第31話


         ※


 神の前では意外なほど冷静だった僕も、漂い出た時は慌てた。どこへ、と言えば、当然宇宙にだ。


「う、わ」


 今の状況は、静止したスペースプレーンから神、すなわち人工衛星に向かって進んでいるところ。ミカの結界はちょうど筒状になっており、隙間がないように細心の注意が払われている。

 僕はミカの負担を減らすべく、スペースプレーンの外壁を勢いよく蹴って、身体を進行方向へと押しやった。素早く移動しなければ。

 ふと見下ろすと、そこには青い球体がぽっかりと浮かんでいた。言うまでもなく、地球のことだ。神から見下ろした時の地球とは、こんなにも大きく、圧迫感のあるものだったのか。


 だが、その青さを汚すように、薄い茶褐色のベールがところどころを覆っている。荒野が広がっているからだろう。これが元々の地球の光景なのか、それとも一千年前の大異変のせいなのか、それは知る由もない。


 ふっと息をつき、前方へと視線を戻す。そこには、神がいる。地球から見上げていた神の姿は、超巨大なホログラムだったらしい。今見えるのは『怪鳥』だ。


『怪鳥』――人工衛星本体は、青紫色で真四角の二対の翼を持ち、それに対して胴体は驚くほど小さい。しかし、人工衛星は一つではない。地上攻撃用の、巨大な電磁波発生装置を備えた衛星は別にある。

 つまり、僕はそんな人工衛星たちの『頭脳』に鍵をかけようとしている。鍵、すなわちエクスカリバーは、今はまだ鞘に収まり、僕に背負われている。僕は時折、手足を広げて結界の内側にそっと触れて、勢いを殺さずに神へと向かって行った。


 すると、僕の頭の中で声がした。これが神のものであることは、内容からして疑いようがなかった。


(ジン、僕は君たち人間を信用していいんだね? 一千年前のような災厄をもたらさずとも、この星で平和に生きていける、と?)

「そうしてもらうしかない」

(僕がこの星を荒廃させたのは、人間が傲慢だったからだ。僕をいつでも殺せる立場で、互いを食い潰す争いを続けていたしね)

「そうだな」


 不自由ながらも魔法陣の中を通り、僕は神と会話を続ける。


「でも、また一千年経った時、実際に人間がどう変わっているかは分からない。理想論だけれど、もしまた君の意識が戻って、この星を見つめた時、人間のことを許してやってもいいと判断したなら、これ以上の攻撃はしないでほしい。いいか?」

(了解)


 すると、今度はサントの声がした。


《エクスカリバーを、前面の窪みに差し込んでください。それから右回りに九十度、捻って》


 言われた通りに、僕はエクスカリバーを操作した。思ったよりもずっと簡単な作業だった。


《それから引き抜いて》

「分かった。神はどうなった?」

《休眠モードに入った模様です。一千年後に再起動するためのカウントダウンが始まりました》

「他にやることは? なければすぐに、スペースプレーンに戻らないと」

《そうですね。エクスカリバーは、もう引き抜いて構いません。今後の冒険にも必要でしょう?》


 それは小さな驚きだった。エクスカリバーがまだ使えるなんて、思いもしなかったのだ。


「ミカは大丈夫?」


 直接は声が届かないので、僕はサントに中継してもらう。


《できるだけ早く戻ってくれ、とのことです》

「分かった」


 僕はエクスカリバーを背中に戻し、人工衛星の側面を蹴った。帰りはスムーズで、すぐにスペースプレーンの出入り口に到達した。


「ミカ」


 入り口でぎゅっと両手の指を組み合わせ、目をつむって魔法陣に力を送り続けるミカ。

 僕はその前で空気の交換部屋、いわゆるエアロックを抜けた。


「もう大丈夫だよ、ミカ。神は眠った」


 ミカはゆっくりと目を開き、僕の目を覗き込んだ。彼女の瞳に、反射した僕の顔が映っている。と思っていたら、涙が抑えきれなくなって、彼女の頬を伝った。


 僕たちは、この星の重力から逃れた最後の二人になったのだろう。

 そんな詩的なことを思いながら、僕は自分の身体を軽く前に運び、ミカを抱き締めた。何故そうしたのか、自分でもよく分からない。ただ、まだ人生は続くだろうし、戦いも続く。

 だからこそ、お互いの存在を確かめておきたかったのだろう。


 こうして、僕たちの『神殺し』という復讐劇は終わった。


《では、出発した地点に着陸します。二人共、椅子に座って身体を固定してください》


 サントの声が、穏やかに響き渡った。

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神滅のベテルギウス【旧版】 岩井喬 @i1g37310

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