12「地図と欠片と絆」

無事に拠点に帰り着いた彼らは梓と林太郎の回復を優先したため、初めて各々が見てきたものについて語り合ったのは夕飯のときとなった。


「そ、そんなことあったんですか? しかもあのバグ霊が喋った?」

「音、本当に聞こえへんかった? 絶対下に響いとったと思うんやけど」

「暴れた物音っていうぐらいですからね。でもオレたちには何も......」


すっかり回復した梓はご飯を頬にいっぱい貯めて首を傾げる。それに恒輔も不可解な表情でつられて首を傾げる。

怜の代わりに二階での出来事について話した恒輔だが、話の途中でわかったのはバグ霊に抵抗するために暴れたにも関わらず、その物音が誰の耳にも届いていなかったことだ。


「俺たちには何も聴こえなかったけどなあ......。まあ、そんなことよりも例の小瓶を見せてくれ」

「それなら怜が......怜、なあ怜、怜、ちょお話聞けや! っちゅーか喋る気あらへんな!? そんだけ飯を口に突っ込んだら喋れるものも喋られへんわな!」

「ングング......ここ、ほんと食料だけは自由に調達できてよかったよね。こんなに美味しい唐揚げ食べたの、記憶にないよ」

「いや自分、唐揚げ自体が初めても同然やろ......」


心底呆れた恒輔がガクリと首を倒れさせる隣で、真顔のまま人差し指で鼻の下を擦る空の姿があった。今日の夕食はダウンしていた梓に代わって空が作っている。恒輔の耳にドヤァァァと不可思議な幻聴が聴こえた。頼む、ボケんといてくれ。疲れていても関西人の血が疼くんや。

それはそれとして怜はポケットから小瓶を取り出し、空に渡した。窓から飛び出す際にはニャー太と一緒に預けられていたが、帰るときに拾い主として一度怜に返していたのだ。受け取った空は小瓶をいろんな角度から眺めてみたが、特に何もわかったことはないらしくそれを怜に返す。


「今のところはただの小瓶と欠片でしかねえな。これはあとでもう少し詳しく調べることにして、俺たちの報告に移ろう。梓、あの紙をここに」

「はい」


梓がテーブルの中心に置いたのは一枚の紙。恒輔と怜にはあずかり知らぬ話だが、大聖に狙われていた例の紙だ。

全員が身を乗り出して覗き込んでくる。その紙に描かれていたのは――


「......地図?」


誰かが訝しげに呟いた。

描かれていたのは手書きの簡易地図だった。ざっくりと住宅街が記され、ところどころ公園や小学校といった目印になる箇所はわかりやすく示されていた。何よりも目を引いたのはいろんな箇所にそれぞれ違う色で丸が付けられ、「空と雲の絵」や「アタリの棒」などと記されていることだった。


「これって、町の地図ですか?」

「おそらくな。多分、この付近が俺たちの拠点がある場所だと思うんだが、大方一致していないか?」


言われてみればたしかに、すぐ傍に「坂」、さらに進めていけば「公園」、「歩道橋」。昨日怜と通って二人と出会った場所の道順だ。


「地図って、えらい便利なモン手に入れはりましたねえ。お手柄やないですか」

「けど、この丸で囲っている部分が何なのかわからないんですよ。気になって仕方がない」

「まあ、とりあえずそれも保留でいいだろ。俺たちからは以上だ。おまえらはどうだった?」


三人組に報告の順番が回っていくと、蓮根のきんぴらに橋を伸ばしかけていた手を止めた陽介が眉を下げて言った。


「あの......俺たち、何も見つけてないので報告することがないんですが......」

「いや、何か見つけたとかじゃなくていいから気づいたこととかさ! 些細なことでいいんだ! それがどこかに繋がるかもしれないし!」

「......何か、あったっけ......林?」


桜子が林太郎を見れば、彼は地図とその傍らに置かれた小瓶を真面目な顔で交互に見比べていた。いつになく真剣な様子に恒輔も声をかけようとすれば、先に彼の方から口を開いた。


