第13話


         ※


 階段やその内壁を見て、僕は息を飲んだ。見たことのないほど、透き通った淡い青色をしていたからだ。強いて言えば、氷で造られているような。実際に、微かな冷気が僕たちの足元に漂っている。


「カッチュウさん、これって……」

「自然にできたもの、じゃないな。やっぱりここが、魔女の根城らしい」


 僕の呟きに、カッチュウが答える。彼の記憶が喚起されないということは、こんな光景はカッチュウですら見たことがない、ということだ。

 やがて、階段の奥からくぐもった音が響いてきた。微かな振動も感じられる。だんだんと、奥の方の床や壁、天井が展開し、道になっていくところなのだろう。

 その輝きを少しずつ増していく階段。僕にはその青い光が、僕たちを誘導しているように見えた。


 いや、待てよ。魔女の居場所に着いたのはいいが、彼女(?)の素性は明らかではない。もしかしたら、僕たちを取って食うつもりなのかもしれない。この幻想的ながらも見る者を惹きつけてくる光景。もしかしたら、これ自体が罠ではないのか。


「ミカ、魔法の反応を感じ取れるか?」


 僕が振り返って尋ねると、ミカは階段に沿うように手を掲げた。そのまましばらく、目を閉じて感覚を研ぎ澄ませる。すると、意外なほどあっさりと、状況確認は終了した。


「何も感じない。少なくとも、敵性魔法の気配はないよ」


 と、ミカが言い終えた次の瞬間だった。


「静かに!」


 カッチュウが、控えめながら緊迫感溢れる口調で僕たちを黙らせた。顔を見合わせた僕とミカに向かい、カッチュウは


「何かが近づいてくる気配だ」


 と告げた。その顔は、兜の向きから察するに、階段下に向けられている。

 

 この廊下の奥に何者かがいるのは確からしい。僕にも分かった。正体不明の『それ』は、何の躊躇もなく、軽い足取りでこちらに向かってくる。一体何が?


 僕が短剣を抜こうとした、まさに次の瞬間、


「うっ!」


 何かが、カッチュウの顔面に貼りついた。真っ黒な姿の『それ』。大きさは両手で抱えられる程度で、全身が滑らかな体毛で覆われている。


「カッチュウさん!」


 僕が短剣を腰だめに引き、『それ』を串刺しにしようとした時、


「おおっとぉ!」


 カッチュウがいきなりぺたんと尻餅をついた。『それ』がカッチュウの顔面から飛び退いたのだ。

 僕たちの眼前に展開されたのは、不思議な光景だった。『それ』が細い糸状のもので巻き取られ、するすると階段下へと運ばれていく。引きずられているわけではなく、最低限の力で持ち上げられ、回収されていくようだ。


『それ』の姿が階段の向こうに消える時、僕は『それ』と目が合った。一対の金色の目だ。その瞳の中に、敵意は感じられない。その代わり、ミカは魔法が行使されているのを感じ取ったようだ。


「あの糸に魔法の力があるみたい。あっ!」

「どうした?」


 僕とカッチュウが同時に振り向く。するとミカは、手をかざしながら


「誰かが近づいてくる! 階段下の廊下から。すごい魔力!」


 と叫んだ。


「魔女か!」


 慌てて長い銃器を構え直すカッチュウ。しかし、そんな緊張感はすぐさま霧散することになった。


「あーっ! 駄目よケリー! 勝手に外に出たら、熱射病になっちゃうわよ!」


 聞こえてきたのは、呪詛でもなければ魔法の詠唱でもない、幼い子供の声だった。同時に、とてとてと不思議な足音が響いてくる。

 そして僕たちの前に現れたのは、七、八歳のあどけない女の子だった。


 全身を真っ白な貫頭衣のようなもので覆い、頭には真っ白な三角帽子を載せている。壁や床同様、青い澄み切った大きな目をしていて、両腕には、件の『それ』――真っ黒な毛並の動物を抱いていた。


「なんだ、猫だったのか……」

「え? カッチュウさん、今何て?」

「猫だ、猫。かつて人間が飼育していた哺乳類の一種だ。俺の記憶の中にもある。豹とか虎の仲間だよ」

「なっ!」


 僕の頭に危険信号が走る。こいつは危険動物ではないか。

 僕は咄嗟に短剣を握り直した。が、


「ッ!?」


 金縛りに遭った。『金縛りのような状態に陥った』のではなく、正真正銘の金縛りだ。身体をぴくりとも動かすことができない。


「だあれ? ケリーに乱暴なことしようとしているのは?」


 幼い少女の目が、こちらに向けられる。ミカの驚く顔を見るまでもない、この少女こそ、僕たちが出会うべくして出会った魔女だ。


「ぐっ……」


 いつしか金縛りは、僕の喉を締め上げるほどにまで力を高めつつあった。このままでは殺されるかもしれない。

 そんな時、口を開いたのはミカだ。


「あなたが魔女さん、なのね?」


 すると、僕の全身に走っていた硬直感がすぐに解けた。そのまま前のめりに倒れ込む。

 幼い少女は猫をそばに下ろし、腕を腰に当ててこう言った。


「いかにも! 私が数百年の時を経て地上に君臨した魔女、サントよ!」


 大人ぶった口調で、魔女はそう名乗った。

 それからすぐに、先ほどの糸で猫のケリーを引き揚げ、再び腕に抱いた。糸はサントの背中から生えているように見えたが、必要に応じてどこからでも顕在化できるらしい。糸は腕周りに集中し、ケリーの耳周りを撫でている。


