第4話


         ※


 翌日、明朝。

 僕が目を覚ましたのは、村で飼っている鶏が鳴き始めたからだ。ゆっくりと上半身を起こし、あたりを見渡す。

 ここは、ミカの家の隣にある小屋だ。僕が横たわっていたベッドの周囲には、農耕器具や家畜の餌を入れた麻袋がある。枕元にあるのは、もちろん僕の相棒、短剣。鞘に収まってはいるが、それでも窓から入ってくる朝日を浴びて、存在感を放っている。


 おじさんは、僕のために母屋の一部屋を譲ってくれた。しかし、僕は自室を与えられることを固辞した。あまりに申し訳なかったのだ。その部屋が、もしかしたらおばさんの部屋になっていたのではないかと思うと、とても眠れたものではない。


 ある日、ミカはそんな僕のことを『優しい』と言ってくれたことがある。だが、果たしてどうだか。

 よっぽど言ってやろうと思った。『君の母親は、僕の代わりに命を落としたんだ』と。

 だが、それでミカやおじさん・おばさんが救われるはずがない。僕はますます、寡黙にならざるを得なかった。


「ジン? ジン、起きてる?」


 木製のドアが、強くノックされる。ミカが朝食ができたと知らせに来たらしい。僕は『ああ』と応じたが、聞こえたかどうか。


「入るよ」


 僕はベッドから下り、ポーチと短剣を腰に装備するところだった。


「なあんだ、やっぱり起きてるんじゃない! 返事くらいしてよ」

「したよ」

「え?」

「返事したってば」

「聞こえなかったよ!」


 そう大声を出すなよ。こっちはまだ寝ぼけてるんだ。


「朝ご飯! アルマジロと人参のスープね。あと、ライ麦のパン。孤児院のお婆さんが分けてくれたの。いつもジンにお世話になってるから、って」

「ん……」


 僕は後頭部に手を遣りながら、無関心を装った。しかし、内心驚きと喜びがあったのは事実だ。


「あ、ジン、本当は嬉しいんでしょ? 顔に書いてある」

「なっ……」


 にやりと両頬を上げながら、ミカは後ろに手を組んだ。悪戯っぽい言動が、余計に強調されて見える。

『僕はそんなこと、思ってない』と言い返そうとして、ミカの胸元が目に入った。いつもと変わらず、青いペンダントは胸の前で揺れている。それよりも、控え目ながら確かに膨らんでいるのに気づいてしまい、僕は慌てて目を逸らした。


「とにかく、もうご飯だからね!」


 それだけ言って、ミカはドアも閉めずに出て行ってしまった。僕のため息は、全く届きもしなかった。


 ミカの家で囲む食卓は、いつも賑やかだ。というより、ミカが一方的にいろいろ喋っている。


「それでね、ルーシーったらアルマジロの鱗を食べようとしてたんだよ? 絶対おかしいって、あの子!」

「鱗? まさか食肉部分と間違ったわけではないだろうな」


 おじさんがミカに適宜応じる。


「まあ、蛇も丸焼きにして頭から齧ろうとしてたからね、ルーシーは! 何を食べようとしてるのか、自分でも分かってないんじゃない?」


 カラカラと明るい笑い声を上げるミカ。

 だが、それが周囲への気遣いから生じた笑いであることを、僕は知っている。きっと、おじさんも。


 ミカだって、母親を亡くしている。平気でいられるわけがないのだ。

 半年ほど前のこと。僕がオアシスでの水浴びから戻った時だ。母屋から、不吉な声が聞こえてきた。何事かと、短剣に手をかけて入っていくと、ミカが自室でうずくまっていた。

 気分が悪いのかと尋ねるべく、入室しようとした直前、微かな光が僕を押し留めた。ミカが母親から受け取った、ペンダントの光だ。


 ミカは、母親を想って泣いている。いかにミカのことを大切に想っていても、僕に踏み込む権利はない。これは、彼女が一人で背負っていくべき過去なのだ。


 しばしの食休み。といっても、ミカは相変わらず喋り続け、おじさんは相槌を打ち続ける。食器を洗いながら、よくも途切れなく話ができるものだ。僕の場合、食器洗いはどうにかなるかもしれないが、同時に他人と会話するなんて絶対に無理だ。


 僕はしばし、おじさんの顔を見つめた。そこには、穏やかでありながら寂し気な、影のある表情が浮かんでいる。家事に勤しむミカを見て、おばさんのことを思い出しているのかもしれない。

 この席に座っているのが、僕ではなくおばさんだったら。ミカたちは、親子水入らずで食事を楽しめていたかもしれない。僕は自分の存在が、足の裏から砂塵に帰していくような感覚に囚われた。

