第20話 どうして、きみにだけ



「『さーつきちゃーん!』って呼んでみようか?」

「『はーあーいー!』とは言ってくれるかもしれないけど、こっちには、みっちゃんはいないから」

「おりーのメイちゃんの物真似なら、ワンチャンあるかも!」

「ないでしょ。みっちゃんでしょ。メイちゃん相手じゃ、シーン変わるでしょ」


 なんとも呑気な会話をしている先輩2人を背後に、敦司あつし小野辺おのべ家の玄関チャイムを押したのは、土曜の昼過ぎのことだった。

 築年数が古い小野辺家のチャイムには、インターホンはついていない。家の奥から「はあい!」と聞こえたかと思うと、軽い足音がやってきて、開いた引き戸から直接、皐月さつきが顔を出した。


「おはようございます、朋香ともか先輩! あっくん! と……?」


 小首を傾げた皐月に応えて、織江おりえが人懐っこい笑みを浮かべる。


「初めまして。あたし、演劇部の西条さいじょう織江です。よろしくね」

「織江先輩ですね、こちらこそよろしくお願いします! さ、どうぞ!」


 皐月に招かれて、先輩2人の後から「お邪魔します」と玄関をくぐる。


 丹原家と小野辺家は、水田一枚挟んだだけの隣同士だ。昔、試しに歩いて数えたところ、20秒かからないくらいの距離だった。

 小学校時代、両親共働きで鍵っ子だった敦司が学校から帰る先は、自宅ではなく小野辺家だった。皐月の両親も夕方遅くまで帰らなかったが、代わりに、同居していた彼女の祖父母が迎えてくれたのだ。おやつを食べさせてもらったり、畑の片隅で虫取りをさせてもらったりと、ずいぶんと可愛がってもらっていた。

 そんなご近所付き合いも、今となっては昔のことだ。


 それでも、皐月の部屋は、今も昔と変わらなかった。

 納屋の二階を改装して作ったそこは、小学校の頃と変わらず、きちんと整頓されて可愛らしい色柄でまとめられている。変わったところといえば、額縁入りの賞状が増えていることくらいだろうか。書道やそろばん、水泳大会の記録賞もある。

 ローテーブルを囲む女性陣から少し離れて座った敦司は、皐月がくれた缶ジュースを片手に、その数々をしばらく見上げていた。


「それで、打ち合わせって、具体的にどんなことをするんですか?」

「――よくぞ聞いてくれました!」


 きちんと正座して早速とばかりに尋ねた皐月に、朋香が両手でサムズアップする。


「まずね、ストーリーの方向性を考えます!」

「「……えっ?」」


 なんだか予想していなかった発言に、敦司と皐月の声がかぶる。

 続かない反応に皐月を見ると、ピシリと固まってしまっている。おそらく、本気の度合いを測りかねているのだろう。気持ちはわかる。

 ここは、彼女たちにもずいぶん慣れた自分がどうにかするしかない。腰が引けながらも意を決して、敦司は「すみません」と片手を上げた。


「できた台本に合わせて、衣装を作る……その協力をするんですよね?」

「ううん。台本はまだ。欠片もできてないよ」

「ええっ! じゃあ今、なにをどうやって、どうするんですか?」

「それはある意味――〈すべて〉を、かな」


 やたらに恰好つけた物言いに鼻白む思いで織江を見やると、にっこり、そのまま取って喰われそうな笑顔を向けられる。


「一緒に作るの。こんな衣装が作りたい、こんな話を演じたい、っていうそれぞれの意見をすり合わせて、一緒にひとつの作品を作るのよ。大枠とキャラクターさえ決まっちゃえば、あとは同時進行のほうが効率もいいでしょ?」

