第2話 風の街

「はじめまして、入部希望です!」

 鉄道研究部の部室を開けながら、根岸ゆいはそう言った。

 部室の真ん中にある、四人がけのテーブルの椅子に座っていた少年が、ゆいの方を振り向いた。

「…君、新入生?」

「はい、1年C組、根岸ゆいといいます!」

 部屋をぐるりと見渡したゆいの目に、鉄道コンテストに出展したモジュール(ジオラマ)作品が並べられた棚が目に飛び込んできた。ゆいはモジュールの方に吸い寄せられるように歩いていった。

「これ、去年出展した作品ですよね?蒲田のタイヤ公園、確か賞とってますよね?」

 JR東海道線・京浜東北線沿いにある、廃タイヤを使った遊具で知られる大田区西六郷公園をモデルにしたモジュールを指差しながら、ゆいは少年に尋ねた。

「ああ…」

 先輩らしき少年の声は、どこかめんどくさそうな感じを含んでいた。しかし、過去に出展したモジュール作品に興味気味のゆいは、そのことに気がつかなかった。

「大井町駅近くの桜並木、…東急大井町線戸越公園駅、…多摩川のJRの鉄橋、…下神明の東海道新幹線と横須賀線と東急大井町線が交差するトリプルクロス、うちの学校周辺の鉄道風景をモデルにした作品が多いんですね」

 少年はゆいに返事せず、モジュールが並べられた棚とは別の、書類が揃った棚に歩いて行った。

「カーブのモジュールにも挑戦しているんですね。…武蔵小杉駅かな?それに、これはもしかして井上勝のお墓がある東海寺の墓地の分岐点?」

 鉄道模型コンテストの審査対象となるモジュールには、縦300ミリ・横900ミリのボード上に複線の線路を直線に引くことを基本とする直線モジュールと、縦600ミリ・横600ミリのボード上に複線の線路を四分円に引くことを基本とする曲線モジュールの二種類があって、参加校はどちらかのモジュールを選ぶことになっている。そしてコンテスト当日では、出展した各校の直線モジュールと曲線モジュールをつなげて山手線のような環状線を作り、Nゲージの列車を走らせている。ちなみに、他のモジュールとの接続部分がコンテストの指定通りの位置にあれば、直線モジュールでも曲線を入れているケースも結構多い。

 そして、井上勝とは日本の鉄道の黎明期に活躍した「鉄道の父」と呼ばれる人物で、その墓はこの学校の近くの品川・東海寺大山墓地にある。その墓地は直線に走る東海道本線・京浜東北線と、曲線を描く山手線・横須賀線・東海道新幹線に直接面している。

「どの作品もリアル…、クオリティ高いなぁ…」

 クオリティの高い作品達に接して興奮気味につぶやくゆいに、少年は一枚の紙を突き出した。

「これ、入部届。書いてきて。あと来週の水曜日の放課後が部会だから、空けておいて」

 少年は無愛想に入部届を渡すと、テーブルの上にあった時刻表を鞄にしまって、部屋を出て行こうとした。

「あ、あのう…」

「…そうだ、部室の鍵はテーブルにある、もし誰も来なかったら、警備室に君が返しておいて」

 少年は鍵を指差してから、戸惑っているゆいを残し、部屋を出て行った。

 少年を見送り、部室に一人だけになってから、ゆいはあることに気がついた。

「…あ、先輩の名前を聞くの忘れた」

 一方、部室棟を離れてから、少年はつぶやいた。

「新入生に模型鉄が来たか…」


 ゆいは一時間ほど鉄道研究部の部室にいたが、無愛想な先輩らしき少年以外に、部員は来なかった。

 先輩達に鉄道模型コンテストに出展した作品達を解説してもらおう…、ゆいのそんな期待をはぐらかされた気分だった。それだけでなく、不安をおぼえるような違和感も抱いていた。

 学校を出て、大井町駅に向けて歩き出す。

 夕暮れの風が、東海道本線・京浜東北線沿いに植えられた桜の花びらを散らしていく。ゆいにはその風が、少し冷たく感じられた。


「それは期待外れだったねぇ」

「…今日、入部届持ってくから、その時に鉄道模型コンテストの話を聞こうと思う」

 翌日の昼休み、ゆいは家庭科室で井之頭ひかりと弁当を食べていた。

 ひかりはゆいと同じ小学校・中学校の同級生。一緒に東京都立品川高校に進学したけれど、クラスは別々になった。そして、お互いのクラスの雰囲気をつかめない中で、どちらかのクラスで弁当を広げるのはなんとなく気が引けた。それで二人は、同じ中学の先輩達からのアドバイスで、家庭科室で弁当を一緒に食べているのだった。

 家庭科室や理科室は、自分の教室以外で弁当を広げたい生徒達の、お昼のたまり場になっているという。ちなみに音楽室は合唱部や吹奏楽部、軽音楽部の熱心な部員達が昼に練習しているため、弁当を広げる空気ではないそうだ。その証拠のように、音楽室から合唱曲がかすかに聞こえてきていた。

