14「それは、幻だった」

「......恒輔、さん、なんで......裏切ったんですか?」


 震える声を、どうにか絞り出して。

 梓が、恒輔に怒りを向ける。


「オレ、恒輔さんのこと信じていたのに......どうして、こんな結果になっちゃったんですか......!? おかしいですよ!! オレは、だって......」

「梓くん」


 背中を見せていた恒輔が振り返る。憐みの眼差しに射抜かれ、梓が絶望に膝から崩れ落ちそうになる。それを慌てて空が支えた。


「梓くん、一つ、ええこと教えとくわ」


 恒輔は憐憫の表情を見せ、梓に現実を突きつけた。


「――オレの教えたウノの必勝法、実は怜にも教えたねん。そんで怜の方がそのやり方を上手に使いこなした、それが全てなんや......」

「だからって、だからって!! 連続でオレがビリだなんてありえます!? それも毎回怜さんとの一対一に持ち込まれて寸前で勝利を掻っ攫われるなんてっ!!」

「どうでもいいけどよ、こんな炎天下の道端でよくそんな馬鹿げた茶番ができるな」


 「ここが現実の往来なら他人のフリをしたいレベルだわ」と、慰めてと言わんばかりにしがみついてくる梓を引き離しつつ、辟易した空が呟く。


「ウノ、結構楽しかったよ。ただ運がいいだけのゲームじゃないんだね」

「どんなゲームにも攻略法があるもんや。カードゲームならなおさら、勝てるかどうかは己の頭脳次第......いや梓くんのことをアホって言っとるわけちゃうから、そんな落ち込まんといて......」


 こんな暑い中でどこにそんな元気があるのだろうと、目の前の茶番を見ながら桜子は思う。何も抱えていない者特有の生来の能天気さによるものか。空っぽの陽気は自分たちにはつらい。

 相も変わらず真夏の日差しに襲われる午前、一行は今日も今日とて探索に励んでいた。桜子たち三人は彼らと距離を取って後ろをついていた。


 ――悪い、人たち、では、なさそう、だけど、本当に、信じて、いい、のかな......。


 桜子の考えは林太郎と陽介の中間ぐらいだった。林太郎ほど彼らを突き放せない、けれど陽介ほど彼らに歩み寄れない。中途半端で優柔不断、いつまで経っても変わらない自分が、桜子は大嫌いだった。それでも相手が黒だと定められないうちは、白と定められないのも同義なのだ。


 ――だから、本当は、誰の、ことも、信じられない。けど、それ以上に、私たちみたい、なのは、あのタイプが一番、信じられない。


 不信の眼差しを梓に向ける。何かと自分たちに絡んでくる男。大して苦もなく生きてきたようなやつは、三人にとって最も全面的に認められない存在だった。

 桜子はそっとジーンズの前ポケットに触れる。ギリギリ押し込められた小瓶は、朝食の後に梓から渡されたものだった。


『この欠片は桜子が持っておくべきだ。空さんたちには了承を取った。いいか、絶対に落とすなよ。それがおまえを守ってくれる。いやまだその話は予想止まりだけど、林太郎の推測ならおまえも信じられるだろう?』


 こんな欠片なくとも大丈夫だと突っ返すこともできた。ここで受け取らなければ、林太郎の推測を信じていないと言っているも同然となるから受け取っただけだ。梓もあえて言い方を選んだのだろう。知識はないが馬鹿ではない、そんな人。

 結局桜子は小瓶を受け取ったが、梓に対するモヤモヤが湧き始めたのはこのときからだった。こういう自分たちのことを気にかけている、何でもわかっているみたいな態度が気に食わない。知っている。こういうタイプはいざというときに裏切る。


「ここだね」


 怜の声で現実に戻る。気がつけば、一行は花壇や噴水の揃っている公園の入り口に立っていた。目的地――群青色の丸に「金魚」と書かれていた公園に辿り着いたようだ。

 今朝の会議で決まったことは、拠点から一番近い欠片の回収、その後別の場所で情報収集をすること。現在、自分たち七人は欠片が隠されているらしい公園にいる。


「思ったより広い公園やったんですねぇ」

「車を停めてもそれなりにスペースが余っていたからな。……で、この公園のどこに欠片が隠されているんだ?」


 空が怜に問うが、彼はふるふると首を振る。


「正直、あのときも最初からそこにあったのか、何かのきっかけで現れたのかはわかりません。だけどあの地図に書かれていたのはアズマヤマクマゼミ、見つけたのもアズマヤマクマゼミでした。……今回書かれていたのは、金魚。それなら――」


