第14話 二人の関係

「こっ、これがEの弾力……!」


 風呂は貸さんと断り続けていれば、なら服の上からだけどと、飯野さんは唐突に紗那の手を自らの胸へと押しあてた。

 さすがに男の目があるところで揉めないと躊躇した紗那だけど、俺とおっちゃんしか見ていないし、肌を見られるわけでもないからと笑う飯野さんに促され、一揉み、二揉みしたところ……予想外の感触に熱が入ってしまったようだ。


「わたしのとは全然違うのです! あぁ……こんなに形が変わって……ああっ」

「んっ、あ、さなちゃん、積極的ー……あんっ、ソコは弱い……んんっ」


 紗那の手つきにいやらしさが混じり始めると、飯野さんの体がピクンと跳ね、艶のある声が漏れ始める。

 その光景はとてつもなくエッチで、しかし女同士の、男が入る余地のない禁断の花園での出来事には、どこか清純ささえ感じてしまう。

 だが、やはりエッチで、紗那一途の俺でさえも胸を揉まれて声を漏らす飯野さんに反応してしまう。ダメだ俺は負けないと心を強く持つのだが、リアルに聞くお姉さんの喘ぎ声に一体何度屈しそうになっただろうか。

 それにそもそも、俺はいつまでこれを見ていれば良いのだろうか。


「はぁ、はぁ……なんか、思ったよりも恥ずかしいなー……ごめんねさなちゃん、今日はこれでおしまいー」


 飯野さんは一言断ってから後ろに引き、紗那から距離を取る。その顔は赤く上気していて、額には薄っすらと汗をかいている姿が、特殊な運動の後という雰囲気を醸し出し、実にいやらしい。眼福でしたお姉様。


「んふふー、続きはまた今度ねー。その時は、もーっとサービスしてあげるー♪」


 そう紗那に言いながら……けれどチラリとおっちゃんを盗み見てニヤニヤと口元を緩ませる彼女の姿は、何やら甘酸っぱい感情を抱いた乙女のようだった。

 そしてその視線を向けられたおっちゃんは、困ったように頭を掻いて、勘弁してくれと苦笑する。

 何だか良い雰囲気の二人を見ていると……どうしてもこの疑問を口にせざるを得なかった。


「もしかしてだけどさ、二人って付き合ってるの?」

「ううん、まだ私の片想い中ー。あ、でもぉ、女の子が好きなのもホントだよー? だから彼女ができたらえんちゃんに養ってもらうつもりー」

「おう、その時は任せときな。都内の一等地に豪邸を建ててやるぜ」


 それきっと実現可能なんだよね?

 もう怖いよこの百合厨。資金力でマウント取るのやめてくれない?


「さなちゃんさなちゃん、その時はいつでも遊びに来てねー。あ、それとも一緒に住んで養ってもらうー? 毎日イロイロし放題だよー?」

「魅力的な提案なのですが……わたしにはわたしの夢があるので、お断りするのです」

「夢? なになにー?」

「ふふふ、聞いてください千歳お姉様。わたしの夢は、素敵な旦那様と結婚して、家事の合間にエロゲをやることなのです!」


 ドヤっと胸を張る紗那だが、聞かされたおっちゃんと飯野さんは、理解不能とばかりに首を傾げる。心中お察しします。


「パンチの効いた夢じゃねぇか……」

「うんうん……応援してるね、さなちゃん」


 それでも否定せずに応援という大人の対応には脱帽だ。

 趣味はアレだけど人が出来ていると言うべきか。


「と、言うわけで……期待しているのです、先輩」

「ああ……都内に豪邸は無理だと思うけどな」

「情けねぇこと言うなよ賢一。そんなの二年くらい頑張れば稼げる額だろうが」

「いや無理だから! そりゃ、おっちゃんなら稼げるかもしれないけど――」

、魔法使いだろ? じゃあ稼げるに決まってんじゃねぇか」


 その一言で俺の気持ちが固まったのだと、俺は後にして思った。

 昨日の今日で、まだ実感がないのは仕方がない。それでも、確かに俺は魔法使いになって、これからも魔法使いとして生きていく。

 とは言え、今の俺は目の前のことだけで精一杯で、未来のことをちゃんと意識していなかった。そもそも意識したところで魔法使いという未知の世界のことをまだ何も知らないのだから、未来設計なんて立てられるわけもない。

 でも、だからって知らないからと思考を放棄せず、この世界に飛び込んで順応することが俺のために、ひいては紗那のためになるんじゃないのか?


