第10話
※
荒野は文字通り、見渡す限り荒れ果てていた。茶色くなった葉を垂らす雑草や、風化しかけた動物の骨などが散らばっている。それらは全て、地面と同じような色をしていた。黒、茶色、そして紫色などだ。
風景を真っ二つにするように、川が流れている。穏やかな蛇行を繰り返しながら、反対側の森林まで伸びているのが遠目でもよく分かった。
小さな丘がある。川の流れから極力逸れることのないよう、僕たちはその丘を登った。途中、後ろからミカが心配そうにこちらを見上げてきたが、僕は『大丈夫』と答えるに留めた。
足の調子は全く問題ないが、しかし、それよりもこの異様な静けさに、足が竦みそうだった。
動物も植物も存在しない、ただ太陽が照り付けてくるだけの、まっさらな土地。僕は否応なしに、八年前に地面に降り立った日のことを思い出した。
あそこも荒野だったが、森林は割とすぐそばにあった。そこに村を再建し、僕とミカ、それにミカの父親と三人で暮らし始めたのだ。
おじさんの姿を思い出し、今更ながら視界が滲んできた。しかし、今泣いていても事態は進展しない。僕たちは、神を殺すのだ。
その上で、カッチュウが味方についてくれたことは、本当に心強い。魔法とは違うようだが、不思議な力を使うことができるし、何より戦いっぷりが頼もしい。
頼もしい大人、という存在。それは否応なしに、自分の父を連想させた。父さんも母さんも死んでしまったけれど、今はカッチュウとミカがいる。大丈夫だ。僕は戦える。
唐突に、カッチュウが足を止めた。丘を下り終えたところだ。
「どうしたんです?」
「ちょっと待ってくれ」
カッチュウは背後に手を伸ばし、背負った鞄のようなものから銀色の布のようなものを取り出した。布といっても、地図になっている布と違い、極めて大きい。
「ジン、ミカ、これを被るんだ。予想以上に太陽光が強い。甲冑を着ていない君たちにとっては危険だ。生憎一枚しかないんだが、二人が一緒に入ってくれれば問題ない」
カッチュウが出してくれた布を、僕は受け取りながらバサリと広げた。そのまま後ろに引っ張り、ミカに頭から被るように促す。
布はちょうど、僕たち二人が頭から引っ被るのにちょうどいい広さがあった。逆に言えば、僕とミカはくっついて歩かなければならない、ということだ。
ミカの二の腕が、ぴとっとくっつく。僕は急激に顔が真っ赤になるのを感じた。ミカはどうだろうかと思ったが、そちらに目を向けることができない。
ごく僅かの間、僕は軽い金縛りに遭っていた。
「どうした、二人共? 急ぐ必要はないが、時間的な猶予はないぞ」
「はっ、はい!」
返事が裏返る。
「さ、行こう、ミカ」
ミカは頷いた様子だったが、それ以上、余計な動きはしなかった。
どこか気まずい沈黙が、布の中に滞留する。聞こえるのは自分たちの足音、それに風音だけだ。カッチュウは歩幅を調整し、僕たちに合わせてくれていた。だが、この荒野をできるだけ早く突っ切るべく、努力しているのは伝わってくる。
僕たちがもう少し大人だったら、彼の足を引っ張ることもなかっただろうに。
僕が軽く唇を噛んだ、その時だった。
《もうじきオゾンホールの影響下に入ります。ナビを展開しますので、指示に従って進んでください》
先ほどと同じ、女性の声がした。カッチュウは『了解』と告げてから、ゆっくりと振り返った。
「ここから少し、川沿いを離れるぞ。ついて来てくれ」
僕とミカは、同時に『分かりました』と答えようとした。が、そう言い切る前に事態は動いた。
キリキリッ、と軽い音がした。そちらを見ると、まさに僕たちが進もうとしている先に、小さな影があった。目を凝らす。あれは、蜘蛛の一種だろうか? 複数の目と、八本の足を持っている。また、全身が細かい毛で覆われている。今の軽い音は、口元の牙を打ち合わせる音だったようだ。
カッチュウは短く舌打ちしてから、さっとしゃがみ込んだ。すると、甲冑脚部がぱかり、と割れて、短い筒状のものが現れた。これはきっと、恐竜を攻撃する時に使った銃器を、小さくしたものだろう。
しゃがみ込んだまま、ゆっくりと銃器の先端を蜘蛛に向けていくカッチュウ。しかし、発砲する前に、蜘蛛はこちらに目を向けたままカサカサと後退した。あっという間に見えなくなっていく。
「何だったんだ?」
