第5話

 地震か? 確かにこの近辺では、よく地震が起きている。だが、それにしては揺れ方が不安定だ。不吉な何かが、僕の足元から染み込んでくるような感じがする。

 何かが起ころうとしている。しかし、一体何が?


 その地面の動きに、ミカも気を取られたらしい。炎の幻覚が消え去ってしまった。


「ミカ、何してる? まだ危険だ! このトカゲ共を追い払うまでは――」

「違うよ!」

「何が?」

「トカゲたち、退散していったみたい」


 ミカは口早に告げた。


「退散した?」


 珍しいな。集団で狩りをする小動物は、長期戦で相手の体力消耗を待つものだが。いずれにせよ、危機を脱したという安堵感は微塵もない。トカゲの群れに包囲されるよりもマズいことが起ころうとしている。


 僕とミカは顔を見合わせ、頷いた。村に戻ろうと、足早に帰途に就く。だが、そんな僕たちよりも速く村へ向かうものがあった。

 影だ。巨大な影。はっとして空を見上げる。そして、ぎょっとした。

 真っ黒な雲が、雷鳴を轟かせながら流れていくところだった。トカゲたちが姿を消したのは、きっとこの雲の動きに込められた『殺気』を感じ取ったからだろう。


 僕は怯んだ。八年前、落雷で飛行船が墜落した時の記憶で、頭がはち切れそうになる。

 今度は、建て直された村が『狙われている』のだ。こんなに不自然に雲の動きを操作できるのは、きっと神だけだ。

 待てよ。どうして僕は、『殺気』を覚え、『狙われている』などと察したのだろう。いつも神を殺すことを念頭に置いて生きてきたから、思考回路が妙な具合に偏向しているのかもしれない。


 根拠はどうあれ、僕は、村がまさに神に襲われかかっていると確信していた。


「お、お父さん!」


 駆け出すミカの背後から、僕は必死に腕を伸ばした。その細い肩を握りしめる。


「なっ、何すんのよジン! 離して!」

「駄目だ! 今戻ったら、僕らも村と一緒に焼かれるぞ!」


 だが、その時僕は大きな勘違いをしていた。村を守る結界は、落雷に対する防御性能に特化している。落雷で村を攻めるには、それなりに時間がかかるだろう。八年前と同じ攻撃手段を、神が行使するだろうか?


 その疑問は、次の瞬間に霧散した。黒雲が村の上空で静止し、回転を始めたのだ。黒い巨大な龍が、狙いを定めるべく首をもたげているように見える。これは、竜巻だ。

 村の結界には、電撃を相殺する力はあるものの、竜巻のような物理的な力にどれほど対抗できるかは分からない。


「ミカ、今村に戻るのは危険だ! 自殺行為だぞ!」

「離して! お父さんが! 子供たちが!」

「神には敵わない!!」


 僕は軽くミカの頬を打ちながらそう言った。その直後、気づいてしまった。

 今、僕は何と言った? 『神には敵わない』だと? それは、僕自身を今まで生かし続けてきた『神に復讐する』という信念を捻じ曲げる言葉ではなかったか?


 ええい、考えるのは後回しだ。今はとにかく、ミカを引き留めなければ。

 互いに罵声を浴びせ合う僕とミカ。だが、その応酬は唐突に終わりを告げた。凄まじい破壊音が、村の方から聞こえてきたのだ。


 結界が割れる甲高い軋んだ音。

 木製家屋がバラバラに砕かれる音。

 地面が掘り返されて宙に巻き上げられていく音。

 そしてそれに混じって聞こえてくる、住民たちの悲鳴。


 竜巻は村の中心部から、同心円状に渦を移動させていく。段々と、外側に向かって破壊していくのだ。村民を皆殺しにしてやろうという意志を、僕は肌で感じた。

同時に湧いてきたのは恐怖心だ。真っ黒な渦に巻き込まれていく家財、家畜、そして人。それには不思議と、八年前に火葬されていった人々のイメージが重なった。

過去が、僕に向かって襲い掛かってくる。これがトラウマというものか。


 どれほど時間が経っただろう。気づいた時、顎の下がひんやりとしていることに気づいた。

 冷や汗かと思い、ぐいっと拭ってみる。しかしその液体は、透明ではなかった。真っ赤だ。そして鉄臭い。

 ようやく僕は、自分が何をしているのかを把握した。唇を噛みしめていいたのだ。どうやら、唇から出血し、その血が滑り落ちてきたらしい。


 もう一つ気づいたのは、ミカが僕の肩に顔を押し当てているということだった。涙が溢れ出すのを止めきれなかったのか。いや、もしかしたら、一人で立っていることもできなくなってしまったのかもしれない。


