第3話【第一章】

【第一章】


「グルルル……」


 唸り声を上げる怪物と、無言で対峙する。その怪物は、以前開拓史で見たことがあった。アルマジロだ。ただし、その大きさは予想外。

 強固な鱗で覆われた背中は、半球状に盛り上がっている。高さは僕の腰のあたりまであり、体長は僕の身長の二倍はある。

 比較的おとなしい動物として知られているアルマジロ。だが、自分の命の危険を感じたのか、僕を前に息を荒げている。


 ここは、僕たちの住む村の近くの森林。皆の食糧を得るため、そして自分の戦闘訓練をするために、僕はこうして毎日狩りをしている。こんな日々を送るようになってから、既に八年が経過していた。


「ミカ、そっちは?」


 僕は振り向きもせずに、背後にいるミカに声をかけた。


「他の動物の気配はないよ。でも、早く仕留めて」


 僕は無言で肯定の意を表しながら、腰元に提げた縦長のポーチから短剣を引き抜いた。

 鈍い光沢を放つ短剣。長さは僕の肘から掌くらいまであり、切れ味は抜群だ。どんな物質で構成されているのか、それを知る者はいない。少なくとも、八年前の事件の生存者には。


 僕は短剣を右手に握り、逆手持ちにして構えた。こちらから跳び込むべきか、相手が跳んできたのを一旦回避すべきか。


「ジン、分かってるよね? 血の匂いがしたら、他の動物たちがやって来る。急いで」


 その言葉に呼応するかのように、アルマジロが地を蹴った。一直線に僕に向かってくる。鈍重だが、それゆえ体当たりは強烈だろう。僕は相手の動きを見定め、最小限の動きでその巨体を回避し、後ろに回った。

 アルマジロは、僕の姿を見失ったのか、その短い首を巡らせているようだ。やるなら今だ。


「はっ!」


 僕は短い呼吸と一緒に、勢いよく宙に躍り出た。

 狙うは、アルマジロのうなじにあたる部分。丸い甲羅状の背中を刺しても、剣先が逸らされるだけだ。だったら、最初から急所を狙った方がいい。

 僕は短剣の柄を両手で持ち、放物線を描くように身体を動かして急降下。


「はあああっ!」


 すると、確かな手応えが感じられた。ずぶり、と短剣が深く刺し込まれる。僕は背中に馬乗りになろうとしたが、尻が滑って前方に投げ出された。


「うあ!?」

「ちょっと、大丈夫?」


 僕は短剣を突き立てたまま、手を離してしまった。まずい。

 首の根元から、勢いよく血を噴出させるアルマジロ。しかし、闘志を失ってはいなかった。苦し気な呻き声を上げながらも、再度突進してくる。僕は咄嗟に地面を転がり、これを回避。

 そして気づいた。アルマジロの突進する先に、ミカがいることに。ミカを僕と勘違いしたのだろう、相手はミカに向かって睨みを利かせた。


 危ない。しかし、僕は慌てはしなかった。短剣の柄には紐が結び付けられており、反対先は僕の右手首に巻かれている。


「こっちだ!」


 声を上げながら、思いっきり腕を引く。すると、アルマジロは僕の方へと引っ張られた。短剣が勢いよく引き抜かれる。血塗れのそれを、僕は再び右手に握りしめた。アルマジロの頭部は、再び僕の方に向けられている。また突進してくるはずだ。

 今度も相手の動きを見計らって、容易に回避ができるように、足をずらしていく。


 再び、アルマジロは地面を蹴った。ただし、後ろ足でだ。


「!」


 重量級の動物とは思えない勢いで、跳んだ。アルマジロが跳んだのだ。

 だが、僕は退かない。背部と違い、腹部はがら空きで防御も薄いはず。スライディングで相手の下に飛び込み、短刀を突き立ててやる。


「ふっ!」


 腹部に突き刺さった短剣は、アルマジロ自身の動きによって、その切り口を広げる結果となった。一瞬で、僕は血塗れになってしまう。だが、そんなことはいい。

相手は悲鳴に近い声を上げながら、僕を跳び越えた先で膝を折った。腹部から溢れ出した血が、否応なしに下草の茂る地面に広がっていく。

 僕はゆっくりと近づき、全身に対して極端に小さな頭部を斬り飛ばした。再び噴き出す鮮血。


 それを見て、もう一度周囲を確認してから、僕はミカに手信号で合図を送った。『狩りはここまでにして、村へ帰ろう』と。


 大木の陰に隠れていたミカもまた、無言で頷いた。


 僕の狩りにミカが同伴するのには、大きな意味がある。もちろん、ミカの魔法を戦闘時に使われては困る。僕が腕を上げることに繋がらない。だが、一度狩りが終われば、あとは獲物を運んだり、その過程で血の匂いを消したりすることが必要だ。

