第30話
《神への座標は私が計算します。ただし、どうしてもEVA、すなわち宇宙空間での船外活動が必要となります。ジンはエクスカリバーを、神に突き刺してください》
「わ、分かった」
《ただし、何の防御策もなしに宇宙に出ては、ジンは即死します。そこでミカ、あなたの球形魔法陣で、ジンを守ってあげてください。残りの魔法力に、自信はありますか?》
「はい」
『即死』という言葉に怯んでいた僕だが、ミカの毅然とした返答には、それ以上に驚いた。
八年前、いくら栄養失調だったからとはいえ、おばさんは球形魔法陣を展開して、自らの魔法力を使い果たしたのだ。ミカは大丈夫なのだろうか。怖くはないのだろうか。
「ミカ、君は平気なのか?」
「平気も何も、やるしかないじゃない。神を倒せれば、ジンは戦わなくてもよくなるんだし、そうしたらあたし、その……あなたと一緒にいられるから」
その言葉に、僕は急速に頭に血が上るのを感じた。謎の液体(衝撃吸収材を兼ねているのだろう)に浸され、色彩感覚はおかしくなっていたが、それでもミカの顔が真っ赤に染まるのは見て取れた。
《では二人共、座席に着いてください》
サントに指示されるまま、僕とミカはぷかぷかと座席に近づき、腰を下ろした。さらに指示を受けて、身体を太い帯で固定する。
《もしこの作戦が失敗したら、あなた方は確実に死にます。それでもよろしいですか?》
今更何を。僕は緊張でおかしくなったのか、不可解な笑みが自分の顔に浮かぶのを感じた。
それを察知したのだろう、サントは了解の意を示した。
《カウントダウン、入ります。十、九、八――》
僕は隣に座るミカの横顔を見た。ここには、守るべきものがある。そんな思いが、僕の胸中で突き上がってきた。
《――四、三、二、一、零!》
その直後、穏やかな振動が、僕の全身を震わせた。いや、『穏やか』と感じられたのは、この液体が僕たちの身体を包み込んでくれているからだ。きっと重力に逆らうべく、凄まじい力がかかっているのだろう。そういうことは、簡単に察せられる。
僕は半ば反射的に、隣席へと手を伸べた。するとちょうどお互いの、僕とミカとの指先が触れ合った。緊張を浮かべながらも、微笑んで見せるミカ。僕は仏頂面しか作れなかったが、大きく頷くことで『大丈夫だ』という意志表示をすることはできた。
《間もなく、大気圏を突破します》
その声と共に、振動は鳴りを潜めた。近くに窓がないので確かめようがなかったが、確かに実感した。自分が地球の重力から脱出し、宇宙空間を航行していることを。もちろん、行く先には神がいる。
僕はそっと背中に手を伸ばし、エクスカリバーの柄を握りしめた。
次の瞬間だった。
「やっと来てくれたんだね、人間さん」
落ち着いた、しかし喜びを隠しきれない無邪気な声が、船内に響き渡った。すると、ミカのペンダントから発せられた光と同じ、ホログラムが現れた。
それは真っ白で、僕やミカ、いや、サントよりも幼い容姿の人間を映し出していた。顔の造形は控え目だが、気持ち悪くない程度に目が大きい。
その目を見て、僕は確信した。
神だ。神が今、僕たちの前に立っている。
「なかなか退屈だったよ。この一千年もの間、何の連絡も寄越さないなんて、寂しいことをしてくれるじゃないか。少しは話し相手になってよ。剣なんて放り出してさ」
僕はエクスカリバーを鞘に納め、ふっと手離した。宙を舞う剣。
「ジ、ジン……」
「こいつは映像だ。攻撃しても意味がない」
「そう。分かってくれているようだね」
神の笑みはどこまでも無邪気で、そしてどこまでも理解不能だった。人間の姿を取っているが、何かが決定的に欠けている。一体何だろうか。
「こんなことを言うと君は怒るだろうけどね、ジン」
微かに眉をハの字にしながら、神は言う。
「僕はずっと昔から、こうして僕の元を訪れてくれる人間を待っていたんだ。でも、ここは地続きじゃない。宇宙だろう? ただ憎しみばかりを抱いてもらっても、途中で野垂れ死んでもらっては困る。だから、いろんな細工をしたのさ」
肩を竦めてみせる神。僕たちは黙って、彼の言葉に耳を傾けた。
「一千年前、僕を止めるために組織された軍隊が、どうして今になって覚醒しだしたのか? エクスカリバーの居所が、どうして今頃分かったのか? 不思議ではなかったかい? 理由は単純だよ」
『僕がそう仕組んだからさ』と、神は満面の笑みでそう言った。
「八年前に君たちの乗った飛行船を墜落させたのも、君たちがいない間に新しい村を竜巻で薙ぎ払ったのも、全て僕がやったことなんだ。当然、君の身の安全を確保しながらね、ジン」
「あんた、何てことを!」
ミカが叫んだ。