「一端の顔になったじゃねぇか」

「さなちゃんのために頑張ってねー、けんちゃん」

「……ああ。まだはっきりわかってないけど、いつか紗那が心置きなくエロゲをやれるように、頑張っていくよ」


 それはそれでどうなんだ? という顔を向けられているが、無視しよう。俺は何よりも紗那のために生きていくと、今改めて決めたのだから。目指す先がエロゲ充してる紗那でも良いじゃないか。


「そんじゃ、俺らはそのフォローに励むかねぇ。ちーちゃん、予定通り車を出してくるから、ここは少し任せるぜ」

「はーい。早く帰ってきてねー、えんちゃん♪」


 おっちゃんからの頼みに投げキッスを飛ばす飯野さん。だが、おっちゃんはこれをスルー。

 しかし飯野さんは悲しむ様子もなく、去っていくおっちゃんの背中を嬉しそうに見送っていた。 


「あの、飯野さん? おっちゃんと歳離れてると思うんだけど、どこが気に入ったの?」

「んー? そうだねー。色々あるんだけどー、一番は怒ってくれたところかなー?」

「怒ってくれた?」

「うんっ。あれは初めて会った日のことなんだけどねー……」


 ――そこから飯野さんが話し始めたのは、播男に襲われた、その時のことだった。

 重傷を負い、生死の狭間に足を踏み入れた時、死を覚悟した飯野さんの耳に、獣が吼えるような怒声が聞こえてきたのだという。


「ごるぁぁぁ! とか、死ねぇぇぇ! って声と、に、私のためにこんなに怒ってくれる人がいるんだなーって思って……意識はそこで途切れてるけど、気になるようになったのはその時からだねー」

「ぶち切れなのです。大将さんとはその頃から仲が良かったのです?」

「ううん、見たことはあったけどー、話したことは一回もなかったかなー?」

「それでぶち切れできるところがおっちゃんの良いとこだよなぁ」

「そうそう♪ 実際キレすぎて、本気で播男を殺そうとしてたみたいだからねー」

「…………え?」


 おっちゃんが、人を殺そうとした?


「途中からえんちゃんが止められてたんだってー。今でもたまにー、邪魔さえ入らなけりゃあの時殺せてたーって愚痴ってるよー」

「…………」


 おっちゃんが人を殺そうとした。

 その事実は、人情派蛸入道の姿を見続けてきた俺にはとても信じられない出来事だった。

 当然悪いのは播男だから擁護する気は無いし、殺されても文句は言えない外道だと心底思うけれど、それでも、魔法使いの価値観が一般人のものとかけ離れていることは間違いなかった。

 俺はこれからそんな物騒な世界に飛び込んでいく。

 それはつまり、俺もいつか誰かの命を奪う時が来るのかもしれなくて……誰かから奪われる可能性だって十分にあるということだ。


「……先輩」


 物思いに耽っていた俺の服を掴んだ紗那は、それ以上何も言わずに見つめてくる。

 魔法使いになって後悔しているかと言いたげな瞳に首を横に降って返してやれば、それでもまだ申し訳なさそうに、紗那は俺に体を預けてくる。

 ちょっと空気が悪くなったのを誤魔化すように紗那の頭を撫でてやると、黙って見ていた飯野さんが、再び口を開く。


「……その後、私は無事に生きて退院できたんだけど、顔の傷がキモいとか萎えるとか色々言われてねー。大学も中退したしー、友達も減ったしー、お見合い話も0になったしー、親も腫れ物みたいに扱うしー、もう生きてるのが辛くて、自殺しようって思っちゃったんだー」

