第21話 昔の話


「あらぁ、あっくん。そんな隅っこで、なにしとんの?」

「!」


 突然、横合いからかけられた声に、心臓が跳ねる。

 慌てて上げた視線の先にいたのは、少し丸顔の小柄な老婆――皐月さつきの祖母である小野辺千賀子おのべちかこだった。

 敦司あつしは、ほっと息をつく。


「ば、ばあちゃんか……びっくりした」

「女の子ばっかりじゃけん、二階から追い出されたんか? ほしたら、ばあちゃんがお菓子あげようねえ。こっちおいで」


 なんだか勘違いをされているようだが、電話の内容を聞かれているよりはマシだった。不穏さが伝わるのもよくないが、思春期特有の精神疾患だと思われ微笑ましく見守られるのもいただけない。それはあまりにも痛すぎる。

 ボッチの勘違いくらいですむなら、まだありがたいほうだった。


 実際、あの空間に居続けるのもなかなかの苦行だったので、おとなしく、小さく曲がった背中の後を追いかける。

 小野辺家の居間は、敦司にとっても馴染みの場所だった。古い土間を改装したというその部屋には、ソファーセットとテレビが置かれ、隣接する台所と合わせて、家族の憩いの場になっている。

 昔はよく、このソファーセットで皐月と宿題をしたものだ。

 その記憶も今は遠く――

 中学に進学してからは、まったく寄り付かなくなってしまった。最後にここに来たのは、中2の初夏の頃。前触れもなく突然に亡くなった皐月の祖父の、通夜と葬儀の時だった。

 それでも身体が覚えているままに、千賀子を手伝いながらジュースとおやつカゴを準備して、ソファーに収まる。「よっこいしょ」と隣に座った千賀子は、そんな敦司の複雑な心も知らず、嬉しそうに笑ってみせた。


「ひさしぶりじゃねえ、あっくんが来てくれるんは。昔は毎日、来よったのに」

「……うん。ごめん」

「ああ、構わん構わん、学校が忙しいんじゃろ? さっちゃんも、いっつも忙しそうにしとるけんねえ」


 わかっとるよ、と許してくれる優しい笑顔に、罪悪感が刺激される。


 中学から勉強が忙しくなったのは、本当だった。熱心ではないにしろ部活を始めて、放課後を過ごす場所が他にできたのも一因ではあった。

 ――しかし本当は、ただ、恥ずかしくなっただけなのだ。

 皐月との関係をからかわれるのが恥ずかしかった。皐月がそれで、からかわれるのが、申し訳なかった。自分のような人間が彼女のそばにいることが、いたたまれなくなっただけだった。


 そんなこと全部を口にしてしまいたくなって、けれど、敦司はぐっと呑み込んだ。

 そして代わりに、「ばあちゃん」と口を開いた。


「おれ、もしもばあちゃんが知ってたら、教えてほしいことがあるんだけど」

「ん? なんかいねえ、聞いてみとん?」

「おれの……死んだじいちゃんとばあちゃんのこととか、その、おれん家って昔、どんな家だったのかとか。お隣さんだから、もしかしたら、ばあちゃんならなにか知ってるかなって……思って」


 敦司自身のこと。家系のルーツ。

 調べてみるとみおには承諾したものの、その方法について悩んでいたところだった――丹原の祖父母はとうに亡くなっているし、両親は土日も関係なく家にいない。聞き込みをするにも、その相手に困っていたところだったのだ。

 その点、歩いて20秒の家に住み、祖父母と同年代のはずの千賀子は、最適な人物に違いなかった。


「ああ、学校の宿題かなんかかね。構わんよ」


 拍子抜けするほどアッサリと頷いて、「ばあちゃんが知っとることだけじゃけどねえ」と千賀子は前置きをする。

 そして、自分のお茶を少し飲んで、ゆっくりと話し始めた。


「あっくんとこのお家はねえ、昔っから、ウチと一緒にお米を作りよったお家なんよ。昔は戦争やなんやで男の人が減った頃もあったし、今みたいな便利な機械もないしで、田植えも稲刈りも近所中で集まってやりよって」

