第7話


         ※


 翌日。

 丸太をベッド代わりに眠っていたミカを、僕はそっと揺り起こした。


「ん……」

「おはよう、ミカ。まずはこれ飲んで」


 朝日に目を細めつつ、ミカは僕の手から木製のカップを受け取った。そっと口をつけるミカ。僕は丸太に座り込んだ彼女の隣に腰を下ろした。


「村を回った時、薬草を取ってきたんだ。竜巻に荒らされなかった畑の端っこの方から。葉っぱを細かくして煮詰めてみたんだけど、どう?」

「うん、おいしい」

「そっか」


 よかった。不味いと言われたらどうしようかと思った。飲み干した後、カップで殴られかねない。

 いや、それはそれでよかったのかも。ミカが、いつもの快活な少女に戻ってくれたという証明になっただろう。

 まあいずれにせよ、ミカは完全にとは言わずとも、調子を取り戻しつつあるようだ。


 やっぱり、ミカは強いな。僕は思った。僕なんて、両親を亡くしてから、こんな無口な性格になってしまったというのに。いや、他人との接触をあまり好まなかったのは、小さい頃からだったかもしれないが。


「ミカ、飲み終わったら一緒に地図を見てみよう。文字が浮かび上がっているんだけど、魔術師にしか解読できないみたいなんだ」

「分かった」


 そう言い切る頃には、ミカは既にぐっとカップを煽っていた。飲み干してくれたということは、本当に美味しかったということか。僕は改めて、胸を撫で下ろした。


「じゃあ、早速地図を見なくちゃね」


 僕は自分のカップを地面に置いて、今は地図となった布をミカの前に差し出した。

 じっと、二組の視線が地図に注がれる。すると、ミカがふと顔をしかめた。


「魔女?」

「魔女、だって?」


 僕はミカに一瞥をくれてから、もう一度地図に見入った。ここから北の方、森林深くに小さな魔法陣があり、ぐるぐる回っている。


 魔女。それは、魔術師の中でも最高位に存在する人物のことだ。『人物』と言ったが、そもそも人間かどうかを疑う声もある。数百年の時を生き、圧倒的な魔法力を保持するとされる魔女。それがどうして、僕たちの目的地になっているのだろう? そもそも、実在しているのか?


 しかし、迷いはもう捨て去っている。僕たちは魔女の元に向かい、対峙しなければならない。恐らくは、高い三角帽を被った老婆の姿をしているだろう。顔つきまでは想像がつかないが。

 僕はぶるり、と身を震わせた。だが、怖がっている場合ではない。問題は、魔女そのものではなく、そこまでの道のりだ。


「遠いな」


 僕の短い呟きに、ミカも頷く。

 魔女の居所を示す魔法陣までの道のりは、単に森林を突っ切っているわけではない。直線移動すると仮定した場合、途中で荒野を通ることになる。森林と違い、僕たちにとっては未知の領域だ。


 どんな動物がいるのか? 水や食糧は確保できるのか? 謎の病を患いはしないか? 疑問は尽きない。

 しかしそれは、荒野を迂回して森林を通る時にも言えることだ。だったら、早く通過できる荒野を突っ切ってしまった方がいい。僕とミカは、同意見だった。


         ※


「ミカ、準備はいい?」

「ちょっと待って」


 二人で意見を合わせてから出発まで、ミカはしばしの時間的猶予を求めた。そのあたりに散らばっていた花々を集め、村の入り口、すなわち元々結界の境目だったところに置いたのだ。

 それから立ち上がり、掌をかざすこと僅か。花々が、勝手に根を張り始めた。水を吸ったお陰か、茎も見る見るうちに伸びていく。そしてむくりと起き上がり、大輪の花を咲かせた。

 僕はぽかんと口を開け、その光景を見つめていた。そして視線をミカの背中へ。


「ミカ、こんなことができたの?」


 するとミカは手を下ろし、満足気に腰に手を当てた。


「お母さんほど上手くはないけどね」


 そう言って振り返った彼女の顔に、昨日の惨めさは浮かんでいない。どこか吹っ切れた感がある。

 家のしきたりだと言って、ミカは花々のある方へ向かい、掌を合わせて頭を下げた。僕もそれに倣う。


「じゃあ、行こうか」


 ミカは大きく頷いた。


         ※


 森林に踏み入ってからしばらく。影の濃い木々の隙間を縫うようにして、僕たちは森林を歩いていた。ちょうど太陽が天中に昇り切ったところで、僕はミカと共に手持ちの道具を確認する。


 今のところ、短剣の出番は訪れていない。幸いだ。僕たちの移動速度がいつもより早いから、昨日の小さなトカゲたちも、包囲網を敷く余裕がないのだろう。


 他の持ち物としては、水筒に入った水と干し肉がある。これらは主にミカが背負っていた。

 危険な動物に遭遇した際、戦うのは主に僕だ。余分な荷物を背負い込むことはできない。また、ミカは自分で背負うぶんには『軽量化』の魔法(耐衝撃魔法を簡略化したものだ)をかけることができた。『それなら自分が背負う』と言い出したのはミカ自身である。


