第5話 一歩ずつ、確実に

「成功なのです。これで先輩も魔法使いの仲間入りなのです」


 そう言って俺の拘束から抜け出した紗那は、パチパチと拍手をしながら微笑んだ。

 ここはありがとうとでも言うべきかもしれないけれど、急展開すぎて頭が全く追い付いていかない。


「えっと、もう終わり? なんか早くない?」

「当然魔力の操作ではこんなに早くないのです。今回は時間を短縮するために先輩に魔法を当てさせてもらったのです」

「え? ……いつ?」

「今さっき、こうやって全身に風の魔法を纏って、ドーンと行ったのです」


 こうやって、と言われてもわからないよ。

 そう口にしようとした俺の目に映ったのは、さっきは絶対に見えなかったはずの、薄緑のオーラのようなものを纏った紗那の姿だった。

 纏ったそれは魔力のようで、けれど違う。魔力に手が加えられた新しい何かで、例えるなら、魔力という生地を使って出来上がったドレスを目にしているような感覚だ。

 確かにそれは生地だったものだけど、すでに形も用途も変わった別物をただの生地とは決して呼べないように、これは魔力ではなく、魔法と呼ぶべき奇跡に昇華させられていた。


「おぉ……なんか見える。それが魔法?」

「です。ただ、今は見えやすいように魔力濃度――つまり威力を高めているだけなので、ただの一般人でも見えるのです。あ、この状態で抱きついたら確実に壁まで吹っ飛ぶので、接触禁止なのです」

「困ります。早く解いてください」

「……真剣マジすぎて逆に身の危険を感じるのです」


 そうは言いつつも紗那は纏っていた魔法を消してくれた。

 いくら紗那とのハグとは言え、そんな物騒すぎる状態では命がいくつあっても足りない。

 幸い、さっきは威力をかなり抑えてくれたみたいだから無事に済んだけど――


「……んん? つまり、あれは攻撃だったのか?」

「です。威力を抑えたので魔法が当たるという判定になるのか微妙な線だったのですが、そのあたりは案外ユルいようなのです」

「へ、へぇ~……」


 そっかぁ、照れ隠しのタックルかと思ったら、まさかの攻撃だったのかぁ。

 いや、まあいいけどね? うん、時短は大事だもの。結果もついてきているし、そこに文句を言うつもりは全くないよ。ホントだよ?

 ……でもね、ちょっとは時間があったはずなんだ。恋人同士の嬉し恥ずかしタイムを満喫するだけの時間はさ。なのに、そんな効率重視な考え方をしちゃあいけないよ。いけないなと、俺はそう思う。


「不満なのです? わたしは言われた通り、先輩の胸に飛び込んだのです」

「そうだけどぉ! そうじゃないでしょお!? もっと甘酸っぱいメモリーでしょお!?」

「甘酸っぱい……? わたしの中ではすでにえっちなメモリーなのです」


 せっかくの初ハグがうやむやになった原因は、勃起だった。

 効率重視だとしても、紗那は確かに俺の胸に飛び込んでくれたし、抱き締め返してくれたのだから、そこはしっかり感謝しなければいけない。

 逆に悪いのは俺の愚息であり、その監督不行き届きの俺だった件。恥ずかしさと申し訳なさで泣きそうだ。


「……その節は愚息がご迷惑おかけしました」

「いえ、元気があって大変よろしいのです」

「はは……それだけが取り柄の子で……」


 この子はいつも言うことを聞かないやんちゃ棒だと思っていたが、これほど欲望に忠実だとは思いもしなかった。

 でも仕方ない、男の子だもの。お前は悪くない。帰ったら色々楽しもうな。


「ま、まぁ、何はともあれ結果オーライってことだな?」

「です。では次の段階に進むとして……まずはその体内の魔力を強く意識してみるのです」

「ふむ?」


 言われるがままに体内に意識を向けると、これまで感じられなかった魔力が体の隅々に満ちていた。

 しかし、ごく僅かに動いているだけで、決して循環しているとは言えない。

 紗那を見れば、まるで血液のように魔力が全身を巡っているのがわかる。と言っても目に見えるわけではなく、感覚でわかるというべきか。

 視覚でも触覚でもなく、レーダーのような新しい感覚に伝わってくる紗那の魔力の動きは早く、そして滑らかだ。清流とも呼べるその美しさに比べれば、俺はヘドロの詰まった沼ってとこか。