「千歳お姉様も……」

「うん。でも、最後にあの声の人に会いたいなーって思って、えんちゃんを探して『焔』に行ったの。そしたら、考えがバレちゃったのかな、根性を叩き直してやるってバイトさせられることになってねー。こんな傷物が居たら評判落ちるからって断ったんだけどー、趣味だからいいんだよって、あの調子で笑ったんだー」


 その光景がありありと思い浮かび、先程感じた不安が消えていくのがわかった。やはりおっちゃんは、俺の知らないところでも人情派蛸入道として人に寄り添ってくれる存在なんだ。


「それから試しにバイトしたりー、えんちゃんの趣味を知って、女同士もいいなって思い始めたりー、傷だらけでも気にならなくなったりー……色々あって、今は元気にやってまーす」

「良かったのです……千歳お姉様が幸せそうでわたしも嬉しいのです」

「ありがとーさなちゃん。今は辛くても絶対に幸せになれるから、二度と自殺なんてしちゃダメだよー?」

「……はい。肝に命じるのです」


 それは人生の先輩として、そして、紗那より先に篠原播男という男に関わった先輩としての、重くも優しさに満ちた言葉だった。

 百合だなんだとおちゃらけたりもしていたけれど、きっと飯野さんの中では、紗那を守ってみせるという、業火のような想いが胸に灯っているのだろう。



         ○●○●○●


 何とか誤魔化せたかなーと、飯野千歳は笑顔を浮かべたままで安堵する。

 賢一と紗那に話した想い人との馴れ初めは、ほとんど正直に教えたものの、本当に大事なところは告げていなかったからだ。


「(さすがにアレを言ったらえんちゃんに怒られちゃうもんねー)」


 今思い出しても恥ずかしいと、あえてぼかした思い出は、千歳が『焔』に行ったところから捏造されていた。

 なぜなら千歳はあの時、お前が邪魔しなければ私はあのまま死ねたのにと怒鳴り込みに行ったのだ。

 怒りに任せて喚く千歳の罵声を炎治えんちゃんは黙って聞いていて、それが気にくわなくて殴り付けて、しかし炎治はそれを受け入れた。

 一方的な暴力は数分続き、痛みで拳が握れなくなった頃。それでも生きていれば幸せになれるという炎治の一言を聞き、千歳の怒りは再燃した。

 顔にも体にもついた消えない傷痕は、女が絶望するには十分すぎる枷なのだ。なのにこの男は何一つわかっていないと、千歳は衣服の全てを脱ぎ捨てて、女として死んだ裸身を炎治に晒す。これでも死ぬなと言うなら邪魔をしたお前が責任を取れと、自棄になって叫んだのだ。

 そして……萎えると、傷物だと言われた体を、まるで傷一つない柔肌を扱うように優しく、しかし段々と荒々しく求められた千歳が別の意味で死んじゃうと白旗をあげる頃には、絶望の二文字はきれいさっぱり頭の中から消えていた。

 憎しみさえ感じていた相手は、全くタイプじゃないはずなのに、今では全てが愛しくてたまらない。

 歳の差と負い目を感じているのか、自分からはしてくれないところと避妊を徹底してくるところは不満だが、こんな関係をもう4年も続けていれば、薄壁一枚などあって無いようなもので、新たな幸せが舞い降りてくるのも時間の問題だった。


「(早く♪)」


 炎治に感化されて女の子に目覚めたのは本当で、紗那のような可愛い子をのも本当だ。

 それでもきっと本気にはなれないと確信しているのは、傷だらけのこの体が炎治を忘れられないからだが……そういう大人の情事は子供には早いと、千歳は嘘を悟られないよう、笑顔を張り付けたまま炎治の帰りを待つのだった。

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