「そんなあんたの自己満足のために、あれだけの人を殺したの? 地震を起こし、空を割って、私たち人間を絶滅に追い込んだの? 冗談じゃない! 今ここで――」
「待って、ミカ」
僕は神に目を遣ったまま、ミカの前に手をかざした。
「神、と呼んでいいのかな。君は今まで自分がやったことを後悔しているかい? 一千年前から現在に至るまで、多くの人間たちの命を奪ったことを?」
「いかにも人間らしい質問だね、ジン。にしては、君は感情的でない。何を考えているのか、僕にはなかなか計れないね」
「それはお互い様だろう」
それは不思議な感覚だった。この星を荒廃させたのは、今目の前にいる神に違いない。それなのに、その被害を受けた人間である僕は、微かな笑みさえ浮かべている。
「さて、質問に答えよう。この星を荒廃させたことを、僕自身は後悔していない。君たち人間が、どうやって僕に対処し、僕をどのように捉えるのか、興味があったからね」
「それは一千年以上前から、ということか?」
こくり、と頷く神。
「中でも僕の興味を惹いたのは、『憎しみ』という感情だ。君たちの科学が明らかにしたところでは、『愛する』ことの反対は『無関心』なんだそうだね。では、『憎しみ』という感情は、どこにカテゴライズされるのだろう? ジン、君はどう思う?」
神は掌を上に向け、肩を竦めてみせた。僕はぷかぷか浮かんでいるという不格好な姿勢のまま、そっと顎に手を遣った。
「おや? ジン、君なら即答するなり激怒するなり、何かしら派手なリアクションを取ると思ったんだけどね。僕が憎らしくないのかい?」
「そうだな。答えにはならないかもしれないけど」
僕は下げていた視線を神へと戻し、こう言い放った。
「過去のことは、どうでもいい」
「なっ……!」
この発言に一番慌てたのはミカだ。
「あ、あんた、自分が何を言ってるか分かってるの? ジン、あなたはご両親を殺されたのよ!」
「君もな、ミカ」
そう言うと、ミカは素直に黙り込んだ。しかしその顔には、狼狽の念が色濃く表れている。
「確かに僕は神が憎いと思っていた。今だってそうだ。けど、何故憎いのかといったら、その理由は全て過去にある。誰にも変えようがない。どうしようもないんだ。だから僕は、『憎い』という感情そのものを捨て去りたい」
「なるほど」
神は瞬きもせずに、僕の顔をじっと見た。
「でも、よく考えてごらんよ、ジン。過去である『憎しみ』を乗り越えたところで、僕がまた新たな災厄を引き起こしたらどうする? 指をくわえて見ているのかい?」
「逆に訊くけれど」
僕は間を置かずに、はっきりと問うた。
「人間の科学文明を破壊したのは何故だ? その過去が分かれば、人間も妥協点を探れるかもしれない」
「なるほど」
ふっと、神の顔から感情が消える。しばしの沈黙の後、答えが返ってきた。
「怖かったんだ」
「何が?」
「人間に不要と見做され、破壊されてしまうのが」
用済みになったり、古くなったり、故障したりした場合、神のような人工衛星は破壊されてしまうのだという。
それがただの人工衛星なら問題はなかった。しかし、神には人工知能が搭載されており、『自我』と呼ぶべきものがあった。よって、自分が故障し、破壊されてしまうことを見越して、人間に対し先制攻撃を仕掛けたのだという。
「分かった」
僕は大きく頷いて、ゆったりと身体をホログラムの方へと近づいた。
「人間を代表して、僕が責任を持って君の身を守る。誰にも君を破壊させない。ただし、地上を攻撃するシステムだけは、停止してもらいたい」
「不十分だね」
神もまた即答だった。
「一千年以上前からの人類史を知らない僕ではないよ。そう言って人間たちは、互いを疑って戦争ばかり繰り返してきただろう? 僕が、つまり人工衛星が破壊されないとも限らない」
「でも、こうして人間が宇宙に出る手段は、『ベテルギウスの弓矢』だけなんだろう? 僕とミカが無事に星に帰ったら、この弓矢は全て破壊する。約束するよ」
「旅を続ける、ということかい?」
僕は頷き、そっとミカの手を取った。
「僕たちは一人っきりじゃない。仲間がいる。協力して、宇宙との航行手段を壊していくよ」
「分かった」
今度の返答には、しばしの時間がかかった。
「それなら、僕の有する地上攻撃システムは不要だろうね。だが、君たちのいる位置からはそれを停止させることができない。そのスペースプレーンから宇宙に出て、船外活動を行う必要があるんだ」
「聞いているよ」
「では、詳細を説明しよう」
そうして、神とサントは交代交代で説明を始めた。
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