第12話
ギシャアアアアアアアッ、という悲鳴が空を斬る。僕はそばで立ち竦んでいたミカを引っ張り、安全なところまで退避した。先ほどとは比較にならない黒煙と異臭が立ち込める。蜘蛛は足をバタつかせたが、もはや力を入れることは叶わなかった。
炎は蜘蛛の脇腹から広がり、頭部にも燃え移った。断末魔の咆哮が轟く中、僕たちに向けられていた眼球が溶け出す。
「見るな!」
僕は咄嗟にミカの頭部を抱き寄せ、残酷な光景から遠ざけた。そのまま後ずさりし、短剣を投擲しようと試みる。しかし、
「おーい、ジン、ミカ! 二人共無事か?」
というカッチュウの言葉に、腕を下ろした。
「カッチュウさん、この蜘蛛はもう?」
「ああ、くたばったよ」
カッチュウがそう言い終えるのを待っていたかのように、蜘蛛の足は根元から焼け落ち、頭部もまた、ごろんと転がり落ちた。
カッチュウは腰に手を当て、堂々と蜘蛛の死骸を見つめている。
そんな彼を見ながら、僕は疑問を口にした。
「今のは一体何です?」
「何、ってどういう意味だ?」
「いや、凄い魔法だなと思って」
「魔法じゃない」
背後に手を遣るカッチュウ。取り出したのは、先ほどの長い銃器だ。しかし、その全体像は全く違うものになっていた。恐竜を銃撃したのと異なる、大きな銃口が取り付けられている。
「榴弾一発に焼夷弾一発か。だいぶ奮発したな」
「い、今のはカッチュウさんが撃ったんですか?」
「でなけりゃ誰が撃つんだ?」
兜を脱ぎながら、問い返すカッチュウ。
「済まなかった、すぐにこいつを使えればよかったんだが」
「いえ、ミカが人質に取られていましたから」
「まあ、そういう事情もあるが、残りの弾数が気になってな。榴弾五発、焼夷弾三発か。節約しなくちゃならん」
と、いうことは、カッチュウの有する武器は、腕部の刃以外は使用制限があるわけか。
僕が顎に手を遣っていると、カッチュウは僕のそばを通り過ぎ、ミカに声をかけた。
「大丈夫か? そこに少し腰を下ろすんだ」
「あなたは?」
「俺は新しい水を汲んでくる。今ある水は、全部このボトルに入ってるから、少しずつ飲め。がぶ飲みするなよ。分かったな?」
こくりと頷くミカから目を逸らし、カッチュウは僕に向き直った。
「できるだけ早く戻る。偵察も兼ねてくるから、ここを動くな。ミカを守ってやれよ」
『分かりました』と言いかけて、僕の声は喉で詰まってしまった。今まで何気なく、心の中で繰り返してきた『ミカを守る』という言葉。それが現実味を帯びてきたことに、僕は怯んでしまったのだ。
保護者であったミカの父親は、もういない。代わりに僕が彼女を守るしかない状況が訪れるであろうことは、覚悟して然るべきだった。
しかし、そんな僕の葛藤など気にも留めずに、カッチュウは荒野を駆けていってしまった。
取り残された、僕とミカ。
「ミカ、本当に大丈夫?」
「うん、平気」
「そうか」
何故だろう? つい昨日までは、もっと気軽に言葉を交わせたはずなのに。胸の奥が、チリチリと軽く火で炙られる感じがする。このまま言葉を区切ってしまっては、二度と話せなくなるのではないか。そんなありもしないことを考え、しかし必死に話の糸口を見つけ出そうとした、その時だった。
「ジン、さっきはありがとう」
「へ?」
僕は間抜けな声を上げた。
「ジンが声をかけてくれなかったら、あたし、耐衝撃魔法を展開できずに地面に叩きつけられていたかもしれない。最悪、死んでたかも。だからお礼を言わせて」
「あ、ああ」
ついと顔を上げるミカ。この鋭い日光の下でも、微かに頬が朱に染まっていることが分かる。
「ぼ、僕だって、足を治してもらってなかったら、冒険には出られなかった。お互い様だよ」
「そう、だね」
「そうだよ」
今度こそ、僕たちは沈黙した。カッチュウが帰ってきたのは、僅かに日が天中から傾いた頃だった。
※
「ふっ! はっ!」
「でやあっ!」
「喰らえっ!」
僕たちは三者三様に、敵性動物を駆逐していた。
このあたりはあの巨大蜘蛛の縄張りだったらしく、図体の大きな動物は他にはいない。しかし、蜘蛛の残党や蛇の類、それに肉食性を有する植物とは戦わなければならなかった。
僕は短剣を振りかざし、カッチュウは腕の刃を煌めかせる。ミカに負担をかけないよう、戦闘は主に僕たち二人が受け持った。それでも、ミカに治癒魔法を要請するようなヘマはしなかった。
「さて、そろそろ森林が近い。今日中にはなんとか木陰に入るぞ」
そのカッチュウの指示に従い、僕たちは荒野に敵性動物の血を染み込ませながら、どんどん進んでいった。
カッチュウが士気を上げてくれたこともあり、夕方には森林地帯が再び視界に入ってきた。
再び森林に踏み入るということは、再びあの恐竜の類に遭遇するかもしれないということ。そう思うと、僅かな恐怖心に揺さぶられたが、それでも食糧を得る術のない荒野にいるよりは安心できる。
森林に入り込むと、その様子は荒野に出る前の森林と変わらなかった。盛んに羽虫が飛んでいるためか、肉食性植物の姿は見受けられない。
羽虫がいるということは、彼らが花粉を勝手に運んでくれるということだ。肉食性植物のように、無理に動いて他の動物を捕食する必要はない。
僕たちはもう少しばかり歩いて、周囲の状況を確認した。
「ジン、頼みがある」
「何ですか、カッチュウさん?」
「俺も少しばかり睡眠を取りたい。夜中になるまで、俺の代わりに見張りを頼めるか?」
「は、はい!」
僕は大きく頷いた。カッチュウに頼りにされたのが嬉しかったのだ。彼の指示の下とはいえ、これでミカを守ってやることができる。『異常があったらすぐに起こしてくれ』という言葉を残し、カッチュウは木の幹に寄りかかって、あっという間に眠りに就いてしまった。
すると、ミカが足音を忍ばせながらこちらにやって来た。
「どうした、ミカ?」
「あ、あのね、ジン、こんなことを言ったら、呆れられるかもしれないけど」
ミカは自分で自分の肩を抱き、視線を下げて、地面の上を彷徨わせている。
何だよ。僕の方は、せっかく守ってやろうと意気込んでいるのに。するとミカは膝を折り、唐突に倒れ込んでしまった。
「おっと!」
地面に頭が接触する前に支えてやる。
「どうしたんだ? 魔法を使いすぎたのか? それとも水に毒でも――」
「違うの」
ミカは静かに、しかし有無を言わさぬ口調で否定した。
「あたし、怖くて怖くてたまらないの。あんな恐竜や蜘蛛に遭遇して、それからも危険な場所を歩いて、ジンやカッチュウさんに守ってもらって」
ようやく休息を取る機会が訪れたことで、これまで隠してきた恐怖心が露わになってしまったのだろうか。だったら、今はミカを勇気づけてやるべきだろう。
「そ、そうだよ! カッチュウさんは頼りになるよ! それに、ぼ、僕だって……」
『僕だって君を守ることはできる』と言いかけて、黙り込んだ。そんなこと、言えるはずがない。僕とミカだけで冒険していたら、一体何回ミカを死なせてしまっていたか。そう思うと、僕は頭が真っ白になるような錯覚に襲われた。
「ジン、私のそばにいてくれる?」
「えっ……」
視線を上げ、真っ直ぐに僕を見つめてくるミカ。彼女を前に、僕は足の裏が地面に貼りついてしまったような気がした。
そんな質問は、卑怯だ。『そばにいてくれるか』と尋ねられても、それがいつ、どこでのことなのかが分からない。まさか『永遠に』などと言われたら、そんな誓いを交わすには僕たちは若すぎる。否、幼すぎる。
ミカは立ち上がり、ほぼ同じ目線で僕の目を、心を覗き込んだ。もはや理屈をこね回す暇はない。僕はミカの唇を見つめ、彼女の両肩をそっと掴んだ。
ゆっくりと瞼を閉じていくミカ。僕がその光景に見入った、その時だった。
ガコン、と地面が揺れた。
「何事だ!?」
すぐさま立ち上がったカッチュウ。肩から長い銃器を下ろし、構える。僕もまた、すぐに短剣を引き抜いた。
また怪物か。どこだ? どこから出てくる? ミカの前に腕をかざし、極力守れるようにしながら、僕は視線を走らせる。
しばしの振動が続いた後、地面が割れた。ちょうどカッチュウの立っていたあたりだ。しかし、その割れ方は、怪物が現れる時とはまるで違っていた。
地面には精確な正方形の形にひびが入り、その正方形の部分が沈んでいったのだ。そこには段がある。まるで、この階段を下りてくるよう、見る者を誘うように。
間違いなく、これは人工物だ。しかし、一体誰が、どうやってこんな仕掛けを造ったのか?
答えは一つ。『彼女』しかいない。そしてここは間違いなく、
「魔女の宮殿、だな」
と、カッチュウは呟いた。
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