第9話 来訪者

「やっべぇ……」


 いつの間にか眠っていたようで、外はすっかり日が上っているようだった。

 爽やかな朝。しかも休日とくれば、二度寝もよし、出掛けるのもよし。特に両親不在の俺の場合は何でもできるのだ。

 ……が、そっと目を逸らしたくなる現実、もとい昨夜の自鎮祭の痕跡を目の当たりにした俺に取れる選択肢は、掃除以外にありはしないのだった。


「まずは換気! そんでもってゴミ捨てて風呂入って……ああ忙しい!」


 自業自得とも言うが、仕方ない。昨夜いただいたお宝画像には力尽きるまで励んでしまう破壊力があったのだ。



         ○●○●○●


 昨夜の晩飯が効いて、今朝は朝食を抜いても問題がなかった。

 おかげで掃除と風呂を済ませて準備が完了したタイミングでタイムアップを告げるチャイムを聞くことができた。

 もし悠長に朝食を食べていれば証拠隠滅が間に合わないところだった。おっちゃんマジありがとう。


「はいはーい!」


 感謝をしつつも、いつまでも紗那を待たせるわけにもいかない。

 俺は部屋を飛び出し、ダッシュで玄関に直行。しかし驚かせないように扉はゆっくり開けると――


「お、おはよう……なのです」


 そこには、天使がいた。

 艶のある黒髪ツインテは今日も紗那の童顔に似合っていて、白のカジュアルシャツにお洒落なネクタイは赤いチェックスカートと合わさって最強だ。

 そして忘れちゃならない黒ニーハイが俺の心を殺しに来る。

 女子のオシャレに詳しいわけじゃないけれど、これは百点満点だ。俺の中では百点満点の花丸だ!


「あ、あの……滅多に外出しないので、あまり服を持っていなくて、その……ありもので何とか揃えてみたのですが……言葉も出ないほど、がっかり……させちゃったのです?」

「馬鹿言うな天使! いや間違えた紗那! 俺はただ天使かと思って言葉が出なかっただけだ!」

「て、てん……そんな大層なものじゃないのです」

「いやいやいやマジ可愛い! 可愛すぎて逆に申し訳ない……俺なんてただのTシャツにジーンズだし」

「いえ……初めて私服姿を見たのですが、その、似合ってるのです。新鮮で……うぅ、照れるのです」


 照れて顔を両手で押さえる姿に、俺のライフが尽きそうだ。

 紗那が神々しすぎて浄化されそう。


「と、とりあえず、いつまでも外じゃなんだし、入って入って」

「は、はいっ、お邪魔するのです!」


 中に促すと、紗那は声を上擦らせながら家の中に入ってくる。

 しかし、ウチは豪華な庭付きの豪邸でも高級マンションでもない、そこらにあるような二階建ての一軒家だ。

 更に言うと今は両親不在で俺一人だから、緊張するだけ損な気もするが……逆の立場なら同じことをしてるだろうから野暮なツッコミはしないでおこう。


「ところで意外にも大荷物だな?」


 今日はウチで修行をするだけのはずだが、紗那はまさかのキャリーバッグを転がしてやってきた。

 小柄な紗那に似合う小さな物だけど、ウチに来るにはいささかミスチョイス感が否めない。


「色々詰め込んできたのです。修行用の教材を始めとして、着替えから歯ブラシ、更には先輩に布教したい愛読書マンガまで幅広く用意しているのです」

「ラインナップがお泊り会に行く子のソレなんだけど」

「惹かれる単語なのです。徹夜でゲームやオタ話とかしてみたいのです」


 そう言って試すように俺をチラ見する紗那。

 それを実行するためにはお泊まりしなきゃいけないんだけど、わかってるのかな? 誘ってるのかな?

 ――いや待て、あの穢れのない純粋な瞳を見ろ!

 これはアレだ。エロいこと一切抜きで、ただ単純にお泊まり会という今まで縁遠かったものに憧れているだけだ……!


「紗那……俺ならいつでも付き合ってあげるからね」

「……何故泣きそうな顔をしているのです?」

「いや、ただ目にホコリが入っただけさ」


 そういや紗那の口から友達の話を聞いたことはなかったしなぁ。つまりそういうことなんだろうなぁ。

 でも大丈夫、ボッチ生活中に憧れたことは俺が一緒にしてあげるからな。


「よくわからないのですが、言質を取ったのです。全てが片付いたらお泊まり会を開催するのです」

「ああ、約束だ。盛大に盛り上がろう」

「楽しみなのです」


 楽しみにする紗那が幸せそうで可愛い。


「ささっ、とりあえず俺の部屋に行こうか」


 いつまでもボーッと立たせているのも悪いので、掃除を終えたばかりの自室に紗那をご案内。

 見られちゃマズイものは別の部屋に隠しているので、よくあるエロ本が見つかるようなイベントが起こることはない。


「ここが……男の人の部屋に来たのは初めてなのです」


 俺の部屋は、ベッドやテレビ、ゲームにマンガと、いわゆる今時の男の部屋にあるものが揃っている。

 見慣れた俺には何でもない光景だけど、そうではない紗那は楽しそうに、そして感慨深そうにキョロキョと部屋のあちこちに視線を飛ばす。


「エロ本はどこにあるのです?」

「両親の寝室」

「う……卑怯なのです。勝手に入って探せないのです」

「もし今親が帰ってきたらと思うとドキドキが止まらないよ」


 苦笑しながら紗那のキャリーバッグを部屋の隅に置く。意外と重量があったのは、愛読書マンガ辺りが原因か?


