4「不思議な仲間たち」
圧倒的急展開だった。流れる血もそのままに、恒輔は遠くで繰り広げられる無双劇に途中から身を乗り出して凝視していた。「こいつ、普通に化物と渡り合えたんちゃう」と馬鹿げたことさえ真面目に考えていた。三白眼はといえば、最早怜のことを珍妙な生物とでも思っているようだった。
怜は最後の一人――人質を捕らえたままの男へグリンと首を向ける。人とは思えない動きに男はビクッと肩を跳ねさせたが、すぐに声を張り上げた。
「お、おいッ! お、俺にちかっ、近づいてみろッ! こ、この、この女をどうするか、わ、わわわかんねぇぞッ!」
可哀想なくらいどもっていた。人質によって自分の安全は確保できているためか口は吊り上がっているが、哀れなことに声はヒステリックに引きつり、体が震えている様は鷹に狙われた子兎然としていた。いつでもどうにでもできそうだが、人質がいる以上動けないのは事実なので、三人は男の動向を見守った。
「よ、よく聞けッ! 車を寄越せばこの女は返してやるッ! オレたちの望みは車と中身だ! 女はもういらねぇよ! テメェらは公園から出て、そこのおまえは車から離れろッ! そ、そうすれば女を――」
「女女女女ってうるっせえんだよこんの変態野郎ッ!!」
二度目の急展開だった。突如荒い語気が吠え、男の腹に肘がめり込む。見事な肘打ちは、男の虚勢を打ち砕くには十分だった。気絶にまでは至らなかったが男は情けない声を上げながら腹部を押さえ、その場にうずくまった。
フンと鼻を鳴らしながら頬に飛んだ男の唾をビッと指先で拭った元人質を、怜はわずかに目を丸くして見入っていた。
「油断させるために黙って怯えたフリして
「聞いてないんじゃなくて聞こえてねえんだよ。よく見ろそいつのHPは0だ。やめてやれ」
ヒートアップして聞くに堪えない(と思われる。意味が理解できない)暴言の羅列を吐く元人質を、三白眼が真顔で冷静に窘めた。
遠目で見たとおりの華奢な身体だ。黒目はくっきり大きく、綺麗に揃えられた睫毛がそれを強調している。首元でサラリと揺れた金髪の毛先は、暗闇でもわかるほどに艶めいている。黒の半袖Tシャツから伸びる細い腕と、白のクロップドパンツから伸びた美脚は庇護欲を掻き立ててくる。その反面、胸元で揺れる細長いシルバープレートネックレスと灰色のスニーカーというさりげないポイントは、ボーイッシュにも思わせた。
色恋事に疎い怜でも断言できる。美少女だ。美少女、なのだが――ドスを利かせた声は、女にしてはやけに低い。
喧騒の終幕を察したのかニャー太とともに恒輔が隣まで歩いてくると、呆気にとられた様子で呟いた。
「あの子、えらい美人やからわからんかったけど……男やったんやな」
「ごめんね」と、膝の上で丸くなるニャー太を撫でながら怜は謝った。隣に座っていた恒輔が怪訝な視線を向けてきた。その頬には大きめの絆創膏が貼られている。
「俺が気づいていれば、恒輔くんが傷つくことはなかった。俺が、恒輔くんを傷つけてしまった」
「......自分、感情がないとか言う割には負い目に思うことはあるんやな。けど気にする必要はあらへんよ。自分があの集団を撃退させたんやから、プラマイゼロや。というか、リアル戦闘スキル持ちの人間がおったとはな。すごかったで」
恒輔は責めることはしなかった。それに感謝し、小さく「......ありがとう」とだけ返した怜は窓の外を見て
――あの声は、一体何だったんだろう。
聞こえたのは、覚えのない少女の声だった。あのときはすぐに臨戦態勢に入ってそれどころではなかったが、順当に考えればそれはかつての誰かの声――すなわち、消えていたはずの記憶。傷つけられたと、守らなきゃと感じた。恒輔の傷をトリガーに現れた片鱗。
――俺には、守るべき誰かがいたのかな。
