第20話【第四章】

【第四章】


「随分派手にやっちまったなぁ、こりゃ」


 サーベル使いの女性が、後頭部を掻きながらそう呟いた。あたりは静まり返り、そこら中に真っ赤な果実をぶちまけたような跡が残っている。まるで血の海に浮かぶかのように、怪人の四肢や頭部、輪切りの胴体などが、あちらこちらに散らばっている。

 幸い、皆返り血を浴びたくらいで、負傷者はいない。意識を失ったミカを除いて。


「全く、ぞっとしねぇ光景だぜ」


 唾を地面に吐きつけて、女性は兜状の面を外すことなく、くるりと振り返る。そして、戦闘開始時に民間人、すなわち怪人以外の人々が逃げ去っていった方へと大股で歩んでいった。


「あ、あんた! ちょっと待ってくれ!」


 カッチュウが声をかける。しかし、そんなことなど気にもかけずに、女性は背を向けたまま。


「待ってくれよ、あんたに言ってるんだ!」


 すると、一瞬女性は足を止め、片腕を上げて軽く手首を回してみせた。ついて来いと言いたいらしい。

 もし民間人たちが僕たちを殺傷するつもりなら、この女性は助太刀に現れなかったはず。そう考え付いたのか、カッチュウは僕たちに頷いてみせた。

 今は『謎の女性』だが、彼女のそばで奇襲を受けることはあるまい。カッチュウはそう判断したのだろう。


「大丈夫、ジン?」


 声をかけてきたのは、サントだった。猫の姿に戻ったケリーを抱き、珍しく心配げな目で僕を見上げてくる。

 僕が返答に窮していると、サントはふっと片手をミカの方へと差し伸べた。ふわり、と宙に浮く彼女の身体。


「流石にミカを担いでは行けないでしょう? 私が運ぶわ」


 そう言って、サントは自身にも浮遊魔法をかけ、音もたてずにカッチュウの方へと近づいて行く。

 その場にへたり込んでいた僕は、サントの、というより彼女に運ばれているミカの後を追うべく、ゆっくりと腰を上げた。


         ※


 念のため周囲を警戒しながら、建物の角を曲がる。先ほどスモッグを吐き出していた建物だ。すると、そこにカッチュウが突っ立っていた。


「どうしたの、カッチュウ?」


 未だに声を発することのできない僕に代わり、サントが尋ねる。


「チカテツだ……」

「何ですって?」


 問いを重ねるサント。しかし、すぐに彼女は驚嘆することになった。


「あなた、これが読めるの?」


『これ』というのは、カッチュウが眺めている看板のようなものだ。確かに、何某か文字が書かれている。が、僕には判読することができない。

 すると、カッチュウははっとした様子で、僕たちの方へ振り向いた。


「俺、これを知ってるぞ! 地下鉄って、地面の下を走る電車のことだ!」


『デンシャ』の意味は分からなかったが、カッチュウには覚えがあるらしい。すると突然、カッチュウは兜を脱ぎ捨て、頭を押さえて屈みこんでしまった。


「カッチュウ!」


 慌てて駆け寄るサント。


「これは、俺がいた世界に繋がってるんだ……。待てよ、くそっ、どうして思い出せないんだ……?」


 僕がその様子をぼんやりと見つめていると、近づいてくる人影があった。先ほど、僕たちに声をかけてきた精悍な男性だ。今は兜面を脱いでおり、その鋭い目や豊かな口髭などが露わになっている。


「大丈夫か、旅の方?」

「あ、ああ」


 カッチュウは頭から手を離し、その場で立ち上がった。やや呼吸が乱れているが、病的な感じは受けない。考えるのを止めれば、頭痛も止むらしい。


「あなた方を助けに入ったのがヴィンク――先ほど話途中だった、腕利きの飛行船乗りだ」


 そう男性が告げた。ヴィンク。それがあの『謎の女性』の名前なのか。


「ここは空気が悪い。早くこのトンネルに入ってくれ。負傷者は?」

「彼女よ」


 サントが短く答える。そして、すっとミカの身体を前方へと進ませた。途端に、男性の後方からざわめきが起きる。どうやらここにいる人々の多くが、魔法を見たことがないらしい。


「わ、分かった。医者を呼ぶ。さあ、こっちだ。地下に来てくれ」


 階段を下りていくと、不思議なことに、呼吸が楽になった。外気に触れていて苦しいという実感はなかった。だが確かに、あのスモッグの下で兜面も着けずにいたら、身体によくはないだろう。


 そんなことを考えながら、階段を下りきった時のこと。


「人を殺したのは初めてかい、坊や」


 トンネルの陰から、先ほどの女性、もといヴィンクの声がした。その時になって、初めて僕は、自分がしばらく言葉を発していなかったことに気づいた。

 僕は何とか答えようと、息を吸おうと試みる。しかし、ヴィンクはすっと腕をこちらに伸ばし、掌を突き出してこれを遮った。


「突然声かけちまって悪いね。興味本位ってやつさ。だが、今のあんたは口を利かない方がいい」

 

 一体何を言ってるんだ? 喋るくらいなんともない。そう言いかけて、僕は咄嗟にひざまずいた。そのまま両手をつくと、胃袋がひっくり返ったかのように、吐瀉物が込み上げ、ぶちまけられた。自分の口から吐き出されたとは信じられない勢いで。


