第9話【第二章】

【第二章】


「水、たっぷり汲んできたぞ! これで三人、今日一日はもつだろう」


 意気揚々と、カッチュウが帰ってくる。ちょうど時機を見計らったかのように、ミカも顔を上げた。


「カッチュウさん、ジンの怪我も治りました! ジン、一人で立てる?」

「ちょっと待って」


 僕は今更ながら、痛みが引いていることに気づいた。恐る恐る、骨折した足を曲げてみる。しかし、先ほどのような激痛はない。

 木の幹に手を当て、体重をそちらにかけながら膝に力を込める。


「うん、大丈夫だ」

「よかったあ!」


 ミカは軽く腰を折って、半ば崩れかかるように膝をついた。


「ちょっ、ミカ!?」

「ご、ごめんね、ジン。あんたの怪我は治ったけど、今度はあたしが、力抜けちゃって」

「あ、おう」


 僕はミカの二の腕のあたりを掴み、転倒を防ぐ。その時、ふっと甘い香りがした。ドキリ、と心臓が跳ね上がる。急に、ミカが女の子なのだと頭に叩き込まれた気分だ。


「ごめんね、ジン。出発はちょっと待って」

「……」

「ジン?」

「え? ああ、うん。カッチュウさんもそれでいいですか?」


 するとカッチュウは大きく頷いた。


「無理な進行は逆にタイムロスになる。休むべき時に、休んでおくべきだな」


『じゃあ、俺は恐竜の肉の食えそうな部分を切り取るから』と言って、背を向けるカッチュウ。大人だから、ということもあるかもしれないが、あんな甲冑を着たままでこれほど軽く動き回れるとは。どれだけ身体を鍛えてきたのだろう? まあ、本人が記憶を失っている以上、それを知る術はないが。


         ※


 結局、僕たちが前進を開始したのは、日が天中に昇り、少し経った頃だった。その前に、恐竜の新鮮な肉を焼いて食べられたのは僥倖だった。

『腹八分目にしておけ』というカッチュウの言いつけを守り、余った肉は今晩中に食べるものとして運ぶことにした。


 それからしばらく、危険な動物に遭遇することはなかった。もしかしたら、カッチュウが倒した恐竜は、この周辺の動物にとっても危険だったのかもしれない。それはそうだ、あれほど強かったのだから。

 その血を被ったカッチュウがいれば、匂いだけでも他の動物を寄せ付けない効果があるようだ。


「よし、今日はここで野営しよう」


 しばし森林を進んだところで、カッチュウは声を上げた。

 

「荒野がどうなっているか、それは分からないんだな、ジン?」


 頷いてみせると、カッチュウは『了解』と告げてしゃがみ込んだ。腕から刃を出して、下草を乱暴に地面から削いでいく。状況不明の荒野よりも、ある程度状況把握のできている森林で休息を取るつもりだ。無論、その方が安全である。


「寝心地は保証できないが、まあ、横になって休む分には問題ないだろう」


 こちらに背中を向けながら、カッチュウは続ける。


「今日は俺が寝ずの番をする。危険が迫ったらそっと肩を叩くから、すぐに起きて臨戦態勢だ。二人共、大丈夫だな?」


 振り返ったカッチュウに向かい、僕とミカはこくこくと頷いた。

 本来なら、ミカが結界を張っていてくれればいいのだが、生憎それはできない。ミカだって、眠って意識が途切れてしまえば、結界の連続展開は不可能になる。


「ごめん、ジン。あたし、お父さんやお母さんみたいに、魔法が上手く使えるわけじゃないから」

「それでもミカは立派だよ。いつも僕を助けてくれてたじゃないか」

「うん……」


 どこか不満気なミカ。しばらく見つめていると、ミカが不思議な顔つきをしていることに気づいた。寂しさや虚しさ、焦りのようなものが、代わりばんこに表れては消えていくのだ。


「大丈夫だよ。今日だって、僕の足を治してくれたじゃないか。ミカは一人前の魔術師だよ」

「ありがとう、ジン」

「あー、お二人さん? 若者らしいのはいいが、そろそろ寝ついてくれ。喋っていては眠れないだろう?」


 カッチュウの言葉に、僕とミカは赤面した。若者らしい、って一体どういう意味だ?


