第17話


         ※


『文明の里』に至るまで、さしたる困難はなかった。大型・小型を問わず、敵性動物には出くわさなかったし、水が必要であればすぐにサントが供給してくれた。ここでサントがいてくれなければ、進行速度は大きく鈍っていたことだろう。


 僕たちの冒険、いや、神殺しへの道のりは、ようやく軌道に乗ったといってもいいのではないか。仲間が増えた、ということももちろんその一因だ。だが、サントのお陰で、『神に対する具体的な撃滅方法がある』ことが確定的になったということが、僕にとっては一番の希望だった。


『ベテルギウスの弓』。それがどんなものであるにしろ、僕はその場に至り、それを使って神を抹殺する。必ず。何があっても。


《もうじき『文明の里』に入ります》


 サントの結界の中で、反響する音がある。カッチュウが腕に装備している、機械からの女性の声だ。


「よし、ここからは慎重に行くぞ。サント、敵性魔法の痕跡はあるか?」

「ない。そもそもここは、魔法を信じない人々の住まう地域だから、当然」


 それもそうだ。だが、物理的な罠や仕掛けはどうやって見破ればいいのだろう? そこは僕とカッチュウの殺気探知能力の出番だ。僕たちは森林の中で、先頭に僕とカッチュウ、中央にミカ、最後尾はサントという形で並び、足早に木の間を進んでいった。


「止まれ」


 カッチュウの指示に、僕たちは立ち止ってその場に伏せた。

 その時に気づいた。今まで嗅いだことのない不思議な、そしてどちらかといえば不快な臭いが漂っている。森林の向こうからだ。


「どうやら、ここを抜けると『文明の里』とやらに行きつくらしい。人間が住んでいるか、化け物の巣窟になっているか、それは分からない。もし危険な気配を感じたら、サント、結界の強度を上げてもらえるか?」

「分かったわ」


 こくり、と素早く顎を上下させるサント。

 カッチュウによれば、過度に空気が汚染された範囲に入ると、女性の声が警戒を促してくれるらしい。そうなっては、前進を諦め、別な道を探すことになる。


僕たちは今までよりも慎重に歩を進めた。


「ねえ、ジン」

「どうした、ミカ?」

「これ……」


 ミカが指差したその先の光景に、僕は唾を飲んだ。ミカが示したのは、僕たちの足元。そこには緑色の、丈の短い下草が生えている――わけではなかった。

 草花は、皆黒ずんだ紫色をしていた。こんな毒々しい草花を見たのは初めてだ。


「カッチュウさん、これって……?」

「ああ、近いぞ。土壌が汚染されている。もうじき『文明の里』だ」


 カッチュウは、纏っている鎧から双眼鏡を取り出し、木々の間から向こうを見た。


「この木々を過ぎれば平地に出る。『文明の里』だ。俺が先に踏み込むから、ジンは短刀で援護してくれ。ミカ、攻撃魔法は使えるか?」

「少しだけなら」


 気弱な声で答えるミカ。


「よし、じゃあ行くぞ」


 するとカッチュウは、身を屈めながら、不毛の土地へと踏み込んだ。僕は短剣を握りしめた。カッチュウの背後から迫るものがあれば、すぐに投擲し追い払えるように準備する。ミカも両腕を前に突き出し、不慣れな攻撃魔法を放つ時を待っている。


 僕たちの眼前で、カッチュウは長い銃器を携えたまま立ち止まった。僕が目を凝らすと、カッチュウが立ったまま周囲を警戒している。また、彼は極めて均等に広げられた黒い大地の上に立っていた。これが、『文明の里』の科学力なのだろうか。


 すると、ブオオオン、という音がした。重くて低い吹奏楽器を、滅茶苦茶に吹き鳴らしているような音だ。僕は思わず、耳を塞いだ。あたりを警戒しながら、カッチュウが戻ってくる。


「人の気配はない。だが、今の音は……いや、見てもらった方が早い。三人共、ここまで来てくれ」


 僕たちが木々の間から顔を出すと、空は紫色だった。いや、紫色の雲で覆われていたというべきか。どんよりと曇っており、いつ雨が降り注いでもおかしくはない。

 再度、目を凝らす。すると、僕にもようやく『文明の里』の全景が見えてきた。


 あちらこちらに煙突が立ち並び、そこから紫色の雲が吐き出されている。いかにも臭そうだ。有害であることに間違いはないだろう。煙突の下に目線を下げる。そこには、見たこともないような銀色の壁をした建物が整然と並んでいる。


