僕らの夏 ~都立品川高校鉄道研究部模型班~

SHIN

第1話 Kick Off

 4月の朝はまだ冷たい。

 根岸ゆいは、自宅を出ると大森駅へと歩き出した。

 …ちょっと遠回りで。


 ゆいの視線の先に、蒸気機関車「C57 66」が見えてきた。

 ゆいが生まれる前から公園の主のように鎮座しているというこの蒸気機関車は、決まった時間に線路を走り回った時のように動輪を回す。小さい頃、ゆいはその時間に合わせて、よくこの公園に来ていた。

 その蒸気機関車の傍らを、JR東海道本線や京浜東北線の電車が走り去っていく。

「昔はブルートレインも走っていたんだよなぁ」

 父親に連れられて、この公園からブルートレイン「はやぶさ・富士」のラストランを見送った記憶がある。もう十年も前の話だ。

「行ってくるね」

 蒸気機関車に声をかけてから、ゆいは歩き出した。

 中学と違い、一駅とはいえ電車通学になった。ちょっと大人になった気分と、毎日電車に乗れるうれしさから、スキップ気味になる。満員電車であることは気にしない。


 ゆいは小さい頃から鉄道が好きだった。それは大井川鐵道で今も蒸気機関車の機関士を務める、祖父・須田昭の影響かもしれない。

 まるで生き物のような蒸気機関車、それを自分の手足のように操る祖父。車窓から流れる景色…。母の実家に帰省するたびに、祖父が運転する蒸気機関車が牽引する列車に乗っているうちに、ゆいは鉄道が好きになっていった。

 お人形よりプラレールをねだるゆいに、両親はため息をついていた、と親戚から聞いたことがある。鉄道は女の子の趣味じゃない、という固定観念からなのだろう。

 でも今では、鉄道ファンの女性がそれなりに増えてきた。「鉄女」という言葉が生まれ、それを公言するタレントが活躍する時代になった。鉄道が好きだと言っても、好奇の目で見る人は少なくなった、…と思う。


 大井町駅の長い階段を駆け上がり、改札を出て、線路沿いの道を走り出す。ゆいの左手には、満開の桜越しに、東海道本線・京浜東北線の線路、東急大井町線大井町駅、そして車庫と修理工場であるJR東京総合車両センターが広がる。

「帰りに模型店寄ってみようかな…」

 大井町駅の近くには、規模の大きな鉄道模型のお店がある。昨日の入学式は母親同伴で、そんな余裕も無かった。でも、今日からは一人。模型はそれなりの値段がするから簡単には買えないけど、見に行くならタダだ。それに、部活動で線路などを買う機会もあるかもしれない。

