第3話 Accident

 根岸ゆいは同じ一年生の新入部員・瀬戸北斗と一緒に、鉄道研究部の先輩・山口希から棚に飾られた歴代の鉄道模型コンテストの出品作の説明を受けていた。

「うちはね、第1回のコンテストから参加しているの。その時の作品がこれ」

 希が指差した直線モジュール(ジオラマ)は、ゆいが知っている風景だった。

「…大井町の桜並木ですね」

 東海道本線と京浜東北線は、大井町駅北側にある桜並木のある土手沿いをまっすぐに走っている。その土手の上は、ゆいが学校への通学路としている道だ。モジュールには、そのJRの複々線と、線路に沿った桜並木の土手が再現されていた。

「ちょうど桜満開の時期を再現したんですね」

「そう。まずは地元の風景で挑戦することになった、って当時のOBから聞いたわ」

「桜並木の反対側の車庫も再現したんですね」

「…JR東京車両総合センターですか?」

「そう。ただスペースの関係から、車庫の部分は一本しか線路を引けなかったようだけど」

 鉄道模型コンテストでは出展するモジュールの規格が決められている。大井町の桜並木を再現した直線モジュールの場合は縦300ミリ・横900ミリ、複線が四分円を描く曲線モジュールは縦・横共に600ミリとなっている。

 鉄道コンテストに用いられるNゲージの縮尺は、実物150分の1あるいは160分の1。直線モジュールの場合、実際のサイズに換算すると縦45~48メートル・横135~154メートルとさほど広くない。その中に実際の風景を再現するとなると、風景を切り取ったり、あるいは圧縮・デフォルメしたりすることが多い。

 大井町の桜並木のモジュールでは、東海道本線・京浜東北線沿いにある山手線の車両基地を、スペースの関係から一本分だけの再現にとどまったようだ。

「翌年の作品はこれ、戸越公園駅」

 戸越公園駅は大井町駅から東急大井町線に乗ってふたつ目の駅である。

「…もしかして3両分しかホームのない時代を再現したんですか?」

「瀬戸君、よく知っているね」

 ゆいは、北斗の知識に感心していた

「…北斗でいいよ。…戸越公園駅って踏切に挟まれていて、ホームを簡単に延長することが出来なかったんだよ。今は踏切を移設してホームを延ばしているけど」

「その次の年はこれ、JR六郷川橋梁」

「…六郷川鉄橋って多摩川の鉄橋ですよね?あそこの鉄橋ってこんな形状ですか?こっちは確かにこんな感じですが…」

 モジュールには実物と同じく東海道本線と京浜東北線の複々線が敷かれているが、京浜東北線が今の鉄橋を模型化したものに対して、東海道本線はゆいが見たことのない鉄橋の形状をしていた。

「…これ、もしかして最初の鉄道橋ですか?」

「北斗君、正解。今と昔の六郷側橋梁を再現する、ってテーマで、昔の鉄橋が保存されている三島のJRの施設や明治村に取材しに行って、紙を使って再現したって」

「紙で、模型の車両の重さに耐えられるんですか!?」

 紙と聞いて、ゆいはびっくりした表情になった。

「15ミリの鉄板もね、150分の1だと0.1ミリ。模型の世界では、紙でもそれなりの強度があるのよ」

「そうなんですか…」

「この年、はじめてうちが受賞したの」

 そう言って希は、壁に飾られた鉄道模型コンテストの表彰状を指差した。

「4年目ははじめて曲線モジュールに挑戦したの、それがこれ」

 ゆいと北斗は希の後に続いて、直線モジュールとは別の棚に置かれた曲線モジュールの前に歩み寄った。

「…もしかして、学校近くの分岐ですか?」

「…上のカーブが山手線に横須賀線に東海道新幹線で、下に交差している直線が東海道本線に京浜東北線?」

「そう。井上勝のお墓がある東海寺の墓所や権現山公園なども再現したんだけど、複線5本が交差するから、見てのとおり線路だらけという印象が強くなっちゃって、受賞を逃した、って聞いているの」