「専業農家ってこと?」

「ほうじゃね。農閑期にはいろいろやりよったけど、農家は農家じゃね」


 どうやら、高名な僧侶や陰陽師の線は消えたようだ。

 当然のことなのだが、少しだけ残念な気がしてしまう。そんな自分を恥じてジュースを飲む敦司に、千賀子はミックスナッツの小袋を押し付けながら言う。


幸夫ゆきおさん……あっくんのおじいちゃんは、静かで我慢強い人でねえ。みっちゃん……ミチ子ちゃんがお嫁に来てくれるまでは、本当に、笑った顔を見た覚えがないくらいで。……まあそれも、真面目な幸夫さんのことじゃけん、生まれやのなんやのを気にしとったんじゃろうねえ」

「え? 生まれ、って?」

「あら、あっくんは知らんのかいね。幸夫さんは、ここで生まれたんじゃのうて、養子さんとして来た人じゃったんよ」


 さらりと口にされた初耳に、敦司は大きく息を呑む。


「そ、それっていつ? なんで、養子に?」

「戦争が終わって、2年後くらいじゃったかいね。わたしが3つか4つの頃で、幸夫さんは、もう6つくらいにはなっとったけど。養子いうても、悪いことはなあんもない。戦争で父親が亡くなって、残った母親のほうも長生きができんで、それで昔の友達やった丹原のお嫁さん……あっくんのひいおばあちゃんが引き取ることになったんよ」


 曾祖父母の間にも実子はあったが、その当時はみな女児で、男手とゆくゆくの跡継ぎ候補として、曾祖父も養子縁組を喜んでいたらしい。

 思わぬ話に言葉を失くす。そんな敦司をなだめるように、千賀子は豆菓子の小袋をその手に押し付ける。


「戦後のあの頃じゃ、別に珍しくもない話よ。結局、丹原のお家には男の子が生まれんかって、幸夫さんが田んぼも家屋敷も継ぐことになって。ほいでもわたしらは当たり前のことじゃと思っとったけど、幸夫さんには、責任が重かったろうねえ」

「……戦後の……」


 ということは、70年ほど前になる。――年代は、近くなる。

 湧き上がる興奮のまま、ナッツと豆菓子の小袋を片手に握りしめて、敦司は身を乗り出した。


「じいちゃんが昔、どこにいたかとか、ばあちゃんは知らない?」

「ほうじゃねえ、詳しいとこは知らんけど……今の舟崎市の辺りに住んどったとは、聞いたことがあるねえ」

「舟崎に? じゃ、じゃあ、元の家族の名前とかは?」

「さて。幸夫さんに聞いたような気もするけんど……」


 ううん、と唸った千賀子は、しかし結局「ちょいと出てこんわい」と首を振る。

 見つけたと思った直後に目の前で断たれた道筋に、思わずガックリと脱力する。そんな敦司に、しばし申し訳なさそうにしていた千賀子だったが、ふと、思い出したように小さな声を上げた。


「親御さんのことはわからんけど、そういえば、形見の品があるって言いよったわ」

「形見の品?」

「中身は見せてもらったことないんじゃけど、幸夫さん、漆塗りの小さい箱に入れて、大事に大事にしとったんよ。ああ、そうじゃそうじゃ」

「それって、今はどこに?」

「さて……幸夫さんのお葬式の時に、一緒にお棺に入れるんかと思ったら入ってなかって、不思議じゃったんは覚えとるけど。幸司ゆきじくんもあの箱のことは知っとったけん、粗末にしとることはないと思うんじゃけどねえ」


 幸司というのは敦司の父親のことだ。けれど今はどうでもいい。


 70年ほど前、舟崎市から養子にきた祖父が持っていた、実父母の形見。

 中身はなにかわからない、漆塗りの小さな箱。両掌に乗るくらいで、蓋が分離して開くタイプの、シンプルな黒無地の漆箱だ。

 自然と脳裏に浮かんだそのイメージに、敦司は「あれ?」と首を捻った。

 確かどこかで、そんなものを見たような――


「あっ……!」


 思わずガバッと立ち上がる。


「どしたん、あっくん?」

「……ごめん、ばあちゃん! おれ、ちょっと家に帰ってくる!」


 目をぱちくりさせる千賀子にそう言い置き、敦司は、スマホだけ手にして玄関へと向かう。そして、靴を履くなり自宅へと走り出す。


 件の漆箱をどこで見たのか、思い出した。

 自宅の仏間に据えられた、丹原家代々の仏壇の中だ。




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