 ぽちゃん。

 噴水から小さな飛沫が上がったのを、たしかに、見た。

 全員が驚き硬直する中、怜が凪いだ瞳で噴水を見据え、歩み出す。慌てて恒輔が追い、つられて空と梓が動く。桜子も林太郎と陽介と顔を見合わせ、仕方なく三人で噴水に近づいた。彼らとは少し間を空けて水面を覗き込んだ。


「……わぁ」


 それは――極彩色の世界と呼ぶにふさわしい光景だった。

 夏の陽光に照らされて揺蕩たゆたう水の影、その隙間を縫って赤く小さな体が過ぎる。また別の影が絹糸に似た繊細な尾ひれを波打つ。それは赤と白のまだら模様をしていた。光を反射する鮮やかな橙色が眩しい。黒い鱗はただ黒いのではなく、光の角度によっていろんな色が乱散していた。

 噴水の中に広がっていた景色は、自由に泳ぎ回る無数の金魚たち。夏夜に散りゆく儚い命の集大成だった。


「……綺麗だ」


 ポツリと陽介が零した言葉に無意識に頷く。誰もが目を奪われていた。あの怜でさえも魅入っている。

 夏祭りの金魚、たくさんある憧れのうちの一つ。今は夜じゃないけど、初めて見る金魚の群れはあまりにも綺麗で、美しくて、無意味に泣きたくなる。震える心はどうしてだろう、懐かしいという感情を想起させた。初めて見る景色のはずなのに。

 視界の端で煌めくものがあった。思わずそちらを振り向くと、奥の水中で一際目立つ金魚が泳いでいた。キラキラと輝いていて、それでいて派手さを感じさせない天女の羽衣をまとう身体。


「金色……」


 口にすれば瞬時に怜がこちらを振り向いたので心臓が飛び出すかと思った。桜子の方を見て、それから金の魚を見つけた彼は「あれ」と指差した。


「あの金色の金魚を捕まえて。あれがきっと鍵になる」

「怜さん、わかるんですか?」

「勘」

「勘!?」

「っちゅーか金魚捕まえろって……」


 やや引いた顔で恒輔が縦横無尽に動き回る金魚の群れを眺める。この中から一匹を、しかも素手で捕まえるのは至難の業ではないだろうか。

 全員が固まっている中、不意に「だあああッ!!」と梓がヤケになって靴を脱ぎ捨て始めた。


「怜さんの勘ならまだ信じられるでしょッ! 全員で追い詰めますよ! そこの三人も手伝え! 怜さん! 怜さんが一番こういうの向いてるでしょ! 何ならニャー太ねこの手も借りて!」

「ごめん、多分俺が捕まえたら潰すと思うしニャー太は食べる」

「うっそでしょ!?」


 なんでオレたちがと林太郎が抗議するより先に梓の勢いに気圧され、体が勝手に動いた。そこからはまさに総力戦だった。

 梓と怜と無理矢理引っ張ってきた空で噴水の中に入って金色を追い詰め、林太郎と陽介と恒輔で捕獲のチャンスを狙う。ヤケクソになっているせいかあまりにも梓が奮闘するので、危ないと判断した林太郎と陽介によって桜子はニャー太とともに避難させられていた。

 格闘は実に十分に及んだ。金魚の捕獲は渋々といった様子だった林太郎と陽介が夢中になるぐらいには熾烈を極めていた。ザバァッと輝く水が飛び散り、陽介が顔を上げた。興奮冷めやらぬ様子のその手には金の鱗が覗いている。

 「ヨッシャァ!!」とあの空が全力のガッツポーズを決めた。続いて歓喜の声を上げた梓が噴水の中から陽介の肩に手を回す。


「すげーよ、よく捕まえたな!!」

「いや、その、たまたまというか......」

「陽介」


 ニャー太を抱えたまま彼の傍に寄り、困惑しきりの顔に微笑みかける。


「やっぱり、陽介は、すごい、ね。林も、おつかれ、さま」

「......うん、ありがとう」

「......おう」


 それぞれに労いの言葉をかけてやれば二人ははにかんだ。向こうの方から「ええなー、オレも美人からの労いがほしいわー」と冗談めいた声が飛んでくるが三人で無視した。


「ねえ見て、金魚が」


 珍しく声を上げた怜につられて、全員の視線が陽介の手に集まる。金魚の身体は金箔のごとき鱗が水に流されるように溶けていき、陽介の手の隙間から流れ落ちていた。そのまま何も残らないのかと思いきや、身体が消えた後には最初から中に埋められていたのだろうか、一枚のコインが残っていた。