「雨宮さん、宇佐美さん。捕まえたセミがバグれ......化物に変わったって言ってましたよね? そのセミってどんなセミでした?」

「それより今言い直したよね?」

「......で、どんなのでした?」

「圧がすごい......。どんなのいうたって、大きめの個体やったとしか。あれは多分クマゼミやと思うで」

「あと珍しい羽だった。ぼんやり緑色だったけど、光が当たる度にいろんな色に変わっていたよ」

「......なるほど」


得心のいった顔で頷く林太郎に、「何かわかったのか?」と梓が詰め寄る。林太郎は迫ってくる顔をぐいっと押し退けながら、「あんたらに話すのは癪だけど」と前置きして語り出した。


「そのセミは多分、アズマヤマクマゼミっていうセミだと思いますよ」

「アズマヤマクマゼミ?」

「昔図鑑で読んだことがあります。かなり珍しい部類のセミで、特定の場所にしか住んでいません。具体的な地名は覚えていませんが場所はたしか**の端の田舎だったはず。薄緑の羽で光の当たり具合で色が変わるのが特徴です」

「それって......」

「この町が本当に異世界ならどういう仕組みなのか知りませんけど、実際にあった場所をモデルにしたってことじゃないですか?」


「それともう一つ」とメガネの奥の瞳をスッと細めて人差し指を立てる。その指先をそのまま地図に向けた。


「この地図の赤色で印つけた場所を見てください」


再度身を乗り出して地図を覗き込み、示された部分へ目を向ける。通った歩道橋の少し先、とある一軒家を囲む赤い丸。記されているワードは「アズマヤマクマゼミ」。点と線が繋がって驚愕する面子に向かって、林太郎が謎を紐解いた。


「オレたちが行った家に赤い丸とアズマヤマクマゼミの単語。雨宮さんたちが捕まえたセミもアズマヤマクマゼミで瓶の中身も赤い欠片。印のつけられた場所に向かって何らかの条件を合致させれば瓶が出現するんじゃないかと思います。断定はできませんが」

「けど林太郎、その瓶の場所がわかったところでどうするんだ? 今聞いた分だけだと何かの役に立つようには思えないぞ」

「いや、穴だらけの仮説で確信が持てないが、本当のことならこいつは見つけ出す価値はある。......宇佐美さん、バグ霊に襲われそうになったときに瓶を持っていたの、たしかあんたでしたよね?」


「ついにバグ霊って言いよった」と思ったが、この真面目な雰囲気に水を差すことになるので口には出さずにおいた。


「おん。最初は怜が持ってたんやけど、二階から飛び降りる際にニャー太と一緒に預けられてな。それでそのままオレが......」


恒輔はそこでハッとなり、「まさか」と声を上げる。


「その瓶が......いや、欠片がバグ霊を近寄せんかったってことか?」

「......この説にいたっては本当に確信が持てません。けれどバグ霊に攻撃されたオレたちと攻撃されなかったあんた、両者の大きな相違点はそれぐらいです。だから、この欠片を持って行動すればバグ霊に襲われないかもしれない。......もしかしたら、あの金髪が地図に執着してたのもそういうことじゃないですか?」


トントンと林太郎が地図を指で叩く。


「欠片があれば万が一バグ霊を制御できなくなっても自分の身が守られる。そりゃあ脅してでも手に入れようとするわけですよ。当たってるか知りませんけどね」


「以上がオレの滑稽な仮説です。笑うなら笑ってください」と皮肉的に林太郎がまとめると、その場は妙な沈黙に包まれる。誰もが林太郎の話に聞き入り、いつのまにか箸が止まっていた。

