第21話

「あんたら、旅の足が欲しいんだな? 交通手段、ってやつだが」


 僕はつと顔を上げた。声をかけてきたのは、ヴィンクだった。何が楽しいのか、不敵な笑みを浮かべている。

 そうだ。飛行船を使えば、薬草畑までひとっ飛びだ。ミカを救うことができる。それに、そのまま飛行船を使い続ければ、海峡を渡って『ベテルギウスの弓』のあるところまで行くのも容易いだろう。

 無論、神に攻撃される恐れはある。しかし、今こちらにはサントがいる。彼女に強力な魔法陣を展開してもらえば、神の攻撃を受け流すこともできるかもしれない。


 そういったことを打ち明けてみると、ヴィンクはふふん、と鼻を鳴らし、得意気に語りだした。


「あたいの飛行船は、小型でスピードも出る。天候に恵まれなくっても、大した遅れが出るわけじゃねぇ。それに、あたいが仕事を請け負うのは不定期だ。神にどんな意志があろうと、そいつが居眠りしてる間に運びきってやるよ」


 僕は自分でも、ぱっと顔が明るくなるのを感じた。しかし。


「でもなぁ、先立つモノってのはあるだろう? あたいはあんたらの専属航海士でもなければ、赤ん坊のお守りでもねえからな。前金は頂いておくぜ」


 前金? お金か? そんなもの、僕が持っているはずはない。村では物々交換や、皆で狩猟・採集したものを分け合って生活していた。お金なんて、飾り物にもならない。

 僕がおどおどと周囲を視線をあちこちに遣っていると、ヴィンクは言葉を続けた。


「いい航海士の第一条件はな、まともな客を見極める、ってことだ。まあ、その点あんたらがやろうとしていることを拒みやしねえ。だがな、その分金は出してもらうぜ? その辺のガキに遣る駄賃程度で、あたいが動くとは思わねえこったな」


 僕とカッチュウは顔を見合わせた。しかし、そうこうしているうちにも、ミカの身体は怪人の毒で汚染されていく。早く前金に関して、どうにかしなければ。しかしどうすればいい? ヴィンクのような人間が、簡単に妥協するとは思えないし。


 そう考えながら、眉間に手を遣った時だった。

 ジャラジャラと威勢のいい音が響き渡った。そして、音のした方を見て、誰もが目を丸くした。

 サントの手から、目眩がするほどに輝く何かが現れていた。いや、溢れ出していたと言ってもいい。これは、金銀財宝の類だろうか? ヴィンクのいる方から、ごくりと唾を飲む音が聞こえた。


「ヴィンク、あなたも気づいているだろうけど、私は魔女よ。錬金術は得意なの。空気から無理やり貴金属を造ることだってできるわ。前金はこのくらいでいいかしら?」


 すると、ケリーがぴょこんとサントの腕から降り立ち、代わりにヴィンクがサントに抱き着いた。


「ああ、あんた最高だよ! こんな魔法があるなんて、あたいも知らなかった!」


 ヴィンクの胸元で、サントは顔を圧迫されている。


「よし、早速出航だ。皆、ついて来てくれ!」


 サントの小さな身体を抱き締めながら、トンネルに歩み入っていくヴィンク。忘れられてはまずいと思ったのか、サントはふっと片手を振り上げ、財宝を宙に浮かせた。ミカに対する浮遊魔法と同じ力を使ったらしい。

 彼女たちの後を追って僕が駆け出すと、カッチュウと男性の遣り取りが耳に入ってきた。


「あなた方はいいのか? あのヴィンクという女性は、ただの人間とは思えないほどの戦闘能力がある。そんな彼女がいない間に、怪人や怪物が現れたらどうする?」

「その点、心配は無用だ」


 男性ははっきりと、しかしどこか諦めのこもった声で答えた。


「怪人も怪物も、襲ってくる時は一度に多数で攻め入ってくる。ヴィンクがいくら強くても、我々全体で見れば一気呵成に制圧されてしまうだろう」


 つまり、敵が攻めてくれば、ヴィンクがいようがいまいがこの村は全滅する、ということか。


「妹を頼む」

「ああ。承知した」


 今の男性の言葉を聞いて、僕はようやく、ヴィンクがこの男性の肉親なのだと知った。ヴィンクは家族と別れても平気なのだろうか? それとも、そんなに金銀財宝が大切なのだろうか?

