。それが昨日の考察を話した理由。まあそもそもあんな情報が本当に何の役に立つかわかりませんけどね。でもやるだけやったんですから、もうこれ以上は渡しませんよ」
本から目を離して視線だけで空を見上げる。また噴き出されるかと思ったが、意外にも彼はキョトンとした顔で林太郎の方を見下ろしていた。
「......その顔は何が言いたいんです? 笑っても怒らないのでご自由にどうぞ?」
「笑わねえよ、そんなつもりはねえ。ただやっぱ梓はすげえなって思っていただけだ」
「はい?」
「あいつ、何だかんだおまえらのこと気にかけてるんだよ。まあ思うところもあるみてえだが、こうして一緒に行動して話しかけても答えてくれる、なら悪いやつらではないんだろうなってよ。......気にかけていたからこその、昨日の言葉と態度なんじゃねえの?」
空はふっと微笑んだ。
「おまえらが今まで何をされてきてどんな扱いを受けてきたのかは知らねえ。だが第三者だから言えることだけどな、それがおまえらの世界の全てじゃねえはずだ。世の中には梓みたいなやつもいるってこと、これでわかったんじゃねえの? ......そこで聞き耳立てているおまえらもな。さっきから微動だにしてないのモロバレだぞ」
空の向こう側で二人が肩を跳ね上がらせているのが見えた。聞いていたのかと驚いていると、こちらを窺うように見やった桜子と目が合った。その表情は心配そうにも不安そうにも見えて、林太郎は咄嗟に大丈夫と伝えるように笑いかけてみせた。ただ桜子が何に不安になっているのか、自分の何が大丈夫なのか、漠然としていてはっきりとわからなかった。
これまでかけられてきた言葉は情のないものや罵詈雑言ばかりだった。いつも、いつもいつもいつも、傷つけられてばかりで、二人を守ることに必死で。
――どれも、自分たちに居場所を与えない言葉ばかりだった。
もしかしたら、桜子は慣れきった世界が崩れた先のことを考えて不安になったのかもしれない。自分たちを拒絶しない世界。それはきっと、今よりずっと良い世界ではあるのだろうけど、本当にそこは崩れないと断言できるのだろうか。
――裏切られたり、しないのだろうか。
明日を乗り越えたら自分たちは晴れて自由の身となる。そうすれば、あとは気まぐれで命が尽きるまで三人ずっと一緒。これ以上傷つくことはない。
でも、もしもこの人たちがオレたちを拒絶しないのなら。ここが、オレたちの居場所になるのだろうか。
それは――悪い意味で築き上げてきたものに、ひびが入った瞬間だった。
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