第14話【第三章】

【第三章】


「オペレーション・ベテルギウス」


 翌日、目覚めた時に聞こえてきたのは、そんな呪文のような言葉だった。


「おぺーれー……べて、ぎ、うす?」


 オウム返しを試みて見事失敗した僕に向かい、サントは黙って頷いた。

 ミカは魔術師だから、それなりに呪文には触れてきている。数回口の中で呟いてから、すぐに言えるようになった。

 カッチュウは兜を脱いでおり、無精髭の生えた顎を擦りながら『聞き覚えがあるな』と一言。僕は何だか、一人だけ取り残されたような感覚に陥る。


「カッチュウさん、記憶はまだ戻らないんですか?」

「すまない、これだけではまだ、な」


 僕たちの視線が自分に集まるのを待って、サントは繰り返した。『オペレーション・ベテルギウス』と。


「それが、神を倒せる手段なの?」

「ええ。私が記憶している限り、最も直接的で効果的な手段です」


 半信半疑といった風で尋ねたミカ。しかし、そのオペレーション、すなわち作戦とやらがどんなものなのか、分からなければ信じるも疑うもない。


「具体的には、どうするんです?」


 僕が尋ねると、サントは声を低め、淡々と説明を始めた。


「まずは『文明の里』まで徒歩で移動します。このあたりは科学文明の残した負の部分、すなわち環境汚染が酷いですから、できる限り素早く突破すべきです。その先にある海峡を渡って、また数日歩くと『ベテルギウスの弓』と呼ばれる人工島に着きます。そこで、巨大な弓矢を、神に向かって放ちます」

「その、えっと、『ベテルギウス弓』から矢を放って、神を狙い撃ちするということですか?」

 

 僕の問いに、サントは無言で首肯。


「ただし、現在も使える矢が残っているかどうかは分かりませんよ。もしくは『魔法を駆使して元通りに治せる矢』と言うべきでしょうか」

「成功確率は? 狙撃に伴う人的被害は出るのか?」


 矢継ぎ早に問いを投げるカッチュウに向かい、サントは飽くまでも冷静に答える。幼くて高い、しかし有無を言わせぬ芯の通った声で。


「成功確率は、矢の状態にもよりますから、一概にどうとは言えません。また、具体的にどうやって操作するものかも分かりませんから、反動によるこちらの被害も想定できません」


 幼い少女がこうもすらすらと物事を述べるのを見るのは、不思議な感覚だった。中身は数百歳の魔女であるわけだが。

 しかしカッチュウは、そんなことを気に留めはしない。


「勝率も被害予測も計算できない、か」


『参ったな』と呟くカッチュウ。『せめて俺の記憶が戻れば』とも。


「サント、あなたの力でカッチュウさんの記憶を戻してあげることはできませんか?」


 そんな僕の言葉に、カッチュウは勢いよく振り向いた。『できることならやってくれ』と顔に書いてある。しかし、サントは顔をしかめた。


「魔法とて万能ではありません。人間の身体、それも脳の記憶に対して魔法を行使することは、成功率も極めて低く、同時に危険です。とてもお薦めできません」

「そう、ですか」


 尻すぼみになる僕の言葉。


「ああ、でも」


 と声を上げたのはカッチュウだ。


「今までも、俺は自分の武器を見る度に使い方を思い出してきたんだ。実際にその『ベテルギウスの弓』とやらを目にすれば、概要を思い出せるかもしれない」

「要は前進あるのみ、ということですね」


 僕は勢いよくそう言った。士気を上げるのに一役買うことができれば、と思ったのだ。

 皆の顔を見まわすと、カッチュウもサントも、そしてケリーを抱いているミカも、真っ直ぐに僕の方を見つめている。

 全員と頷き合ってみせてから、僕はサントに尋ねた。


「その猫、ケリーは連れて行くんですか?」

「ええ。私の立派な使い魔ですから」


 使い魔。僕の頭にあるイメージとしては、マスターである魔術師の補佐を行う動物のことだ。果たしてケリーが、どれほど僕の想像に当てはまるかは分からないが。


 サントによると、彼女の力で水を生み出すことはいくらでも可能であるらしい。となると、当面の目標は食糧だ。これは、森林を進んでいく間に狩りをする必要がある、という意味。