やがて、次第に喜色ばんだ表情へと変わっていった梓がついに堪え切れずといった様子で林太郎の頭をグシャグシャと撫で回した。これには林太郎もギョッとなった。


「わっ!? え、は!? ちょ、何なんですか急に!」

「何なんも何も大手柄じゃねえか! おまえ、すげーよ! よくここまでのことが一気にわかったな!」 

「ンなの、知識があれば誰だってわかることですよ! 大げさすぎるんですよあんた!」

「だからその知識がすげえんだって! 普通そんなセミの存在なんて知らねえし覚えもしねえよ! あと機転も利くからあのとき助かった! ありがとな! おまえ本当に頭が良いんだな!」

「わかったからいい加減離れろよ!」


梓から逃げようともがく林太郎の耳はほんのりと赤い。その様子を陽介と桜子が珍しいものでも見る目で眺めていれば、彼らの頭にも大きな手が置かれた。二人は驚き、桜子にいたっては咄嗟にその手を振り払ってしまっていた。背後にはおどけた風に両手を顔の横に挙げて、ニッと歯を見せて笑う空の姿があった。


「悪い悪い、急だったな。けどおまえらもすげえよ。桜子はすげえ足が速かったし、陽介は強かったんだな。何よりも恐れずに立ち向かったことがすげえよ。......ありがとな。おまえらのおかげで助かった」


 空が優しくそう礼を言えば、二人は顔を赤くして恥ずかしげに俯いた。だがきっと悪い気はしていないはずだ。恒輔にはそう思えた。

そんな和やかな空間を眺めていると、喧騒に紛れて「恒輔くん」と隣から平坦な声で呼ばれる。


「黙っていてくれてありがとう。バグ霊が俺の名を呼んだこと」

「そう打ち合わせたからな。けど黙る必要はあったか? 話したところで特に何もあらへんとは思うけど、些細な情報でも共有した方がええんちゃうかな」


そう言ってみても、怜は緩く首を振るだけだった。


「あまり謎を増やしてみんなを困らせたくないから。それに、俺の名前が呼ばれたのならこれは俺一人だけにしか関係ない話だよ」

「……そ、か」


恒輔はそれ以上何も言わなかったが、心はどこか落ち着かなかった。

抱え込んでは、いないだろうか。怜はまだほとんどの感情を知らないから、それを表現する術がない。術があるのとないのとでは大違いだ。どう表せればいいのかわからないまま、知らないうちに苦しんでいないだろうか。本当は一人で頑張れないのに、無理に頑張ろうとしてないだろうか。

やはり心配になって声をかけようとすれば、その前にスッと差し出されるものがあった。恒輔は何となくそれを見やって目を丸くした。


「あ……」

「恒輔くんは、ゲームのことになるといつも夢中になる。夢中になるのは、楽しいの証拠。......それ、俺にも教えてよ。これ、君の話を聞いて興味が湧いた。あの部屋で拾ってきたのはいいけどよくわからないんだ」


「昔遊んでたのならわかるかなと思って」と。無表情が淡々とした声でウノを差し出して遊び方を請うてくる。自分の昔話を聞いて興味が湧いたと言うのだ。思わず恒輔は「ふはっ」と笑いをこぼす。


「ええよ。折角やからみんなでやろか」

「あれ、ウノだ!? 夕飯の後にみんなでやりましょうよ、絶対楽しいですって!」


梓が目ざとく見つけると空や三人組を半強制的に誘い出す。怜は中からカードを取り出して机の上に置いた。表情とは反対に本人はいたってやる気のようだ。

息を吐いて笑いをこぼす。心配なのに変わりはない。けれど、今はまだそっとしておこう。感情に興味のなかった彼が「楽しい」について学ぼうとしているのだ。怜が今そう望むのなら、自分はすぐに応えるまで。苦しみなどといったものを教えるのは後回しにして、まずは彼の望みを叶えよう。

自分は怜の思うがままに動く。なんせ怜は、自分の恩人なのだから。





明かりのない真っ暗闇の部屋の中、阿賀野大聖は気まずさからか顔を背けて立っていた。暗闇でもはっきりわかるほどにその顎は赤黒く腫れている。

自分はそんな彼とパイプ椅子に座って足を組んだまま向かい合っていた。黒いフードを被っているので視界が暗いが、このくらいがちょうどよかった。電灯代わりにさえなり得る明るすぎる月の前だと、たまにこうして隠れたくなる。