 やっと。やっとのことで、僕は魔女に会うことができた。が、しかし。

 高揚感に浸ったのも束の間、冷水を浴びせかけられるような言葉が、サントの口から発せられた。


「それで、あなたたちは、私に何の用があって来たの? こんな辺鄙なところまで」

「あ」


 僕たち三人は、声を合わせて間抜けな音を発し、黙り込んだ。

 魔女に会えば何かが起こる。そう信じて、僕たちは危険な密林や荒野を歩いてここまで来た。だが、実際こうして出会った上で、何を話せばいいのだろう?


 僕はしばし逡巡したが、ここは隠し事抜きで、最終目標を掲げるしかない。


「神を殺すために、協力してほしいんだ」


 サントは、瞼を半分閉じて僕を見つめる。やはり、僕が言ったこと、というかやろうとしていることは、突拍子もないことだろうか。一笑に付されることだろうか。


 しかし、再び口を開いたサントの言葉は、そんな僕の心配をひっくり返すものだった。


「神を殺す……。興味深いお話ね。ここじゃあ暑いし、この地下回廊の中で、ゆっくりお話を伺いましょうか」

「信じてくれるんですか?」


 僕は思わず、そんなことを尋ねていた。しかしサントは、


「それも含めて、お話を聞こうというわけです。私にも、助けられることがあるかもしれない」


 僕は安心を通り越して、心強さを覚えた。心を支える支柱が、一本増えたような感じだ。


 猫騒ぎも終わったところで、僕たちはサントに導かれ、地下回廊へと足を踏み入れた。


         ※


「さ、寒い……」

「そうですか? 私には適温ですが」


 両腕を胸の前で組む僕。そんな僕を突っぱねるでもなく、かと言って心配するでもなく、サントは前を歩いていく。壁面にそっと手をかざすミカ。対するカッチュウは、短い銃を取り出してジリジリをしんがりを務めていた。


 不思議なことに、地下回廊を進んでいるにもかかわらず、光源の心配は不要だった。階段で見た通り、床、壁、天井の全てが、淡い光を投げかけているのだ。光の壁を造るなんて、サントには造作もないことらしい。


「さあ、皆さんこちらへ」


 その幼い体型からは想像できない、堂々とした態度で、サントは僕たちを回廊突き当たりの部屋へと誘った。

 そこには、この回廊を造っているのと同じ素材のテーブルや椅子が配されている。

 おずおおずと席に着くと、どこからともなくグラスが姿を現した。ミカが感心した様子で見入っている。どうやら、これもまた魔法の力によるものらしい。


「お飲み物は? 皆さん水で構いませんか?」

「ええ。ありがとうございます」


 最も落ち着いた態度のカッチュウが、静かに告げる。すると、グラスの底から水が湧き出てきた。


「おかわりは自由です。ゆっくりおくつろぎください」


 恭しくサントに頭を下げられ、僕は恐縮するやら何やらで、肝心の話題を見失うところだった。


「僕たちは、神を殺すために冒険しています。何かヒントをくださいませんか?」

「ふむ」


 サントは僕たちに対面するような形で椅子に腰かけた。自分のグラスにも水が入っている。


「私は数百年、この世界の情勢を見てきました。私が産まれるさらに数百年前、神が初めて人間を殺す、いえ、虐殺する事態が発生ました。残念ながら私にも、当時の記憶はありません」

「そう、ですか」


 やはり、魔女の力を以てしても、事態収束とはならないのか。

 しかし、僕に凹む暇を与えず、サントはこう言った。


「でも、私には神に対する攻撃を可能にする能力が備わっています」


 僕は思わず、口に含んだ水を噴き出した。


「あ、あなたなら神を殺せる、と?」

「確約はできませんが、私をどう扱うかで、状況は変わってくるでしょう。ジン、あなたの手助けができるかもしれない」


『あなたたちの旅に同伴します』と、サントは言い切った。


「本当ですか!?」


 鬼に金棒である。


「今日はここで休んでください。私は私の方法で、神への対抗策を考えてみます」


 パチン、とサントが指を慣らすと、床がせり上がり、三人分のベッドになった。

 その晩、サントが回廊の出入り口を封鎖してくれたのを確認してから、僕たちはすぐさま眠りに就いた。

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