 流石に十五歳の僕が、それも一人で、このアルマジロのような獲物を村まで運ぶことはできない。そこで、ミカの浮遊魔法の出番だ。加えて、僕、ミカ、獲物を囲むようにして、弱い結界を張ってもらう。他の動物から気配を察知されないようにするために。


 薄紫色の結界の中、僕たちは歩いて村まで戻ろうとしている。


「ねえジン」


 僕は無言。返事ができればいいのだろうが、生憎そこまで社交的にはなれない。


「こんな毎日、いつまで続ける気? そりゃあ、こうしてあんたが狩りをしてくれれば、皆飢えずに済むわけだけど」

「神を殺す」


 短い切り返しに対し、ミカはやれやれと肩を竦めた。


「そんな短剣一本で神と戦うなんて、無茶もいいところだよ」


 再び僕は口を閉ざす。

 ふと、ミカの方を見ると、胸元に青いペンダントが揺れているのに気づいた。いつもミカが装着している、青いペンダント。きっと、飛行船事件の時、母親から託されたものだろう。お守りだとでも思っているのか。


 だが、僕の興味はもう一つあった。

 そのペンダントを包んでいた布切れだ。これもミカが大切に保管している。

 数年前に分かったことだが、その布は、どうやら地図であるようだ。目的地とされる場所に、何があるかは分からない。そもそも、森の奥のまた奥を、地図は示している。今の僕の剣技でそこまでいけるかは分からない。もっと訓練を積まなければ。


 そうこうしているうちに、僕たちは村に入るためのゲート前に到着していた。結界が張られている。これは一種の警戒網で、森から動物が襲ってきた時、村を防御するためのものだ。もちろん、魔術師にかかればすぐに通過することができる。


 ミカの力で結界が一時的に無効化され、僕はミカに続き、村内へと身体を滑り込ませた。アルマジロも、ぷかぷかと浮遊しながらついてくる。そんな僕たちを出迎えたのは、村の端に住んでいるミカの父親だ。


「おかえり、ミカ。ジン、怪我はないか?」

「大丈夫だよ、お父さん!」


 僕は、やはり無言。小さい頃から、必要最低限の対人関係しか持たなかった僕は、今もこうして沈黙を貫いている。

 もっとも、好きで黙り込んでいるわけではない。話し方が分からないのだ。ミカの父親(『おじさん』と呼んでいる)は、決して不愛想な人間ではないし、何より僕を家族の一員として扱ってくれている。本当なら、それこそミカのように、子供らしくしているべきなのだろうが、それができれば苦労はしない。


「助かるよ、ジン。君がこうして狩りをしてくるお陰で、皆が飢えずに済んでいる」

「はあ」


 僕は気の抜けた声を上げた。

 やっぱり、僕は上手くおじさんと話せない。自分の妻、すなわちミカの母親を亡くしても、気丈に振る舞っているおじさん。だが、おばさんが亡くなったのは、ミカだけでなく僕をも助けようとしたからだ。

 僕を見捨てていれば、おばさんは死なずに済んだかもしれない。おじさんは最愛の人を亡くさずに済んだかもしれない。

 そんな自責の念を抱きながら、僕は感謝も謝罪もできずに、おじさんの世話になっている。


「さあ二人共、疲れただろう。ミカは家にいなさい。ジン、君はオアシスで身体を洗ってきた方がいい。血塗れだ」


 おじさんは微かに頬を緩めてみせる。また不愛想であることを承知で、僕はぐっと頷いてみせた。


 それからすぐに、僕はオアシスの一端を借りて身体と衣類を洗った。元々一つだったオアシスは分断され、飲料水用の池と、洗濯用の池とに分かれている。その両方から地下水が湧き出てくるので、水が汚染されてしまう心配はない。


 僕が身体を拭いて着替え、家路に就くと、思いがけない事態に遭遇した。ある人々に取り囲まれたのだ。


「ジン兄ちゃん、ありがとう!」

「あなたの働きで、今日も無事に生き延びられるわ!」

「明日からも頑張って、ジンお兄ちゃん!」


 ある人々というのは、親を亡くした子供たちだ。彼らに混じって、世話役の老婆も声をかけてくる。こんな風に言ってもらえるのは嬉しいけれど、だからといって僕の愛想がよくなるわけではない。

 僕はもごもごと、『分かった』とか『気にしないで』とか言いながら、その場をあとにした。

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