「へ、へえ……なるほど」


 本当にそれでいいのかはわからないが、高校演劇のことなど1ミリもわからない敦司なので、これ以上、余計な口は挟まないことにする。

 そうだ、そもそも敦司は部外者なのだ。演劇部でも家庭クラブでもない。この打ち合わせに同席する理由など、そもそもないも同然なのだ。

 そんな敦司が、今ここにいる理由。それは――


「あっ、じゃあ、ええと、わたし、書記しますね!」

「ありがとう。もちろん、1年生の目線から、意見があったら遠慮なく言ってね」

「はい!」


 いそいそと筆記具を出す、幼なじみの笑顔を見つめる。

 今日は私服の、その襟元には、鮮血の色をした紐がぐるりとかかっている。


 これまで、4人の命を奪ってきた、その〈印〉――

 ――それがもたらす運命から、彼女を守るために、敦司はいる。


 そんな中、織江に声をかけられたのは、30分ほどしてからのことだった。


「……丹原くん。もしかしてスマホ、マナーにしてる? 澪ちゃんが、何度も電話してるらしいんだけど」

「えっ? あっ!」


 確かに、打ち合わせの邪魔になってはいけないと思って、完全なマナーモードにしてあった。慌ててスマホを確認すると、澪名義の着信履歴が連なっている。


「すみません、ちょっとおれ、電話してきます」


 話の詳細はわからないにしろ、皐月関連だろうことは予想がつく。下手に本人に聞かれてしまってはならないと、敦司はわざわざ階段を下り、一階の廊下の隅まで退避してからリダイヤルした。

 やがて『はい』と応答した相手に向けて、敦司は慌てて頭を下げた。


「あの、すみません、丹原です。すみません、マナーにしてて気づきませんでした」

『そこまで謝らなくてもいいよ。まあ、こんな時に連絡が取れないっていうのは、ちょっと焦ったけどね』

「す、すみません……。それであの、なにかありましたか?」

『うん、まあこっちも話したいことはあるんだけど。先に、そっちのことを聞かせてもらってもいいかな』

「こっちの……」

『――小野辺さんの様子はどう?』


 単刀直入な問いかけに、一拍置いて、敦司は答える。


「……変わりありません。〈紐〉はかかったままですけど、おれにも先輩たちにも、いつも通りにしてくれていると思います」

『無理をしている様子でもなく?』

「……たぶん」


 呟きながら思い出すのは、小学2年の冬のことだ。

 校庭を真っ白に染め上げて積もった雪が珍しく、1時間目の授業時間を、雪遊びにあててもらえたことがあった。雪合戦をしたり、雪だるまや雪うさぎを作って遊んだその時間、皐月はずっと、いつも通りに笑ってはしゃいでみんなと楽しんでいた。それなのに――その日の4時間目、突然、気を失って倒れたのだ。

 後で聞いた話では、朝から微熱があったそうだ。それを大丈夫だと言い張って登校して、身体を冷やして拗らせてしまった。清々しいほどの自業自得だが、誰もそれに気づけなかった。家から一緒に登校していた、敦司でさえも。


 あの時から、敦司は幼なじみの嘘を見抜ける自信がなくなった。

 向けてくれる笑顔が自然なものなのか、かけてくれる言葉が嘘偽りのない本物なのか、断言できない自分がもどかしい。


 ぎゅっと握り締めるスマホの向こうで、『そうか』と落ち着いた声がする。


『まあ実際、まったく気に病まないわけにはいかないだろうしね。彼女に関しては引き続き、丹原君に見守ってもらうことにして……周りや、その〈紐〉に関しても、特に変わったことはない?』

「そうですね……特に変わりはないと思います」

『やっぱり、校内以外ではあまり影響力がないってことかな……それならそれで、もう二度と登校しなければ安全、ってことにもなりそうだけど』

「それはあんまり……根本的な解決にはならないですよね」

『まあ、そうだね。……そういえば前から聞きたかったんだけど、その〈紐〉の先って、どうなってるの? それをたどったら、今回の根本こと例の〈花嫁〉までつながってたりしない?』