 ゆいやひかり以外にも、家庭科室で弁当を広げる生徒達が何人かいた。そして、ひかりと同じクラスの生徒だという料理部の生徒三人は、部活動の一環と称してチャーハンを作っていた。その光景をみていた二人の会話は、いつしかお互いの部活の話になっていた。

「そういえば、ひかりの方はどうだった?」

「手芸部?まー、あんなものじゃないかな?」

 昔から編み物の好きなひかりは、中学に引き続き手芸部に入部していた。

「ゆいがやろうとしているのは鉄道コンテストだっけ?」

「…鉄道模型コンテスト」

「手芸部も同じように、ホームソーイングコンテストっていうのががあってね、うちの部はそれにも出るらしいんだけど、10月が締め切りだから、今のところ、部員がそれぞれ作りたいものを作っている、って感じ」

「ふうん」

「それよりも、ゆい、模型造り大丈夫なの?指先、器用な方じゃないよね」

 ゆいの中学の成績は五段階評価で図工3・家庭科3、不器用ではないものの、手先が器用というほどではない。そのことはひかりに指摘されなくても、ゆいは自覚していた。

「そうだけど、先輩に教えてもらえれば何とかなるかなぁ、なんて」

 ゆいはスマホに、昨日撮影した先輩達のモジュールの写真を呼び出して、ひかりに次々に見せた。

「…なんかすごいね」

「でしょ?」

「鉄道に詳しくない私でも、細かく作られているのがわかるよ」

「これだけ精密なものを何年も作っているってことは、先輩達から後輩に模型を作る技術が受け継がれていると思うの。だから、それを教えてもらえればいいかなぁ、って思っているんだ」

 そう言いながらも、ゆいは昨日抱いた違和感を思い出していた。


 その日の放課後、ゆいは入部届を持って鉄道研究部の部室に行った。

「お邪魔します…」

 部室にはテーブルを挟んで少女と少年が向かい合わせに座っていた。その少女がたちあがるとゆいに微笑んだ。

「新入生?」

「はい、根岸ゆいです!よろしくお願いします!」

 ゆいは頭を下げ、両手で持った入部届を少女の前に差し出した。

「私は山口希(のぞみ)、ここの前部長です」

「前部長?」

 ゆいは不思議そうな表情で希を見た。

「うちの学校はね、三年生は受験で引退同然になることが多いから、部長は二年生が勤めることがほとんどなの」

「そうなんですね」

「で、私は三年生、だから前部長なの」

 希はゆいから受け取った入部届に目を通してから、ゆいに微笑んだ。

「…1年C組、根岸ゆいさんね。品川高校鉄道研究部へようこそ」

「よろしくお願いします」

 ゆいと希に少年性が近づいてきた。

「1年D組の瀬戸北斗です。新入生同士、よろしく!」

「あ、よろしくお願いします」

 北斗は会釈しあったあと、ゆいは希の方を向いた。

「ちなみに、ゆいちゃんは何鉄なの?」

「私は車両鉄ですが、鉄道模型コンテストにも興味があります」

「へえ、鉄道模型コンテストか…。ちなみに俺はメインは乗り鉄だけど、他もいけるぜ」

 ゆいは北斗に軽く頷いてから、希の方を向いた。

「そういえば、昨日ここに来たとき、先輩らしき男の人がいたんですが、鉄道模型コンテストに出展した作品について教えてもらおうと思っていたら、さっさと帰っちゃって…」

「その人、時刻表持ってた?それともカメラ持ってた?」

「…時刻表持ってました」

「だとすると、多分、津軽君じゃないかな、2年生の。彼はもっぱら乗り鉄だからね、模型の件を質問しても、多分ろくにこたえないと思う」

「…そうなんですね」

「じゃあ、私が歴代の鉄道模型コンテスト出展作品を説明するね。瀬戸君も聞く?」

「もちろんです」

 その時、ドアをノックする音がした。

「どうぞ!」

 ひとりの少女が、部屋に入ってきた。

「1年A組、玉川梓(あずさ)といいます。鉄道研究部に入部を希望します」

 梓の口調は、清楚な雰囲気の中にも少し大人びたものだった。

「お、三人目の新入生!」

「前部長の山口希です。そして根岸ゆいさんと瀬戸北斗君」

「よろしくお願いします!」

「よろしく!」

「…よろしくお願いします」

 丁寧に会釈した梓の前に、希は入部届を差し出した。

「これ、入部届。あと来週の水曜日に今年度最初の部会があるから、参加してね」

「わかりました」

「それと、これから鉄道模型コンテストに出展した作品を二人に説明するけど、梓さんも聞いていく?」

「…いえ、今日は帰ります」

 鞄に入部届をしまい、丁寧にお辞儀してから、梓は部室を出て行った。

「…玉川さんだっけ?なんかつれない感じだなぁ、ねぇ根岸さん?」

 そうつぶやく北斗の声を聞きながら、ゆいは昨日と同じ違和感を梓に感じていた。

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