 だが、おばさんは自分より僕の命を優先した。僕に未来を託してくれたのだ。僕が自己嫌悪に陥ってしまっては、それこそおばさんに顔向けができない。


 僕は立ち上がり、バシバシと両頬を叩いた。


「ちょっとジン、どうしたの?」

「狩りに行く」

「まだ早いよ! せめて洗濯物を――」

「ミカは後から来てくれればいい。僕は何かを仕留めておく」


 僕は軽く『ごちそう様でした』と言って掌を合わせ、勢いよく食堂の出口に向かった。

 外に出ると、森の方から穏やかな風が吹きつけてきた。その優しさすら覚える触感に、僕はぎゅっとポーチを握りしめる。


 よし、行くぞ。僕は昨日よりも軽い足取りで、村の結界部分へと向かった。そして、


「あ」


 気づいた。魔術師の力がなければ、僕はこの外に出る、すなわち森林に立ち入ることはできない。


「ミカ! 早く来てくれ!」


 我ながら珍しく、大声を張り上げる。すると、驚いた様子のミカが、玄関扉から顔を出した。


「ちょっと、そんなに急がないでよ!」


 僕は早く狩りがしたいんだ。さっさと結界を解いてくれ。僕は地団駄を踏みながら、結界の向こうをじっと睨みつけた。


「本当に今日は何があったの?」

「行くぞ、ミカ」

「あたしのことも考えてよね! あんた、突然何をしだすか分からないんだから」


 余計なお世話だ。だが、それを言葉にする前に、ミカは結界を解いてくれた。

 ザッ、ザッと下草を踏み分けながら、僕は森林の深部へ。周囲を警戒することも忘れない。まあ、あまり深くまで踏み込むと、僕には手に負えない怪物が現れるから、その線引きは難しいのだけれど。


「ジン、速いよ。本当に何かあったの?」


 僕は説明しようと口を開いたが、流石にミカの前におばさんの話題を出すのは躊躇われた。


「何でもない」


 そう答え、すぐに前へと振り返る。ミカは『無理しないでよ?』とだけ言って、それ以上は声をかけてこなかった。


 僕たちは慎重に、足を進めていった。人間の匂いが、このあたりには残っている。当然、アルマジロの血の匂いもだ。もっと凶暴な動物が、このあたりに潜んでいる可能性がある。


 ふっと視界の隅で何かが動いた。ぴくり、とミカも歩みを止める気配がする。これは、小動物だ。群れで狩りを行うトカゲの一種だろう。こいつらは相手にしていても、一気にケリをつけることができない。避けるべき相手だ。記憶力は低いから、明日またここに来れば遭遇しないで済むはず。


「ミカ、今日は戻るぞ。ここで今狩りをするのは不利だ」

「分かった」


 ゆっくりと、先ほど気配のした方に視線を集中させる。ミカはそっと、球形の魔法陣を展開した。僕たちの匂いが感知されるのを防ぐつもりだろう。そのまま、飽くまでも慌てずに、後退を開始する。


 しかし、数歩移動する前に、僕たちは動けなくなった。


「ジン……」

「ああ。囲まれてるな」


 きっと匂いではなく、目で追われている。僕たちを捕捉できるほどの視力を有しているということは、やはりこいつらは肉食動物だろう。カチカチカチカチッ、と耳障りな音がする。トカゲたちのリーダーが、爪を鳴らして仲間とコミュニケーションを取っているのだ。こちらに襲い掛かる準備をしている。


 額から、嫌な汗が滑り落ちてくる。このままでは、だんだんと距離を詰められ、四方八方から追い込まれてしまう。

 僕は背中合わせになったミカに向かい、大きく頷いてみせた。そっと僕の手を握るミカ。汗ばんだその掌が、ぎゅっと握りしめられる。直後、視界は真っ赤な炎に包まれた。


 すると、キィキィという甲高い鳴き声が聞こえた。三百六十度、全方位からだ。

 相手は目で僕たちを追っている。だったら、その目を潰せばいい。


 しかし、これは本物の炎ではない。今のミカに、それほど強力な魔法を行使する力はない。いわば、この炎は幻覚だ。証拠に、僕は熱さを感じてはいない。


「ミカ、走れ!!」


 僕は叫んだ。直後、右手に結び付けた短剣を投擲した。ギャッ、と短い悲鳴が上がる。そのまま僕は短剣を振り回し、立て続けにトカゲの胴体を切り裂いた。アルマジロの時同様、真っ赤な血が噴き上がる。


「ふっ!」


 ミカは幻覚の炎を、来た道を戻るように引き延ばした。トカゲたちの怯む様子が、手に取るようにわかる。このままダッシュで、一気に逃げ去るべきだ。

 そこまで考え、行動したのは一瞬のこと。既に駆け出しているミカを追って、僕も森の外へと向かおうとした。

まさにその瞬間のことだった。地面が震えたのは。

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