第24話
※
「じゃじゃ~ん! これがあたいの愛機、『シルヴァ・フライ』だ!」
無事に飛行船の待機場まで到達した僕たちの前で、ヴィンクは得意気に腕を広げた。サントの光に照らされた飛行船は、美しさと荘厳さの両面を持ち合わせていた。かといって巨大な威圧感を与えることのない、シンプルな構造をしている。
そもそも、この飛行船が巨大なわけではないのだ。乗員はヴィンクを含め、僅か五名。かつて僕たちの村の人々が使っていたような大きさは必要ないのだ。
「とにかく軽量化して造った船だからな。速度は出るし、小回りも利く。早速出発するか! ゴーレムも片づけちまったことだし」
異を唱える者はいない。だが、僕はこの期に及んで尻込みする自分を隠しきれなかった。
八年前、神によって飛行船を墜落させられたあの日以来、飛行船に乗ったことはない。だからこそ、否応なしに思い出されるのだ。あの日、あの瞬間のことが。
「……」
「ジン、時間がないぞ」
鋭く言葉を飛ばしてきたのはカッチュウだ。
「医者が言うには、次にまたミカが発作を起こせば、命に関わるとのことだ。急げ」
「はい」
我ながら情けない声が出る。いや、こういう時こそ毅然としていなければ。ミカの命がかかっているのだ。
《それじゃ、ちっと荒っぽいが、離陸するぜ》
サントが手伝っているのだろう、拡声されたヴィンクの声が響く。と同時に、この待機場の屋根となっていた迷彩柄の布が滑り落ち、シルヴァ・フライは緩やかに上昇を開始する。
《今の風向きからすると……お? おお?》
「どうした、ヴィンク?」
カッチュウが尋ねるべく大声を張り上げると、ヴィンクは嬉々として叫んだ。
《おいあんたら、ついてるぞ! この気流なら、今夜中にも薬草畑に着いちまうぜ!》
「ほ、本当ですか!?」
僕の声も自然と上向きになる。これで、ミカを救える公算が大きくなった。
しかし、僕は薬草畑に関する危惧事項を忘れたわけではない。確かそこには、恐ろしい怪物がいるという話ではなかったか。
僕はカッチュウを残し、一人でブリッジに上がった。
「サント、ミカの容態は?」
「大丈夫、落ち着いてる」
「ヴィンク、薬草畑に着陸する時のことですけど」
僕は怪物に関することを相談しようとしたが、よほど機嫌がいいのか、ヴィンクは操舵輪を手にしたまま鼻歌を歌っている。
それはいいとしても、サントの見ている手前、ヴィンクともタメ口で話した方がいいだろうか。
「聞いてよ、ヴィンク。薬草畑に不時着する時のことだ」
「ふんふん……あ? おう、坊やか」
「坊やはいい加減止めてほしい。僕には『ジン』っていう名前がある」
「おう、こいつは失敬」
操舵輪に向き合ったまま、答えるヴィンク。
「薬草畑には、怪物が棲んでいるって話を聞いたんだ。この船でどこまで接近できるかも分からない。どうやって不時着するつもり?」
「あー、そうだな。サント!」
「何?」
突然話に引っ張り込まれて、サントは不機嫌さを隠そうともせずに応じた。
「あんたの魔法で、怪物の気配を探知することってできるか?」
「ええ。ある程度強力な怪物であれば」
「じゃあこうしよう、ジン。怪物がいると仮定して、その気配をサントが感じ取ったら、すぐに引き帰す。ああ、引き帰すっていっても、ほんの少しだ。そして不時着して、陸路で怪物を警戒しながら進む。これでどうだ?」
確かに、それしか道はなさそうだ。この船を撃墜されてしまっては、元も子もないのだから。
「了解。カッチュウにも伝えてくる。サントには探知魔法をしばらく展開してもらうことになるけど、大丈夫?」
無言で頷くサント。これなら問題あるまい。僕はカッチュウに話をつけるべく、ブリッジからタラップへと降りた。
※
僕と入れ替わりにブリッジに上がったカッチュウは、話の詳細を詰めに行ったようだ。タラップには僕一人。今日も神は、胎児の姿でぽっかりと浮かんでいる。開眼していないところをみると、この船は神に捕捉されてはいないようだ。あるいは、わざと見逃されているのか。
季節の違いか、タラップの上でも十分な暖かさがあった。しかし、僕の心はどこか寒々しい。いつの間にか、一人でいることの寂しさに、心が侵食されていたのかもしれない。
もちろん、この飛行船には、共に旅をする仲間たちが乗っている。だが、一番気心の知れているはずの人物とは話せない。ミカのことだ。彼女は眠らされたまま、生死の境を彷徨っている。