 満開の桜並木と線路、時折通り過ぎていく電車を横目で見ながら、ゆいはそんなことを考えていた。

 坂を下りたところに、ゆいがこれから通う東京都立品川高校が見えてきた。

 …放課後に鉄道研究部に行こう。


 去年の夏。祖父から急に電話が来た。

「ゆいは今度の土曜日、時間、空いているか?」

「午前中は塾だけど、午後なら大丈夫かな…」

「じゃあ、鉄道模型コンテストに一緒に行かないか?」

「鉄道模型コンテスト?」

 土曜日、午前中の塾を終えると、ゆいは大井町駅で祖父と落ち合った。

 りんかい線の改札に向かいながら、ゆいは祖父に聞いた。

「今、忙しいのに、大丈夫なの?」

 祖父が機関士を務める大井川鐵道は、夏がかき入れ時だ。蒸気機関車(SL)が牽引する列車が普段1往復のところ、夏は3往復も走る。

「私がいなくても1日くらい大丈夫さ」

「大鉄(だいてつ)、よくOKしたね」

 大鉄とは大井川鐵道の略称だ。

「いや、大鉄の中で、誰かが応援に行こうかって話になってな」

 祖父は、先ほどゆいに渡したお土産の紙袋とは別の、紙袋を軽く掲げた。

「ゆいが東京にいる俺が適任だろう、という話になったんだよ」

「ふうん」

 りんかい線に乗って、東京ビックサイトに向かう。

 ビックサイトの案内用のモニターには「鉄道模型コンテスト」と映し出されていた。

「鉄道模型、ね…」

「ゆいは鉄道模型には興味が無いのか?」

「うーん、インテリア程度?私、車両を眺めるのが好きなんだ」

 部屋には祖父が運転する蒸気機関車C11の模型を飾っているが、それを運転しようという発想は、ゆいにはなかった。

 鉄道模型コンテストの会場は、コンテストの主役である高校生達、子供を連れた家族達、鉄道ファンでごった返していた。

「結構、女子高生の鉄道ファンがいるんだな…」

「私だって女性の鉄道ファンだよ?中学生だけど」

 会場には、実物を150分の1で模型化したNゲージをメインに、様々な鉄道模型が展示されていた。その前では高校生達が、自分たちが作った模型を熱心に説明していた。

「…すごい熱気だね、おじいちゃん」

「ああ、俺もはじめて来るけど、すごいもんだな」

「あ、須田さん、お久しぶりです!」

 ひとりの男子高校生が祖父に駆け寄ってきた。

「佐藤君、久しぶり。孫を連れてきたよ」

「わざわざ東京まで来てくださってありがとうございます。こちらです」

「これ、お土産。みんなで食べて」

「すみません、気を遣っていただいて」

 ゆいと祖父は、Nゲージサイズのジオラマ「モジュール」を展示しているスペースの一角に案内された。

「これ、新金谷駅?」

「お孫さんもご存じでしたか」

「私も鉄道ファンだし、それに祖父の運転するSL列車には何度も乗っていますから」

 佐藤の高校・県立静岡葵高校鉄道研究会は、大井川鐵道新金谷駅をモチーフにしたモジュールを出展していた。

「結構細かく作り込んでいるね」

「須田さん達が取材に協力してもらったおかげで、ここまで再現できたんです。あの時は、本当にありがとうございました」

 祖父が感心するほど、駅舎もホームも車庫も模型で見事に再現されていた。

「これ、全部手作りですか?」

「ええ、取材を元に、紙と木で作りました」

 感心すると共に、ゆいは一つの疑問を持った。

「…でも、駅舎とSLの車庫って、駐車場をはさんで結構離れていませんか?」

「モジュールは縦900ミリ、横300ミリ、リアルなサイズにすると135メートルと45メートルしかないんです。だからデフォルメしています」

「ふうん」

「リアルに駅舎と駐車場、あるいは車庫と駐車場を再現する、って案もありました。でも大井川鐵道は単線ですが、モジュールの規格は複線です。だからリアルにこだわるより、SLの始発駅としての新金谷駅のエッセンスを凝縮して表現することにしたんです」

 佐藤の隣にいた静岡葵高校の生徒が説明した。

 静岡葵高校のモジュールを含めた、各高校が出展したモジュールをつなげ合わせることで、山手線のような複線の環状線が形成されていた。その環状線は会場にいくつも作られ、その複線をNゲージの模型の列車が走っていた。

 ゆいの目の前にある新金谷駅のモジュールを、Nゲージの国鉄485系特急電車が、そして反対方向からJR貨物の機関車DF200が牽引するコンテナ列車が走り抜けていった。

「新金谷駅を、他の鉄道の車両が走り抜けるのは不思議な感じですね」

「それをあらかじめ織り込んで、大井川鐵道の雰囲気を強調するために、SLや旧型客車を並べているんです」

 佐藤が指差したモジュール上の車庫や側線には、実際に大井川鐵道で走っている蒸気機関車や客車の模型が並べられていた。

「なるほどね…」

 ゆいは感心するばかりだった。

「ゆい、せっかくだから、他の高校の作品も見ていくか?」

「そうしてください。同じ高校生なのにすごいなぁ、って僕たちも圧倒された作品があります」

「女子高からの出展もあるんですよ。上手に作っていて、強豪校になったところもあります」

 その後は、佐藤達の勧めもあって、ゆいは祖父と一緒に他の高校生達の作品を見学した。高校生達の出展はモジュールだけでなく、縦900ミリ、横1800ミリの畳1畳相当のスペースにジオラマを再現した一畳レイアウト部門、Nゲージより大きい80分の1サイズのHOゲージで車両制作するHO部門もあった。そして多くの高校生達が運営スタッフとして参加していた。

 静岡葵高校との生徒達と同じ情熱の高校生達、その情熱がこもった作品達、ゆいは見学しているうちに、ある思いを抱くようになった。

 …高校生になったら、鉄道研究部に所属して、鉄道模型コンテストに出展しよう。


 放課後、ゆいは部室棟へとに向かった。

 東京都立品川高校鉄道研究部も、ゆいが行った鉄道模型コンテストに出展していた。佐藤の話だと、コンテストがはじまったころから参加している、何度も賞を取っている高校だという。

 鉄道模型コンテストのためだけに、高校を選んだわけではない。でも、鉄道模型コンテストに出ることを楽しみに、受験を頑張れた面があった。

 部室棟の一角、鉄道模型研究部のドアの前で、ゆいは深呼吸を一つしてから、そのドアを開けた。

「はじめまして、入部希望です!」

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