「移動中だけなら、僕が背負ってもよかったのに」

「駄目。ジンにはいつも万全の状態でいてもらわなくちゃ。いつ、どこで危険な動物に出遭うか分からないでしょ?」


 この点、ミカは頑固だった。仕方ない、だったら荷物は彼女に任せよう。


 休憩も兼ねた確認作業の後、僕たちが腰を上げた、その時だった。ドン、と勢いよく地面が揺れた。まさか、また神が攻撃を仕掛けてきたのか? しかし、地面の振動は一定のリズムを持っており、更には近づいてくる気配がある。


「ミカ、逃げろ!」


 僕が叫んだ直後、木々を破って現れたのは、トカゲだった。ただし、小さくはない。むしろ巨大だ。深緑色の表皮に、一対の鋭い目。後ろ足で立ち上がり、前足は使い道がないのか、小さく退化している。前のめりになった格好で、尻尾を水平に立てている。そうして身体のバランスを取っているのか。


 僕はさっと短剣を引き抜き、トカゲの前に立った。体高は僕の二倍近くあり、突き出た口には鋭利な牙が並んでいる。その隙間から、唾液が滴っていた。

 こいつは、トカゲというより恐竜だ。一千年前に存在した『考古学』という分野で研究されていたらしいということは、僕も知っている。


 こちらの出方を窺いつつ、円を描くように歩き回る恐竜。僕はじりじりと足を引きながら、短剣を構えて対峙し続けた。後ろにはミカがいる。何としても、注意を僕に引きつけておかなければ。


 そう思った、まさに直後。恐竜が一歩、大きく踏み込んできた。その巨大な口と牙が、僕を引き裂かんとして迫ってくる。

 僕は慌てることなく、敢えて前方に跳んだ。身を翻し、カウンターの要領で短剣を振るう。


「はあっ!」


 決まった。首筋から腕の付け根にかけて、短剣は大きく恐竜の身体を切り裂いた。ざっ、と真っ赤な鮮血が流れ出す。アルマジロの時と同じだ。しかし、恐竜の勢いは止まらなかった。


「ミカっ!!」


 急いで振り返る。すると、ミカはちょうど防御用の魔法陣を展開し、恐竜を跳ね飛ばしたところだった。


 一見すれば、ミカの魔法で恐竜を倒せるように思えるかもしれない。しかし、ミカはその場に膝をついてしまった。恐竜の巨体を弾くほどの魔法陣を展開したせいで、魔力を使い果たしてしまったのだ。彼女の場合、回復は早いものの、一回の魔力消費量が大きい。


 ドウッ、という打撃音と共に、倒れ込む恐竜。


「ミカ、距離を取るんだ。さあ立って!」


 振り返りながらミカの腕を取ろうとする。が、ミカは僕を見てはいなかった。


「ジン、後ろ!」


 悲鳴に近い言葉。振り返ろうとしたところを、僕は突き飛ばされた。


「がっ!」


 そのまま近くの大木に、背中から叩きつけられる。胃袋が波打ち、酸っぱいものが込み上げる。

 恐竜は、僕を捕食対象ではなく殲滅対象へと認識し直したらしい。じりじりと、ではなく一気にケリをつけるつもりで、突進してくる。

 あれほど出血しながら、まだこれだけ動けるとは。やはり、僕の戦闘力では、森林の奥地は危険すぎたのか。


 いいや、ここで諦めてしまったら、何も始まらない。僕は大木の幹に背中を当て、ずり落ちながらも短剣を投擲した。


「喰らえ!」


 宙に飛び出した短剣は、見事に恐竜の片目に突き立った。狙い通りだ。短剣は依然と同様、僕の右手に頑丈な紐で結び付けられている。このまま引っ張り倒してやろう。


 しかし、そう上手くはいかなかった。ギャオォォッ、と苦し気な声を上げる恐竜は、巨体に見合った力を尽くし、僕を振り回した。


「うわあああああああっ!」


 宙を舞う自分の身体に、僕は危険を覚えた。このまま何かにぶつけられたら、致命傷を負う可能性がある。木の枝にぶつかりながらも幹を蹴り飛ばし、僕は地面に降り立った。そのまま思いっきり腕を引き、今度は恐竜を引き倒そうとする。


 が、予想外のことが起こった。短剣がすっと引き抜けてしまったのだ。恐竜は横倒しになりながらも、目を短い腕で掻きながら上半身を震わせた。

 そのままゆっくりと立ち上がる恐竜。顔を傾け、無事な方の目で僕を睨みつける。僕は短剣を引っ張り寄せようとしたが、今突進されたら間に合わない。


 その時になって、僕の片足に激痛が走った。


「ぐあっ!」


 まさか、骨折でもしたのだろうか。これでは動けない。あの突進が再度繰り出されたら、今度こそ僕は直撃を受け、大打撃を被るだろう。


 やられる。殺される。そう思って目を閉じた、まさにその時だった。

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