第7話 七不思議
「…………ふぅ」
部室を出た頃には茜色に染まっていた空も、すでに暗くぼんやりと輝く星空へと変わってしまっていた。
それほどの時間を帰宅後すぐに行った
「やべぇ、明日紗那が来るまでに掃除しなきゃ……」
もしもこのゴミ箱を放置したまま紗那を迎えたら、またもや魔法の練習どころの話ではなくなってしまう。
「っていうか、普通に誘ったけど、明日は紗那と二人っきりか……」
いつも部室で二人っきりだったけど、それも僅かな時間の話。
何より恋人になり、キスまでしてしまったわけだから、これまでの二人っきりで培った経験則は全く通用しないだろう。
フフフ、明日はまたハードな1日になりそうだ。
「さてと、紗那に住所送って、飯は……外で食うか」
さすがに今日は疲れたので自炊をする気にもならない。
しかし
こんな時は、久しぶりにあそこで腹一杯食うとしよう。
○●○●○●
「らっしゃい! ――おぉ、よく来たな賢一!」
暖簾をくぐって店内に入ると、相変わらずの厳ついスマイルを浮かべた蛸入道が俺を出迎えてくれる。
ここ、鉄板焼き『
コの字型のカウンターで6席しかなく小ぢんまりとしているが、いつ来ても満員になっていない、というか今は俺しか客がいない悲しい店だ。
「今日もガラガラじゃん。ホント大丈夫?」
「趣味だっつってんだろ? ガキが一丁前に心配してねーで、さっさと注文しろ」
このやり取りも毎度のことで、挨拶がわりのようなものだ。
実際、俺が心配しなくても本業で稼いでいるらしく、閑古鳥が鳴いている状態を8年以上維持していても、一向に潰れる気配がない。これがこの店の七不思議の一つである。
ちなみに何故8年かと言うと、初めて父さんに連れてきてもらったのが8年前だからだ。
このおっちゃんは父さんの昔馴染みらしく、俺との付き合いもすでに8年。もう第二の父親のような存在と言っても過言ではない。
「おっちゃん、肉焼きそばの並とキムチ焼き飯の並で」
「おうっ!」
威勢の良い返事をしてから、おっちゃんはまず200gほどの肉塊を焼き始めると、その隣で並行して、お茶碗山盛り2杯分の白米を炒めていく。
これがこの店の七不思議の二つ目で、注文が通っているようで通っていない不思議。
「毎度のことだけど一応言っとく。並だっつってんだろ!」
「若ぇんだから食える食える! 実際いつも食ってんだろが」
「詰め込んでギリギリな! おかげで1食分浮いて逆に助かるけど!」
「あぁ? 助かるって、金に困ってんのか?」
おっちゃんは厳つい顔をしているが、意外にも人情派である。これは七不思議ではないけれど。
「いや、そうじゃないけど、食費が浮く分にはいいだろ?」
「みみっちいこと言いやがって。金なんて使わなきゃ意味がねぇだろうが」
道楽で赤字を出し続ける店を維持している人が言うと説得力がありすぎる。しかし俺はこんな大人にはならないぞ!
「できたぞ。ほらよ、たんと食え!」
赤字でも手際は良くて、あっという間に夕飯の完成だ。
サイコロステーキがゴロゴロ入った焼きそばと、大量のキムチで真っ赤に染まった大盛りの焼き飯は、見る者の食欲をじわりと奪っていく。
「いただきます!」
まずは肉塊焼きそばをぱくり。肉汁で脂っこい。
次に紅蓮の焼き飯。キムチの汁でベッチャベッチャ。
「どうだ? 今日も美味いだろぉ?」
ご覧の有り様なのに何故かドヤ顔を披露してくるのがこの店の七不思議の三つ目だ。おっちゃんのハートは鉄板で出来ているに違いない。
因みに色々とアレだけど、素材の味に助けられてそこそこには美味い。この肉とか特に高いんだろうなぁ。
「ところでおっちゃん、例のアレはどうだった?」
気分転換に前回来た時の話を振ると、うざいドヤ顔が突然真顔になり……そして2秒後にはだらしなく緩む。
「リコたんとエミリーたんが尊い……」
「お、おう……そっか……」
この店の七不思議の四つ目。おっちゃんはこんな見てくれだが、三度の飯より百合が大好きなのである。
「ありゃあ良いな、思わず円盤をコンプリートしちまったぜ」
「大人買いだ……まあ、気に入ってくれて良かったよ」
前回の話とは単純に、おっちゃんが好きそうな作品を見つけたので教えた、というだけの話だ。機械音痴で情報収集が下手なので、たまにこうやって作品を教えてやっている。
そして、こんな百合作品があるっぽいよ、と教えただけなので、俺はリコたんとエミリーたんとやらがどんなキャラかは知らないが、きっとその作品の百合カップルなのだろう。
蛸入道が百合にトキメク姿は恐ろしいものがあるが、おっちゃんが幸せそうなので俺はまた暇が出来た時に情報収集に励むのだろう。
「はぁぁぁ……好き……二人の部屋の天井になりてぇ」
「天井になったら触ることもできないじゃん」
「滅多なこと言うもんじゃねぇぞ賢一、そんな恐れ多いことできるわけねぇだろうが!」