 ここは一体、何なんだ? そう思った僕が首を傾げた、次の瞬間だった。


「サント!」


 カッチュウの叫び声と同時に、ぶわっと僕らを包んでいた結界が膨れ上がった。同時に、結界の外に出ていたカッチュウに『何か』が集中して飛来する。何が何だか分からなかったが、『何か』に強烈な殺気が込められているのは、僕にも感じられた。


「カッチュウさん!」


 僕は叫び声を上げたが、カッチュウはしゃがみ込み、腕を兜の前で交差させた姿勢で耐えている。鋭い金属音が続く。そうか、これはカッチュウが銃器による攻撃を受けているのだ。しかし、彼の身体を覆っている鎧は、そのことごとくを弾き返していた。

 僕たちへと向けられた殺気も感じられたが、サントの結界の前に、弾丸はばらばらと落ちていくばかりだった。

 カッチュウは振り返り、ミカの名を呼んだ。


「この周辺にいる人間たちと会話がしたい。話が通じるように、魔法をかけてもらえるか?」

「あっ、は、はい!」


 僕と一緒にしゃがんでいたミカは、さっと立ち上がって目を閉じた。広範囲に及ぶ魔法を行使するためか、呪文を詠唱している。そして、『ふっ!』と息をついて、両腕を左右に大きく広げた。


 淡い紫色の光が、ミカを中心に広がっていく。

 銃撃音に混じって、人の声とは認識できなかったざわめき。それが、僕にも理解できる言葉に変換されて伝わってきた。


「くそっ! 何て装甲だ!」

「こんな武器じゃ相手にならん! 手榴弾を使え!」

「そ、そうだ! 早くふっ飛ばせ!」


 若い男たちの声が響いている。だが、その声はいずれもくぐもっていて、明瞭に聞こえるものではなかった。


「待て! 相手は人間だ、殺すばかりではどうにもならん!」


 と言って割り込んできたのは、年嵩の、老人と言ってもいいであろう人間の声だった。


「これ、撃ち方を止めんか! またとない客人にもなろうともなろう者に、無礼であろう!」


 するとすぐに、とはいかなかったが、銃撃音は徐々に静まり、やがてチリン、という不思議な音を立てて止んだ。


「カッチュウさん!」

「来るな、ジン!」


 僕を声だけで制し、カッチュウは立ち上がった。こちらに背を向けたまま、両手足を見つめている。どうやら、負傷したわけではないようだ。


「突然の来訪、失礼した。名乗りたいのは山々だが、生憎俺には、自分自身に関する記憶がない。だが、俺が諸君らと変わらぬ人間であることを証明することはできる。撃たないでくれ」


 そう言って、カッチュウは兜を脱いだ。おおっ、という驚きの声が、建物の陰や窓の向こうから聞こえてくる。


「そして、これが俺の愛銃だ」


 カッチュウは長い方の銃器を取り出し、三、四発、真上に向かって発砲した。


「あ、あれは銃だ! 俺たちの銃器にそっくりだぞ!」

「しかし、あんなものがこの時代に転がっているとでも言うのか?」

「だが、確かに自動小銃だ。新型モデルのようだが」


 するとカッチュウは上半身を仰け反らせ、声を張り上げた。


「俺は人間だ。しかし、この『文明の里』に害を為すつもりでやって来たわけではない。まだ疑いを抱いている者があれば、俺の眉間を撃ち抜くがいい!」


 周囲は完全に静まり返った。

 その時、僕の視界の隅で動くものがあった。人だ。外見から察するに、先ほど銃撃を止めさせた老人だろう。だが、その足の動きには違和感があった。


「よくぞ参られた、旅の者。最近はこのあたりにも怪物が出るものでな、皆気が立っておったのだ。どうか許してくだされ」


 カッチュウは大きく頷いてから、『あなたがこの里の首領なのか?』と尋ねた。


「いかにも。わしはデルム・オッズという。首領と言うより長老じゃな。誰かが特別、規律を設けているわけではない。お疲れであろう? まずはわしの家に来なさるがよい。無論、お仲間もな」


 長老――デルムの目が、ちょうど僕たちを捉えた。既に気づかれていたのか。僕は反射的に短剣を向けてしまったが、再びカッチュウに留められた。


「止めろ、ジン。俺たちの敵は神だ。人間同士が争うべきじゃない。彼らに不要な警戒心を持たせるな」

「はっ、はい」


 デルムは微かに目を細め、こちらに背を向けた。


「では、案内させていただこうかのう」

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