「体内にある魔力はプールの水みたいなものなのです。魔法を当てると機械で、魔力の操作では人力で流れるプールに変えると考えれば、どちらが手っ取り早いかわかるのです」

「ふむ」

「では、次に魔力を動かしてみてほしいのです。今ある流れに逆らわず、促すように……と言ってもこれはわたしの感覚なので、先輩には合わないかもしれないのです」

「イメージは人それぞれってか。まあやってみるよ」


 紗那に言われた通りにチャレンジ開始だ。

 しかし、俺が未熟だからか、それともイメージがしにくいのか、上手くいかない。しばらく挑戦してみるも、結果は変わらず。

 ならばと自己流で力んでみるが、どうやら何も関係なかった。次は動け動けと念じるが、不発。ちくしょう。


「(っていうか、なんかこれって昔のイタイ頃を思い出すな)」


 いわゆる黒歴史というやつで、魔法に憧れて体内にある魔力を感じようとしていた時のことが脳裏をよぎる。

 まさか魔力を感じられた先に動かすという工程があるとは、当時の俺は想像すらしていなかったけれど。


「あ、今一瞬だけ流れに干渉できたのです」

「え?」


 俺は全くわからなかったが、紗那が言うには自力で魔力を動かせたらしい。

 ならもしかして……と、俺は黒歴史の時のように、目を閉じて右手で顔を押さえる中二病ポーズを取る。

 そして掌から魔力を流し込み、顔から首、胴、脚と、全身に行き渡らせるイメージを妄想すると……最初はピクリとしか動かなかった魔力が、イメージ通りに体内を巡り始める。


「……さすが先輩なのです。もう魔力の操作を覚えるとは……」

「フッ……イタくて泣きそうだよ」


 俺は今ある魔力をどうにか動かそうとしていたが、どうやら新たな魔力を流し、今ある魔力を押し出すイメージが正解だったらしい。

 動かし方さえわかってしまえば右手を外してもすんなり動かせるようになっていた。と言っても、まだまだぎこちないんだけど。


「すごいのです。わたしはそこまでいくのに1年かかったのです」

「え、そんなに? そりゃ難しかったけど、1年もかかるか?」

「突然魔力という異物感が生まれたので、把握しやすかったのかもしれないのです。逆に魔法使いにとっては子供の頃からそこに在る、空気と同じものなので、在るのはわかっていても、動かし方なんて検討もつかなかったのです」


 確かに、俺もいきなり空気を動かしてみろと言われたら、お前は何を言っているんだと問い詰めたくなる。

 だが、幸いにも俺は紗那の言うところの異物感というヒントがあったし、何より魔力操作を試みたのは今日が初めてではない。


「フフフ、マンガの知識や黒歴史厨二病の経験が役にたったな」

「真理なのです。実はオタクほど優秀だと思うのです」

「うぇ? マジで?」

「です。魔法とは頭の中でどれだけ完璧な完成図が描けているかどうかで精度が決まるのです。なので、マンガやアニメなどを参考に完成図をイメージできるオタクほど、魔法使いに向いているのです」

「へぇ~。じゃあ魔法使いにも同志が多そうだな」

「いえ、崇高な魔法使いがオタクなんかになりやがって、というのが共通認識なので、とても肩身が狭いのです」

「どこにいってもオタクは迫害される定めなのか……」


 そりゃ紗那も脱オタの危機を訴えてくるわけだ。

 どうにも堅物が多そうな感じがしてげんなりする。俺、紗那のご両親に嫌われるんじゃね? 


「……こうして話していても循環を維持できるとは、嬉しい誤算なのです。現時点で予定より大幅に時間を短縮できたのです」


 言われてみれば、魔力循環はほんの少しの間に上達していて、魔力が全身を巡りだしている。

 まだ必死に意識しないとできないので、練習あるのみなんだけど。


「その感覚を忘れず循環し続けていれば、魔法を使えるようになるのもすぐなのです」

「フフフ、紗那のスカートをめくる日も近いな」

「さす先なのです。では更に奮起してもらうためにご褒美をあげるのです」

「ご褒美!? どんな!?」

「いくつか考えているのです。甘々あまあま恋人コース、ドキドキ恋人コース、エロエロ恋人コースの――」

「エロエロ恋人コースで!!!」

「実績解除がまだなのです」

「ちくしょぉぉぉぉぉおおおおおお!!!!」

「頑張って実績解除に励むのです」


 ひどい! 男子高校生のピュアな心が弄ばれた!

 こんなに苦しい思いは初めてだ! そこにエロがあるのに手が届かないなんて、この世界は間違っている!!


「ということで、甘々あまあまコースのご褒美なのです」


 その一言と共に、紗那は凹む俺の胸に飛び込んできた。

 慌てながらも受け止めると、紗那はジッと俺を見上げた後に、ゆっくりと目蓋を閉じて小振りな唇を突きだしてくる。


「……へっ?」

「…………」

「え? 紗那? これってまさか、ききキス……?」

「……嫌なのです?」

「そ、そんなわけない!!」

「なら……いいのです」


 一度うっすらと目を開けた紗那は、少し安堵したように微笑むと、再び目を閉じた。

 キス顔で待つ紗那を目の前に、俺の心臓は激しく鼓動し、意識をしっかりと保たないとすぐに気を失いそうだった。

 けれど、ここで意識を失うなんて情けない真似はいくら紗那でも望んでいないし……何よりここで彼女の想いに応えてあげなきゃ彼氏失格だ。


「紗那……」


 俺は最後に一度だけ名前を呼んで、それ以上の余計な言葉が漏れてしまう前に、世界で一番大切な女の子の唇を奪った。


「んっ……! ん、ちゅ……」


 唇が重なりあった途端、脳が蕩けるほどの快感に襲われた俺たちは同時に体を震わせた。

 これ以上はおかしくなると危機感を覚え、けれど離れることが出来ず、互いを求めてついばみ続ける。


 ……そして一瞬のような幸福な時間が過ぎた後、酸素を求めて唇を離すと、虚ろな目で、荒く息を整える紗那が視界いっぱいに映りこむ。

 苦しそうで、しかしどこか幸せそうな表情を浮かべる紗那に興奮し、思わずまたキスをしそうになってしまう。

 でも、さすがにこれ以上は怒られちゃうなと小心者らしくブレーキをかけると――それが伝わったのか、今度は小悪魔スマイルを浮かべた紗那に、俺の唇が奪われてしまうのだった。

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