第8話 後悔

「(なに、アイツ)」


 その男の顔を見たことは、一度も無かった。

 イケメンという言葉を使うほど顔が整っているわけではないが、決して不細工でもない。例えば一夜の火遊び相手としては合格点で、彼女がいると言われても納得はできる。

 しかし、修羅場の一つも経験していないだろう腑抜けた面構えと、お粗末な魔力循環には失笑するしかなかった。


「(誰? あんなヤツ知らないんだけど?)」


 176cmほどの身長とどこか幼さの残る顔付きから、恐らく20歳には届いていない――16~18歳くらいの高校生だろうとあたりをつけるものの、そうだとすれば更に疑問が浮かぶ。何故自分はあの男を知らないのか、と。


「(この辺の子なら絶対知ってる、つか、)」


 一言で言って怪しい。これは一度接触するべき――


「っ!!?」


 男に近付こうと足を一歩踏み出したその時、暴風のように荒れ狂う魔力がすぐ傍から吹き出した。

 何もわからず、しかし咄嗟に魔力の質を高めて戦闘準備を整えた時には、すでに一端いっぱしの、に変わっていた。

 ……が、異常とも呼べる魔力の発生源――鉄板焼『焔』を見た瞬間、その顔は苦虫を噛み潰したようなものに変わる。


「何あれ、超キレてんじゃん。手ぇ出すなって?」


 実は全くの偶然だったものの、そう誤解してしまった。

 ならば手を出すわけにはいかないと、戦闘モードを解除して、普段通りの状態に収めていく。でなければあらぬ誤解を受けて、命を捨てることになってしまうのだから。


「もしかして秘蔵わけありっ子~? あーやーしー♪」


 いけすかないクソジジイの鼻を明かす材料になるかもしれない。そう思うとにやけが止まらず、急ぎUターンして自宅に戻る。

 合コンの予定があったが、そんなものは中止だ。魔法使いは一般人虫けらなんかに構っていられないのだから。



         ○●○●○●


 リビングから聞こえてくる微かな声を聞きながら、風見紗那は自室で一人肩を震わせていた。


「……って感じでー、超怪しくなーい?」


 二人いる内の下の姉、風見愛奈あいなのバカっぽい声が、つい先程、外で見かけた男の魔法使いのことを話している。

 父は仕事でいないはずなので、恐らくリビングにはもう一人の姉と母もいるのだろうが、残念ながら愛奈の声しか聞こえない。

 けれど、それでも何も知らずにいるよりよっぽどマシだった。

 紗那は珍しく愛奈に感謝し、そして自分の不甲斐なさに苛立ちを覚える。


「(わたしは、バカなのです……!)」


 愛奈が見た男とは、まず間違いなく賢一のことだろう。

 どうやら接触はできなかったようだが、もし愛奈が賢一に手を出していたら……後悔してもしきれなかった。

 賢一に危機が迫っていたとも知らずに惚けていた自分に腹が立ち、紗那は思わず自傷行為に走りそうになる。

 ……だが、傷ついた自分を見た賢一が喜ぶはずもなく、何度も深呼吸をして、必死に怒りを胸の内に留める。

 そうして何とか落ち着いてきたところで、スマホを手に取り、電話を掛ける。相手はもちろん賢一……自分の大切な、彼氏だ。

 こんな時になんだけど、こんな時間に電話をするのは初めてだと少し浮かれてしまうのは、それだけ賢一のことが好きな証だった。


         ○●○●○●


「……こんばんわ」

「おっふ……」


 突然の紗那からの電話に急いで出ると、耳元で聞こえる可憐な声に昇天しかけてしまう。

 これは『焔』を出てからずっと魔力循環の練習をしていた勤勉な俺へのご褒美に違いない。なって良かった魔法使い!


「……自 チン 祭の途中なのです?」

「そんなユニークな祭りはしてないからな!?」

「そんな声だったのです。最後まで待つので続行希望なのです」

「してません! っていうかもう無理!」

「ほほぅ……彼女からのお願いで、ゴミ箱の掃除を禁じるのです」

「いやぁぁぁ!! 捨てさせてぇぇぇ!!」


 明日にでも掃除すればいいやと思って、部屋のゴミ箱はティッシュの山が形成されたままなのである。ついでに言えば腹いっぱいで元気が有り余っていたのでもう少しだけお山を大きくしたのである。

 これを見られたらさすがにドン引き案件だ。紗那に嫌われたら生きていけない!!


「必死で可愛いのです」

「くぅぅ、小悪魔紗那め……でも好き……」

「っ!? ふ、不意打ちはダメなのです……今、耳元で聞こえるから、破壊力が無限大なのです……」

「尊みがヤバい……」


 二人して悶える幸せな時間を数分過ごし、まだまだ俺はいけるぜ、寝るまで続けようぜと意気込み始めた頃、紗那がコホンとわざとらしい咳払いをする。

 なるほどこれから本題らしい。この昂った気持ちはどこにぶつければいいのだろうか。


「ところで、魔力の循環をやり直したのです?」


 あらら、やっぱり循環が途切れていたことは紗那にバレてたみたいだな。


「いやぁ、一回家に帰った後で飯食いに行っててさ、その後に紗那からのメールを見て気付いたんだよ。だから、一時間くらい前?」

「その状態で外を歩いていたのです?」

「ああ、帰りながら循環してたけど?」

「失態なのです……本当に申し訳ないのです」

「え? どゆこと?」


 沈んだ声を聞き首を傾げる俺に、紗那はポツポツと懺悔するように語ってくれた。



         ○●○●○●


「つまり俺は、結構ヤバい状況だったわけか」

「その通りなのです……」


 最初はどこか他人事のように話を聞いていた俺は、次第に明かされる魔法使いの常識という後出しジャンケンを聞いて冷や汗をかいてしまっていた。

 もし紗那の姉に絡まれていれば、俺が魔法使いになったばかりであり、そして紗那が禁忌を侵したことまで芋づる式にバレて――その制裁にどんな目にあっていたのか考えるだけで恐ろしい。