独り言のように呟くカッチュウに、僕は『さあ』と答えておいた。
僕たちは、カッチュウの助っ人と思しき女性の声に従い、だんだん川岸を離れていった。するとその先にあったのは、もはや雑草すらも生えていない、凹凸の激しい地形。まるで巨人の乱杭歯のように見える。
「ジン、足の具合は?」
先ほどの小振りな銃器を手にしたまま、カッチュウが尋ねてくる。
足は完治しているとみていいのだろう、僕は『大丈夫です』と告げながら、ちらりとミカを一瞥した。しかし、ミカは俯きながら、僕と目を合わせようともしない。
よっぽど『大丈夫か』と尋ねたかったが、先ほどからの気まずさ故に、言葉を発するのは躊躇われた。
僕にとって、ミカはどんな存在なのだろう? 今までは家族だと思っていたけれど、仲介役だったおじさんが亡くなった今、僕は一人の少年で、ミカは一人の少女だ。
僕はミカのことが好き、なのだろうか。
そんな甘ったるい考えを、僕は脳内から叩き出した。胸中でバシン、と両頬を平手で打つ。
僕はミカを守ってくれと、おじさんに頼まれたのだ。あれほどお世話になった、ミカの父親に。それに、ミカの母親だって、『自分とミカ』ではなく『僕とミカ』を救うべくして命を落としたのだ。僕にはミカを守る義務と責任がある。いや、言葉選びはどうでもいい。僕は神を殺し、安全な土地を確保して、ミカを守る。それだけだ。
「二人共、ここから先は、ご覧の通り足場が悪い。慎重についてきてくれ」
「あっ、は、はい!」
慌てて顔を上げ、カッチュウに応じる。まさに、次の瞬間だった。
キリキリッ。キリッ。キリキリキリキリッ。
先ほど遭遇した蜘蛛の音と、同じ音が周囲から発生した。そう、周囲から。つまり、僕たちは蜘蛛の群れに包囲されたのだ。
「こんなところで狩りに出てくるとはな」
カッチュウは口早にそう言って、銃器を上空に向けた。そのまま引き金を引く。
銃声が、あたりに轟く。だが、蜘蛛たちの気配が失せることはない。
僕は、以前トカゲの群れと戦った時のように、短剣を振り回して戦おうかと考えた。だが、岩陰に巧みに潜伏している蜘蛛たちを一網打尽にするのは困難だ。また、ここから逃げ出そうにも、足場が悪くて走れない。
僕は奥歯を噛みしめながら、短剣をポーチから抜いた。だったら、一匹ずつ倒していくしかない。
そう判断し、カッチュウの許可もなく、僕は布の陰から飛び出した。
「ミカ、援護を頼む!」
言いながら、岩場の溝を跳び越え、隣の出っ張りへ。そこにいた蜘蛛に短剣の一撃を見舞った。同時に、背後から銃声が聞こえてくる。カッチュウもまた、一匹ずつ駆逐する手段を選んだようだ。
青黒い返り血を浴びながら、今度は溝に身を潜めている蜘蛛へ短剣を繰り出す。真上から串刺しにしてやった。
だが、今度は蜘蛛たちが攻めてくる番だった。前の四本足を伸ばし、後ろの四本足で跳びかかってきたのだ。
「くっ!」
僕は短剣を横薙ぎに振るい、蜘蛛の胴体を両断する。しかし、同時にもう一匹が、横合いから跳びかかってきた。
「でやっ!」
着地するなり、僕は回し蹴りを繰り出して、蜘蛛を弾き飛ばす。そこに短剣を投擲し、止めを刺した。
ひゅっと短剣を右手に戻す頃には、カッチュウが蜘蛛のほとんどを始末していた。
また、僕たちの背後では、ミカが炎の幻覚を掌から照射し、残りの蜘蛛たちの接近を防いでいる。
「ミカ、どけ!」
そう叫ぶや否や、カッチュウは背負っていた大き目の銃器を取り出し、パタタタタタタタッ、と掃射した。これにはひとたまりもなかったようで、蜘蛛たちは一斉に蹴散らされた。
残りの蜘蛛はあと僅か。自分たちの敗北を察したのか、蜘蛛たちは音を立てずに、しかし素早く岩陰に入り、てんでバラバラな方角に逃げ去った。
「ジン、大丈夫か?」
カッチュウが声をかけてくる。僕は返答しながら、短剣を振るって返り血を落とし、ポーチに仕舞った。
「ミカ、君が後方支援してくれたお陰で助かったよ。感謝する」
律儀に礼を述べるカッチュウ。しかし、ミカはだいぶ疲れてしまったようだ。
「二人共、水を飲むんだ。ここは休憩場所には向かないから、飲んだらできるだけ早く出発して――」
とカッチュウが言いかけた、その時だった。大きな縦揺れと共に、地面が割れたのは。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます