第11話

「皆、伏せろ!」


 カッチュウの叫び声に従い、僕とミカはその場に屈みこんだ。地震は続いている。

 一際大きな縦揺れの後、目の前の地面がドゴン、と跳ね上がった。乾燥しきった地盤を割り、跳ね飛ばし、何かがのっそりと出てくる。

 

 それは、節くれ立った足だった。何故足だと分かったのかと言えば、今追い払った蜘蛛たちの足によく似ていたからだ。その先端には鋭い爪があり、その爪だけで僕の身体の半分くらいの長さがある。足回りは、僕の胴体ほどの太さがあった。


 その足が、あちらこちらから湧き出てくる。やがて、足の付け根までが露出し、一際勢いよく地面が弾き飛ばされた。

 八つの青い目。縦横に分かれた牙と口。体毛に包まれた本体。間違いない。蜘蛛たちの親玉だ。


 距離を取る僕とカッチュウ。僕は短剣を、カッチュウは長い方の銃器を、巨大蜘蛛に向けている。


「ミカ、離れて! こいつは危険だ!」


 と言い切ったまさに次の瞬間、蜘蛛の足のうち一本が、勢いよくこちらに繰り出された。


「うっ!」


 ギリギリで回避する。しかし、蜘蛛の狙いは僕ではなかった。ミカだ。


「きゃあっ!」


 悲鳴を上げるミカの胴体に、蜘蛛の足が器用に巻きついた。そのまま、ミカは高々と宙に持ち上げられる。

 こいつ、ミカを人質にする気か!


 蜘蛛は屈伸するように足を曲げ、ズズン、と地面を鳴らした。

 恐竜に匹敵するほどの胴体が、僕にのしかかるような高さで静止する。僕とカッチュウを同時に捕捉する八つの目。

 最も恐ろしいのは、やはり足先についた爪だ。ミカを掴んでいる一本を除いても、あと七本の足がある。この足を駆使されたら、蜘蛛の攻撃をかわすのは極めて困難になるだろう。一気に攻め込みたいが、ミカを眼前に晒されたら前進はできない。


 僕たちが攻めあぐねている間に、蜘蛛は一歩、近づいてきた。僕は短剣を目の前に構え、防御態勢を取る。しかし、長期戦になればミカの体力がもたないかもしれない。今は多少無理をしてでも、攻勢に出るべきだ。


「あたしに構わないで! 早くこいつを倒して!」


 喚くミカ。そんな彼女を黙らせるためか、蜘蛛は左右にミカの身体を振り回した。しかし、それは彼女にとって予想の範疇だったのだろう。蜘蛛の眼前から、ミカの姿が消えた。


「今だ!」


 僕は勢いよく短剣を投擲した。それは狙い違わず、蜘蛛の目の一つに突き刺さり、眼球を突き破った。

 こちらに遠距離武器があるとは思っていなかったのだろう、蜘蛛はざざざっ、と後ずさりした。同時にキイイイッ、と悲鳴のような声を上げる。

 砂塵が舞い上がる中、それを裂くようにして銃弾が飛んでくる。カッチュウが蜘蛛の横に回り込み、一点集中で腹部に銃撃を加えたのだ。

 小蜘蛛同様、青黒い鮮血が飛び散る。だが、大した出血量ではない。やはり図体がでかいばかりではなかったようだ。


 カッチュウの方へと向き直る蜘蛛。カッチュウは何やら長い銃器をいじっていたが、振り回された蜘蛛の足に突き飛ばされてしまった。


「カッチュウさん!」


 僕が叫ぶと同時、蜘蛛はさっとミカを僕の眼前に突きつけた。


「チッ!」


 僕は短剣を引き戻したものの、これでは次の攻撃行動を取ることはできない。きっと蜘蛛は、油断するのを止めたのだろう。僕はごくりと唾を飲んだ。


「ジン、ジン!」

「カッチュウさん! 無事ですか!?」

「ああ、怪我はない。それより、このデカブツを何とかするぞ! しばらくこいつの気を引いてくれ!」


 気を引けと言われても、一体どうしろと言うんだ? 名案は、咄嗟には思い浮かばない。ミカをこちらに向けたまま、蜘蛛はカッチュウこそ脅威と見込んだのか、そちらに頭を向けようとしている。


 ええい、こうなったら自棄っぱちだ。

 僕は短剣をポーチに戻し、蜘蛛の腹部へと突進した。素早くミカの身体を回避する。蜘蛛はそれには気づかず、カッチュウを注視している様子だ。


「こっちだ、怪物!」


 そう叫びながら、僕は蜘蛛の足の一本にしがみついた。そのまま、木登りの要領で上へ。

 事態に気づいた蜘蛛が振り返る。だが生憎、僕がしがみついたのは後ろ足だ。今度こそ、相手は八つ(今は七つ)の目を以てしても、僕を捕捉できまい。


 僕は再び短剣を取り出し、両手で柄を握りしめ、思いっきり蜘蛛の脚部関節に刃を突き立てた。予想以上の出血に、僕の身体は青黒く染まってしまう。が、そんなことにはお構いなしだ。