「じゃ、じゃあ、お休み」

「うん」


 それだけを告げて、僕たちは各々の夢の中へ飛び込んでいった。


         ※


 翌日。

 僕は自分の肩が軽く揺すられるのを感じた。


「ジン、ミカ、そろそろ朝食にしよう。昨日の恐竜の肉、まだあるな?」


 どうやら先に覚醒したのはミカだったようだ。『焼いた肉があります』と答える。


「よし。干し肉の方が日持ちするから、先にその焼肉から食べよう。水もあるし、遠慮なく水分補給してくれ。喉が渇いてからでは遅いからな、注意しろよ」


 僕とミカは声を揃えて『はい』と返答。カッチュウは背中の出っ張り(恐らく荷物入れなのだろう)から水を取り出し、ミカは鞄の脇に結び付けた焼肉を取り外して紐を解いた。


 お世辞にも美味しいとは言えない恐竜の焼肉を噛みちぎりながら、水で胃に流し込む。そんな味気ない食事をしていると、ふと、兜を脱いだカッチュウが話しかけてきた。


「答えづらかったら申し訳ないんだが」


 僕とミカは目を上げる。


「どうして君たちは子供だけで、こんな危険な旅をしているんだ?」


『子供』という表現が引っ掛かったが、カッチュウの真摯な目を見て、そんなことはどうでもよくなった。

 僕は僕の、ミカはミカの両親の最期を語って聞かせた。


「そうか、君たちのご両親や村の人たちは亡くなったのか。それは大変だったな。いや、誠にすまない」

「いえ、だからこそ、こうして旅に出るきっかけになったわけですから。ね、ジン?」


 僕は大きく、一度頷いた。


「強いな、君たちは。まあ、俺の両親だってこの世界では生きてはいられないと思うんだが、なにぶん記憶がな」


 カッチュウは自分のこめかみを、鎧の人差し指で軽く突いた。


         ※


「さて、そろそろ出発しよう。森林から荒野の方面へと流れていく川を発見した。それを辿ると、ちょうど魔女の居場所まで一直線だ。運がよかったな」

「本当ですか? よかった、ジン、これで水に困ることはないね!」


 明るい反応を示すミカ。だが、僕には引っ掛かっていた。

 果たして、川の流れが魔女の元への最短距離になっているなんて、本当だろうか。偶然としては、あまりにできすぎていやしないか?


 僕の考えを読んだのか、カッチュウはこう言った。


「ジン、確かに妙な符合だとは俺も思う。だが、いずれにせよ俺たちは魔女の元へ向かうんだ。その目的地が変わらないんだから、その川も利用しない手はないだろう?」

「そうですね」


 僕が曖昧に頷いたのを見て、『それでは』とカッチュウが先頭に立って歩きだした。


 その日の昼食前に、視界がさっと開けた。

 木々はどんどん痩せ細り、茶色と黒の剥き出しの地面が見えてくる。遮蔽物のなくなった僕たちの頭に、日光が容赦なく照り付ける。


「おっと、少し待ってくれ」


 カッチュウは、木陰から出ようとした僕たちに警戒を促した。左腕を前に突き出し、以前のように突起を二、三押し込む。


「この上空にオゾンホールがないか調べてくれ」


 おぞんほーる? 聞き慣れない単語に首を捻る僕。しかし、


《了解しました》


 という声によって、ミカ共々驚かされた。


「か、カッチュウさん、今の女の人の声は?」


 と僕が問うと、


「声? ああ、これだ」


 カッチュウが振り返る。そこには地図と同じく、図式や文字が宙に浮かんでいた。立体的な図柄をしている。ここから女性の声がしたという。


「立体映像だ。今、この日光が身体に害を及ぼすことがないかどうか、調べている」


 その言葉尻は、再び響いた女性の声と被ってしまった。


《オゾンホールあり。ただし、そこを迂回するのにかかる時間は二時間ほどです》

「了解。ご苦労」


 すると、宙に浮かんだ図式――立体映像はふっと消え去った。


「ジン、ミカ、聞いてくれ。川に沿って進むと、太陽光線の有害な部分を浴びることになる。だから、しばらくは川沿いを辿って構わないんだが、少ししたらわざと遠回りをする。そのまま再び森林に入って、魔女の元へ向かう。どうだ?」


『どうだ』と言われても、『おぞんほーる』の意味が分からないのだから答えようがない。だが、川沿いばかり歩くのが危険だということは理解した。

僕が小さく首肯するのと、ミカが『分かりました』というのは同時。

 ミカも、分からないからといってここに立ち止まっているわけにはいかないと思ったのだろう。


「よし。それではこれから荒野に出るぞ」


 そう言って、カッチュウは一歩、足を踏み出した。

 後に続こうとすると、非常に強い日差しが照り付けてくる。森林の中では、木々の葉が遮ってくれていたはずの日光が、ほとんど遮蔽されずに差さってくるのだ。


「気分が悪くなったらすぐに言うんだぞ」


 カッチュウは何事もないように、大股で歩いていく。僕とミカは小走りで、彼の後を追った。

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