「ピュアかよ」
父さんの昔馴染みだからいい歳してるんだけど、未だに独り身なのは、この性癖のせいだ。
以前、結婚はしないのかと聞いたことがあったんだけど、『嫁より百合を養いてぇ』と返されてからは、その手の話題を振るのをやめている。
だって金があるから下手したら実現しそうなんだもの。
「まあ、また何か見つけたら教えるよ」
「おうっ。それで、お前の方はどうなんだ?」
「んぐ?」
「ほら、部活の後輩ちゃんだよ」
夕飯を半分ほど片付けて腹8分目になりつつある俺に、おっちゃんはニヤニヤと紗那の話を促してくる。
確かにちょっとだけ話したことはあるが、まさか最初に伝えるのがおっちゃんになるとは思わなかったな。
「んへへへ……実は今日、付き合うことになったんだよ……まさかの両想いだぜへへへ」
「おおおおお!!? やるじゃねぇか賢一!」
「あぁ、なんかまだ夢みたいで……でも、思い出しただけで幸せすぎるんだぜへへへ」
「変な語尾になってんぞお前。まぁ、めでてぇからいいか。で、あいつらは知ってんのか?」
「いや、父さんたちにはまだ言ってない。付き合い始めたのもついさっきだし」
「それもそうか。よっしゃ、そんなら後で俺が電話しといてやるよ」
「頼むよ。なんか自分で言うのもハズいし」
それに、両親共に忙しいのか、俺が電話しても滅多に出ないのだ。それならおっちゃんに頼んだ方が楽でいい。
「しかしめでてぇな! どんな子だよ? 写真とかは無いのか?」
「あー、そういやまだ写真は無いな」
「……二次元ってオチじゃねぇよな?」
「リアル彼女だよ! 写真とかはこれから増えていくし! なんなら明日にでも連れてきてやるよ!」
「おっ、言ったな!? そんときゃ金はいらねぇ、美味いもん何でも食わしてやるぜ!」
いや、材料だけくれ。紗那にこの料理を食わせるくらいなら俺が作る。そっちの方が絶対に美味くなる自信があるし。
「そんじゃ、暫定だが、賢一の初彼女に乾杯だ!」
「マジでいるっつってんだろ!」
瓶ビールを直飲みするおっちゃんにおしぼりを投げ、避けられて。そんな騒がしい晩飯が今日も続く。
こんな人だからこそ、俺は今まで一人でも寂しくならなかったんだろうなと、心の中で密かに感謝するのだった。
○●○●○●
紗那からのメールが届いたのは、鉄板焼『焔』を出てすぐだった。
明日は10時頃に向かうという業務連絡的なものだったけれど、紗那からのメールならそれでも嬉しくなれる。
「さてと、帰って、寝るまで循環の練習でも……おぉぅ?」
紗那からの宿題をこなそうと思ったその時、俺はようやく気が付いた。
「俺……いつから魔力の循環をしてなかったんだ?」
魔力の循環なんてしない生活を16年過ごしてきたから、いつ循環を止めていたか全くわからない。
紗那とキスをする前までは循環させていた記憶はあるけれど……
「頭真っ白になって止めちゃってたか?」
多分そうだ。でもそれなら仕方ない。改めて魔力循環といこう。
「ふっ……よし、循環開始」
体内に感じる異物感を頼りにゆっくりと魔力を動かし始める。右手で顔を押さえるような真似はせずとも見事に成功だ。
魔力が動いている間は少しだけ体が熱くなり、いつもより視界がハッキリしてくる。
いや、視界というよりは五感の全てが鋭くなるような感じで、魔力を循環させている状態は、魔法使いという車のエンジンキーを回した感じだろうか?
事実、さっきまでは体内の魔力しか感じられなかったが、今では半径1メートルほどの範囲の魔力が感じることができる。
実力者になると何十メートルも先の魔力を把握できるのかもな。
「つっても、まだ維持するのが精一杯だな」
ただ歩いて帰るだけでも維持が大変なのに、これを無意識で24時間、ナニをしていても維持をするとか、正気の沙汰じゃない。
「尊敬します、禁忌の魔法使い様」
まだ顔も知らぬエロ師匠に尊敬の念を浮かべながら、俺は魔力循環を切らさぬように家路についた。
○●○●○●
「……あぁ? どういうことだ?」
鉄板焼『焔』の中で、店主の蛸入道は電話中にも関わらず、怒気を孕んだ声で外――賢一が出ていったばかりの軒先を睨む。
「あ? いや、なんでもねぇ……とは言えねぇか。聞くがお前、アイツに話したか?」
その問いに呆れたように、話すわけないだろうと返されたことで、店主は更に不機嫌そうに顔を歪める。
「あー……落ち着いて聞けよ?」
まるで自分に言い聞かせるように口にしながら、店主は煙草をくわえて、指先に生み出した炎で火をつける。
「……賢一を巻き込みやがったヤツがいる」
煙と共に吐き出したその言葉は重く、柔な者が聞けば――それが例え魔法使いであろうと恐怖で気を失いかねないほどの、濃密な魔力が籠められていた。
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