僕はタラップに上半身を預け、長く深い、そして音のないため息をついた。
「どうしたんだよ、そんな年寄りくさい息吐きやがって」
「うわ!」
僕は慌てて飛び退こうとして、しかしここが狭いタラップの上であることを思い出し、たたらを踏んだ。
「まーた驚かせちまったか。悪い悪い」
「ヴィンク……。操舵はもういいの?」
「ああ。カッチュウの野郎が代わってくれたよ。少しは外の空気を吸ってこい、とさ」
うむ、彼の言いそうなことではあるな。
「ところで一つ訊きてえんだがな、ジン」
「はい?」
「こいつぁ一体、どういうわけだ?」
ヴィンクは財宝を入れているはずの革袋を取り出した。口を開け、躊躇なくひっくり返す。そこからは、何の価値もない砂粒が流れ出し、風に吹かれて船外へと流れていった。
気づいていた僕は驚くこともなく、しかし気まずい思いでその光景を見つめていた。
「これはあんたじゃなくてサントに訊くべきかもしれねえが……。早い話、あんたらあたいを騙したんだろう?」
沈黙する僕。釈明のしようがない。言い訳の余地すらない。あるのは、ヴィンクの無感情な瞳だけだ。ヴィンクは悪人ではないと思ってはいるが、それでも昨日出会ったばかりの人間だ。この場で、彼女のサーベルの餌食になる可能性は捨てきれない。
僕は俯き、唇を噛んだ。そのまま奥歯も噛みしめる。自分の胸から、言葉が溢れ出さないように。だって、おかしいじゃないか。自分の好きな女の子を救うために、皆を巻き込んで危険な航行をしているだなんて。これほど自己中心的なものの考え方があるだろうか。
「ま、無理に話せとは言わねえが……。あんたの気持ちは分かるよ」
「へ?」
拍子抜けした僕は、一気に顔面が脱力するのを感じた。声というより、息が漏れ出す。
「あたいだって、あんたよりは年上だからな。恋の一度や二度は経験してる」
「はあ」
頷くしかない僕に向かい、ヴィンクはちらりと一瞥をくれて、笑みを浮かべた。
「三年前だ。恋人が死んだ」
「え?」
今度は輪郭のある声が口から出た。しかしそんなことはどうでもいい。
「ヴィンクの恋人が……?」
「あの馬鹿、無茶しやがって。森林探索に行ったらゴーレムに出くわしてな。あたいを庇ってミンチにされた」
僕は今度こそ、言葉を失った。そんな酷い経験を、ヴィンクがしていたなんて。
「だから兄貴はあたいの身を心配して、今回の仕事を請け負うのに反対したんだ。何とか黙らせたけどな」
「で、でも、前金はもうなくなっちゃったし……」
「ああ、それな」
ヴィンクは革袋をひっくり返し、残り僅かな砂塵を宙に放った。
「もういいよ、金のことは。あたいはゴーレムを殺せる奴を探してたんだ。そんな連中に協力できるってんなら、願ってもないことさ」
「そ、そう、か」
すると、手摺を両手で握りしめたヴィンクは、思いっきり身体を後方に倒し、背筋を伸ばした。
「夜が明けるな。もうじき薬草畑だ。降りる準備を――」
その時だった。カッチュウの拡大音声が響き渡ったのは。
※
「どうした!?」
「敵だ! 怪物がいるぞ!」
先にブリッジに入ったヴィンクが尋ねる。それに対して答えたのはカッチュウだ。サントはブリッジに入りきらないほどの魔法陣を敷き、精神を集中している。
次の瞬間、
「伏せて!」
サントが叫んだ。すると足元から、突き上げるような振動が襲ってきた。一度ではない。二度、三度と繰り返される。これは、何かしらの攻撃を受けているのだ。
「ゴーレムが岩を投げつけてきてる! 今は硬化魔法で防いでるけど――」
「よし、一瞬でいい! 錬金術でゴーレムを脆くしてくれ!」
榴弾砲を構えながら、カッチュウが叫ぶ。しかし、サントは『無理よ!』と叫び返した。
「ゴーレム、少なくとも五体はいるわ! 私の錬金術でも、全部のゴーレムを脆くするのは不可能よ!」
その言葉に、僕は絶望感に浸される思いがした。ゴーレムが五体? そんな、相手をできるわけがないじゃないか。
「退くぞ! 全員何かに掴まれ!」
「どわっ!」
僕はケリーと共にブリッジ内でふっ飛ばされ、背中を打ちつけた。
負傷はしなかった。しかし、『ゴーレム五体』というサントの言葉が脳内で繰り返され、再び嘔吐感を込み上げてくるほどの恐怖感を覚えた。
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