「ひゃ、百円玉ぁ?」


 覗き込んだ梓が素っ頓狂な声を上げる。陽介は自身の手のひらに現れたそれを摘まんでしげしげと眺めるが、どう見てもそれは一般的な百円玉だった。


「な、なんで百円が......?」

「金魚と金色と金をかけたか? ほー、化物を生み出すような世界でもユーモア精神は残っとったみたいやなぁ」

「......お金を使う場所なら、あそこにあるけど」

「へ?」


 怜の指差す方、そこには噴水横に設置されていた機械があった。透明なケースの中に見えるのはいくつものカプセル。......ガチャガチャだ。


「百円の次はガチャガチャかよ......つーかあんなもの、さっきまであったか?」

「何でもアリの世界だからパッと現れたんじゃないですか? そこしかないのならさっさと使ってやりゃいいでしょう。やってみろよ、陽介」

「あ、ああ」


 ガチャガチャの前で身を寄せ合い、みんなに見守られながら陽介は百円を入れる。そのままおそるおそる回せば、ガコンと一つの大きなカプセルが落ちてきた。――透明の先には、小瓶に入った群青色の欠片。全員で顔を見合わせた後、陽介が中から小瓶を取り出す。群青の欠片が陽光に煌いた。

 陽介はそれを手にしたまま、背後を振り返って迷うことなく告げた。


「これは林太郎に預かってもらいます。いいですか?」

「おい、陽介!」

「おう、いいぞ。俺もそう考えていたしな」

「天野さんまで何言ってッ......」


 林太郎が最後まで言い切るより先に、ずいっと陽介が彼の前に小瓶を突き出す。


「持っていてくれ、林太郎。俺はおまえに持っていてほしい」


 そのまっすぐな瞳に逆らえるわけがなく、林太郎は仕方なく小瓶を受け取った。それを確認した空に促されて公園を出ることになった。自然と最後尾に移動した桜子だったが、ふとニャー太を返さなければと思い立って前の方にいる怜に声をかけようとした。


 ぽちゃん。


 跳ねる音、振り返る。噴水からはすでに離れていたが、脳裏には先ほどの極彩色の世界が思い浮かんでいた。綺麗な綺麗な、ようやく目にできたこの世の反対側。


 ――最後、に、一目くらい......いい、よね......。


 桜子はそっと列から離れて噴水に近寄った。水面を覗き込めば、やはりまだその世界は残っていた。少しだけ微笑んで目に焼きつけようとじっくり眺める。


「桜? 何やってんだ?」


 背後から林太郎の声が聞こえる。慌てて振り返って「す、すぐ、行く」とだけ返し、それでも離れがたくて「これが最後」と言い聞かせ、また視線を戻した。



 漂っていた金魚は、みんな死んでいた。



 否、死んだと思ったのは一瞬で金魚の瞳が白濁し、身体が腐りかけていたからだ。全ての金魚は身体と目の向きを、一寸の狂いもなく桜子に向けていた。


「え......」


 一瞬で変わり果てた世界に絶句する。生きた死体に変わっていた金魚、悪夢の方が優しいとさえ感じる現実。覗くだけだったこの世の反対側に、桜子は足を踏み入れてしまっていた。

 ゴポォッと一匹の口が異様な大きさに開き、何かが見えた。とても小さな身体に入っているとは思えない大きさの物体。表面は真っ黒の小さな丸みが四つ並んで口に引っかかって、――人の、指。


「桜子ッ!!」


 陽介が叫んだ瞬間、金魚たちの口から次々と指が這い出てきた。動けずにいる間に足首を強い力で掴まれ、引き倒される。じめっと貼りつく感触が直接肌に伝わる。大きくて骨張っているその手は、男の手だった。


『アッハハ!! すっげぇ肌白いね! 被写体として将来有望だよ!』

『だから今こうして撮って先行デビューさせてやろうとしてるんだろぉ? ホント高く売れるよ、桜子ちゃん』


「……ぃやあああッ!!!」


 金切り声を上げて服が汚れるのも構わずにめちゃくちゃに暴れる。その拍子にニャー太が自分の腕から逃げた。引っ張られていく桜子の身体を林太郎と恒輔が掴んで反対に引っ張り、梓が足を掴む手を無理矢理引き離そうと取りかかる。すぐ傍を怜が駆けたかと思えば彼は跳んで噴水の中の元凶を潰しに向かい、空と陽介で怜の妨害をしてくる腕を抑えていた。

 桜子は完全に恐慌状態に陥っていた。目の前の景色と違う光景が広がる。仰向けのまま脱がされていく服、赤く血の滲んだ冷えた身体、トラウマを植えつけていくシャッター音と無数のフラッシュ。


「やっ、やだッ、やめ、てっ……!! 撮らない、でッ……!!」


 ごめんなさい。

 夢見た極彩色の世界は、もうどこにもなかった。


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