 ちなみに井上勝とは、日本の鉄道が開業した頃から鉄道の発展に寄与した「鉄道の父」と呼ばれる人物で、品川高校の近くにある線路沿いの墓地に墓がある。

「5年目は前回の反省を踏まえた上で、曲線モジュールに再挑戦したの。それがこれ」

「…これは武蔵小杉駅ですか?本線のカーブが南武線で、こっちが東海道新幹線と横須賀線…。デフォルメしてますが、周囲の建物も再現しているんですね」

 北斗は感心したようにモジュールを眺めていた。

「このモジュールで2年ぶりに受賞。そして、次の年も曲線モジュールに挑戦したの」

「…本線を地下の走行に見立てて、地上に東京モノレールがあるから、天王洲アイル付近ですか?」

「そう。天王洲アイルをモチーフにしたけど、この年は受賞を逃したの。そして…」

 希は、直線モジュールが置かれた棚に視線を移し、あるモジュールを指差した。

「…京浜急行の八ツ山橋梁ですか?」

 品川駅の南側にある、東海道新幹線などをまたぐ京浜急行の鉄橋と平行する第一京浜の道路橋は、ゆいにも見覚えのある風景だった。

「そう、このモジュールで2年ぶりに受賞。そして翌年とその次の年は、伝説の京成電鉄駒井野信号場と下神明トリプルクロス」

「伝説…、ですか?」

 ゆいは不思議そうな表情を浮かべた。

「いずれもおととし卒業した梅小路先輩が主導してつくった作品なの」

「どちらも平面分岐で有名ですよね」

 京成電鉄駒井野信号場は成田空港近くにある、成田空港駅に向かう本線と、東成田駅や芝山鉄道芝山千代田駅に向かう東成田線が分岐する信号所である。モジュールは成田空港の地下に潜り込むトンネルも再現されていた。

 そして通称「下神明トリプルクロス」は東急大井町線下神明駅近くにある、下から順にJR横須賀線、大井町線、東海道新幹線が十字状にクロスする場所である。この付近には、横須賀線から湘南新宿ラインが走る山手貨物線が分岐する旧蛇窪(へびくぼ)信号所もあり、モジュールにはその分岐まで再現されていた。

「うちはね、秋の学園祭で鉄道模型コンテストに出展した歴代のモジュールを環状線になるようにつなげて、模型を走らせるんだ。で、『ヤード(操車場)を環状線の内側に作りたい』って梅小路先輩が言い出してして、それが実現するように2年連続で本線が分岐する場所を、モジュールのテーマに選んだわけ」

「…環状線の中にヤードを組み込んだ方が、楽なんじゃないですか?」

 北斗が疑問を口にする。

「梅小路先輩が1年生の時まではそうしていたの。でも環状線内にあるヤードだと、今走らせている車両に注意しながら次に走らせる車両を準備したり、前に走らせた車両を片付けなければならないし、止めている車両を見学者が触ってしまう可能性がある、でも環状線の内側のヤードならそういった心配をせずに済む、って先輩が強く主張したって聞いたことがあるの」

 ゆいは会ったこともない先輩の考えに感心するばかりだった。鉄道模型の車両は精密である一方で、子供たちに人気があるため、展示しているときに彼らが触る可能性がある。梅小路先輩のこだわりは、そういったところも考えてのことだろう。

「先輩が2年生の時、夏のコンテストに左が分岐する駒井野信号所を出展、その秋の学園祭には右に分岐する下神明トリプルクロスの土台を作成して、環状線内側のヤードを実現したの」

「…すごいパワフルな人ですね」

「先輩は当時から、うちだけでなく他校の生徒達と比べても、群を抜いて模型造りがうまかったの。例えば、モジュールの本線にポイントや平面交差を組み込むと、車両の走行がギクシャクすることが少なくないんだけど、先輩が線路を引いたこの二つのモジュールは、本線も分岐線もスムーズに模型が走ったからね。ちなみにこの新幹線の高架線も、重いモーター車両を置いても大丈夫な強度なの」

 その時、ゆいには一つの疑問が浮かんだ。

「…うちって3年生は受験等の準備で部活動しないことが多い、って聞きましたが、梅小路先輩は3年生でも活動していたんですか?」

「下神明のモジュールは、梅小路先輩が2年のうちに大井町線や東海道新幹線の高架橋まで完成させて、私たち後輩に託したの。その後、梅小路先輩も時折顔を出したけど、沿線の建物とかは私たちが作って、その年のコンテストに出展したの」

「そうだったんですか」

「駒井野信号所も受賞したんだけど、下神明のモジュールはその年のナンバーワンをとったのよ。そして梅小路先輩は今も大学の鉄道研究会にいて、凄腕の鉄道模型ビルダーとして有名よ」