「あちゃあ、ゲロっちまったか。悪い悪い、やっぱし口を開かせるべきじゃなかったな」


 僕はいつの間にか、自分の胸中に溜まっていた澱のようなものが流れ出していくのを感じた。そういう意味では、喋ろうと挑戦したのは正解だったのかもしれない。


「手を貸すよ。立てるかい?」


 すっと差し伸べられたのは、まめだらけの厳つい掌だった。かつて飛行船の操舵手だった父を思い出す。父の手もまた、こんな岩のようなごつごつした手だった。


 きつい酸性の刺激を鼻腔に感じつつ、何とか立ち上がる。しかし、足元が急にふらついた。


「ッ!」

「おっと!」


 その直後、僕の顔の前面は、何らかの柔らかい感触に受け止められていた。助かった、地面に鼻先をぶつけずに済んだ。しかし、その鼻先を受け止めている、この柔らかな感覚は何だろう?

 僕が考え始めるのと、ヒントが与えられたのはほぼ同時だった。


「坊や、これは不可抗力だよな? お前さんの狙いじゃねえだろうな?」


 頭上から降りかかってくる、呪詛のような言葉。ようやく僕は、状況を把握した。


「う、うわっ!」


 僕はどうやら、ヴィンクの胸に顔を押しつけていたらしい。僕が後ずさるのに合わせて、ヴィンクはずいっと前に出た。

 長いブーツを履いた足。引き締まった腰元。そして豊かな胸元に、端整な目鼻立ちの顔が、順番に視界に入ってくる。間違いなく美形に入るであろうその顔が、不快げに歪んでいるのが僕の恐怖感を増長させた。


「ご、ごごっ、ごめんなさい! わっ、わざとじゃなっ、ないんです!」

「本当か?」


 自分の腰元に手を遣るヴィンク。その先に装備しているのは、怪人たちを斬り飛ばしたサーベルだ。僕もその餌食になるのか。

 そう思って思いっきり目を閉じた次の瞬間、額に鈍痛が走った。

 ん? 鈍痛? 斬りかかられたら『鈍痛』などでは済まないはずだが。


「う、わ」


 僕が尻餅をつくと、ヴィンクは自分の腰に腕を回し、笑い出すところだった。まるでこのトンネル自体が唸りを上げているかのような、大音声での爆笑だ。


 僕は一瞬呆気に取られたが、すぐにはっとして額に手を遣った。出血はない。どうやら、ヴィンクが繰り出したのはサーベルではなく、デコピンだったようだ。


「そ、そんなに笑うことないじゃないですか!」

「ははははっ! いや、なあに、坊やがあんまり凹んでるから、景気づけにちょっと悪戯してやったのさ!」


 人のことを『坊や』って……。あんただって二十歳過ぎにしか見えないじゃないか。


「おいヴィンク、何をやってる! 旅の方が来られなければ、あの怪人たちを倒すことはできなかったんだぞ! お前一人では、どんなにあがいても――」


 と、言い出した男性に、ヴィンクはおちょくるように反論する。


「でも、あたいが助太刀しなけりゃ、この坊やは間違いなく死んでたぞ? あんたみたいに、地下でウジウジしている連中に注意される筋合いはねぇよ!」


 男性は荒々しく鼻を鳴らしたが、反論のしようはなかったらしい。唇を噛みしめながら沈黙する。


 僕はヴィンクに救われた場面を思い出し、同時にミカが致命傷を負ったことを再認識した。男性に振り返り、縋りつくようにして尋ねる。


「あの、ミカは? ミカは助かるんですか?」


 すると男性は無言のまま脇へ退いた。その視線の先には、ミカが横たわっている。そばでは白衣の男性が膝をつき、ミカの傷口を調べていた。


「ミカっ!」

「待て、ジン!」


 思わずミカに触れそうになった僕を、カッチュウが引き留める。頭痛の件はもういいのだろうか。


「いかがですか、ドクター?」


 心配げに医者に声をかけるカッチュウ。その背後では、サントが治癒魔法と思しきものを詠唱している。

 医者はといえば、何とも言えない様子で額の汗を拭っていた。


「私に魔法の知識はありませんから、何とも。ただ、怪人に噛まれた際に毒が血中に混入したようです」

「ど、毒ですって!?」


 素っ頓狂な声を上げる僕。


「生憎ここには治療薬がありません。残念ですが……」


 しかし、僕はその言葉を遮った。


「どこですか」

「はい?」

「治療薬はどこで手に入るんですか!?」


 医者は一瞬怯んだが、すぐに応じた。


「この東の海峡の手前に、薬草畑があると聞いています。しかしそこは、ひどく凶暴な怪物がいるとかで……」

「カッチュウさん、戦えますか?」

「あ、ああ。弾倉が四つに、榴弾と焼夷弾が三発ずつ残っているが」


 続いて僕はサントに視線を飛ばした。


「治癒魔法を展開しながら、ケリーを戦わせることはできますか?」

「できないことはないけれど、ジン、あなたは寄り道する気なの? 神を殺すとあれほど意気込んでいたのに」


 その言葉を聞いて、僕は初めて、自分が矛盾した言動を取っていることに気づいた。

 神を殺すと言いながら、ミカを助けようとしている。そしてそのどちらもが、極めて危険な道のりを経なければならない。


「くそっ!」


 僕が悪態をついた、その時だった。

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