 もう一つ、決定的な問題は、『文明の里』を通り過ぎた後にある海峡だ。サントの力を以てしても、流石に海峡を渡り切るだけの飛行魔法の行使はできないらしい。

 しかし、サントはこう補足した。


「私の記憶が正しければ、この海峡は海空合わせ、僅かながら船の往来があります。輸送費は馬鹿にならないでしょうが、そのあたりは出たとこ勝負でいいでしょう」


 ふむ。となると、当面の目標は『文明の里』までどうやって行きつくか、ということになる。危険な森林はしばしの間続くし、『文明の里』の状況がどれほど酷いものなのか、詳細は行ってみなければ分からない。


「皆さん、身体の具合はどうですか? 問題なければ出発します」


 その言葉に、サントを除く僕たちはすぐに頷いてみせた。


         ※


「うえ、暑いな」


 僕たちの思いを一言で代弁したのはカッチュウである。

 こうして階段を上り、外に出てみると、むっとするような森林の空気が僕の身体にまとわりついてきた。気温も湿度も高いのだろう。

 先頭に、長い銃器を構えたカッチュウ。次に僕とミカが並び、最後尾をサントが務めている。ケリーは、自分の背丈ほどもある下草を器用にかき分け、無駄のない歩みでついてきていた。


 しばらく歩き、そろそろ休憩をと提案しようとした時だった。


「サント、どうしたの?」


 ミカの声に、僕もカッチュウも振り返る。サントも振り返っていた。その足元にいるはずのケリーの姿がない。僕が数歩近づくと、ケリーはまだそこにいた。立ち止まり、身体を丸めていたからいないように見えただけだ。


「ケリーはどうかしたんですか? 体調不良でも――」

「静かに!」


 再び振り返ると、カッチュウが腕をこちらに突き出すところだった。以前も似たような状況があったが、カッチュウは魔法以外の、基本的物理法則に則った事象を感知するのが巧みだ。

 と、いうことは、また前方から敵性動物が接近しているのだろうか。


 果たして、そいつは姿を現した。木々をなぎ倒し、のっそりとその頭部を露わにする。僕はすぐに、先日戦ったアルマジロを連想した。

 しかし、これはただのアルマジロではなかった。背中の鱗が逆立ち、針山のようになっていたのだ。


「チッ!」


 僕は舌打ちを一つ。これでは、接近戦ができない。難攻不落の要塞を相手にしているようなものだ。


「全員、散れ! この野郎!」


 カッチュウは銃撃を開始する。しかし、今回現れた恐竜(らしき動物)は、すぐさま頭を逸らし、強固な鱗で覆われた背中や脇腹で銃撃を防いだ。そして、振り返りざまに繰り出されたのは、棍棒のような尻尾による、横殴りの打撃だ。それは見事に、カッチュウの腰を直撃した。


「がはっ!」

「カッチュウさん! 大丈夫ですか!?」


 咄嗟に僕は呼びかけたが、それでダメージが軽減されるわけではない。

 カッチュウはまだ動けるようだが、もし二発目を、それも頭部に喰らいでもしたら、流石に危険だ。

 と、その時、恐竜の動きが鈍った。身体を反転させようとしていた動きが、鈍重になったのだ。全身が淡い光に包まれている。この薄紫色の固定魔法は、ミカによるものだ。


 カッチュウは急いで距離を取り、素早く榴弾砲を組み立て、地面に固定する。


「ミカ、もう大丈夫だ!」


 そう言うが早いか、ズドン、という轟音が響き渡った。森林全体が震えたかのようにすら思える爆音だ。同時に炎と煙に巻かれる恐竜。しかし、


「伏せろ!」


 とカッチュウが叫んだ瞬間、魔法の拘束を解いた恐竜は、再び尻尾で空を斬った。

 煙の向こうでは、再び恐竜がこちらを見つめ、グオオッ、と低い雄叫びを上げている。


「ミカ、大丈夫?」

「う、うん、でも相手が大きすぎて、あたしの魔法じゃ抑えきれない!」


 再び恐竜に目を遣る。そこにいたのは、僅かに脇腹の表皮を抉られただけの恐竜だった。出血は見られるが、すぐに止まってしまうだろう。

 残る頼みの綱は――。


「サント、あなたの魔法でどうにかなりませんか?」


 しかし、サントは反応しない。片膝で立ってひざまずき、両手の指を組み合わせ、目をつむって何かを唱えている。これは、魔法の詠唱だ。

 ミカや彼女の両親が使っていた魔法は、原理が単純なため、詠唱は不要だった。

 しかしサントは詠唱している。ということは、極めて高度かつ強力な魔法を準備しているに違いない。


 恐竜がこちらに突進を始めたのと、サントが目を見開いたのはまさに同時だった。

 そして、グルオオオオオオオッ、という雄叫びがあたりに轟いた。

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