「ふーん……つまり君は、『本命』である欠片も奪われ地図も奪われ、得て帰ってきたものはその顎にお見舞いされた一発だけってことだね」

「ぐっ……!」


大聖は悔しさからギリッと歯を鳴らす。無視して薄く笑った。


「たしかに最悪手に入らなくても大丈夫な代物だけど、君がまさかおつかいもできないような子供とはね。それとも邪魔してきたやつは君の力を以てしても排除できないほど強かったの?」

「あ、ああ、そう、そうなんだ! 残りは雑魚だったのにあいつだけが飛び抜けてたんだよ! あいつの方がよっぽど化物だ!」


必死に弁明を始めた大聖をつまらなさそうに見つめた後、「じゃあ今後のためにそいつの特徴を教えて」と手短かに尋ねた。


「特徴……黒髪で背が高くて、白いパーカーを着ていて、目がやたら黒くて……」

「……目が黒い?」


ピクリと反応する。それを見た大聖は何か勘違いしたようでしどろもどろになる。


「いや、何言ってんのかわからないかもしれないが本当なんだ。見ればわかるとしか言えないが、その、他の人より目が黒いように見えて……」

「ブレスレット」

「……は?」

「彼、白いブレスレットをつけていなかった?」


そう訊けば、大聖はピンときたらしい。


「あ、ああ! つけていた! 白いビーズのブレスレット! ......知り合いか?」

「向こうは覚えていないだろうけどね」


頬杖をついてクツクツと喉を鳴らして笑う。徐々に高揚してきた気分を自覚した。

大聖の話だと彼がそこで出会ったのは七人。ある程度年齢は近いようだったが、結構バラバラの見た目だったらしい。


――まさか君がお友達をつくるなんて思わなかったよ。まだ仲良くはなれていないかな? 君の心は鉄壁だもんね。いや......それとも、案外壁を作っているのは相手の方かもね。


......だが、どちらにしても。


「邪魔だなぁ」


スゥッと笑みを消し、フードの下で冷えた瞳を鋭く細める。相手を骨の髄まで凍らせて打ち砕く、絶対零度の眼差し。大聖が震えていることには気づかなかった。

口元に笑みを乗せると、「さて」と椅子から腰を上げて呼びかけた。


「ボクたちの拠点へ戻ろう、大聖。これからのことを話し合わなきゃいけない。あと仲間も集めなきゃ。君とボクだけじゃ少なすぎるし、彼女・・はあそこから動けないからね」

「あ、ああ......」

「それと、仲間を集め終えたら君にはある場所に留まってもらうよ。手持ちを用意しておいてね。今度は強くて簡単に投げられない奴」

「わ、わかった。欠片を死守することが任務内容だな」

「いや、それもそうだけど君には別の仕事がある。欠片以上に大事なことだよ」

「え? だが欠片を取られたら......」

「もちろんどこかで必ず奪い返すさ。まあ後で教えるから待っててよ」


部屋を出ようとしたが、ふとくるりと振り返り、困惑する大聖に「ねえ」と問いかける。


「君は肉を焼くならどんぐらい焼く?」

「は? 肉ならレアで......ってそれが何の関係があるというんだ」


困惑顔で大聖に問われるがそれには答えず、「なんだ、気が合わないね」と不服そうに返してみせる。


「ボクは焼くなら赤いところがなくなるまでじっくり焼く派だよ。中途半端に赤身を残して毒を喰らう真似になるのは嫌だからね」


ニィィッと三日月を描いた口元で言葉を紡ぐ。


「じっくりじっくり、赤身も残さないくらいに心を感情で焼き上げるんだよ。その方が、ボクが美味しく食べれころせるだろう?」


ねえ、怜?







【今回は近況ノートに大事なお知らせがあります。必読お願いします】

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