「それもこれもわたしの説明不足と見通しの甘さが原因なのです」


 まず、紗那はキスの時に俺が魔力循環を解いたことに最初から気付いていたらしい。

 けれど、あの後はもう家に帰るだけで、明日は家に引きこもって魔法の練習だ。俺が魔力を循環させながら外を歩く可能性はほぼ0だと思い、特に指摘しなかったのだとか。

 説明不足の件も、明日にじっくり話す予定だったので、今日は魔力循環のために必要な知識だけに留めていた、と。

 そう考えると、確かに紗那の見通しは甘い。なんだかんだで紗那もキスをしたことでパニクっていたんだろうけれど、致命的にタイミングが悪い気の緩み方だった。


「まぁ、でも俺が自炊をしていれば何の問題もなかったわけだしなぁ」


 更に言えば、循環させるために紗那を見てお手本にした時点で、他の魔法使いから俺が魔力循環をしていることがバレると気付くべきだったのだから、一方的に責める気にはなれない。


「あんまり気にするなよ。もう俺が魔法使いってバレたのは確実だけど、なんか邪魔が入ったんだろ?」

「……です。詳しくは聞こえなかったのですが、どこかに味方が――いえ、これに期待しては同じことの繰り返しなのです。わたしたちの味方はわたしたちだけ。そう考えて動くのです」

「ああ……俺はずっと紗那の味方だよ」

「……はい。ずっと、先輩だけなのです」


 懺悔を終えて気が楽になったのか、ようやく紗那の声から固さが取れる。

 それでもまだ不安がっている紗那を、できることなら抱き締めてやりたいけれど、今の俺には声を届けてやることしかできないことがもどかしい。


「とりあえず、明日からは練習……いや、修行だ。厳しくビシバシ頼むぞ」

「Mに目覚め――いえ、茶化すのはやめて真面目にいくのです」

「ああ、おちゃらけ厳禁だ」

「そもそもすでに目覚めているのです」

「目覚めてないからな!?」

「責められるのはお嫌いなのです?」

「………………好き」

「手遅れなのです」


 だって仕方ないじゃないか! 思ってた以上に心と体が喜んでしまったんだから!

 むしろ俺も自分の新たな一面にビックリだ。これを拗らすと百合好き蛸入道という手の施しようがない存在になりそうだし、しっかり自制していかなければ!


「明日は予定より早めに行くので、夜更かし厳禁なのです」

「ああ、ボチボチ練習を切り上げて寝るよ」

「切り上げてはダメなのです。寝る時も常に循環させるのです」

「あ、そっか。そうだな。無意識にできるようにならないとな」

「です。何をしていても循環できて及第点なのです」

「わかった。またその辺のことも詳しく教えてくれ」

「はい。では……おやすみなのです」

「うん、おやすみ」


 名残惜しくも電話を切って、俺はベッドにダイブする。

 今日起きたことを振り返りながら、もちろんその間も魔力循環を止めずに、数分ほどボーッと天井を眺めていた。


「魔法使い、か。まだ実感がわかないなぁ」


 魔力を感じられるようになったし、魔法も見た。

 それでもまだぼんやりしていて、紗那が彼女になったことの方がよっぽど印象深く、実感もわく。

 あのちっちゃくて可愛い紗那が彼女になった。小悪魔で意外に積極的でえっちなことにも俄然乗り気でぷにぷにでぺろぺろで最高な彼女だよ俺の紗那は!


「いかん、鎮まれ愚息よ……もうおかわりは無しだ」


 さすがに今日一日でやりすぎた。ご褒美タイムは終了し、掃除に励まなければ……


「ん? なんだ?」


 ピロン♪ という音を聞いて再びスマホを見てみると、『お詫びの品なのです』という紗那のメッセージが届いていた。

 なんのこっちゃと思っていたが、数秒後には画像が送られてきて――


「なぁぁっっ!!!??」


 その画像を目にした瞬間、俺の頭に雷が落ちた。


「なぁぁぁんっ!!!??」


 贈られてきたのは、羞恥に顔を赤く染め、手で目を隠している紗那の自撮り画像だった。

 しかし、俯瞰で撮られたその紗那は、記憶に新しいストライプ柄の下着を纏った――否! 身に付けていない状態で、口を大きく開けて小振りな舌をつき出しているではないか!


「ななななな、なんちゅうもんを……!!」


 唾液で光るお口のいやらしさは経験済みで、あの時の苛烈さを想起させるには十分すぎた。

 細く白い肢体も惜しげもなく晒されており、胸だって、ブラとの隙間からほんのわずかに小さな膨らみが覗いている。

 拡大しても大事なところは見えないが、それでも、パーフェクトな、を思わせる神がかったワンショットだった。


「け、けしからん……! けしからんぞ紗那ぁぁ!」


 脳内で『夜更かし厳禁なのです』という電話での紗那の言葉が思い出されるが、悲しくも今のこの欲情に抗う方法は思い付かず……俺はまた、ゴミ箱の山を高くするのだった。

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