「いや、それはさすがに……。地面につくくらいまでは見えるんですけど、それから先は、掠れたみたいになって消えているので……」

『そうか。残念』


 さほど残念そうでもなく言って、澪は少し間を空ける。


『小野辺さんの様子に変わりがないなら、きみにしてほしいことがあるんだけど』

「は、はい。なんですか?」

『前にも少し、疑問として口にしたかもしれないんだけど。――そもそもどうして、、その〈花嫁〉や〈紐〉が見えるのか?』


 深く、息を呑み込んでしまう。

 それをどう捉えたのか、澪は淡々と捕捉を加える。


『実際のところは、わからないよ? 私たちの中には見える人間がいなかったっていうだけで、校内や市内には、見えている人が他にもいるのかもしれない……柚羽ゆうちゃんが言ってた怪談の例もあるしね。けどまあ、とりあえず今は、その可能性は置いといて、だ。私たちの中では、きみだけがそれらを目にし、きみだけが〈彼女〉の声を聞いた。その理由を調べたい』

「……調べる、って……おれが、ですか?」

『きみと、私たちが、だね。――今、柚羽ちゃんには、オカルト系の掲示板で例の話について情報収集を、みなみには、市立図書館のアーカイブで70年前辺りの新聞を調べてもらってる……例の校長室の話に出てきた、今回を〈二の舞〉扱いにする土台となる〈一の舞〉に関してね。もしもそこで、今回の件と重なるものが見つかれば、解決の糸口になるかもしれない』

「…………」

『私も、校長と話していた桑原氏を探してみようと思ってる。登校できれば、事務室に面会記録があるはずだけど……今の状況だと、いつできるかわからないからね。大雑把なやり方をするけど、それで見つかれば御の字だ』


 新聞記事には残らない〈一の舞〉のことを聞けるかもしれない。

 そう呟く相手の頼もしさに、なぜか怯みそうになりながら、敦司は「それで」と問い返した。


「それでおれは……なにをしたら、いいんですか?」

『きみには――丹原敦司君。のことを調べてもらいたい』

「……おれ自身の、こと?」


 間抜けな復唱にも、澪は『そう』と短く応じる。


『きみ自身、過去にどこかで、〈彼女〉と関わったことはないか。きみ自身でなくとも、あるいは親類縁者が関わったことはないか。……もしも可能なら、ご両親やおじいさんおばあさんに、70年前当時のことや、家系のルーツについても聞いてみてもらいたいんだ』

「ルーツ、についてもですか?」

『そう。もしかしたら、きみは高名な僧侶や陰陽師の末裔なのかもしれないし』

「……そんな話は、聞いたことないです……」


 荒唐無稽にもほどがある、と呆れると、『それは冗談として』と笑う気配。


七留ななどめさんの飛び降りを阻止できた、あの時のことが引っ掛かるんだ。〈赤い紐〉が確認できて、一度は凶行に駆られた人間が、それでも命を絶たれることなく助かったのはあの時だけだ。結果としては、七留さんは亡くなってしまったけれど……周りにたくさんのクラスメイトがいたその時でさえ、誰も、彼女たちの死を止めることはできなかった』


 前者と後者の違いはなにか。

 七留波那はなの自殺未遂と、他の事件との違いはなにか。

 ――それは、敦司という存在の有無に他ならないと、澪は言う。


ということを含めても、きみ自身か、きみに連なるなにかが、例の〈花嫁〉を止めた可能性は高い。確証はないにしろ、調べるだけの価値はあると思う』

「……わかりました」


 調べてみます、と敦司は頷く。

 自分にできることがあるのなら、荒唐無稽だろうがやるしかない。


『それじゃあ、なにかあったらまた電話するよ。きみはちゃんと、ケータイを携帯して、連絡がとれるようにしておくこと』

「気をつけます……」


 じゃ、またね、と軽い言葉とともに通話が切れる。


 画面が暗くなったスマホを握りしめ、薄暗い廊下の隅で、敦司は大きく深く、息をついた。




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