「ミカ、伏せるんだ。何かが飛んでくるかもしれない」


 僕は努めて静かに言った。そっとミカの頭頂部に手を当て、ゆっくりとしゃがませる。すると、ミカは悲痛な叫び声を上げながら、地面に両手を着いてしまった。両親の遺体を前にした時の僕と同じだ。


 僕にできるのは、ミカの肩をそっと抱いてやることだけだった。


         ※


 僕は竜巻を見つめながら、ミカは嗚咽を漏らしながら、しばしの時間を過ごした。

 夕日に照らされ、竜巻は唐突にその勢いを失っていく。その渦中にあった物体は、急に重力の存在を思い出したかのように真っ逆さまに落下し、地面に叩きつけられた。


 竜巻は、発生した時と同じように、呆気なく消え去った。黒雲もまた、一瞬にして散り散りになっていく。結界はもはや展開されてはいなかった。


「ミカ」


 僕はそっと声をかけてみた。ミカは涙も枯れ果てた様子で、ゆっくりと顔を上げる。その瞳が大きく見開かれるのが、僕にははっきりと見て取れた。


 ミカはするりと僕の腕から抜け出し、立ち上がった。そのままよろよろと、村の方へと歩み寄っていく。


「ミカ」


 僕は再度、呼びかけた。しかし、ミカは全く聞こえていない様子。危なげな足取りで、僕から距離を取っていく。その背中に向かって、僕は手を伸ばす。しかし、こんな時にかけるべき言葉をいうものを、僕は知らない。

 それでも、彼女を一人きりにすべきでないことは明確だ。僕は速足で追いつき、ミカの隣に並び、同じ歩幅で村の跡へと向かって行った。


 真っ先に目に入ったのは、ミカやおじさんの家だ。といっても、完全に吹き飛ばされ、土台だけが残っている。しかし、おじさんの姿は見えない。

 僕はミカに代わって、おじさんの名前を連呼した。しかし、視界の中で動くものはない。根こそぎにされた農地の草木が、風に揺れている以外は。


 そういえば、おじさんは村の中心部へ食糧の配給を受け取りに行っていたはずだ。

 そう告げると、ミカは再び目を見開き、『お父さん!』と喚きながら駆け出した。


「ミカ、転ぶぞ!」


 しかしミカにとって、それは些末な問題だった。唯一の肉親の安否を確かめようというのだから。

 

 その時になって、ようやく僕は周囲を見渡す余裕ができた。そしてあまりの惨状に、背筋がぞっとした。

 家々は飛ばされ、代わりに木材や僅かな鉄屑に分解されて降り注いでいる。その下敷きになった人々もいるが、誰もぴくりとも動かない。周囲は異様な静けさに包まれ、まるで音波遮断結界を展開されたかのようだ。

 

 あちらこちらに血だまりや、身体から斬り跳ばれた四肢、内臓などが鎮座している。僕は否応なしに、八年前の両親の遺体の状況を思い出した。両親の遺体が原型を保っていたのは、やはり奇跡だったのだ。


 真っ赤な夕日は、森林の向こう側へと沈もうとしている。それがより鮮やかに、被害の状況を照らし出した。


 視線を巡らせると、子供たちの遺体が遊び場の近くに散らばっていた。一人一人が、ではなく、四肢の一本一本が点在している。胴体に頭部がついていれば、遺体としてはまだマシな方だ。かまいたちのような現象でも起こったのだろうか。村の中心部は特に、流血と肉片が散らばり、足の踏み場もなかった。


 僕が呆然と立ち尽くしていると、いつのまにか眼前にミカが立っていた。泣きはらした目をして、しかし再び落涙しながら、僕の前に立ちふさがる。


「ジン、あんたは……」


 ぎゅっと拳を握りしめるミカ。一体どうしたというんだ?

 僕がそっとミカの顔を覗き込もうとしたのと、彼女の鉄拳が僕の頬にめり込んだのは同時だった。


「ぶふっ!」


 思わず倒れ込み、二転、三転する僕の身体。僕は血だまりに掌を押しつけながら、なんとか立ち上がった。全く、突然何をするんだ。と、抗議しようと口を開いた。が、今度もミカの方が一足、いや、一口早かった。


「皆がこんな酷い殺され方をしたのに、なんとも思わないの!?」

「なっ……!」


 僕は周囲の状況など顧みず、カッと頭に血が上るのを感じた。


「僕が村の皆のことを、大切に想っていなかったとでも言うのか!?」

「そうだよ!!」


 真っ向から肯定され、僕は一歩引いてしまった。


「八年前に、皆で亡くなった人たちの供養をして、やっとまともな生活が送れるようになったと思ったのに、何故、どうしてこんな理不尽なことに遭わなければならないの!?」


 それだけ言い切って、ミカは両手で顔を覆い、その場にへたり込んでしまった。

 微かな呻き声が聞こえたのは、まさにその直後のことだった。

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