思考に耽りそうになった怜の視界の隅で、ヒラヒラと振られた手が見えた。窓から顔を戻すと、案外人懐っこい笑みが目の前に。金髪の美少女ならぬ美少年――
怜と恒輔はあの後二人から礼を述べられ、そのお礼に彼らの拠点へ案内されることになった。今は奪われそうになった車に揺られながら移動しているところで、歩いていた頃に比べると足が軽い。
「怜さんってめちゃくちゃ強いんですね! あんな動き、アクションゲームでしか見たことないですよ!」
「梓、身を乗り出すな。ちゃんと前向いて座れ。でもまあ、たしかにデタラメに強かったな。覚えがあるのか……ってああ、記憶、ないんだったか」
助手席から後ろへ身を乗り出す梓を運転席から三白眼が窘める。こちらは
怜が記憶喪失だということは事前に自己紹介の際に話していた。先に話しておいた方がややこしくならないと考えたのだ。
「はい、本当に何も覚えてないんです。……名前だけは、辛うじて」
本当に何でもないように、抑揚のない声で怜が答えると車内に沈黙が流れた。あまり良くない空気にしてしまったらしいことは怜にもわかった。フォローに回ろうとしたのか少し慌てた様子で恒輔が口を開きかけたが、それより先に底抜けに明るい声がそれを遮った。
「でも、名前だけでも覚えていてよかったんじゃないですか? こうして呼べるわけですし!」
「そうだな。名前はいの一番に己を表すものだからな。簡単に失っていいものじゃねえ」
「うわ、体たらくの空さんがカッコつけてんの」
「うっせ」
「いたっ!」
空が梓の頭をはたくと梓が空の肩を思い切り叩く。「運転中だぞ!」「先に手を出したのそっちでしょ!」と小さな喧嘩を始めた二人。怜はその流れを脳内で二回ほど反芻させて、やっと二人が気を遣ってくれたらしいことを察した。
「二人とも、仲ええんですね」
恒輔が子供のじゃれあいを眺めているような生ぬるい、もとい微笑ましそうな表情で言えば、二人は言い合いをやめて無言で顔を見合わせる。
「まあ、五日も一緒にいればなあ」
「最初は空さんのやる気のなさに辟易しましたけどね」
梓はそこでハッとなると、ビッと細い人差し指を突き刺す勢いで空に向けた。
「てかさっきのだって、空さんが寝落ちせずにちゃんと周囲を見張っていればこんなことにはならなかったんですよ! こんなことならオレが見張りにしとけばよかった! そもそも空さんが『めんどい』の一言しか言わないからオレが物品調達に向かうことになったし戻ってこれば人質にされるし女に間違われるし!!」
「いや、まあ、さすがに今回は悪かったと思う。けど最後の部分については俺は何も悪くねえぞ」
「梓くん、声を出さなかったら女の子と間違えるぐらい可愛いよね」、と言いかけた怜は、その直前に恒輔に口を塞がれた。
「
「自分、今絶対失礼なこと言おうとしたやろ」
そんなつもりはないと首を振ろうとしたが、そのときにはすでに恒輔は怜から離れ、前の二人に話しかけていた。
「それよりも気になったんですけど、後ろに積んどるのって食べ物が多いですよね? それも肉や野菜といったものが大量に。こんな暑い中ですよ? 冷蔵庫に入りきる量やないのに、どうして?」
「お、いいところに目をつけるな」
空が右にハンドルを切りながら恒輔を褒める。
怜と恒輔が座っている場所のすぐ後ろ、少し無造作に積まれたダンボールの山が見えた。十人は乗れるロングバンは広く、その最後部座席にまで荷物は積まれていた。よくよく見れば近くのダンボールの一番上に見えたのは、肉が包まれたパッケージだった。
「ここはな、どういうわけか食いモンが腐ることもなけりゃ減ることもない。おまけにその日に負った怪我も次の日には治るんだ。だからそれ、明日には治ってるぞ」
空が少しだけ後ろを振り返り、頬をトントンと叩く。「そりゃ良かったですわ」と恒輔が絆創膏の上から傷口を撫でる横で、怜はぼそりと「......変なところだね」と呟いた。今さら何が起きても驚く二人ではなかった。