 そう語ってから、希はもう一つのモジュールに視線を移す。

「そして去年の作品、JR東海道本線・京浜東北線と、タイヤ公園こと大田区西六郷公園」

 タイヤ公園はJR蒲田-川崎間の沿線沿いにある、古タイヤで作ったロボットや怪獣、遊具が置いてある公園である。

「おぼえてます。去年、見ました」

「ゆいちゃんはコンテストに来てくれたのね」

「このタイヤ、どうしたんですか」

 モジュールを眺めながら、北斗は疑問を口にした。

「小さな口径のパイプを輪切りにして、タイヤを表現したの」

「なるほど…」

 ゆいは棚に並べられた歴代のモジュール作品を眺めながら、感想をつぶやいた。

「今までの作品、全部、実際にある鉄道風景なんですね…」

 鉄道模型コンテストには、自分たちが想像した風景や、実際には鉄道が走っていない場所に鉄道を走らせることを

「実際の風景を模型にした方が、受賞しやすいからね。最初はたまたま、実際の風景を再現したそうだけど、あの桜並木は学校に近い上、鉄道ファンでは有名だからね、最初の題材としたのはわかるかな」

 その時、ゆいはある不安にとらわれた。

「…私に模型造り、出来るかな?」

「何、根岸さんって模型を作ったことないの?」

 驚いたような北斗の言葉に、ゆいは黙って頷くだけだった。

「大丈夫よ。私も高校から模型造りはじめたから。それに、梅小路先輩のような難しいものでなくていいと思う。ゆいちゃん達らしいモジュールを作ればいいのよ」

「わかりました、頑張ってみます」

 ゆいは希の方を向いて頷いた。


 翌日の夕方、ゆいは大森駅から自宅へと足早に歩いていた。

 SLが置かれている入新井西公園の横を通り過ぎようとしたとき、ゆいは見覚えのある少年を公園内に見つけた。少年はSLの前に立って、SLやその後ろを通り過ぎていくJRの列車を見ているようだった。

 ゆいは恐る恐る少年に問いかけた。

「…おおとり君、だよね?」

 大鳥隆はゆっくりと、ゆいのほうを振り向いた。

「わ、わかる?同じクラスの根岸ゆい」

 大鳥は何も言わず、ゆいから視線をそらした。

「…大鳥君、鉄道が好きなの?」

 ゆいの問いに答えずに、大鳥は少しうつむき加減に歩き出した。そんな大鳥に、ゆいは書ける言葉が見つからなかった。

 まだ冷たい春の風が、二人の間を通り過ぎていった。


 翌週の水曜日、鉄道研究部新年度最初の部会が2年B組の教室を借りて開かれていた。

 最初に、ゆいをはじめとする新入部員が挨拶することになった。

「玉川梓です。鉄道旅行が大好きで入部しました。好きな路線はいすみ鉄道です」

「いすみ鉄道、ってことはこの春休み、行ってきた?」

 2年生の津軽康二が興味深そうな表情で、梓に質問した。

「菜の花畑ですか?もちろん、あの風景が、私、大好きなんです。」

 先週と違う、ポジティブな表情を見せる梓や康二に、ゆいは違和感を感じていた。

「よろしくお願いします」

 拍手の後、梓に替わってひとりの少年が立ち上がった。

「1年A組、能登信二です。歴史研究をメインとしています。最近は主に新幹線開業以前の優等列車を研究しています。よろしくお願いします」

 ゆい、北斗、梓以外にも、もうひとり1年生が入部していた。

「瀬戸北斗です。主に乗り鉄ですが、他の分野にも興味があります。よろしくお願いします」

 にこやかな北斗に続いて、ゆいが話し始めた。

「根岸ゆいです。車両、、特に蒸気機関車が好きですが、今は鉄道模型コンテストに興味があります。よろしくお願いします。」

 自分の自己紹介に、康二たち2年生部員達が微妙な表情を浮かべていることが気になりつつも、ゆいは席に着いた。

「では、新入部員の挨拶が終わったところで、今日の議題に入りたいと思います」

 部長の佐渡慶太が淡々と話しはじめた。

「今年の活動内容ですが、まず例年参加していた鉄道模型コンテスト、今年は参加を見送りたいと考えています」

「…え、なんでですか!」

 ゆいは慶太の言葉に一瞬凍り付いた後、蹴り上げるように席を立ち上がった。

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