 僕にはさっぱり見当がつかなかったが、約束は約束だ。今はヴィンクを信じるしかない。


「おーい坊や! 何やってんだ? さっさとついて来な!」


 僕はまた嘔吐することのないよう、軽く頷くだけで返答とした。


         ※


 トンネル内には、予想以上に多くの人々がいた。ここまでスモッグが入ってくることはないらしく、子供から老人まで、幅広い年齢層の顔が見受けられた。誰もが首から、兜面を提げている。これはガスマスクというのだと、ようやく僕は知ることができた。


 トンネル内は薄暗かったが、先ほどの長老の家同様に、淡い光点が天井に配されていた。ところどころから水が滴り、足元には、僅かに差し込む日光を浴びようと、背の低い植物が密生していた。苔のように見える。


 僕は数回、咳ばらいをした。もう吐き気に襲われることはない。それを確認してから、僕はヴィンクに声をかけてみた。


「ヴィンクさん、ここにいる人たち、どうやって水や食べ物を確保しているんですか?」

「何? 食い物? ああ、あれを見てみな」


 前金に満足して機嫌がいいのだろう、鼻歌の合間にヴィンクはトンネルの端を指差した。

 天井から垂直に、筒状のものが何本も伸びてきている。じっと見ていると、人々が段々と集まってきた。そして、機械音声と思しき女性の声が聞こえてきた。


《本日分の水質処理作業が完了しました。住民の皆さんは、個人用のボトルを持って整列してください》


 すると、列の先頭にいた女性が、透明な容器を筒の先端に宛がった。


《人数を選択してください》


 パネルを操作する女性。すると、筒から青っぽい液体が、容器へと注がれた。やや粘性があるようだ。


「あれって、水ですか?」

「いんや、栄養剤だ」

「栄養剤?」


 僕がオウム返しに尋ねると、ヴィンクは足を止めて僕と同じ方を見遣った。


「生憎、野菜や肉を手に入れるのは難しいもんでね。地上に変な建物がたくさんあったろ? あれが水を洗浄して、人工的に栄養を作って混ぜ込んでるのさ」

「そ、それってどういう……?」


 ヴィンクは肩を竦めながら、『だから栄養剤だって言ったろ?』と一言。

 水分と、食事で得る分の栄養を、同時に摂取できるということらしい。


「まあ、あたいらは身体が資本だからな。時々、このトンネルの反対側から出て狩りをして、肉を食うことにしてるんだ」


 なるほど。確かにそうでなければ、怪人たちと戦うだけの筋力をつけるのは難しいだろう。


「出口の先に飛行船があるのか?」

「そういうこった」


 カッチュウの問いに、頬を掻きながら答えるヴィンク。


「少なくとも、このトンネルの出入り口から怪物が入ってきたりはしない。安心しな」


 一通りの確認を終えて、僕は安堵した――ミカに関すること以外は。

 改めてミカの方をに視線を注ぐ。横たわった姿勢で手を胸の上に組み、淡い水色の結界にくるまれているミカ。そっと地面に下ろしてやれば、すぐにでも起きだして伸びをしそうだ。

 しかし今は、毒の回りを遅くするため、魔法で眠らされている。僕は再び視線を落とし、自分の無力さを呪った。


         ※


 トンネルをしばらく歩くと、ヴィンクがサントを地面に下ろし、さっと腕を横に掲げた。


「あんたらはここで待ちな」


 僕もそこで足を止める。何かが、いる。しかし殺気は感じない。敵意すらも。どちらかといえば、相手もこちらを警戒しているようだ。


「あたいだよ、ヴィンクだ。危険はねえよ」

「だ、大丈夫ですかい、姐さん!」

「そう心配すんな。今証拠を見せる」


 するとヴィンクは、浮遊魔法で浮いていた財宝の一部を鷲掴みにし、わざと音を立てるように床に叩き落とした。耳障りな金属音が木霊する。

 僕には、トンネルの陰に潜む何者かが、急に警戒を解くのが分かった。

 はっとしてそちらを見ると、背の低い痩せた男がひょこひょこと現れるところだった。


「いやあ、ビビりましたよ姐さん! お客がいるならそう言ってくれりゃあいいのに!」

「あんたらの取引は商売と一緒だろう? まずはこっちが手の内を明かさなけりゃあな」

「と、いうことは」


 小男は、その全身が僕の視界に収まる距離まで近づいてきた。なかなか愛嬌のある顔つきをしている。


「こちらの坊ちゃんたちですかい? 今回飛行船に乗せるお客様は?」

「そうだ。訳ありでな。ちゃっちゃと行って、ちゃっちゃと帰ってくる予定だ」

「分かりやした! おい皆、ヴィンク姐さんの飛行船、離陸準備だ!」

「ちょっと待ってくれ、ヴィンク。彼らは?」


 そう言って割り込んだカッチュウに向かい、小男は答えた。


「あっしらは、飛行船を持ってる方々の管理係でさあ。それと、この出口から逆に入ってこようとする怪物共の始末屋。だから通行料を取ってるんだと思ってくだせえ」


 身長はカッチュウの胸にも及ばない小男の言。だが確かに、そういう商売は必要だろうな。

 僕がそう納得した直後だった。地面が不吉な振動を始めたのは。

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