 突き立てた刃を無理やり捻り、傷口を広げる。流石に激痛を感じたのか、蜘蛛はギイイイッ、と耳障りな声を上げて、思いっきり身体を揺すった。


「うあ!?」


 身体を固定する術のなかった僕は、呆気なくふっ飛ばされた。が、蜘蛛の武器である足を一本、斬り落とすことに成功した。


 僕は岩に背を当て、再び短剣投擲の気配を窺う。しかし、蜘蛛は予想以上の敏捷さを見せ、一瞬で振り返った。

 はっと息を飲んだ次の瞬間には、僕は四肢の自由を奪われていた。蜘蛛が糸を吐き、僕の身体を絡めとったのだ。僕は岩に貼りつけになっている。


 蜘蛛は僕に止めを刺そうと、無事だった足を高々と掲げた。先端の爪が、ギラリ、と不気味な光り方をする。

 カッチュウさん、何か案があるんだったら、早く手を打ってくれ。僕はもう駄目だ――。

 そう思った直後、蜘蛛は予想以上の速度でこちらに迫って来た。しかし、爪は僕の頭上を通り越し、遠く背後の地面に突き立った。


 そうか。これは蜘蛛が接近したのではない。何らかの力で、後方から吹き飛ばされたのだ。

 その原因は、何だろうか。と、考え始める前に、猛烈な火薬臭さが僕の鼻腔を満たした。

 苦し気にのたうつ蜘蛛の向こうに、カッチュウが立っている。その両手には、長い方の銃器が握られており、そこから太い煙が上がっていた。


 まさか爆弾を発射したのか? 昨日から火薬の品評会だ。


「ジン、今助けに行く!」


 そう叫ぶが早いか、カッチュウは勢いよく岩場を駆け、腕から刃を展開した。思いっきり振りかぶり、蜘蛛の足を狙う。だが、関節部には届かず、致命傷には至らない。

 しかしそれでも、事態の進展はあった。ミカが解放されたのだ。

 いや、解放というより、蜘蛛が気を取られて離してしまったと言うべきか。


 蜘蛛に吐きつけられた糸を、身体を捻るようにして引き剥がす。しかし、ミカが地面に落ちるまでには間に合わない。


「ミカ、魔法だ! 耐衝撃魔法だ!」


 すると、落下しかけていたミカと地面の僅かな間に、紫色の魔法陣が出現した。ミカの身体がそっとくるみ込まれ、落下の衝撃のほとんどが相殺される。すぐに魔法陣は消えてしまったが、ミカは助かった。


 ようやく蜘蛛の糸から抜け出した僕は、急いでミカの元へ駆け寄った。


「ミカ、大丈夫か?」

「う、うん!」


 ミカはまだ何か言いたげだったが、今はまだ戦闘中だ。僕はすぐに蜘蛛の方へと振り返り、先ほどと同様に短剣を構えた。しかし、蜘蛛の動きは明らかに鈍っている。弱っているのだ。


「ジン、こいつの懐に入り込め! 足をもぎ取るなり目を潰すなり、好きにしろ! 時間を稼げ!」


 カッチュウの言葉に、僕は行動することで応じた。

 ミカを救出できた以上、僕に躊躇いはない。身を屈め、体勢を引くくしながら、素早く相手の足元に滑り込む。途中、頭上から二、三本の爪が降りかかってきたが、殺気が強すぎる。察知するのは容易だった。


 突き立った足を、二、三回斬りつける。致命傷には程遠い。だが、バランスを崩すことはできた。僕は蜘蛛の胴体を周回しながら、少しずつ足に斬り込みを入れていく。

 途中、急に焦げ臭さが鼻を突いた。カッチュウが発射した爆弾によるものだろう。出血は見られないが、それは傷口がすぐに高熱に晒され、火傷になってしまったからだ。ダメージは確実に及んでいる。


 きっとカッチュウは、次の爆弾攻撃でケリをつけるつもりだ。蜘蛛の足の隙間から見ると、長い銃器を地面に固定し、狙いをつけているように見える。


 僕は足の間からカッチュウの姿を目の端に捉えつつ、短剣を振るう。

 そろそろいい頃合いだ。蜘蛛の胴体の真下で、僕は勢いよく短剣を投擲しながら勢いよく一回転した。


「はあああああああっ!」


 すると、短剣は狙い違わず斬り込みに食い込んだ。遠心力を得た短剣は、そのまま次々に蜘蛛の足を跳ね飛ばしていく。ギイイイッ、という悲鳴と共に、頭上にある蜘蛛の胴体が震える。

 僕はタイミングを計り、短剣を引き戻して胴体の下から転がり出た。直後、蜘蛛は勢いよく胴体を地面についた。その巨体ゆえか、出現時と同じような振動が伝わってくる。


 蜘蛛が、残った足と半分になった足で何とか体勢を立て直そうとした、まさにその時。


「全員伏せろ!」


 カッチュウの怒号と共に、蜘蛛の全身が炎に包まれた。

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