「あ、その荷物は、ずっとここに置かせてほしいのです。それなら学校帰りに寄っても修行ができるのです」

「いいのか? もしかしたら俺が中を見るかもしれないぞ?」

「想定内なのです。例えば中に入っているわたしの下着をクンクンしても、汚さなければ不問にするのです」

「……どうしたの? 昨日から供給過多すぎて不安になるんだけど。なんか無理してない?」

「まさか心配されるとは思わなかったのです」


 そうは言うが、昨夜の一枚だけでも相当に勇気がいる行動だったはずなのだ。いくら俺に危険が迫っていたと言っても、更に下着までなんてもらいすぎで、お詫びの価格が暴落してしまう。


「昨日のことを後悔してたとしても、それはお詫びの一枚を貰ったんだから気にしなくていいんだぞ?」

「あんなもので済むと思えるほどわたしは自意識過剰ではないのです。なので足りない分の補填をさせてほしいのです」

「……?」

「です。可能な限り対応するので、何でも言ってほしいのです」


 何やら強い信念を持って拳を握る紗那の顔は、決して冗談を言っているものではなかった。

 きっと昨夜の画像を送った後も、何が俺に喜んでもらえるのかと一人で難しく考えていたんだろう。誰にも助言をもらえない中で必死に考え抜いた結果がエロの供給過多というのもアレだけど、そこはいい。正解だから。

 でも、俺はそんな悲しそうな顔をする紗那からはもらえない。

 そもそも、あんなものって……どうやら価値をわかっていないらしいな。


「昨夜は紗那とのキスやあの一枚で、大変捗りました」

「はい? あ……え、えっと、良かったのです」

「多分、今紗那が想像した量の10倍は捗りました」

「じゅ……えっ、じゅう……!?」


 思わず目を見開いた紗那の視線が俺の股間に突き刺さる。

 よせやい、照れるじゃないか。


「し、信じられないのです……証拠はあるのです?」

「それはさっきゴミ収集車の中に旅立っていったよ」

「ゴミ箱の掃除は禁じたはずなのです!」

「あれはR18指定だ。良い子は見ちゃいけません」

「うぅ、もう少し早く来るべきだったのです」


 やめて。ホントにやめて。


「とまあ、紗那はそれだけ魅力的で、あの一枚にはかなり価値があったんだから、あんまり自分を卑下するもんじゃないぞ」

「ですが、ご覧のとおりチビの貧乳なのです」

「そこを誇れよ! めちゃシコだろうが!!」

「説得力が半端無いのです……全国の同志の身が危険なのです」

「いや紗那だけだからな!? 誰でもいいわけじゃないから!」

「……本当にこんなわたしでいいのです?」


 急になにを当然のことをと思ったら、紗那は唇をギュっと噛み、今にも泣いてしまいそうな表情で俺を見てくる。

 これはいわゆる捨てられた子犬のような目だ。おいおいそれは俺の専売特許だろ? 真似っこしちゃいけないぞ。


「紗那でいいかどうかって話なら、当然紗那でいい。俺が紗那のことを困らせるくらいに好きなのは知ってるだろ?」

「それは、そうなのですが……わたしは自分の容姿や性格に自信が持てないので、手放しには喜べないのです」

「バカ言うなよ。紗那のポテンシャルは無限大だ。全てにおいて俺にベストマッチしてくる唯一無二の逸材だぞ?」

「わたしにそんな評価を下すのは先輩だけなのです」


 そう断言した時の紗那の声は、あまりにも無機質なものだった。

 感情が抜け落ちた目で俺を見つめる紗那が、一体その脳裏に何を思い浮かべているのか、今の俺にはわからない。

 今わかるのは、どこかの誰かが原因で紗那はこんなに悲しい目をしているってことと、そいつは俺と絶対に相容れない敵だってこと。そして、今はそんな奴に構っていられないってことだ。


「……よしよし。俺はいつでも紗那の味方だからな」


 今も目の前で傷付き続けている紗那を抱き締めると、華奢な体がビクンと跳ねる。しかし逃がさないよう力を込めれば、紗那は黙ったまま、俺の胸板に顔をグリグリと押し付け始めた。


「なあ紗那。詳しいことはわからないけどさ、俺からの評価だけじゃ不満なのか?」


 ブンブン、と紗那が頭を横に振る。


「だったら、何を言われても無視しちまえよ。敵の言うことなんかまともに聞いてやる義理なんてあるか?」


 ブンブン、とまた頭を横に振る。


「もし他の誰かに悪く言われても、俺がその何倍も褒めちぎる。そう考えたら、悪口なんてただのボーナスタイムだろ?」


 今度はそう問いかけてみると、紗那は少し時間を空けて、首を傾げた。


「あれ?」

「よくわからないのです」

「良い例えだと思ったんだけどなぁ」

「先輩は自分が特殊な人間だと自覚するべきなのです」

「ひでぇ」


 ちょっぴりショック。

 だけど、紗那は少し元気を取り戻したようで、その声色は幾分明るい。

 上手く慰められたとは言いがたいけれど、紗那が元気になったのなら結果OKだ。


「…………ぃ」

「ん? どうした?」

「……げて」

「え?」


 腕の中の紗那が、冗談のように激しく震える。


「早く……! 早く逃げるのです! 魔法使いが……来るのです!!」


 紗那が悲痛な声で叫ぶのと同時に聞こえたのは、不穏な来訪者を告げるチャイムの音だった。

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