「ご都合主義って思うだろ? だけど本当のことだ。試しに肉と野菜と魚を炎天下に放り出してみたが、一向に腐る様子を見せねえ。それにコンビニで勝手におにぎりを拝借しても、次の日になりゃまた勝手に補充されてやがる」
「誰かいたんやないですか?」
「客がいないどころか外を化物がうろついているような場所でか? 俺はそうは思わない。そもそもが常識がひっくり返るような世界なんだ。常識の通じる部分がある方がいろいろと勘繰っちまう」
空の言い分に納得したのか、恒輔は「なるほど」と返したきり、真剣な顔で何やら考え出す。その間に怜が別のことを質問した。
「さっき、化物について二人に話した。あの化物に、二人とも会ったことあるんですか?」
「ああ、ありますよ」
今度は梓が答えた。
「あいつらはいろんな形をしてますけど、共通点もあるんです。例えば、あいつらは一瞬でも建物の陰に隠れるとすぐ見失うみたいなんです。逃げてる途中で隠れたらすぐキョロキョロしだして、頭は悪いみたいですね。それと聴覚がない。やつら、何も聴こえていないらしいんですよ」
「つまり、見つかったら大変だけど、やり過ごす方法はいくらでもある」
「そういうことです」
梓が怜に向かって、グッと親指を立てる。
怜は襲われたときのことを思い出した。あのときの自分たちの位置を考えれば、化物に恒輔の姿は見えていなかったはずだ。聴覚がないというのが本当なら、そもそもいたことすら気づいていなかったことになる。
――俺とニャー太ばかり狙われたのは、俺たちしか存在がわからなかったからかな。
理解した怜は、一人納得して頷いた。
「っと、そろそろ拠点に着くな。おまえら、今日はここで泊まっていけ。野宿は危険だからな」
「ほんまに感謝します」
「いやいや、礼を言うのはこっちの方だ。よく撃退してくれたよ」
「って言っとるで、怜」
怜は眠たそうな眼差しで二回ほど瞬きを繰り返し、ゆっくりと首を傾げた。
「俺、礼を言われるようなこと、何もしていない。あれは俺が勝手に動いただけで、本当は二人を助けようとは.......」
「あはは、怜さんってたしかにそんな感じしますよね。でも、それで良いんです。オレたちは、怜さんの『勝手に動いた』の恩恵にあやかって助かった。どのみち怜さんが動いてくれなければ危険だった。そんな難しいことじゃないんですよ」
梓がそう言ってさっぱりとした笑い方をするものだから、怜も流されて「そういうものか」と飲み込んだ。
不思議な人たちばかりだと思う。出会ってすぐの人間を仲間にして、感情を取り戻してやろうとしたり、泊めてやろうとしたり、自分の自己満足の行動に感謝したり。それが、ほんの少しだけ悪くないように思えた。何かを「与えられた」と感じた。
――与えられたなら、返す。それが当たり前のこと。
何か返せるだろうか。返せるのなら返してやりたいと思う。その方法はまだ思いつかないけれど、返すぐらいなら怪物にだってできるだろう。
「よし、見えてきたな。ほら、あれが俺たちが拠点にしている家だ」
坂を緩やかに上っていた車が、グッと頂上へ上がる。頂上の左右正面にも住宅街が広がっていたが、怜たちが歩いてきた道ほど所狭しと並んではいなかった。空が顎で示した先、灰色の壁のそれなりに大きな家が、行き止まりを隣にして左の隅を陣取っていた。
「結構大きな家なんやね」「空さんが最初に目覚めた場所らしいですよ」などと恒輔たちが会話しているのをよそに、怜は二階のカーテンをじっと見つめていた。
そのカーテンが風なんて吹いていないというのに、少し、揺れたような気がした。
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